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エコ魔導士  作者: 中村 尽
旅情編
26/67

第二十四話『決闘』

――結論から言うと、タークは無事だった。エコの使った強力過ぎる薬は辛うじて致死量には至っておらず、タークはすんでのところで命を残した。だがタークはそのせいで体力を使い果たしてしまい、それから3日間、死線をさまよいながら昏々と寝続けた。



「あんなものを注射するなんて、エコちゃん、なんてことを……。タークさんじゃなかったら死んじゃってるよ!! なんてことすんの、ほんっとにもぉー」

 ミモザは心底呆れて、エコを叱った。エコは猛烈に反省していた。だが、何はともあれタークの命は続いている。もしもあのまま何もしなければ、そのまま息を引き取っていたかもしれない。

(結果的には、エコちゃんの判断は正しかった……。運が良かっただけかもしれないけど)

 ミモザは内心そう思っていたが、危険すぎる賭けだったことは事実。エコもこうなると分かっていたいう確信をもってしたことではない。それから容体が安定するまでは、不安な日々が続いた。


 しかしどういうわけかタークはそれ以降症状が安定して、例の死臭もしなくなった。傷口が閉じ始めた肌には、かつての様な血色が戻ってきたようだ。目が覚めてからも相変わらず身の周りのこと全てを自分ですることは出来なかったが、前より起き上がっていられる時間が増えた。

 事態が漸く好転した、とエコには思えた。エコが一番嬉しかったのは、タークの吐き気が徐々に治まり、食事を摂れるようになって来たことだった。エコは張り切り、出来るだけ滋養のあるものを食べさせようと食材を求めて町を奔走した。エコは薬作りで得た知識を料理にも応用して、タークの身体を食事によっても治そうとしていた。


 そうしてまた数日間が経ったある日のこと、エコに手紙が届いた。いかにも魔法生物らしい変な鳥が投げ込んできた手紙には、「エコさんへ」書かれていたが、差出人が書いていない。

「なんだ? これ」

 エコが封を切って中にあった二つ折りの手紙を開くと、そこには「みたら へやにまでこい アグレッド・ドミ・レシュフ」とあった。


「ねーミモザ。これってどういう事だと思う?」

 エコは昼食のタイミングでミモザに尋ねてみた。アグレッドに今更用など無いし、正直言って余り会いたくもない人だ。

 が、こちらはわざわざ会ってもらったのに向うの誘いには応じないというのは、「マナー違反だよ」とミモザ。仕方なくエコはアグレッドの宿まで赴くことにした。ミモザはついて行くと言ってくれたが、さすがに悪いとエコは断った。


「久しぶりだな、出歩くの……」

 このところ、エコは多忙を極めていた。タークの症状がとりあえず落ち着いたとは言っても、まだ治療のスタートラインに立った程度のことであり、身体から毒が去った訳ではない。まだ世話は必要だし、薬の開発も進めなければいけなかった。それに食事作りまで加わっては、エコに外を出歩く暇など無い。

 そう言うわけでしぶしぶ出掛けたエコだったが、外に出てみると晴れやかな空と心地よい風がエコを迎えてくれたので、エコは気分をよくしてアグレッドの宿に歩いて行った。



「遅かったなあオイ」

 漆黒の部屋の黒い椅子に腰かけたエコに、アグレッドは少し怒り気味に言った。それでも一応エコを客だとは思っているらしく、熱いブラックコーヒーを淹れてエコの前に置いた。

「えーっとそれで、なんの用ですか?」

「ターク君だよ、ターク君」

 アグレッドがぶっきらぼうな口調で、意外な名前を出す。アグレッドとタークには全く面識がないはずだが……。

「ターク? 知っていましたっけ」

「なんかお前、こないだと雰囲気が違うなあ。もっと縮こまった仔ネズミだったのに」

 真っ白い顔に薄笑いを浮かべてアグレッドが言う。

「そうでしょうか? 慣れたからかな……。それで、なんでタークを?」

 アグレッドの皮肉にもエコは動じず、再度質問をし直す。以前と違うエコの態度にアグレッドはやりにくさを感じながらも、本題に入る。

「だからさ、こないだ言ったろう? 【ゲイス・ウェア】だったら死体をくれるって。なるべく新鮮がいいんだよ。あと何日ぐらいか聞きたい」

「ああ、思い出した。でも駄目ですよ、タークは死にませんから!!」エコは自信満々に言い放った。

「いま快復しつつあるところなんです。吐き気も治まったし傷口も塞がってるし」


「それだッ!! ふほっ、それは素人考えだよっ!」アグレッドは手を一打ちすると、エコを指差して突然笑い出した。エコがむっとした表情になる。それを見たアグレッドは、ますます嬉しそうにはしゃいだ。

