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夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
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強うなりたい

 戦が始まって三日が経った。

結局、猿夜叉への沙汰は先送りとなった。

とはいえ当然家中の目は今まで以上に厳しさを増し、猿夜叉と目すら合わせない者も多くなった。

そして、その間にも六角軍は続々と多賀の村へと向い、六角屋敷は蜂の巣を突付いたような騒ぎになっていた。

 とはいえ戦場は遠く離れた他所の土地。

観音寺城下の石寺の市は、多少はピリピリと緊迫した空気が流れているものの、大方は日頃と変わらぬ生活を送っていた。


 そんな石寺の市を猿夜叉は駆け廻っていた。

行き交う商人の足下を潜り抜け、辻を曲がり、出会い頭に人とぶつかりそうになりながら駆け出すと、その後ろからは亀松丸と数人の子供たちが嘲笑いながら猿夜叉を追いかけていた。


 それは猿狩りという遊び。


 逃げる猿夜叉を追う子供たち。

猿夜叉に追い付けば、子供たちは猿夜叉を羽交い締めにして着物を引き下ろし、むき出しの背中にパンパンと平手打ちを食らわせる。

たちまち猿夜叉の背中は真っ赤に腫れ上がれば、猿夜叉は涙を浮かべて身を捩り逃げ出そうともがくのだ。

その姿が惨めで滑稽で、子供たちは声を上げて笑い転げて平手打ちを打ち続けて、また、猿夜叉を逃がして追いかけまわしていた。


 朝からもう何度も背中に平手打ちを受けている猿夜叉は、もう捕まりたくないと、石寺の市の人混みの中を掻き分け逃げ回っていた。

人盛りの足下を抜け、軒下を這い回り、店と店との隙間から裏路地へと抜けると猿夜叉は慌てて周囲を見渡した。

 早く。早く。隠れんと。

路地裏へと逃げ込んで、猿夜叉の姿は亀松丸たちの目から消えている。

今の内、亀松丸たちが追い付いて来る前に隠れれば、上手く亀松丸たちをやり過ごす事ができる。

藪に桶樽、軒の下。

しかし、周囲を見渡しても猿夜叉が身を隠せるような場所はなかった。

 どうしよう?

迷う間にも亀松丸たちの笑い声が近付いてくる。

仕方なくここは諦めて逃げよう。と、その身を翻して駆け出そうとしたとき、頭の上から声が聞こえてきた。


「猿夜叉、こっちじゃ。」

 見れば屋根の上から藤吉郎がニョキと顔を出していた。

藤吉郎は手を差し出して猿夜叉の腕を掴むとグイッと猿夜叉を屋根の上まで引き上げた。

「ここならバレんじゃろう。

ほれ、猿夜叉、今の内じゃ。

反対側へ逃げろ。」

「猿兄は?」

「おった!!おったぞ!!

