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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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私は、阿久。

 京極高吉と猿夜叉たちが霊仙山山中の汗掻き峠を越えて清瀧寺を目指していたとき、多賀城からは高吉の書状を持った早馬に乗った使いの者たちが危険を冒して佐和山城の関所を破り、北近江国へ入ると中山道を清瀧寺へと向かっていた。

そしてその使者の書状を手にした寺の和尚の目にはうっすらと涙が浮かんだ。


 この清瀧寺は京極家初代氏信が創建した寺院で、京極家の菩提寺であり境内には京極家代々の墓所が並ぶ。

そんな清瀧寺であるから当然、京極家とは深い縁があるのだが、特に当代当主の京極高吉との縁は歴代の縁とは比べ得ぬ程の深さがあった。

 それは忘れもできない二十八年も前のこと。


当時の当主であった京極高清とその嫡子京極高広は不仲で、ついには高清は高広を廃嫡して家督をその弟の高吉に譲った。

その談合合議の場こそがこの清瀧寺であった。

 当時、まだ寺を継いだばかりの儂は高清様のご意志に意見することもできずに、ただただ問われるままに首を縦に振り、その意に付き従う事しかできんかった。

しかし、その後の京極家の凋落を知れば、あの時もし高清様のご機嫌を損ねることとなってもなんとか高清様と高広様の仲を取り持ちお諫めできれば、今のような京極家の姿を見られずには済んだやもしれぬ。

ましてこの儂は、清瀧寺は、初代氏信様の頃から何百年と京極家と寄り添い付き合ってきた間柄。

ご当主が道を誤られた時には、この儂が止めねば、他に誰が止めるというのか。

僧と言う身でありながら俗世のしがらみに身をとらわれる儂は愚かなのやも知れぬ。

しかし、何百年と年輪を重ねたこの清瀧寺と京極家の間柄は沙羅の双樹のごとく、我が身にのしかかっておるのだ。


 しかしその苦悩もようやく終わりを迎えるやも知れぬ。

いや、これで終わりとせぬばなるまい。

今、多賀の城より参った早馬によれば、京極高吉様があの浅井の猿夜叉を連れて南近江を抜け、この儂を頼って、この清瀧寺へ向かっておるという。

ならば今こそ今度こそ、この清瀧寺の力をもって京極家のお力とならねばなるまい。


 高吉様の一行はほどなく清瀧寺へと到着した。

そしてその一行を和尚は覚悟を持って迎え入れたのだった。





 気が付くと猿夜叉は誰かの背に負われていた。

しかもその者は駆け馬に乗り、猿夜叉の髪は風に靡いていた。

これは……どうしたことだろう?

まだ寝起きの回りきらない頭を動かして昨日のことを思い出せば、南近江の観音寺城を長持ちの中に身を隠して抜け出した事が真っ先に思い出された。

そして確か多賀城に無事にたどり着いて、

それから……そうだ、「山を越えるのに子供の足では時を食う」と高吉様のご家来に負ぶわれて、山を越えて北近江へと向かったんだ。

しかし、僅かに靄の掛かったような頭で思い出せたのはその辺りの事までで、その後負ぶわれている内に寝入ってしまったのか。

そういえば一時、ご家来の背から下ろされて布団に寝かされたような気もけど、あれはどこのことだったのだろう?


 ともかくここは?と、ご家来の背中越しに前を見ようと首を伸ばせば、ご家来から「ようやく目が覚めおったか。」と野太い声が飛んできた。

「ちょうど良い。

まもなく実西庵に着くところよ。」

「ジッサイアン?」

 聞き慣れない言葉に戸惑い周囲を見渡せば、周囲には見慣れぬ風景が広がっていた。

広く広くどこまでも広がる田畑、その向こうには見慣れない山々が峰を連ねて、猿夜叉が後ろを振りかえればその先に頭一つ飛び出た雄大な山がそびえ立っていた。


 あれは?

あの様な山は、猿夜叉は伊吹山しか知らなかった。

いつも観音寺城の山上から遠い遠い見知らぬ故郷の北近江を眺めていたとき、いつも目印に定めていた伊吹山。

それが今は猿夜叉の後方にあって猿夜叉を見送っていた。

 やっぱりここは北近江なんだ。 

心なしか南近江とは違う、厳しい冬の寒さに晒された荒涼とした大地。

色を失ったように見える田畑の真ん中を貫く街道も行き交う人は少なく、街道といえばいつも人が行き交う賑やかな中山道しか知らない猿夜叉には随分と寂しく感じられた。

そんな街道を十分も馬で駆ければ、やがて一行は集落へと到着して、その中の寺の前で馬を下りた。


 寺の小さな門を潜ったのは、いつからだろう高吉様のご一行に加わっていた和尚様だった。

その和尚様に連れられて一行が門を潜ると、寺の方から一人の尼様が姿を現した。

「これはこれは天真様。

お久しゅうございます。」

 丁寧に頭を下げる尼様は年の頃、十四、五と若く、その柔らかな声には凛と張りがあった。

その尼様の様子に天真と呼ばれた和尚様は目を細めて頷くと、おもむろに猿夜叉に近づき、そっとその背を押したのだった。

「この稚児は猿夜叉。

今朝、高吉様が南近江からお連れになられた。」

「なんと……」

 この言葉を聞き尼様は口元に手を添えて驚くと、震えるその手を猿夜叉へと差し伸べた。

「……猿夜叉…様。

お初にお目に掛かります。

私は、阿久。

あなた様の姉にてございます。」



「やはり間違いはないな。」

「はい。

目元口元はお鞠様にそっくりでございます。」

 阿久と名乗った尼様は膝を着き猿夜叉の顔をしげしげと見つめると、天真和尚の問い掛けに強く頷いた。

「和尚、儂が和尚を謀るとでも思うたか!」

 その問答に気を悪くした京極高吉が声を荒げるも天真は平気な顔で「左様。」と答えた。

「いや、拙僧は高吉様の事を信じあげても、他の者はそうとはいくまい。

高吉様もご存じかと存じますが、今、北近江は揺れに揺れております。

その最中の猿夜叉様のご帰参。

喜ぶ者ばかりではありますまい。

猿夜叉様の身柄を保証する者は多ければ多いほど過ちはございませぬ。」

「天真様。

お言葉、しかと承りました。」

 天真和尚の言葉は高吉に向けたものだったが、その言葉で察した阿久は猿夜叉の手をとり真っ直ぐに天真和尚を見つめていた。




「これでまずは一安心、ですかな。

それでは、阿久様。猿夜叉様の事お任せいたしますぞ。

拙僧は一足先に高吉様と小谷城へと向かいまする。

高吉様、お急ぎ下さいませ。

あの久政が城に帰るより先に我らが城に参らねば、高広様とお会いするのもままならぬ事となりましょう。」

 天真和尚の言葉を合図に一行は馬に乗ると猿夜叉を残して駆け出して、その姿を見送った阿久は寺の者を呼び出して「清水谷のお梅に、これより阿久が参るとお伝え下さい。」と言伝を頼んだ。

そうして、寺の小僧を伴って阿久は優しく猿夜叉の手を取り、猿夜叉の歩に合わせるかのようにゆっくりと小谷城へと足を向けた。

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