カラック村2日目①
「ケントについて聞きたい、だと?」
酒場のカウンター越しに挨拶を交わした後、ケント・ブリックについて教えてほしいと打ち明けると、店主は目を見開き僅かに大きな声を出してそう聞き返した。 夕刻の混み合う頃よりは少し早い時間。客は早めの夕食をとりに来た独り者の老人が何人かいるだけで、誰もカウンターの様子を気にする者はいない。
「ほら、あんたっ。ケントに髭を抜かれた話でもしたらどうだいっ?」
女将がすぐにおどけた口調で夫をからかい始める。だが店主はそれに一瞥くれただけでカイに向かって口を開いた。
「どうしてそんな事を?」
カイは懐から森番の机に刻まれていた謎掛けの写しを取り出して見せ、それを見つけた経緯と、そこに何か重要な事が隠されている可能性を正直に話した。……他の事実—人骨や血文字等—について話すのは、まだ早いし危険だと思うので黙っている事にしたが。
店主はカイの話を聞き、写しをしばらくの間眺めた後、「少し待っててくれ」と言い残して早足に厨房の奥へと消えた。
幸いな事に、森番小屋やブリック家を調べた事を咎める素振りは無い。
アルマ村をそっとしておく、と言う方針に従ってる所では協力して貰えないと思っていたので、店主の様な存在はありがたい。
さらに店主は謎掛けについて思い当たる事があるようだ。
カイは期待して待った。
すぐに戻って来た店主の手には、一通の手紙が握られている。
「あの村でお医者をやってる、サイモン先生からの手紙だ。いつも村を回って来る荷運び屋が俺んとこに届けに来た。……あんたは俺が頼んだ通りにあの村の事を知らせてくれた。俺はあんたを信用する」
月に一回程度の割合で村々を回って来る荷運び屋は、村の中で自給出来ない物品を依頼されて運んだり、隣村間の物のやり取りを代行したりする者達だ。
基本的に何でも運ぶので、頼めば手紙も届けてくれる。恐らく医療品の届けをした際に渡されたのだろう。
しかしケントの話で何故医者の手紙が出て来るのか。
カイが質問しようと口を開きかけると、店主はそれを制し、真剣な表情でカイをじっと見つめる。
「兎に角読んでみてくれ……後で説明するから」
そう言って店主はカイに、医者からの手紙を差し出した。
サイモン医師の手紙
『カラック村 風と葡萄亭店主 ダグ・ファルツ殿
やあダグ、ごきげんいかがかな?
この前、君から面白い話を聞いた事を急に思い出したよ。
ここいらの土地は昔から精霊の加護とやらが強いそうだね?
確かに君はそう言った筈だ。その話を聞いた時には、代々受け継がれている
土地への信仰とは何とも素晴らしい、とただ思っただけだった。しかし最近
になって私も、何か信仰するべきものを見つけておいた方が良さそうだ、と
この森を見ながら考えているよ。
ケビンがいつも言っていたものだ。「森は平和そのものだ」とね。
たとえそうじゃない事が起きたとしても、それはきっと“まやかし”だ,
と、つい思ってしまうくらいに。
ケビンはこうも言っていた。「いつかお迎えが来たら、自分はきっと山の精
霊の御元へ行くだろう」 いやはや何とも御大層な話だ。笑ってやってくれ。
私が彼ならせいぜい、村の裏墓地にひっそり埋葬される,
と謙虚に思うだろうね。
そうなる前に君の店で香り高いワインを思い切り楽しむ事にしよう。
医者のくせに不養生だと思うかね? 死ぬまでに悔いの残らない様にするの
も長生きの秘訣だよ、ダグ。
そうそう、エマに伝えておいてくれ。ケントがまた自分家の畑で悪ふざけを
してパトリシアに怒られていたんだ。彼の得意技には流石のケビンも自宅の
机で頭を抱えていたそうだ。一度ケビンの家に行って同じ様にしてみてくれ。
あの元レンジャーだった怖いもの知らずの、深い苦悩がより一層実感出来る。
彼の留守中に入っても問題無い事は、仲良しの君が一番良く知っているね。
それにしてもケントときたら……せっかく私の後を受け継ぐのに,
これじゃ先が思い遣られるよ。
今までの感謝を込めて サイモン・ウェルズ』
黙って手紙に目を通すカイに、店主は少し困惑気味に言った。
「この手紙……上手く言えねぇが変なんだ。そもそも先生からこんな手紙を貰ったのは初めてだ。ケビンの、山の精霊の御元にって話は前に聞いた事がある。だからそれは間違ってねぇんだが……。変なのはケントの事だ。あいつが先生の後継ぐなんて聞いてねぇ。あいつはケビンに憧れていた。冒険者になりたがっていたんだ……そうだろエマ?」
「ケントかい? ああ、そうだねぇ、あの子よちよち歩きの頃からケビンさんにいっつもくっついてまわっちゃ、若い頃の話をせがんでいたってねぇ。そのうちそこらに落ちてる枝で剣やら弓やら作って、俺は冒険者だ! って勇ましく木の上に登ったと思ったら、すぐに落っこちてまぁ大変だった~ってパトリシアが嘆いてたもんさ」
「医者になるって聞いた事はねぇよな?」
「あの子が医者? 一度も聞いた事は無いねぇ~そもそも無理だろうよ? お医者を儲けさせる事は出来ても、お医者にはなれないよ。本当、何回先生の世話になってることやら! もしなるってんだったら、パトリシアが止めるよ。あの子だったら人様の怪我を治すのに別の怪我を負わせちまうね! これは絶対、間違いないよ」
女将が変に自信を持って言い切るのを、店主はまた一瞥しただけで、再びカイに物言いたげな目を向けた。
「……サイモン先生が嘘をついているのが信じられねぇ。違う奴が悪戯で書いてよこしやがったのかとも思ったんだが、荷運び屋が嘘をつく筈もねぇし……それで、あんたがケントの話を持って来たから、ひょっとしてこれと関係あるんじゃねぇかって思ってな……どうだ?」
しかしカイは手紙から顔を上げず、じっとそれを見つめたきり、少しの間微動だにしなかった。その様子に店主と女将が何事かと顔を見合わせていると、突然顔を上げ、二人を見て言った。
「店主、女将さん、幾つか教えて頂きたい事があります」
静かな若者の顔にさっきまでは無かった鋭い表情を見た店主は、僅かに身震いをしてから頷く。それとは逆に女将は好奇心に目を輝かせた。
「俺でわかる事なら」
「いいよ! 何でも聞いとくれっ」
「ありがとう、助かります。では……」
「こんばんは、旅の人」




