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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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変わらぬ兄弟

 想いは、例えるなら、大海原から押し寄せる波のようであった。

言いたい事は山とある。

言わねばならん事も山とある。

高吉が意を決し、兄に語ろうとする事柄は、浜辺に寄せる波のように次々と高吉の胸に押し寄せるが、しかしまた波のように、言葉になる前に引いていく。

 一体今更何を何処から何処まで話せば良いのだ……。

六角定頼に裏切られたのも、猿夜叉を連れて北近江に来た事も、今更どうでも良い瑣末な事にさえ思えてくる。

儂はなにか大きな勘違いをしておったのではないないだろうか?

 ただ一歩。

兄の居る部屋に入る一歩が遠い。その敷居が高い。

「さぁ、高吉様。

中へお入りなさいませ。」

 先に部屋へと足を進めた天真和尚がそっと手を差し伸べると、高吉はそれにつられてようやく部屋の中へ一歩足を進めるがまたそこで歩を留めた。

「真であれば長年の仲を違えたお二人の仲を取り持つお役目は高淸様に置いてなく、老いて亡くなり先代の代わりとなりし者もなく、亡き者に代わり拙僧の節操を持ってお二人の並びし姿一目見て、御仏の御心の縁いかんとす。」

 和尚がまるでこれから講話を説くかの如く通った声で七五調に唱えると、そっと高吉の背の襖を閉めて部屋を出た。

部屋に残されたのは高吉と高広の二人のみ。

それでも高吉は襖の前で立ちすくみ、拳を固く握りしめていた。

「話など……話す事など……何もないわ!」

 言いたい事は山ほどある。聞きたい事も山ほどある。

父を裏切った恨み、家を割った恨み、国を奪った恨み。

幼少の頃から、高広を戦分かれとなった時から、南近江に身を寄せていた間中(あいだじゅう)、ずっと抱えていた想いは、しかしこの時には鍋の底に昔からこびり付いた焦げのように力尽くでも動かせないものになっていた。

「そうか……何もない……。何もないか。

そうだな。そうであるな。

我らは兄弟。とは言え、お主とはまともに話したこともない。

果てには(いくさ)(がたき)となり、この二十余年、ずっと儂を憎んできたとあってはもう何も言う事などなかろう。」

 高広の声に高吉の手が震えた。徐々に目頭が熱くなる。

理由(わけ)が分からぬ。

そうだ()(やつ)の言うとおり、今更何も言う事など無いのだ。

なのに何故……

しかし、その気持ちとは裏腹に確かに何かが高吉の胸の奥から込み上げてくる。

「しかし、儂にはある。

お主に言わねばならぬ事がある。

……

……

……どうか、この京極家を助けて欲しい。」

 最後の言葉に高吉の拳に一層の力が入る。腕は震え、目頭には涙が浮かんだ。

()()()るなやぁ!

何がっ!

何が助けて欲しいじゃ!

父上に刃向かい!国を割り!家を壊したお主が言う言葉か!

なんじゃこの有り様は!この国は!

南近江の方がずっと栄えておる。

それも浅井なんぞに舵を奪われ、京極家は言いなりの操り人形!

儂は……儂は……このような北近江を取り戻しとうて……。

このような北近江を取り戻しとうて南近江に行ったのではない!

この長きに渡り儂が取り戻したかった北近江は……このようなものではない!」




 ついに目頭から溢れ出た涙と共に高吉の思いが溢れ出た。

「高吉……」

 その姿は一度目にした事があった。

生まれてからその殆どを父と過ごし、儂とは一切顔も合わせず過ごした高吉が、ただ一度だけ儂の前に姿を現したときのこと。

蝉の音が鳴りしきる夏の日、父の屋敷を抜け出して一人で儂の屋敷まで来た幼い高吉は、今と同じように立ち尽くしながらも涙を流して、儂に訴えた、「父上に従ごうてくだされ!」と。

儂と高吉は兄弟といえど親子ほどの年の差がある。

その一言を言うのにどれほどの勇気が要った事か。

しかし儂はあの時、高吉と碌に目も合わせず一瞥すると「出来ぬ」とただ一言の言葉を吐いた。

『親子、家族仲良く暮らしたい』その至極自然な高吉の願いを、儂は大人の理屈で切り捨てた。


 その時の事が思い出されて高広は、涙を流して立ち尽くす高吉の手を取ろうと腰を浮かしたが……思いとどまった。

今は幼き感傷に浸っておる時ではない。

「それがどうした。

今はそのようなお主の愚痴を聞いておる時ではない。」

 全く、いつまで経って変わらぬものか。

我ら兄弟は……いや、儂は……。

又も家のため、そのために涙を流す弟の手を取ってやる事もできんのか。

「今、話さねばならんことはお主の愚痴の話ではなかろう。

この京極家と北近江のこれからの話であろう。」

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