屋根の上じゃ。」

 猿夜叉が藤吉郎の事を心配している隙に亀松丸が屋根の上の二人に気付く。

「ほれ、猿夜叉。早よう逃げよ。」と、藤吉郎は顎をしゃくると「アワタ!?」と素っ頓狂な声を上げて、ワザと亀松丸の前へと転げ落ちた。


「大猿じゃ!!大猿が落ちてきおった!!」

 声を上げて藤吉郎を取り囲む子供たち。

「こりゃ、服を引くな、破け…。

誰じゃ!!髪を掴むでない!髪を!!」

 藤吉郎は子供たちに揉みくちゃにされて、その隙に猿夜叉は屋根を伝い表通りへと逃げ出した。

 まぁシメシメじゃ。

藤吉郎がその気になれば子供たちに捕まるはずがない。

しかし藤吉郎が逃げれば逃げれば程、その憂さは猿夜叉へと向かう。

逆に藤吉郎が捕まれば、その分猿夜叉への矛先は鈍るのだ。

いつからだろうか、そうやって藤吉郎も猿狩りに加わるようになっていった。


 五発六発と藤吉郎も背中に平手打ちを食らい、頃合いを見計って藤吉郎を身を捩った。

「おっホレ。ホレ。ホレホレホレホレ。」

 藤吉郎は羽交い締めにする子供たちの手を振り払うと、片足を放り上げ、手を頭に顎に股にと当てて踊り出した。

「猿踊りじゃ。猿踊りじゃ。」

 元々子供の相手をするのが得意な藤吉郎はこうやって上手に子供の手をいなし、怒らせずに平手打ちから逃れて、子供たちを一通り笑わせると、また逃げ出した。

 と、その時だった。

表通りが俄かに騒がしくなり始め、野太い男の怒号が響けば、それに続いて悲鳴や歓声が上がった。




 何事じゃ。

慌てて藤吉郎が表通りに出でれば、口から血を流した猿夜叉が数人の男たちに取り囲まれていた。

「浅井の人質がよぉ、こんな所で何しとんじゃ、あぁ!!」

「儂らはよう、命懸けで戦に出おったんじゃわい。」

「見よ、浅井の矢に当たってまだ腕が痺れておるわ!!」

 男たちは口々に猿夜叉を罵ると次々と拳を振り上げ足蹴にした。


 男たちは戦場から帰ってきた兵たちだった。

つい昨日まで浅井の軍勢と戦っていた兵たちは興奮も覚め止まず、運悪く出くわした猿夜叉にその怒りの鬱憤をぶつけていたのだ。

そしてそれを取り囲む町衆たちも、兵たちをはやし立て騒ぎを煽り立てていた。


 もう藤吉郎にも猿夜叉の置かれている立場は理解していた。

止めよと言って止むものではない。

「すまぬ。勘弁。勘弁じゃ。」

それでもなんとか騒ぎを収めようと藤吉郎は、騒ぎの輪の中に飛び込むと、猿夜叉と兵たちの間に入って額を地面に擦り付けた。

「なんじゃお主は?」

「屋敷の下働きではないか。」

「浅井の子を庇い立てするなど、それでもお主は六角の家の者か!!」

 怒り収まらぬ兵たちは怒りの矛先を藤吉郎に向けると、今度は猿夜叉に殴りかかった。


「猿夜叉!!平井殿じゃ。平井殿を呼んで参れ!!」

 振り上げた拳が藤吉郎に振り下ろされ、僅かに生まれた隙を付いて猿夜叉は駆け出した。

その時、その猿夜叉の背に兵たちの怒声が飛び掛かった。

「逃げるな!!逃げるなよぉ」

 最早、兵たちの怒りの矛先は完全に、六角家の人間でありながら猿夜叉を庇う藤吉郎に向いていた。

兵たちは猿夜叉を睨み付けると、恐怖で立ち竦んでしまった猿夜叉を尻目に藤吉郎を散々足蹴にした。


 猿夜叉の目の前で藤吉郎は足蹴にされ殴りつけられていた。

頬は腫れ、口からは血が滲み出て、顔が泥だらけになった頃、ようやく気の済んだ兵たちはバラバラと足軽長屋へと帰って行った。




 ご免なさい。ご免なさい。

猿夜叉はあの兵たちの声に怯え、動けなかった自分を責めた。

自分のために身を挺してくれた藤吉郎を、その藤吉郎が殴りつけられ足蹴にされる様をただただ眺める事しか出来なかった自分を責めた。

 ご免なさい。ご免なさい。

心で何度もそう念じても、どう口に出して良いか分からずに、地面に伏せたままの藤吉郎に駆け寄る事も出来なかった。

 ご免なさい。ご免なさい。

そうこうしている内にようやく藤吉郎が首を振り立ち上がると、服に付いた泥を払い落としながら猿夜叉の前へと来た。

 ご免なさい。ご免なさい。ご免なさい。

怒鳴られると思った。叩かれるかと思った。何故助けに来てくれんかったと責められるかと思った。

振りあがった手に怯え、目を瞑り、身を強ばらせていると、藤吉郎の手はフワリと猿夜叉の頭に触れた。


「良かったぁ。猿夜叉は無事か?」

 傷だらけになりながらそれでも藤吉郎は猿夜叉の身を案じた。

その言葉に猿夜叉の目から涙が溢れ出て、息がしゃくりあがった。

「どうした?大丈夫か?傷が痛むんか?。」

 突然鳴き出した猿夜叉に驚いて、藤吉郎は自分の傷など後回しにして猿夜叉の背中をさすってやっても、ますます猿夜叉の泣き声は高まるばかりだった。




 その夜、猿夜叉は布団に潜り、また涙を零した。

手にも足にも頭にも、傷など何一つなかったが、ただ心が痛み続けていた。

どうしてあの時、あの猿兄のように男たちの間に入って猿兄を庇ってやることが出来なかったのだろう。

どうして助けを求めて駆け出した時、兵たちの脅し文句に怖くなって立ち竦んでしまったのだろう。


 痛いのは嫌じゃ。

でもこんなにも心が痛むのならあの時に猿兄と一緒に殴られていた方が良かった。

身体の痛みはいずれは消えても心の痛みはなかなか消えなかった。

 痛いのは嫌じゃ。

 辛いのは嫌じゃ。

 苦しいのは嫌じゃ。

 弱いのは嫌じゃ。

 …強う、強うなりたい。

他人に勝てなくても、自分にてる程に強くなりたい。

誰かを守る事は出来なくても、自分の心を守れる程には強くなりたい。


 気が付けば夜が白み始めていた。

ついに布団で一睡も出来なかった猿夜叉は、おもむろに小屋を出て意を決して六角屋敷の門の前に立ちはだかった。

 強くなりたいと念じて一晩中寝れずに考え通した事。

どうすれば強くなれるのか。

その答えが六角屋敷の中から姿を現した。


 屋敷の中から出てきたのは足利義藤だった。

下働きの者に馬を持って来させ、最早毎朝の日課になっている朝練へ出ようとした時、猿夜叉がその行方を遮っていることに気が付いた。

 ああ、あの小童が何用じゃ?

義藤の脳裏にあの地面に這い蹲ったままの猿夜叉の姿がな浮かんだ。

 しかし、今門の前に立ちはだかり、義藤の行く手を阻む猿夜叉は昨日の猿夜叉とは何かが違っていた。

義藤はその違和感に、猿夜叉の目のまで馬を歩ませると、馬上から猿夜叉を見下ろした。


 その義藤の視線を真正面から受け止めて、猿夜叉は一言。

「強うなりたい!!」

 そう叫んだ。


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