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第二話 ブラック企業の始まり

 ザムル王国暦135年10月1日。

 ガインはいつもと同じ一日を始めたはずだった。


 妻のルリエが作った朝食を掻き込み、家を出る。昨日の夜飲んだ酒がいまだに後頭部に居座り、執拗に頭蓋を攻撃してくる。会社までの道程は目を瞑っていても辿りつける。二日酔いなど日常茶飯事で問題とはいえない。むしろ、ドワーフの生を豊かにするスパイスの一つと言える。


「むう」


 朝日が目に染みて、思わず目を顰める。


 ドワーフが酒に強いと言っても、酒精を無効化する魔法を纏っている訳ではない。限度を越えれば二日酔いにもなる。今日のガインに残っている酒の精は、比較的性悪な性質のようだった。体中から饐えた酒臭さを撒き散らしながら、朝の王都を進む。今時分の往来は、出勤盛りで王宮へ出仕するものや商会へ出勤するもので静かな喧騒に包まれていた。


「はよぉさん」


 ガインはいつも通りにムタリカ商会パレス通り支店の扉をくぐると、社内の空気がいつもと違っていた。


 首を巡らせると、原因は窓際の机に居た。腑抜けたツラを晒して鼻毛を抜いているのが朝の日課の、上司でミノタウロスのモーリーが、怒りとも、苦しみともつかない思いつめた顔を張り付けて、誰に向けるともなく殺気を放ちながら座っていた。


 いつもは支店に顔を出すや否や、モーリーに減らず口の一つや二つを叩かれてから仕事にかかるのだが、今日のモーリーは一言も発さなかった。アイツも二日酔いなのか。


 教会の鐘が鳴る。始業だ。といっても鐘が鳴ったから仕事を始める奴はいない。寝坊した奴は遅れてくるし、夕飯に女房と喧嘩した奴が家を早々に逃げ出してここに寝泊まりすることもある。


 しかし、今日はいつもの朝では無いようだった。


「今日から『チョウレイ』をやる。全員起立。」


 そう言って、モーリーがその二メートルを超える巨体を揺らして立ち上がり、壁に掛けられている羊皮紙に向き直る。


 ガインが何事かと見ていると、モーリーはその元々良くない目つきを一層凶悪にして怒鳴ってきた。


「立て!ガイン!ぼやっとすんな!」


 どやされた。ミノタウロスの雄叫びにはただでさえ妖気が乗るのでキツいのに、二日酔いも重なってダメージ倍増だ。それより『チョウレイ』って何だ?




「シャクンを唱和する。全員復唱!」


 歩兵の十人長の様な勢いで、モーリーは羊皮紙に書いてある文字を怒鳴る様に読み上げ始めた。



 曰く、


 ひとつ、勝利以外は全て敗北であると知れ。

 ふたつ、裏切り者は去れ。

 みっつ、七転八倒は美の極致。

 よっつ、言い訳無用。無即創。

 いつつ、スライムの歩みはハーピィを凌ぐ。


 初めて耳にするフレーズだ。文学的なセンスも感じられない。感じるのは陸軍臭さだ。それも、歩兵に要求される根性第一主義がプンプン臭う。


 パレス通り支店には支店長のモーリーを含めて6人のメンバーが在籍している。前触れなく始まった朝の凶事に、誰も付いていけていなかったが、この『シャクン』を復唱しない者はどやされて無理矢理復唱させされた。ガインも二回どやされた。


 いつからうちの商会は王国軍の部隊になったのか。


 『シャクン』の儀式が終わると、いつもは好き勝手に6人の所属員がのそのそと仕事を始めているはずのムタリカ商会パレス通り支店では、なぜか今日は全員が机に座ってモーリーの話を聞いていた。いや、聞かされて(・・・・・)いた。


 今日から会社は変わる。頑張っている者を正当に評価する方針に変わる。仕事の流れも大きく変える。


 どうも納得いっていない風体でモーリーが話している。こいつは気が乗らない話をするときは声が低くなるが、今日はガインの横隔膜に響くほどの重低音を発している。その妖気の乗った重低音が発せられ続けているせいで、ガインに宿った性悪の酒の精はやる気を出したらしく頭蓋だけでなく腹腔内でも暴れ始めた。早く羊皮紙(ブツ)を持って外出したい。川で水浴びをして昼まで寝ていればこの性悪も静かになり、また今夜美味い酒が呑めるはずだ。今日のガインは、その後客先を2件回って帰って来る計画だった。