「【ゲイス・ウェア】の妙と言われているのがそれだよ~……。いっぺん安心させといて、一気に落とす! それが妙ってやつさ。教えてやろう、ターク君の体内では、今肝臓が徹底的にやられてる所なんだ。吐き気が消えたのは肝臓の防護機能が無くなったからだ。肝臓は駄目になるまでとことん症状が出ない……。だが【ゲイス・ウェア】はじわじわと肝臓を傷めつけ、その内殺しちまう。肝臓がダメになったらターク君は死ぬ。『肝心かなめ』ってのを失うんだから当り前だ。なあ、分かり切ったことだろ?」

 アグレッドが嫌味ったらしくそう言い切ると、エコの身体が小刻みに震え出した。だがアグレッドはそんなことにはちっとも気が付かず、まだ話し続ける。

「だからさ、ターク君はもう駄目だ。その状態から生き残ったやつはいないよぉ……。そうなったのは何時から? そこから、うーん、大体平均して1か月、持つか持たないかなんだ」

 アグレッドが話し終えると、いきなりエコの表情が崩れた。


「……ぅぅうぅううううわあぁあぁああああああ~~~~~」


 エコは泣き出した。透明な涙がエコの頬を次々と流れていく。アグレッドは急に慌てだす。

「えええぇぇ、いやいやなんで泣くんだ? 怒るなら分かるけどさ!! たかが魔導士でもない人間が一人死ぬだけだろう! 君が死ぬんじゃないんだからほらほら、泣き止みなさいよ」

「あああああああぁ~、ひっぐ、うわ、ああぁぁ~、あああああああああー!!」

 とめどなく出てくる涙を流しっぱなしにしている間、エコの頭の中は変に冷静になって、(最近泣きっぱなしだな)などとのんびり考えていた。涙が出るものは仕方がない。こうなれば、涙が止まるまで泣き続けるだけだ。

 すっかり取り乱してしまったアグレッドは、席を立って辺りを落ち着きなく歩き回った。


 エコの涙は、アグレッドがエコを気にしながら部屋を2週半歩き回り、もう一度椅子に座って居心地悪そうにコーヒーを飲み下し、沈黙に耐えられなくなって下らない冗談を飛ばした後、遂に諦めて狸寝入りを始めるまで止まらなかった。


 アグレッドが困窮の果てに始めた狸寝入りを見たエコはやけに可笑しい気分になって、泣くのを止めると今度はいかにも愉快そうに、けたけたと笑い始めた。目の前に居るさっきまで泣き喚いていたはずの少女を、アグレッドが愕然とした様子で眺めている。

「はっはは……おっかし……! なんで嘘寝入り始めてんのっ……!? あはははははっ、あはあははは」

「くっそぉ……、貴様こそ嘘泣きしてたんだろうが!! ムカつく女だ、これだから生きている奴は信用できないんだ!!」と、アグレッドは悔しそうに叫ぶ。エコはそれを聞いてますます可笑しくなってしまい、アグレッドを指差して笑い転げた。


「はぁ……。おかしかった。それで」

 やっと笑い止んだと思うと、エコの目が急に真剣味を帯びる。余りにも唐突に態度が変わるので、アグレッドはぎょっとした。

「原因は分かった、ありがとうアグレッドさん。それで、タークをどうやって治せばいいと思います?」

「ああぁっ……!? 治んねえっつってんだろ、嘘泣き女」

「肝臓が悪いんだよね? もっと分かる事ないの? よく知ってるんでしょ、ねえ」

 エコが椅子から身を乗り出して詰め寄る。目元は泣きはらして赤いくせに、瞳孔は矢となってアグレッドを射止めていた。アグレッドは咄嗟に目を背けた。エコのオレンジ色の瞳に見つめられると、凍り付く思いがした。



挿絵(By みてみん)





