dreaming now
三日目
「もしもしアタシ、メリーさん」
電話があった。
非通知だった。
「いま馬賀寺前にいるの」
いつものように通話を切られる。
「メリー……」
ツーツー。
空虚な機械音が鼓膜を揺する。まるで録音音声みたいに自分の声が遠くに聞こえた。
昨日のように寝起きだからではない。
調べたのだ。
今朝方、久しぶりに早起きをして実家に電話をした。
母によると俺には外人の幼馴染みがいたらしい。
記憶の彼方の遠い思い出だ。
「アホらしい……」
とんだB級ホラーみたいだが、俺は単純に嬉しかった。
七歳の時の話だ。はっきりとはしないが、朧気ながら、彼女のことは記憶にあった。だのに、確認をとるまで忘れていたのには理由がある。
自信が持てなかったのだ。あまりにも幼すぎて、彼女のことをイマジナリーフレンドだと俺は勝手に決めつけていた。
「……」
薄く握りしめた携帯がバイブで震えた。
「もしもし、アタシメリーさん。いまミスタードーナツの前にいるの」
「よぉ、思い出したぜ」
「えっ」
「アメリカに帰るとか行って、その途中で車にひかれた女の子がいたことをね」
「……可児ちゃん、逆にいままで忘れてたの!?」
「いや、それは、なんというか。てか、なんで今さらになって帰ってきたのさ」
「お盆だからだよ。四日間だけお休みもらったの」
アメリカ人のくせしてずいぶんと日本式だ。
「いや、そういうことじゃなくて。あれから何年経ってるんだよ」
「んー、だってほら約束したじゃん。別れる前に大人になったらまた会おうって!」
「言ったっけ」
「可児ちゃん、今年二十歳でしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、大人だね。これで約束守れるね。十三年、長かったなぁ、お嫁さんは無理だったから、今度は可児ちゃんの子どもになろうかな。だから……」
「……」
「ちゃんと好い人見つけてね!」
通話が切られる。
涙声だった。
窓の向こうには、灰色の雲が広がっていた。昨日までの晴天が嘘のような曇り空だ。
およそ彼女は幽霊らしくない。それどころかあまりにも人間味溢れすぎている。
俺はドア開けて外に飛び出した。
四日間だけ、と言っていた。お盆だからと。
一昨日と昨日で時間を無為に使ってしまった。
あと二日しかない。
少しでも長く彼女と一緒にいたかった。
会って、謝りたかった。モラトリアムの狭間で日々を無為に過ごすアダルトチルドレン。
だらしない人間になってしまったこと。しょうがない大人になってしまったこと。
時間が止まってしまった女の子に、俺は頭を下げたかった。
「もしもしアタシ、メリーさん。いま、
馬賀野駅前にいるの。そういえば知ってる? 今日ミスド百円セールだよ」
「……食ったのか?」
「おすすめはポンデコクトウ!」
「いま、俺も家を出た。そこを動くな。どうせ、また、道に迷うんだから……」
「迷わないよ。失礼な。こう見えても一度通った道は忘れないんだから」
「もうなんでもいいから、電話は切らないでくれ、いま、向かってるから」
「えー、やだー。だって、通話料ってかけた方が払うんだよ? 長電話するとママに申し訳ないもん。あ、これママの電話ね」
「なら、こっちからかけ直す。番号は?」
「わかんない」
「じゃあ、非通知を……」
「ん? 番号の先頭に184(いやよ)を付けると非通知になるんだよ」
「そういうことを言ってるんじゃなくて。非通知を解除してワンギリしてくれ」
「いぃーやぁー。かけてきたら困るじゃん。アタシ、電話って嫌いなの」
まさかの爆弾発言。
「それに、あんまり長く繋がっちゃうと未練が生まれちゃうし……」
通話を切られた。
答えになってない。彼女からの着信はすべて非通知設定だ。こちらからかけ直すことはできない。
息を切らして走り続ける。
真夏だ。蝉の合唱が降り注ぐ。曇っているのに、むせ返るような暑さだ。
はきだす二酸化炭素は温風で、地球の気温をあげる暖房のようだった。
携帯が震えた。
立ち止まり、汗ばんだ指先で誤操作しそうになりながらも、通話ボタンを押す。
「もしもし、アタシ、メリーさん」
「はあ、はぁ」
「ひあ、変態!」
「違う……はあ、はあ」
「あ、アタシのパンツは水色です!」
「聞いてないだろ……」
「あれ、可児ちゃん? 番号あってる?」
「合ってるよ。履歴からかけてるんだろ? 間違うはずないだろ」
「よかった。それでね、いま郵便局前にいるの!」
「……違うっての。道間違ってるぞ」
「え、嘘。そうだっけ? あれー」
「迎えにいくから動くな」
「やぁだよー!」
ぶちっと、切られる。こいつ……。
ともかくとして走ることにした。ひとまず郵便局を目指す。少なくとも家で待っているよりは早く会えるだろう。
盲進しかけた、俺の意識を掬い上げるように、遠くで雷の落ちる音がした。
はっ、として空を見上げる。
携帯の液晶を見ると、正午を少し回ったくらいだ。そういえばニュースでゲリラ豪雨についてやっていた。
夏の湿った風に、雨の臭いが運ばれてくる。
彼女と最後に遊んだときも 、雨だった。
感傷を切り裂くように着信があった。
「もしもしアタシ、メリーさん。いま公園の前にいるの」
「だから、そっちじゃねぇって言ってんだろ……」
普通に迷ってんじゃねぇよ。
