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チェイサー 〜真実を追う者〜  作者: 夛鍵ヨウ
第四章 失われた手記
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いつもの場所で

 リルデンに戻って来たカイは、いつもの様にアルハンデュラ骨董品店へと向かった。

 その足は普段通り軽快に動いているのだが、頭の中はすっきりしない(もや)の様な物で一杯だった。

(……分からない。一体何を考えているんだ?)

 そうやって首を傾げている理由は、例の貴族――クリストファー・ハイネマンの考える事がどうにも理解出来ないからである。

 

 名産品を買うという表向きの依頼を済ませたカイは、ナディラ国境近くから転移魔法を使い、バルデラのブラールへと転移した。そこから馬車でイドラへと向かい、更にイドラから徒歩で国境を越えデメイへと移動。そしてデメイではリルデンへ戻る為のキャラバンを探そうとしたのだが、そこには既に、ハイネマンの従者が馬車を用意して待っていた。


 しょうがなく馬車に乗り込み、ハイネマンの元へと連れて行かれるのをしぶしぶながらも大人しく待っていたカイは、馬車がリルデンに到着して、従者から降りろと言われた事に驚いた。

『どうしました? どうぞ降りて下さい』

『……このまま帰っていいのか?』

『はい、どうぞ。間違いなくリルデンに着いてますから……ああ、そうだ。ナディラの名産品を、一応頂いておきましょうか』

 カイは怪訝な顔をしつつも、素直に名産品の包みを渡した。以前とは違う成り行きに違和感を感じたが、今日はこのまま嫌な思いもせずに帰宅出来ると思うと、正直ほっとする。

『では、御気をつけて』

 がに股で猫背で薄い頭の、あの奇妙な従者がそう言って扉を閉めると、馬車はそのまま走り去って行った。見送ったカイは骨董品店へ向かいつつも、しばらく何処かすっきりしない気持ちでいた。だが歩きながら考えているうちに、これが貴族特有の気まぐれなのだという結論に至り、ようやく肩の荷が降りた状態で目的地に辿り着いたのである。


 アルハンデュラ骨董品店のガタのきた樫の扉を開け、店内に入る。

 黴と埃の臭いを嗅ぎながら、古びた棚に怪しい品々が相も変わらず鎮座しているのを見届けて、カイはカウンターの前に移動した。

「いらっしゃい……おお、カイ、おかえり! 無事で良かったのぉ!」

「ああ。じいさん、ただいま」

 店番の老人がくしゃっとした笑顔を浮べ、カイの帰還と無事を喜んだ。カイは久し振りに会う老人の姿を懐かしい気持ちで眺めた。


 皺だらけの顔は頬が痩せこけ、頭はつるりと綺麗に禿げ上がっている。萎びた鷲鼻に弛んだ口元、開けっぴろげの笑顔で皺に埋もれる垂れ目が、如何にも好々爺を思わせた。痩せ過ぎているのか、いつもだぶだぶの手首まで袖がある服を着て、何をするにも緩慢な動きで、少し心配になる。店番をしている筈が、しょっちゅううたた(・・・)寝をしているらしく、その事でヘンリーが悪態をつくのをよく耳にしたものだ。

