転移魔法の店
“転移魔法の店 渡りにロイン”
奇妙な店名の看板が掲げられている。
外観は他の建物と比べ割と地味な方だった。屋根の無い長方形の作りで、外壁一面に光沢のある灰色のタイルが貼られている。
カイは店の前で覚悟を決め、扉をくぐった。
「いらっしゃいませ」
店内は以外と広く、明るい。人がまばらにいてぽつぽつと話し声がする以外はとても静かな店だ。店員に声を掛けようと見渡すと、向こうから人が近づいて来た。
「転移魔法をご利用ですね?」
話しかけて来たのはすらりとした背の高い女だった。黒いビロードのローブを纏い、栗色の髪を三つ編みにして垂らし、鼻の上に小さな眼鏡をかけている。
「ええ」
「予約分がしばらく続いてますので待ってもらう事になります。お時間大丈夫ですか?」
「あの、御相談があるのですが」
「はい?」
「……持ち合わせの都合で、見習いの方に御願いしたい」
女の表情が変わった。
「マスター! マスター!」
目を大きく見開いたまま、後ろを向いて大声で呼ばわる。奥から金髪頭の三十歳くらいの男が飛び出して来て喚いた。
「どうしたっ! 何事だっ!?」
女は男に駆け寄り、興奮した様子で捲し立てた。
「マスター、見習い注文入りましたっ! あたしにやらせてくれますよね!?」
男は一瞬表情を失い無言になったが、すぐに口角を上げて笑顔を作り、カイに視線を移した。
「いらっしゃいませ。私はこの店のマスター、ロインベルト・アルフォルトです」
「……どうも」
「お客様は今まで転移魔法の御経験は?」
「一度もありません」
「……そうですかー……そうでしょうねー……いや、それはいいんですけどね、日を改めればもっと経験のある者が……」
「マスター、約束したじゃないですかっ! 直に注文入ったら許可するって! この人はあたしに言って来たんです! あたしに掛けさせて下さい!」
「……」
「……」
ロインベルトと名乗った店主は女の言葉に黙り、カイは店主の様子に不穏な空気を感じて黙った。これはまずい事になったかもしれない。イドラの酒場で聞いた若者の言葉が蘇る。
『たまーに辺境に飛ばされたり怪我したり』
しばらく続いた沈黙の後、ロインベルトは意を決した様に己の金髪を後ろに撫で上げ、早口に呟いた。
「……まあ救済は出来るし“点”に人はいるし大丈夫か。お客様、どうぞこちらへ」
待て、と思わず言いかけてカイは自分の目的を思い出した。
寺院の奥で切り刻まれる農民の少女。
早く辿り着けばそれだけ犠牲者を救えるかもしれない。
カイは今度こそ覚悟を決めた。
「……ああ。行こう!!」
転移魔法の部屋は店の奥に五つある。各部屋は転移先の地域毎に分けられている様だ。
カイは女に案内されて部屋の一つに入った。
そこは通路を少し広げた様な細い部屋で、床には魔方陣、奥の壁には開かれた窓の絵が描かれていた。
窓の絵は魔法に必要なものなのか、気分的な演出なのか定かではない。
三つ編みの女は「あー緊張する!」と何度も口走りながら、頻繁に手足と頭を振る準備運動の様な仕草を繰り返していた。
部屋に入る前、店主は「ジル、落ち着いてやれよ。お前の魔力は十分なんだ。詠唱さえとちらなければ才能があるんだから」と女を(カイの目の前で)励まし、カイが持ち掛けた値段交渉を終えた後、他の客に呼ばれて去って行った。
女は店主の言葉を思い出したのか、今度は「あたしは出来る」と繰り返す。
カイはどんどん不安になった。いくら早く寺院に着きたいからと言って、こんな無茶をして本当に怪我なんぞしたら本末転倒もいいとこだ。引き返すなら今、女が余分な準備運動をしている今この瞬間しかないぞ、と心の何処かで訴える声がする。
(……だが失敗するとは限らないしな……)
つい先程、師弟の様子と会話に突っ込みを入れて交渉し、料金を銀貨二十枚から十二枚に負けさせてやったばかりだ。
二十枚という値段は恐らく適当につけられたと見え、ロインベルトはカイの「客の不安を煽る会話を平気でするなんて、この店は危機管理が出来ていないようですね?」から始まる、静かな脅しめいた物言いにあっさりと折れて値段を下げた。
値段を下げなくても、馬や船なら場合によってはもっとかかる筈なので、格安な事は確かである。
おまけに馬と船のどちらを選んでも、遭難しないとは限らないのだ。
ならば時間と金の節約が出来る方が断然良い。
こんな結論に達したカイは、一方で自分の中の、倹約の為なら何でもするという一面に対し、にわかに脅威を感じるのであった。
そうしているうちに女の自己肯定が終わり、いつの間にか落ち着きを取り戻した様子でカイを振り返った。
「すみません。お待たせして。実はあたし初めて魔法を使うんです」
「……ああ。少し前からすでに分かっている」
「あ、そうですか。じゃあ大丈夫ですね」
何がだ!? と青筋を立て叫びそうになるのを必死に押さえる。
そんなカイには気付かず、女はやたらテキパキと指示を出してカイを魔方陣の中心に立たせた。
「もうちょっと足を開いて。肩幅くらいに。はい、いいですよ。……それでは説明します。この転移魔法は魔方陣からバルデラ各地に立てられている“転移点”へとあなたを飛ばします」
転移点は小さな石柱に囲まれた魔方陣で、店の魔方陣から魔力の流れが繋がっている。そこではロインベルトの同業者が待機しており、転移後の確認を担っているそうだ。
確認とは依頼した目的地があっているか、体に異変はないか等で、問題が無ければ今度は転移点から魔方陣へと完了の印が転移されて来る。
そう言う仕組みにする事で、転移魔法を安全確実な商売道具に仕立て上げたのがロインベルトだ。
女は一通り説明を済ませると、事前に終わらせていた手続きの確認を繰り返した。
目的地はナディラ国への関所に最も近い場所ですね。料金の控えは渡しましたね。万が一の時の道具はしっかり握って下さい。最後に注意点ですが。
「稀に魔法酔いをする人がいます。気分が悪くなったらすぐに転移先でそう言って下さい」
「わかった」
「でははじめます。―」
呪文詠唱。
光に包まれる。
次の瞬間―
「っ!!」
カイは違う場所に立っていた。
前から頭を悩ませているんですが、お金の設定がどうもきちんと決まりません。あまり重要な要素ではないので、つい適当にしてしまいます……。百枚から二十枚て、極端過ぎるだろその値引き!……とセルフつっこみ。
……まあ、転移魔法出さないで、「なんやかんやで横断しました」で済ませても良かったのかもしれん。
いやだけど。




