表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢流れ  作者: 大和 政
第一章 猿夜叉伝
20/61

六角家の秘事

 それは奇手。

例えるなら碁盤の外に石を打つような一手。

義賢は目を瞑ってその奇手の成否を吟味して「良し」と腰を上げた。

先程軍議の最中に倒れた父の容態に心配がないはずがない。

しかし義賢は父の子である以上に六角家の当主だった。

優先すべきは六角家の舵取り。

その言葉は父定頼が常日頃から義賢に言い聞かせていた言葉だった。

その舵取りに一段落が付き、ようやく義賢は父が休む奥屋敷へと足を運んだ。


 奥屋敷は下女が慌ただしく往き来していたが、義賢が定頼の襖を開けたとき、定頼は布団の中で上身を起こして、何事も無かったかのように義晴と談笑をしていた。

「父上、大丈夫でございますか。」

「おお、義賢か。

心配を掛けたようじゃな。

未だ頭が痛むが一時のことより随分と楽になったわ。

そんな事より軍議はどうなった。

浅井のタワケを如何にする。」

 定頼にとって自分の体の事でも「そんな事」であるらしい。

定頼は未だに時折痛む頭に手を添えて、余程に軍備の行方が気になっていたのか義賢ににじり寄ってその顔を覗き込んだ。


「陣容は以上でおよそ一万。

これだけの大軍を前に浅井もまともに戦に掛かるとは思えませぬ故、戦は早々に手仕舞いになるかと。

こちらも多賀から浅井を追い出した後は深追いは避けまする。

これで、上洛にはさしたる支障はございません。」

「支障がないと!?

