猿夜叉は無事に観音寺城を抜け出した。
猿夜叉は無事に観音寺城を抜け出した。
浅井家からの人質として、突如六角家に戦を仕掛けてきた浅井家の見せしめとして処刑される定めだった猿夜叉を藤吉郎が救い出したのだった。
途中追っ手に追われ、命からがら身を隠したのは六角屋敷にほど近い京極屋敷だった。
ここからどうやって観音寺城の城下町を抜け出そうか?
絶望的な気持ちで思案に暮れていた藤吉郎と猿夜叉は、戦支度もせずただ一人屋敷に残っていた京極高吉に見つかってしまう。
高吉は当然、二人を捕まえて六角家に差し出そうとするが、藤吉郎のとっさの弁舌で高吉は気変わりして猿夜叉を北近江に逃がす手助けをするようになったのだった。
高吉は屋敷の奥から長持という漆塗りの豪華な木組みの箱を運び出して、「ここに隠れよ」と猿夜叉を長持の中に入るように促した。
京極高吉の言葉に従って猿夜叉は長持の底に身を伏せて隠れ、高吉はその上に家宝の甲冑を被せ更にその上に京極家の家紋の入った旗幟を掛けば、まさかそこに子供などが隠れているようには見えなかった。
そうして最後に「良いか、何があっても声など漏らすなよ。」と高吉が猿夜叉に言い付けて、長持の蓋を閉じれば中は真っ暗闇で目を開けていても閉じていても区別がつかなかった。
真っ暗闇の中、聞こえてくるのは長持の向こうのくぐもった音ばかり、それでも自然に気は研ぎ澄まされ、耳を澄まして周囲の様子を窺っていると、しばらくの後に数人分の足音が荒々しく聞こえ、「ヨイセ」の掛け声と共に猿夜叉が身を隠した長持は持ち上げられ屋敷の外へと運ばれていった。
果たしてこのまま本当に北近江までいけるのだろうか?
猿兄は上手く身を隠しているか?
猿夜叉の胸の内には次々と疑問が湧き出ては消えていく。
しかし外の人の声は何を話しているのか分からぬ程にしか聞こえず、他に外の様子を知ることのできない猿夜叉はただジッと流れに身を任せるほかなかった。
そうして人の歩みとともに揺れていた長持は「ヨイセ」と掛け声と共にどこかに置かれると、それからはゴロゴロと鳴る荷車の車輪の音に合わせてガタゴトと長持は揺れ続けた。
そうしてどれほどの時間が過ぎたのだろう。
中に猿夜叉を隠した長持は京極高吉と僅かな下働き衆と共に無事に多賀の城まで帰り着いた。
突然の主の帰還に城下がにわかに騒がしくなると、高吉は気の知れた家臣を何人か呼び寄せて長持を乗せた荷車を任せると、これまで荷車を押していた下働き衆に駄賃を渡して多賀城から追い出した。
そうして京極家の家臣たちは荷車を押して高吉と共に城の堀に掛かる大手橋を渡り、大きく開かれた城門を潜ると、門扉を閉めしっかりと閂を通した。
そうして無事に観音寺城を抜け出して事に高吉が「ふぅ」と息を吐いて肩の力を抜くと、続いて城の者に長持を開けさせ、こうして猿夜叉は遂に生まれ育った観音寺城を抜け出したのだった。
長い長い夜はまだ終わらなかった。
気の張りっぱなしだった猿夜叉に眠気の波が押し寄せて、長持から出されて屋敷に向かう道すがらにでもウトウトと瞼が重く下りてきたが、屋敷に入ってもロクに寝ることは許されなかった。
事態は一刻を争う。
観音寺城から多賀城へ夜通し歩き続けた高吉は、屋敷入るや否や休む間もなく書を二通書き上げた。
一通は小谷城へ。もう一通は京極家の菩提寺である清瀧寺へ。
2人の早使いがそれぞれ書状を懐に納めて馬に乗り屋敷を駆け出すと、それを追いかけるかのように高吉は猿夜叉と幾人かの供を連れて多賀城を出た。
行き先は北近江の清瀧寺。
多賀からなら中山道を行くのが通例であったがその道を使うわけには行かなかった。
今は浅井と六角の戦の真っ最中。
道中には主戦場である桃原や葛籠、さらに北近江の佐和山城がある。
仮に先ほど出した書状が浅井家の元に届いたとしても、その真意を疑われ捕らえられる恐れは充分にある。
そうした危険をさけるため、身の安全を図るためには京極家の菩提寺である清瀧寺を頼るほかにない。
いかに浅井家が実権を握っているとはいえ北近江の守護は京極家であり、その菩提寺となればいかに浅井久政であっても無視はできない。
それまでは、清瀧寺の住職と会うまでは、決して油断はできなかった。
一行は多賀城を出る中山道を避けて、行き先を東に定めて、ようやく夜の白み始めた鈴鹿の山へと向かった。
その道は江州街道とも呼ばれ、この多賀から鈴鹿の山を越え美濃国の上石津を結ぶ間道だった。
その江州街道を東に進み山の中へ入れば桃原城へ至り、そこからは狭い山道を登り汗掻き峠を越えると醒ヶ井宿あたりから中山道に入り、一行が清瀧寺へ着いたのは、とうにお昼を回ったころの事だった。




