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にげるがかちか

最終回です


ローウェル様の手術が成功した日の朝。

私は、逃げた。

この顔を、どうしても見られたくなかったのだ。


「っ辞めただあ!?」

現状報告をした私に、借金取りは開いた口がふさがらないと言った様子だった。

「このっ馬鹿が!あんな給金払うところなんて、そうそうあるもんじゃねえんだぞ!どうすんだ!これから!!」

煩い。それにつばが飛んできて不快だったが、私は舌打ちを必死で押し隠し、殊勝な態度で借金取りに頭を下げた。

こんな奴に言われなくても、ローウェル様が破格の給金を払ってくれていたことなんて、そんなの就職難民経験者の私の方が一番よく知ってる。

もう二度と、あんな天国みたいな職場には出会えないだろうということも。


……うん。

そうね。

冷静に考えると、ちょっと早まったかなあ、とも、思う。

三食満足に食べさせて貰えて、ふかふかのベッド付き(最初はホコリだらけだったけど)の個室まであって、雇用主は大天使様だったんだもの。


でも、そんな好待遇を差し引いても、私はあの場に留まる勇気が持てなかった。


――ローウェル様の目が治る


ローウェル様に、この顔を見られると悟ったあの日。

鏡に映る忌々しい傷が、濃くなったような気がした。

どんなに怯えられても、引かれても、今まで他人の反応を気にすることなんてなかったのに。

ローウェル様に見られるのは怖かった。嫌だと思った。


綺麗だったらよかったのにと、生まれて初めて強く思った。


ローウェル様はお優しいから

この顔を見ても

「気にすることないよ」と言ってくださるだろう。

ふんわりした、あの笑顔で。


でも、おこがましくも、できれば私はあの人に、綺麗だと思われたかったのだ。





――しかし、それから半年後。


私はローウェル様と、思わぬ再会を果たした。



「見つけた」


背後からかけられた低くて柔らかな声に、私は一瞬、肩を揺らす。

聞き覚えのありすぎるそれにおびえるようにして振り向けば、そこには半年ぶりに目にするローウェル様が微笑を浮かべて立っていた。


「迎えに来たよ、フラネル」

「……っロ、え?なんで」


私は慌てて顔を隠す。

どうして。

どうしてローウェル様がこんなところに!


そこは、私の新しい職場の、廊下だった。

(ちなみに床磨き中でありました。)

田舎の地方貴族様のお屋敷で、賃金は安いけれど心優しい老旦那様と奥様のおかげで心穏やかに過ごせていたのだ。ローウェル様を、忘れるために。


なのにどうして、こんなところに!


ローウェル様のお屋敷のある街からは馬車で二日もかかる上、なあんにもないど田舎なのに!


「ど、どなたか存じませんが、人違いでございますよ」

私が必死に顔をうつむけていると言うのに、ローウェル様は意図を介してくださらず、歩み寄り、あまつさえ身を屈めて覗き込んでくる。

「その声も、話し方も、フラネルだよ。間違いない」

やっと会えた、とまるで切望でもしていたように耳元で囁かれる。

「君にお金を貸している人達から聞いたんだ。借金を肩代わりするって言ったら、すぐに教えてくれたよ」

「えっ」

思わず顔をあげてしまった私を、ローウェル様はおっとりした瞳で見下ろしていた。

「ああっ」

しまった、見られる。

私は両手で顔を覆い、しゃがみ込む。

と、ローウェル様が手前で片膝を折る気配がした。声は、すぐ近くから聞こえてくる。

「どうしたの、フラネル。もっとよく顔を見せてよ。ずっと君に会いたかったんだ」

「お、お見せできるような代物ではございませぬ故」

「そんな言葉遣い、どこで習ったの?」

くすくすと、ローウェル様が笑っていらっしゃる。

再び会えた喜びと、顔を隠さなくては!という使命感とで私はいっぱいいっぱいになっていた。

落ち着け。

落ち着くんだ、私。

考えられる可能性は二つ。

ひとつは、夢。

これが一番確率としては高い。ここ半年、何度も出てきたし。

ふたつめは、ついで。

そう。ローウェル様は何かのついでのご用事で、こちらへ立ち寄られたのだ。そうして「そういえばここがあの子の新しい職場だったなーよし、見てやろう」というお気持ちにでもなられたのだ。あああ、これはないな。なさそうだ。

借金を肩代わりしてくださったとかいう幻聴も聞こえてたし、そんなことしてもらえる義理もないし、夢、かな。うん。

「夢ですね!」

結論を出した私が顔をあげると、ローウェル様は即座に否定した。

「違うよ、さっきも言ったと思うけど、君を迎えにきたんだ」

「迎えに……?」

「その前に、どうして急にいなくなったのか聞きたい。驚いたし、すごく寂しかったんだよ」

ローウェル様が拗ねたような表情を作られる。初めて見た。

「そ、それは……」

口ごもる私に、ローウェル様は目を細める。

「……傷を気にしてたんだってね。トリルから聞いた」

「……」

「俺に見られたくなかったの?」

再び視線を下げた私の頬に、ローウェル様の手が伸びてくる。

「悩んだよね。ごめんね」

傷跡を撫でられ、緊張の糸がほんの少し、緩む。

「ずっと君を探してたんだ。俺に、あんなに良くしてくれたのは君だけだったから。礼を言いたくて」

「礼だなんて」

「出来ることなら、戻ってきて欲しい」

ローウェル様の夜みたいに綺麗な瞳が、私を映しながら揺らいでいた。

くらくら、する。

期待、しそうになってしまう。

「……もし断るのだとしても、一か月に一度は会えるけどね」

「え?」

「だって君はこれからは俺に借金を返してくれなきゃいけないんだから」


どっちにする?


私は瞬きを繰り返す。


天使の笑みが、一瞬悪魔の微笑みに見えた、気がしたからだ。


「えっと」


父と母の遺してくれた負の遺産が、巡り巡る。


「私は――」

「うん」


後ずさろうとするが、背に当たるのはすでに壁で。

目の前には未来を見据えた天使が一人。


新しい道が、開かれようとしていた――。



◇◇◇


恋人です。

と宣言すると、兄は予想通り苦虫を噛み潰したような顔を作り、トリルは目を見開いた。

誰も彼も、想定通りの反応。

違うのは、ただひとり。

肩を抱き寄せた少女だけだ。

「ちがっ違いますよ!違います!違いますからね!もうっ冗談が過ぎますよ!ローウェル様!!」

真っ赤な顔の前で両手を振って、全身で否定する。

そこまでいやかな。

「違うの?」

少し寂し気に呟けば、フラネルの愛らしい顔が勢いづいてこちらを振り仰ぐ。空みたいに澄んだ青い瞳が、俺を映し出していた。

「だって……違うでしょう?」

今日のところは、このくらいにしておこうと、俺はほほ笑む。

「そうだね、まだね」

フラネルの顔がふにゃりと歪む。

他にいったいどんな顔を持っているのだろう。

俺は、これからの新生活に胸を膨らませた。






最後まで読んでくださって有難うございました**koma


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― 新着の感想 ―
まだ"小説家になろう"に登録していない4年程前に出会い、心に残った作品でした。 それから少し経ってからちゃんと登録してこちらの作品を読もうと探したのですが中々探しきれず、今日まで経ってしまいました… …
[一言] どちゃくそ好きなお話でした…! ひぃー好き語彙力無くすくらい好き… 素敵な作品を、ありがとうございますm(_ _)m
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