なにをタワケたことを言っておるのじゃ。

浅井を追い返しただけでは、またいずれ攻め入って来るのは明白ではないか。

上洛の最中に奴らが攻め入った来たらなんとする。」

 自らの怒声が頭に響くのか布団の端を握り潰し、痛さに頭を抱えながら、それでも定頼は義賢の不足を言い当てた。

「父上。どうかご安静くだされ。

そのことについて儂に妙案がありまする。

ちょうどこの場には上様も公方様もおります故、この場でお願いしたいことがあります。」

 そうして義賢はさっき思いついた奇手を三人に説明した。


「なんと、古に潰えた近江守護職を復活させるというのか。」

 義賢の説明を聞いて驚きの声を上げたのは足利義晴だった。

その横で若き将軍義藤は是とも非とも言えず無言のままで、布団の中で定頼がニタリと笑みをこぼした。

「成る程。それは妙案じゃ。

佐々木家が六角家、京極家と分かれて、近江の国が北近江、南近江と二つになった。

それを今一度、元通りに一つに戻すというのじゃな。」

「はい。

浅井が兵を出すのは京極高吉が京極家の家督を継いで北近江守護になるのを恐れてのこと。

ならばいっそ北近江を廃して、当家が近江守護となれば、まさか浅井も当家に直接、戦を仕掛けることなどありますまい。」

「しかし、そのように言うが北近江を廃するなど簡単ではあるまい。

第一、北近江の守護である京極家が黙っておるまい。」

 義晴の心配も尤もだったが、義賢は静かに息を吐き、意を決して言葉を紡いだ。

「上様のご配慮は尤もでございますが、もはや京極家に北近江を統べる力はございませぬ。

北近江におる高延は浅井家の言いなりとなり、当家に身を寄せている高吉は当家無しには領地を守ることもままならない様子。

これではとても守護とは呼べませぬ。

それに、当家が近江守護となれば、北近江の豪族にすぎない浅井には戦をする理由がなくなりまする。

近江の国は安泰となりまする。」

 最後の言葉は少し調子に乗って大袈裟に過ぎたが、大方は義賢の言う通りだった。


「公方様、義晴様。儂にもこれ以上の妙案は浮かばん。

どうじゃ。」

 布団に潜った定頼が睨みつけるように二人の顔を見比べた。

近江守護職への就任。

その言葉は上洛以上に定頼の心を捉えた。

それは六角家が佐々木源氏の嫡流であるという事の証。

今や幾万と枝分かれした佐々木源氏の頂点に君臨するという事。

佐々木家が六角家と京極家に分かれたときから、六角家と京極家の当主たちが代々何百年も夢見ていた悲願の一つだった。


 この儂が佐々木源氏の氏の長者なんぞにここまで心揺さぶられるとは思いもよらんかった。

 しかし、自分の代で長年二つに分かれてた佐々木氏が再び一つになることを思えば、こみ上げてくる笑みを隠し通し事はできなかった。

 いつの間にか儂も骨の髄まで六角家の当主として染まっていたのかもしれん。

そう思えばもうその思いを押しとどめる事はできなかった。

定頼がどうじゃ?と問えば、断ることなどできない義晴が心胆を冷やしながら、

「大事の故、この場で取り決めることは無理じゃ。

上洛の後に御所より六角家に近江守護就任の沙汰を伝える。

これでよろしかろう。」と答えるのが精一杯だった。




 義晴からの返事を聞いた後、息を吐いた定頼を尻目に、義晴と義藤は災厄から逃げ出すかのようにそそくさと定頼の寝所から立ち去った。

続いて父の下から立ち去ろうとした義賢を定頼の一言が引き留めた。

「今の話に一つ難題がある。」

 定頼は一息ついて義賢を布団の傍まで呼び寄せると誰にも聞こえないように小声で大事を義賢に伝えた。

「実はな。佐々木源氏の氏の長者の証、伝家の宝刀・安綱が無いんじゃ。」


「馬鹿な…」

 そう言ったきり義賢の声が途絶えた。

安綱こそが長者の証。これがあるからこそ六角家は佐々木氏の嫡流であると言えるし、他の誰も文句を言えないのだ。

もし、安綱がないとなると先程の近江守護職の話さえ危うくなる。

なにも佐々木氏は六角家と京極家だけではないのだ、大原家や高島家その他小さな分家まで数えると百を越える。

その皆に六角家こそ佐々木氏の嫡流であり近江守護職に相応しいと思わせるには氏の長者の証である安綱は必要不可欠である。


「まさか。

安綱は京極家に伝わっていると言うのではないでしょうな。」

 義賢はゾッとした。

京極家もまた自分こそが佐々木源氏の氏の長者であると言い張っている。

本当はそれが正しくて、

六角家は分家にすぎず、

安綱は京極家に伝わっていて、

六角家は嘘を隠し通す為、こうして代々当主が口伝でひっそりと真実を伝えているのではないか。

自ら考えた絵空事ではあったがそれを否定できる証拠はなにも無い。

そう考えると義賢の背筋は凍り付いた。


「心配せずとも京極家の手には渡っておらんはずじゃ。」

 義賢の杞憂のどこまでを察したのか、定頼は小さく首を振った。

「少なくとも兄上が当主になった時にはあった。」




 ここから先の話はなんとも伝え難い。

出来ることならこの事を何も語らぬままに墓まで逝きたかったがそうもいかんか。