「そんな目で俺を見るな。慌ただしい目つきで……」

「肝臓が悪いんならさあ、タンポポとかが効きそうじゃない? ねえ答えてよ」

 エコは目をそらさずに、ますます距離を詰める。

「うるさいなー……!! こっちを見るなってば!!」

「わかったよ、あっちを見てるから、答えてよ、ねえ?」

 そう言うとエコは顔を左に向けてアグレッドから目を外した。アグレッドはゆっくり目を戻すと、素直に目を背けてくれたエコに報いるように呟いた。

「たぁーんぽぽみたいに弱い薬じゃあダメだ……。もっと激烈に強い薬でもないと……。エッキゼムの鉱石粉とか、ウネ属の魔導薬でもなきゃ……」

「ウネ属か……マンドラゴラなんかどうかな? この間ちょっと使ったら、……効果があったみたいだった」

「そりゃあマンドラゴラは効くさ。問題は量だな……大量にいると思うが、そうそう手に入る代物でもない。なにしろ王の薬だからな」

「そ、そう?」

 マンドラゴラの希少性などともったいつけて言われても、エコにはピンと来ない。

「でもどうせ無駄だって! そう簡単に助かりっこない。今まで助かった者など、聞いたこともない!」


「治すって言ってんでしょっ!!!! さっきからうるさいんだよ、他の人の話なんてしてないのに! …………ごめん、で、他に効きそうな薬とか無いの?」

 アグレッドはまたも驚かされた。山の天気のように変わり続けるエコの感情の変化に、全くついて行けない……。

 今やアグレッドは、エコを部屋に呼んだことを後悔していた。激しく脈打つ心臓を青白い手で抑え、叫んで逃げたいのを必死で堪える。その間にも、エコは【ゲイス・ウェア】について事細かに聞いて来た。アグレッドはわが身の不幸を嘆きながら、観念して質問に答え続けた。






――この会見の後から、エコは【ゲイス・ウェア治療薬】開発の中心にマンドラゴラを据えた。ここで問題になったのは、あろうことかミモザの存在だった。


『お前がマンドラゴラだってことは、あまり言いふらすんじゃない』……タークの言った言葉が、未だにエコの頭の中に残っている。

 もちろん、ミモザに正体を隠す必要は、既にない。エコはミモザに全幅の信頼を置いているし、エコの正体が知れたところで、ミモザの態度が変わるとも思えない。ただエコは、タークとの約束を破ることだけはしたくなかった。

 たとえその約束をした時とは状況がまるで違うとはいえ、タークとした約束はエコの中で絶対的な意味を持っている。アグレッドにまだ油断できる状況ではないという事を聞き、エコはこれがタークと交わす最期の約束になるかもしれないという覚悟をしていた。



 『薬草の王』の別名で知られるマンドラゴラの入手は、聞けば結構難しいらしい。なんでも生息地が限られるばかりか、生える時期が不定で、かつ毎年同じ場所に生える訳ではない。迷信深い地方ではマンドラゴラが生えると周囲の草が枯れるとか、抜くと叫ぶとか、死体を好み、血で濡れた場所に纏まって生えるなどといった俗説が聞かれるなど生態にも謎が多く、その希少性に拍車をかけていた。


 さらに、マンドラゴラは日干しをしないとあっという間に腐ってしまうため、新鮮なマンドラゴラは極めて高額で取引されている。……そういう事情を、エコは行商人に聞いて初めて知ったのだった。


 エコにとってマンドラゴラは、最も使いやすい薬草だ。自分の身体全体がそれなのだから、必要な分量を切り出せば大量に手に入る。

 そういうわけだから、エコはすぐにでもマンドラゴラを使った薬を試したかった。が、大量のマンドラゴラを使えばミモザに疑われるのは間違いない。一応、エコはミモザにばれないように少しずつ薬に自分の髪や爪を混ぜて試したり、タークに使ったような薬を独自に調合したりしていたが、本当はもっと大々的に研究がしたいと思っていた。


 そんな折、ミモザが薬草の採取に行きたい、と申し訳なさそうにエコに言ってきたのは、エコにとっては僥倖ぎょうこうと言ってよかった。

「ごめんね……、こんな大変な時に。でも、薬用きのこの出物がこの時期しかないんだよ~……。本当にごめんね、エコちゃん」

「ううん、いいの。むしろミモザには本当に感謝しっぱなしなんだから、ごめんなんて言わないでよ。いつも本当にありがとう。ミモザが教えてくれたから、わたしも薬作り上手になったしさ、一人でもやって見せるから」