郵便局から一番近くの公園に、爪先の向きを変える。
「公園だな! そこにいろ!」
雷鳴が轟いた。
と、同時に手の甲に雨粒があたり、弾けた。
「あっ、雨」
電話の向こうの少女が声をあげる。
はじめはポツポツだった雨だが、やがて線を引くように一気に降り始める。アスファルトが黒く染まった。
雨宿りできる場所を探す暇なんてなかった。
俺と同じようににわか雨にやられた人の悲鳴が聞こえた。
大粒の雨がまさにバケツをひっくり返したかのようにしぶきをあげている。
「もしもし?」
雨音が激しくて聞こえづらい。
どしゃ降りだ。一瞬で全身濡れ鼠になってしまった。服を着たままプールに飛び込んだみたいだ。
前髪から垂れた雨水が目に入り、視界がボヤける。
「もしもしっ!」
「……」
耳からスマホを離し、画面を見てみる。
水滴が滴る画面は真っ暗だった。
「嘘だろ……」
水没しやがった。
保険対象外だ。ふざけやがって。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「メリィー!」
使い物にならなくなった携帯をポケットにしまい俺は雨粒を割くように少女の名前を叫んだ。
返事はない。あるはずがない。
全部夢だったんじゃないかと、ふと思った。携帯が壊れてしまった今、確かめる手段はない。
公園が見えてきた。
ここで会えなきゃ、もう二度と会うことができない気がする。
水煙にボヤける時計をみて思い出した。
この公園はかつて彼女と遊んだ公園だった。
「出てきてくれ!」
叫びながら園内に入る。
小さな公園だ。誰かいればすぐにわかる。
人影はなかった。
一瞬にしてぬかるんだ地面に足跡つけながら、公園の中心で周囲を見渡す。
滑り台、ブランコ、タイヤのオブジェ……。
「いない、か」
全身水浸しになった今となっては遅い行動だが、昂った気分を鎮めるため雨宿りすることにした。
園内の隅にある滑り台はドーム状になっており、トンネルみたく台座の部分が空洞になっていた。
泥に足がもつれながらも、トンネルの下にはいる。
轟音が響いた。空がひび割れたみたいに光の筋が入る。
近くに雷が落ちたらしい。
俺の気分も最悪だった。
トンネルに入った瞬間、雨足が緩くなる。いつもそうなのだ。
空模様と同じように、心のモヤモヤが晴れることはない。
「メリー……」
呟く。独り言だ。
返事なんて、あるはずなく……、
「いま……」
「っ!」
振り返る。
鈴を転がしたみたいな澄んだ声。
「あなたの後ろにいるの」
鼻水垂らして端正な顔をくしゃくしゃにした少女が立っていた。
綺麗な金色の髪を垂らし、涙目で俺を見ている。
「なんで、泣いてるのさ」
「な、泣いてなんかないよ」
「泣いてるじゃん」
「これは涙じゃないよ。汗だよ。今日、暑いから……」
ボロ泣きだった。涙が滝のように流れている。
「雷なんて、怖くないもん!」
「変わらないな」
思わず笑ってしまった。
「あ」
彼女の手を引いて、ギュと抱き締めた。
恐怖が和らぐように。小さい頃と同じように。
「昔から怖がりだったな、お前」
なんで、忘れてたんだろう。
怖がりのくせして、怖い話が大好きな少女が住んでいたことを。一番のお気に入りは電話で近付いてくる自分と同じ名前の怪談だったってことを。
「怖くないもん。ばかぁ」
俺の手の中には、たしかに温もりがあった。いま手のひらに広がるコレが幻であろうはずがない。
震える少女を慰めるように抱きしめていたら、いつの間にか雨はやんでいた。
「晴れた、ね……」
「そうだな」
「もう少し、だけ……」
「ん?」
「んーん、なんでもない」
耳まで赤くなったメリーはモゾモゾと僕の腕から抜け出すと、外に出て、広がる青空に両手を広げた。
「みて、いい天気!」
さっきまで、震えていたのが嘘のような明るい表情だ。
おそるおそる鳴き始めたアブラゼミに発破をかけるようにメリーは笑った。
空には虹が浮かび、空気はひんやりとしている。
真夏とは思えない不思議な空気だった。
「きれいだねぇ」
虹を見上げて笑いあった。
青空に伸びる七色は、薄く、美しく、消えかかっていた。
「……いつまでこっちにいるんだ?」
電話を越しではなく、隣の少女に俺は尋ねた。
「明日の正午まで。12時過ぎたら帰らなくちゃ」
少女の声は俺の心を震わせた。
「寂しくなるな」
「アタシも。忘れそうになったら、声をかけてよ」
「電話嫌いなんじゃなかったの?」
「ううん、電話じゃなくていいの。たまに思い出してくれるだけで」
「せっかく会えたんだから直接話がしたいぜ」
「……やっぱり、……やっぱり、割りきることなんてできないや。未練だろうがなんだろうがこの際だからはっきり言うね」
メリーさんは俺の方を向いて、白い歯を見せて、元気一杯に笑ってみせた。
「アタシ、アナタが死ぬほど大好き」
いろんな終わりかたがあると思いますけど、ここらでおわりにします。
二日目の終わりに廊下から姿を消したのは、主人公と向いている方向とは間違って進んだからだし、
四日後に帰るのは単純にアメリカだし、幼い頃に事故にあったのは本当だけど怪我だけですんだし、
年を取らない奇病にかかったから結婚できないやと悲嘆にくれてたり、
それでも自分の気持ちには嘘つけないやと前に踏み出す展開とかもあるにはあるかもしれませんが、続きはご想像にお任せします。