 気を抜けば襲ってくる頭痛に顔をしかめながら、遂に定頼は観念して今の今まで隠し通していた六角家の秘事を明かした。

「実はな。儂は六角家の当主ではない。当主代なのじゃ。」


 たった一言。

口に出せばたった一言のその事実を定頼は何十年と隠し通していた。

もちろん古くからの家臣には知っている者も居る。

しかし、そのことを口外する者はおらず、その次の代の者は誰もその真相を知らない。

そんな秘密。

それは定頼が正式には家督を継いでいないということだった。


 定頼が預けられた寺から六角家に引き戻されたのは、定頼がまだ元服もしていない歳の頃のことだった。

家に戻って早速に言い渡されたのは、戦で傷を負い手足を満足に動かせなくなった兄に変わって朝議を取り仕切ること。

即ち兄の代わりだった。

 しかしそれでも長い間寺に預けられていた定頼は、自分が六角家の役に立つ事を喜び、精一杯に朝議を取り仕切った。

日頃から領地を見て廻り、領民の上申に耳を傾けた。

領内で戦が起これば戦場に出ることの出来ない兄に変わり総大将として軍配を振るい、他国との交渉事にも関わるようになっていった。


 全ては兄の為、六角家の為。

恐らくは生涯を寺でお経を読みながら過ごし通すと思っていた定頼は、図らずとも自分の才覚を存分に発揮できる場を得た事に喜びを覚え、目一杯にその才覚を発揮した。

それが後に思わぬ事態を招くとも思わずに。




 初めに異変に気付いたのは、ある正月のこと。

その日の朝議は年初めの朝議であり、兄の調子も良かったので久々に兄も交えての朝議となった。

その朝議で多くの家臣たちが兄の意見よりも儂の意見に膝を打ち手を叩いた。

儂は気を良くしてな。朝議を進めた。

そうして程なくの事じゃ。

誰彼無しに儂の耳に「手足の動かぬ氏綱様より定頼様の方が六角家の当主に相応しい」との声が届くようになったんじゃ。


 そして間の悪いことに、丁度その頃、儂と兄上とに子ができ、そして程なく兄上が亡くなった。

 儂は兄の身代わり、子が出来れば家督は兄上の子が継ぐのが筋。

そう言って古くから兄上に親しかった家臣たちは兄上のそして生まれたばかりの甥子の肩を持った。

しかし生まれたばかりの子に六角家の当主は務まらん。

どうせ儂が引き続いて当主代を務めるなら、いっそう儂が当主となった方が六角家の為だと言う家臣も現れ、六角家は二つに割れた。

 その時、儂はどちらが六角家当主に相応しいのか、気が付いたのじゃ。

兄上はもう十年二十年と屋敷に籠もりっ切りで領地の事も領民の事も何も知らん。

まして生まれたばかりの兄上の子が六角家を治めることなどできるはずがない。

対する儂はその間、兄の名代として領地を治め他国とも交渉事を重ねてきた。

どう考えても今までそしてこれからも六角家を支えるのは儂ではないか。

そう自分に言い聞かせたのじゃ。

もちろん野心が無かった訳ではないがの。


 腹を括れば話は早かった。

儂はまだただの山城だった観音寺城を当代一の名城に仕立て上げた。

そして家臣たちにその城下に住むように言い渡したのじゃ。

要は儂の家臣になれと言う訳じゃ。

そしてその言葉に従わぬ者を次々に打ち負かした。

そうして六角家を儂の下に纏め上げて、儂は六角家の当主となったのだ。 


「ついつい話が逸れてしもうた。

しかし、長い間誰かに聞いて欲しかったのやも知れん。

もう今更何を言っても詮無きことじゃが、儂は寺から家に戻ったときは心底六角家の為、兄上のために働いておったのじゃ。」

 定頼の頬にもう枯れ果てたものだと思っていた涙が一筋に伝え落ちた。

「さて、安綱の話じゃが。

兄上の葬儀の際に探してみたが見つからんかった。

そのときの儂はあくまで兄の名代。

その名代が安綱を探しているとなれば、儂が家督を奪い取ろうとしておると瞬く間に噂になってしまう。

結局、満足がいくように徹底的に探し出すことはできんかったのじゃ。」

「ならば安綱はどこに。」

 長話に付き合わされて痺れを切らした義賢は身を乗り出して布団の上に這い上がって定頼ににじりよった。

「恐らくは儂が六角家の当主になることに反感を抱いた者が隠したか。

あるいは兄上がそう命じたか。」

 そう聞いて義賢は力を失い布団の中に沈み込みそうになった。

一家臣が主家の伝家の宝刀を盗み出し隠すなどできるはずがない。

ならば叔父上の氏綱がそう命じたとしか思えない。

何故、何の為に。

そんなことは決まりきっている。

弟の定頼が六角家の当主になる事を見越して、それを阻止せんと伝家の宝刀を隠してしまったのだ。


 父も儂も六角家の正当なる後継者ではない。

それは、父定頼が隠居して、義賢が当主となって数年。

初めて耳にした六角家の秘事だった。


 では、安綱は何処にあるのだ。

もはや這い上がる気力さえも奪い取られた義賢は、父の枕元に倒れ込んでただ呆然と思案に暮れたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