 しかし一方では、おおらかで落ち着きがあって芯が強く、カイのやり方や考え方に非常に適切な助言を与えてくれる、頼もしい存在である。

 リルデンに来たばかりの幼い頃に出会って以来、正しい名前も聞かず『じいさん』と呼び続けているこの老人を、カイはとても信頼し、本当の身内の様に慕っているのであった。


「これ、お土産」

 カイは老人に、ピッテルムの店で買ったハーブ茶の小袋を差し出した。布袋越しにエルダーフラワーやカモミール等の香りを嗅いだ老人は、吃驚した様に目を見開いた。

「おお、なんと良い香りじゃ! これはますます長生き出来るぞ。カイ、有難うなぁ」

 そうして小袋を受け取りながら老人は、まるで自分の孫にでも言うかの如く、優し気な声と笑顔で礼を言うのであった。

「……ヘンリーは?」

 少し照れくさくなったカイは、わざとそっぽを向いてそう言った。

「いつもの部屋じゃ。じゃあ、これを」

 老人はいつもの様に、一枚の銅貨をカウンターに置いた。鳥のモチーフの銅貨だ。何も言わずそれを手にすると、カイは店の奥にある扉を開いて中に入った。


 扉の先にはまた扉があった。中央のやや上辺りに、小さくて丸い窪みがある。

 カイはその窪みに先程受け取った銅貨を嵌め込んだ。

 右の方で小さく音がした。解錠を確認すると右側の壁を押して中に入る。

 何百回、いや何千回と繰り返した動作だろうか。

 壁の奥には納戸の様な手狭な部屋があった。それも見慣れた光景だ。

 壁には小さな本棚が設置してあり、三段ある棚の上下は本がみっちりと詰まっているが、中段は一冊分だけの隙間が空いている。

 床には三冊の本が落ちていて、やはりどれも見慣れた題名の物だ。


 『蝶の目』クロード・デュボワ著。『蒼い山猫』メラニー・リスト著。そして『窓辺の鵲』ヘンリー・カーチス著。

 カイは『窓辺の鵲』を拾い上げ、差し込んだ。

 近くの床が跳ね上がる様に開き、地下への階段が現れる。

 初めてこの仕掛けを試された時、謎を解くべく、己の頭で懸命に考えた。適当に一冊を選んでも意味が無いと思ったのだ。自分で考えて見つけ出さねば、謎を解いた事にならない。結局、鳥のモチーフと本の題名が結びついて、正解を割り出せた。何の事は無い単純ななぞなぞだが、幼い子供にはちょっとした物であった。


 謎を解いた後は、三冊ともに目を通した。ヘンリーの書いた本は一羽の鵲が世界を巡る空想の物語で、あの偏屈で皮肉屋の老人からは想像がつかない程、穏やかで憂いに満ちた幻想的な内容だった。

 他の二冊に至っては、著者が実際にいるとしたら奇異な人物としか思えない、そんな変わった趣向の物で、自分には合わなかったと言うのが正直な感想だ。

 かくして、いつもの様に出現させた地下室への薄暗い階段を、いつもの様に慣れた足取りで降りて行ったカイに、ヘンリー・カーチスは全くいつもとは違う出迎え方をしたのであった。


「ヘンリー!?」

 恰幅の良い、入道雲の様な真っ白い髭の老人は、階段を降りてすぐの床に、真正面から行く手を塞ぐ様に立ちはだかっていた。

 その顔はどこか憂鬱そうで、名を呼ばれても眉一つ動かそうとはしない。

「驚いた……どうしたんだ? 座っていないなんて珍しいな」

 ヘンリーは憂鬱な表情のまま口を開き、張りの無い、暗い声で喋り出した。

「カイ。お前には弱点がある」

「……いきなり何だよ?」

 唐突なヘンリーの発言に戸惑いつつも、カイは軽い笑いが混ざった口調で言い返した。だがそれでも、ヘンリーの態度は一向に変わらない。

「お前の弱点はな、一度心を許しちまったら、全部手放しで信用しちまうところだ。これを見ろ」

「え……おっおい!! ヘンリー!!」

 ヘンリーは突然、傍らにあったランプの中に人差し指を入れた。小さくてもランプの炎を触れば火傷をしてしまう。カイは慌ててそれを止めようとして……驚愕のあまり目を見開いた。

 ランプの炎に焼かれた筈の指は、火傷を負っておらず、全くの無事であった。


「ヘンリー……?」

「これは魔法光。触っても熱くねぇ。本物の火は机の上の一つだけだ。お前は『こうして部屋中にランプを置いときゃあ、すぐに書物を燃やせるから便利だ』なんていう、儂の大嘘を手放しで信じた。これだけ灯していて、臭いや熱で少しは疑う筈なんだがな。だが信じてそのまま気付かないでいた。お前はそう言う奴なんだ」

「な、何だってそんな事……」

「取り込み中済まないが、そろそろいいかね?」

 今度は耳を疑った。カイの表情を見て、ヘンリーは立ち塞がっていた身体を横にずらし、通る場所を空ける。

 部屋の奥、ヘンリー・カーチスがいつも座っていた場所。そこには不釣り合いな人物がいた。

 あの傲慢な貴族、クリストファー・ハイネマンだ。

 ハイネマンはヘンリーの席に座り、背筋を伸ばして両手を組み、感情の読み取れない顔つきでカイを凝視していた。


 カイは信じられない表情でヘンリーを見て、思わず叫んだ。

「ヘンリー……あんただったのか! 俺の情報を流していたのは!!」

 カイが初めて会ったハイネマンから己の内情を指摘された時、てっきりこの貴族が自分の事を調べたのだと思った。だがしかし、養父よりもカイの考えを知るヘンリーが情報を与えたと考えれば、非常に合点がいく話だ。合点がいったと同時に少しだけ心が傷ついたカイは、思いの籠った目でヘンリーを見た。