 エコは笑って、自信たっぷりに言った。ミモザが複雑そうな顔をして目を伏せる。

「そうだね……、エコちゃん。あなた正直今もうすでに、私より薬作る技術、高いと思うよ。……これは本当に。だからエコちゃんならきっとできるよ。私の道具も安心して任せられる。多分2週間くらいで帰ってくるから、それまで頑張ってね。……じゃね!」


 ミモザはそう言って【ハロン湖】を離れ、暫くの間、薬草探しの旅に出ていった。



 この時から、エコは【ゲイス・ウェア治療薬】の完成のために寝食を忘れてミモザの部屋に籠り、ひたすらマンドラゴラ薬の調剤と実験を繰り返した。もちろんタークの身の周りの世話や食事作りと並行して行うのだから、エコ自身は寝食の時間を削って、薬作りに励まなければならかった。




 そんなある日の夕暮れ。布団に寝ているタークの脇に、一人の男がやって来て、乱暴に座った。


「おい、ターク」

 男が声をかけると、タークはゆっくり目を開いた。

「――なんの用だ」

 タークは横目でその男の姿を認め、聞いた。


「お前を殺すんだ……」男が冷たい声で言う。

「ならなんで話しかけてんだよ……。そもそも、全然殺気が無いじゃないか」

「それは今じゃあないんだよ。エコに言づけろ。決闘を申し込む。明日南の街道を出た後、黒い煙の上がってる所まで来いって。来ないと……」

「分かった。……覚えとけよ、フィズン。エコを殺したら俺はお前を許さん。お前の迷いに免じて、エコにはちゃんと伝えておく」

「頼んだぞ……。お前も分かっとけ。オレがエコに勝ったら、今度こそオレはお前を殺しに来るんだぞ」


 フィズンはローブを翻して去って行った。タークはその後やって来たエコに、それを伝えた。エコはぽかんとして聞いていた。





 エコは次の朝、杖を持って宿屋を出発した。だがエコは、フィズンとタークの考えが全く分からなかった。

(なんで、フィズンはまだタークの命を狙ってるんだ? 仲良くなったと思ったのに……)

 フィズンがエコと戦いたがっている事だけはタークに聞いたが、なぜ戦いたいのか分からない。人生経験の浅いエコには、男の意地とかプライドといったものが全く理解できない。そのため、フィズンの行動の裏にあるであろう、社会的なしがらみや責任感、まして女に対する執着心などの事情は、推し計れようはずもなかった。


(でも、あくまでフィズンがタークを殺そうとするなら……)

 エコの目に、冷たい光が宿った。

「その時は、容赦しない」



 南の街道から出ると、すぐに例の「煙」が見えた。気付かないはずがない。街道外れの草原が燃えている。枯れた草木がごうごうと音を立てて、すさまじい量の煙を天にたなびかせていた。強い風が煙を街道に向かって押し流しているせいで、街道筋を歩く旅人や行商人達が煙に阻まれて進むことが出来ず、迷惑そうな顔をして足を止めている。エコも煙たくて近づけない程だ。フィズンは一体何をしようとしているんだ?


 煙を避けて歩いたせいで、草原へ入るのに思いがけず時間がかかった。激しい野火を避けて、すでに焼け野原となった草原の中心部へとたどり着くと、そこにフィズンが居た。外見上、フィズンはこの間会った時とほとんど変わっていなかったが、纏い持つ雰囲気は別人のようだった。眼光鋭く、エコを見やる。



挿絵(By みてみん)




「お前に負けてから……。オレが今まで何をしていたか想像つくか……?」

「知らない。今わたし忙しいんだ。……フィズンさ、なんでか良く分からないし戦うの止めにしない? わたしとフィズンは、こないだ友達になったじゃない」

 フィズンの目つきがさらにきつくなった。恨みすら籠った眼でエコを鋭く睨みつける。

「誰がっっ……! なにが友達だ! 一度勝ったからって調子に乗るなッ! オレにとってお前は、やる気と自信を奪っていくだけの厄介者だ!」


 フィズンの心無い暴言を聞いたエコは、珍しく不快感を露わにした。エコにしてみれば、フィズンはただの友達・・・・・にすぎず、今現在そう優先順位の高い人間ではない。しかも一度は負かした相手だ。こちらとしては格下と見ている人間に、親切にした恩をここまで踏みにじられて言いたいように言われれば、流石のエコも頭に来る。


