転移先にて
「おーーい、大丈夫かーー」
だだっ広い野原の向こうから、男の声が聞こえて来る。
カイが立っているのは見渡す限り何も無い平原のど真ん中だ。
転移魔法により魔方陣から転移点へと移動する筈が、見当もつかない所に飛んでしまったのか。カイは手の中の救済道具を見た。
ロインベルトの店で渡されたのは、万が一見知らぬ所へ飛ばされた際に使う魔法石だ。この石には居場所を知らせる為の救難信号の様な術が込められている。
石を使うと店の水晶玉に現在地が映し出され、近くの術者かロインベルトが助けにやって来る、と言う仕組みだ。
カイはやって来る男を待つ事にした。
場所の確認をして、関所からあまりにも離れていた場合は助けを呼ぼう。
手を振って男の呼びかけに答えてから、カイは気が付いた。男がやって来る方角の遥か向こうに建物が二つ見える。
何の建物だろう、と考えた瞬間、視界がぐらりと揺れた。
「う……っ!」
猛烈な吐き気がカイを襲った。口に手を当て、しゃがみこむ。
大地と空が揺れながら混ざり合い、耐えきれなくなって地面に横になった。
野原を走って来た男がカイの元に辿り着くと、地面の上でもがき苦しむその様子を見て「あらら」と口走り、息を整えながら続けてこう言った。
「お兄さん、魔法酔いしちゃったね」
「いやあ惜しかった。ちょっとだけ座標がずれてたねー。でも初めてなのにこの長距離でよくやったよ。あの娘は見込みがあるわ」
カイは遥かに見えた建物の一つに運び込まれ、寝台に寝かされていた。
そこは転移点のある待機所で、魔法酔いや怪我をした者の為に寝台が置かれ、治療薬まで用意されていた。
ブレックスと名乗った待機所の男はカイに薬を飲ませ、寝台に寝かせた後、自分には茶をいれて飲みながら陽気に店の話を語って聞かせた。
「―でね、ロインはああ見えて五人の弟子がいるんだけど、その中で一番の新入りがジルなんだ。ロインも面食いだから可愛い娘に詰め寄られると、断れなくてついつい言う事聞いちゃったりするんだよねーわかるでしょ?」
「……」
男の話にまだ返事は返せないが、酔いの気持ち悪さは薄れてきた。
カイは男の陽気なお喋りを半分聞き流しながら、完全に回復するまで目を閉じている事にした。
目を閉じると脳裏に一瞬だけ森が映る。
心の一部は相変わらずのようだ。
幼い頃はその状態が絶え間なく続き、起きていても寝ていてもあの光景に捕われ、終いにはよく身動きが取れなくなったものだ。しかし年月が経つにつれ、記憶の呪縛は生活を脅かす程のものではなくなった。
カイ自身が己の心を上手く制御するようになれたからだ。
焦るな。今ではない。力の無い状態で何をしても意味が無い。それよりも鍛えろ。知識を身につけろ。人との繋がりを自ら断つな。
幼い身に起きた未曾有の事態に、掻き乱されていた心はやがて落ち着き、今では日常で起きるささやかな物事に、喜怒哀楽の感情を抱く余裕すら出て来た。
これはひとえにヘンリーのお陰である。あの偏屈な老人は、始めからカイに気遣う事無く、幼い子供には無慈悲とも言える言葉を放った。
『いつまでも自分を可哀想がっててもな、誰も助けちゃくれねぇぞ坊主。てめぇを生かすのはてめぇだけ。この先どうするか早めに決めとけ。俺は全部忘れちまう事をすすめるがな。あ、その前に何があったのか記録させろ。情報として売れるかもしれねぇ。駄賃はやる』
きつく苦いが良く効く薬だった。
したたかに打ちのめされた後に吹っ切れて、早めに立ち直れた気がする。
そして言われた通り、この先の事を決める事が出来た。
時を待ち、行動を開始する。それまでの時間は力を付ける為に費やす。
そうして機が熟し動き始めようとしたその時に、あの貴族が現れ、変に捨てておけない依頼ばかりを出して来る。上手く断ってさっさと自分の村の跡地に行ったり、当時自分を助けた兵士を捜したりしても良いと思うのだが、聞いてしまった以上は放っておけない話ばかりなのだ。
それに従者はハイネマンが寛大だと言っていたが、本当かどうか疑わしい。
貴族は気まぐれで傲慢な者が多い。
変に機嫌を損ねて、笑えない事態を引き起こさないよう、注意せねばなるまい。
そう考えてから、自分にまた言い聞かせた。
そう焦るな。これからだ。