 ヘンリーは何も答えず、やはり憂鬱そうにカイを見つめ返しているだけだった。


「カイ・ヨハネス。一つ質問に答えろ」

 カイの言動の一切を無視したハイネマンが、静かな、しかし鋭く斬り込む様な声で言葉を投げつける。

「ロゼリア・ランドリヨと言う名に聞き覚えは?」

 その名前を聞いた瞬間、カイは驚愕の余りによろめき、階段に手を付いた。その目が半ば恐怖の色を浮べながらハイネマンに向けられ、その口が震えながら辛うじて声を絞り出す。

「なぜ……」

 心臓の響きが速くなるのを感じながら、カイはハイネマンに問いを返した。

なぜあの人の名を(・・・・・・・・)……!?」



  


 

 トニー・ペルテンは人気の無い町中を死に物狂いで走っていた。いや、走って逃げなければ死ぬのでそうしていた。普段の不摂生が祟り、息は既に限界まで上がっている。激しい逃走で全身から汗が滴り落ちているというのに、腹の底は真冬の井戸の様に冷えきっていた。足は血の気が引いた為感覚を無くし、棒っ斬れみたいに上手く動かない。

 それでも、逃げる事を止めたら確実に――。

(おいっどう言うこったっ……聞いてねぇぞこんな事ぁっ) 

 背後の足音は逃げ出してからずっと止む事無く続いている。

(勘弁してくれっ……勘弁してくれよっ)

 背後の音で恐怖に駆られ、取り乱し過ぎたのが運の尽きだった。気が付いたら目の前には壁。トニーは袋小路に追い詰められた。

 黒い影が音も無くトニーに近づく。


「な、何なんだよ、……こんな事っ……聞いてねぇよっ……」

 息も絶え絶えになりながら、会話を交わそうと必死に口を動かす。

「ちっ違う待ってっ!……知らなかったんだ!……俺はっ……知らないんだよ全然!……無関係なんだ! あんな事になるなんて、……信じてくれ! 頼む命だけはっ」

 顔を左右に動かして、本心からの泣き顔で命乞いを続ける。

「こ、この間っ……ガキが生まれたばっかりなんだよぉっ……なぁっ? あんたも……あ、あんたもっ……まだっ……まだこんっっな小せぇ赤ん坊残してくたばるなんてよぅっ……な?な?……分かってくれるだろっ!?」

 相手も人間だ。精一杯憐れみを誘って時間を稼げば、人が来て助かるかもしれない。しかし残念な事に、相手はあまり人間らしい感情を持っていないようだった。

「ひ、ひぃぃっ!……助け……」

 大きく見開いた目に鋭い刃物が映り、振り下ろされる。

 地面に倒れ、ゆっくりと息を引き取る間際にトニーは、恐らく元凶となった、行方不明の相方を思い浮かべた。

(……ただの薬草粉末の、筈だろう……それが何で……)

 ただのいい儲け話。長生きしたい金持ちを騙すちょろい(・・・・)仕事。そのつもりだった。……その筈だった。

(ミゲルお前……不老不死の偽薬(にせぐすり)……一体何に入れ替えやがっ……た……)





 冷たくなったトニー・ペルテンを、一つの黒い影が佇み、見下ろしていた。全身を黒衣で包んだ、すらりとした体躯のその人物は、無言でトニーの亡骸を見下ろした後で向きを変え、音も無く何処かへ消えた。 







 ——なぜあの人の名前を?


 カイの言葉にハイネマンが無言で立ち上がる。カイを見つめたまま視線を逸らさず、つかつかと歩み寄ると、静観していたヘンリーが止める間も無く手を伸ばし、カイの襟首を掴んで顔を近づけた。

「忘れていたら命は無かったと思え……!!」

 怒気を含んだ、低い掠れ声でハイネマンはそう言った。

「……まさか……あの人……の?」

「その通りだ。私は、宮廷付き御用学者にしてランドリヨ伯爵令嬢、ロゼリア・ランドリヨの婚約者」 

 カイの脳裏に一人の女性の姿が浮かび上がる。深い知性と優しさに満ちた、女神の様なあの人の姿が。

「十年前、お前の村から村人と共に消えた、お前の言う『あの人』のな!」



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