「聞けッ! オレはお前に負けてから、ひたすら修行をしていたんだ!! 地道で辛く、嫌になるような修行だ! それによってオレの魔力は上がった。あの時、あの戦いだって、オレはお前に引けを取った覚えはない。単純な力圧しなら、オレはお前に勝てる!!」

 フィズンの叫びを無視し、エコは周囲を見回した。焼け野原の火は、まだ端の方で威勢よく燃えている。

「もしかしてあんた、わたしの魔法を封じるためだけにこの野原を焼き払ったの……?」

「そうだ。これでエコ、お前の厄介な魔法は使えないだろ! 焼かれて種ひとつ落ちちゃいない」

 フィズンがしたり顔でエコを指差し、杖を掲げて高らかに宣言した。エコは頭に血が上り、足で地面を思い切り踏みつける。

「ふざけんな、バカッ!! 街道を歩く人やここに住んでた生き物たちにどんなに迷惑かけたと思ってんだ!! 今すぐ謝れアホッ!!」

「おうおう、なんとでも言え!! 勝てば勝者で負ければ敗者だ、口喧嘩しに来たんじゃねえ、はああぁーー!!」

 フィズンは口早に詠唱した。エコは跳びのき、即座に20レーンほど距離を置く。フィズンの使う稲妻と氷の魔法はそう遠くまで届かないということを、エコはこの間の戦いでよく知っている。



 しかし、そんなエコの憶測は甘かった。フィズンが魔法を唱え終わると、エコの想像を大きく超えた規模の電撃が、エコを襲った。距離はゆうに20レーン離れている。にも関わらず、電撃がエコの身体を正確に捉える。

「ぐぎゃっ!!」

 身体に激しい熱と痺れが走り、エコは思わず悲鳴を上げてその場にひざを着いた。フィズンが距離を詰めながら次の魔法の詠唱をしている。追撃が来てはまずいと、エコが咄嗟に『ウォーターシュート』を放つ。しかしそれはフィズンの張った分厚い魔導盾に阻まれ、飛沫となって砕け散る。

「くっくっくっくっくっくっくっくくくくくくふふうふふふははははははっは!!!」

 フィズンが高笑いを堪えきれなくなり、体を反らしながら大声で笑った。

「エコ!! これで分かっただろう。お前にもう、オレを倒す手立てはないだろぉっ!!」

 エコは気にすることもなく、少し間を置いてもう一度魔法を唱えた。

「『ウォーターシュート』!!!」

「無駄だってえのお!!!」


 フィズンは『ウォーターシュート』の射線上に魔導盾を移動させ、そのまま反撃の魔法の詠唱にかかった。だが、エコの『ウォーターシュート』は先ほどとは比べ物にならない速度でフィズンの魔導盾にぶつかり、魔導盾を粉々に打ち砕く。

 そのすぐ後ろからもう1発『ウォーターシュート』が飛来し、フィズンの胴体に勢いよく叩きつけられた。フィズンは飛びそうになる意識を必死で保ったが、気付いた時には地面に頬を付けていた。


 エコが二度目に放ったのは、先ほどと同じ『ウォーターシュート』ではない。エコは普段『ウォーターシュート』をけん制用に使っている。その際は詠唱の文句を最小限度まで省き、それによって発射される『ウォーターシュート』は、出は速いが低速かつ低威力のものになる。が、今フィズンの魔導盾を砕いたのはしっかりと詠唱をした、いわば『本気のウォーターシュート』だった。

 ただ、初めてフィズンと戦った時は、『本気のウォーターシュート』でもフィズンの魔導盾を砕くほどの威力は無かった。強敵との戦いを経て、エコの魔力は強くなっている。そして魔法生物であるエコの成長速度は、フィズンの比ではなかった。



「なんだよぉ……。こんなのねえよ、くそっ、バカ野郎、オレがいくら修行しても無駄だってのか……!! あああ、くそっ、ふざけやがって……!! バカ野郎、バカ野郎」

 余りの衝撃に立ち上がることもできず、焼けた地面に煤まみれになって這いつくばるフィズンが、拳で地面を叩きながら口汚く毒づく。余りにも見苦しいその姿を見て、エコの闘争心は急速に冷えきった。こんな男の命など取っても、何の価値もない。むしろ思い出すたび嫌な気分になるだけだろう。エコは杖を下げ、大きなため息をついた。



……その時、エコから少し離れた位置に、空気が吸い込まれて凝集していた。その光景を見る人が居れば、恐らく景色が歪むかのような錯覚を覚えた事だろう。――次の瞬間、凝縮した空気が一気に解き放たれ、生じた激しい爆炎とともに、焼けた大地が轟音を上げて爆散した。

「なああーにぃっ!?」

 エコは咄嗟に腕で体を防いだが、爆発による衝撃波を防ぐには到底及ばず、身体ごと大きく吹き飛ばされた。



「があっ、はあ、ははあっ、はあっ、はあ、は……っ、はー、はー、はー。はあー」

 フィズンは地面に這いつくばった状態のまま爆散した場所に注意深く目を凝らしながら、集中を切ることなく呼吸を整えた。フィズンの頭上を、爆発によって生じた豪風が吹き抜けていく。


 罵倒、悪態、恨み言を呪文として詠唱、発動をするフィズンの魔法『バンゴリゾ』の威力は、本来こんなものではない。フィズンはエコがしたように、『バンゴリゾ』の詠唱をある程度簡略化して発動していた。だが、詠唱を切って威力を下げても、使うマナの量はそう変わるものではない。『バンゴリゾ』を使った後のフィズンは、数十秒間まともに魔法が使えなくなるほどの息切れに襲われる。だが1か月半に及ぶ真面目な修行の成果なのか、フィズンは以前よりも早く息切れから復帰できるようになっていた。


「当たった、今のは確実に当たった……!! 手ごたえがある、間違いない! 当たれば、へへ……。吹き飛ぶか、遠くに飛ばされて地面に激突するかしたはず……!! 戦闘不能は間違いないが……だがまだまだ勝ちじゃねえ」


 フィズンは大方呼吸を取り戻すと、立ち上がって爆心地から離れた。注意深く歩いて辺りの様子を伺う。エコがこれで死ぬとは考えられない。やがて風に巻かれて『バンゴリゾ』の起こした煙が晴れてくると、焼け野原に1本の木が生えているのが見えた。一瞬、フィズンは考える。……焼け野原に、木だと……!!!


「馬鹿言え、種ひとつ残らない様に焼き尽くした!!」


 フィズンが叫んだその瞬間、視界一杯に緑色の波が起こった。波はフィズンの前方から左右に渡って走り抜け、気付いた時にはフィズンを取り囲むように、高さ2レーンほどのたくましい草木が立ち起こっていた。少し遠くから、エコの声が近づいてくる。


「フィズン、わたしと約束して。二度と人に迷惑をかけない。わたしとタークを殺そうと考えたりもしないって。……いくら草を焼き払ったって、わたしは種屋さんでいろんな種を買って携帯するようにしてるから意味ないんだよ」


「くっ……、くそ、まだ終わってねえだろう!! まだ負けてねえ!!」

「言っておくけど、その草は触るだけで肌に致命的な炎症を起こす毒草だよ。洗っても落ちないし、もし毒液が目に入ったら失明する。……フィズンの魔法じゃ、それに触らない様にそこを脱出するなんてことできないでしょ? 爆発で吹き飛ばしてごらん、毒液が飛び散って、自分にもかかる。こっちに向かって杖を投げたら、全部枯れさせて助けてあげるよ」


 言い方は柔らかいが、それは死刑宣告に等しかった。その植物――ジャイアント・ホグウィードは、フィズンの周囲を半径10レーンに渡って隙間なく覆っていた。これを無理やり掻き分けて外に出たとすると、フィズンは全身にやけどの様な皮膚症状が出て、同時に途轍もない痛みと爛れに襲われる事になる。魔法で破壊して出ようにも、フィズンの魔法にはそれほどの威力もないし、植物の液に触れずに出るのは、どちらにせよ不可能だろう。


「あ……う…………くっっ、」


「……信じてないならいいよ。わたし帰る。体中痛い……。バイバイ、もう同情なんてしないから」

「ちくしょおおおおぉぉぉーーーっっ!!」

 フィズンは、力いっぱい杖を投げた。




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