 しかし、モーリーは目の前の机の一点を親の敵のように睨み、話し続けている。


 ヨサンが出来て、タッセイリツに応じてその月の給金が決まる。タッセイリツが良いと給金が良くなる。逆もあって、タッセイリツが悪いと給金は悪くなる。


 そんな事を呪文の様にモーリーが唱えている。


 まだあの牛頭は喋っているのか。いつもは鼻毛抜いてクロスワードパズルにハマっている癖に、今日ばかりはグダグダと魔力もないくせに呪文を唱えている。いい加減黙ってくれないか。お前のせいで酒の精がバーサク中だ。水浴びしたい。昼寝したい。呪文の練習なら俺たちがいない時でもいいだろうに。


 隣の席に座っている人間種のルイがいつになったら終わるのかという顔で俺を見た。俺だってわからん。とにかく早く終わってほしい。


 モーリーはたっぷり三十分喋ったのち、両のこめかみを指で押しながら「わかったらはやくいけ」と、俺たちを追い出した。


 チョウレイが終わって、これ幸いと倉庫で手押し車に羊皮紙を積み込む。勿論最初の行先は川べりだ。昼寝用の茣蓙も搭載済みだ。


 オークのカーと人間種(ヒューマン)のルイが話しかけてくる。今日の話を聞いたか。まずいことが始まるのではないか。


 まずいことってなんだ。今の俺は昼寝できないことが最高にまずい。


「その話はあとで聞くよ」


 と言って、ガインは早々に支店を出立し、いつもの川べりへ向かった。


 秋も深まり、人間種(ヒューマン)が水浴びするには肌寒い時期となったが、ドワーフのガインにはまだまだ水は心地よい。手押し車を河原に停め、やわらかくて平坦な草の上に茣蓙を敷き、下着以外は全部脱いでざぶざぶと水に入る。酒精(アルコール)が生温くふやかした全身の肌を、秋の冷気を纏った流水が一気に引き締める。皮膚に溜まった酒精の()りが清水に流されていく。頭も水に沈め、たっぷり水を飲む。冷たい清水が内臓を清め次第に酒精(性悪女)が鎮静化していく。


 ざばざばと水から上がって茣蓙にちょうど良く冷えた身体を投げ出した。朝の陽が全身にあたると、陽に温められて体内に力が練り込まれたように、じわりじわりと溜まりはじめる。一方でそよ風が皮膚を撫でて、水気と身体に残った澱りを飛ばしてくれる。


 ガインはこの朝の感覚がたまらなく好きだった。


 瞼を閉じて・・・・開けると、次の瞬間はもう昼であった。


「そろそろ仕事するか」


 河原にいつものハーピィの露店が開いていて、獣脂を焼く香ばしい香りが漂ってくる。東の山脈で今朝狩りたての野鳥をその場で調理して売っている。ガインは山鳥のローストを買い、お好みで香辛料をたっぷりかけてかぶりつく。手押し車を胴にひっかけて引きながら今日一軒目の客先へ足を向ける。


 一軒目は竜人の薬屋だ。


「いらっしゃい・・・ああ、ガインか。」


 薬屋の扉をくぐると、主人のナーガが首だけこちらに向けた。


 全身が翠色の鱗が覆われ、瞳は鰐のそれにほど近い。ガインの同僚、リザードマンのドワジも同じように全身の鱗と鰐の瞳をもつが、その頭部に屹立する二本の角と、背中の竜翼が竜族であることを見る者に伝えている。


「ちょっとまっててくれ。こいつを今()っちまわないといかんのだ。」


 首はこちらに向いても乳鉢と乳棒を擂る手は止めない。ごりごりと鈍い音を響かせてナーガは三分ほどで擂り終えた。


「儲かってんのか?」


「ぼちぼちだな。相変わらずここいらでは竜薬が出回ってないようでな。重宝されるているようだ。」


 竜人族は大地を走る自然の気脈、『竜脈』を視覚的にとらえることができる。ナーガは、複数ある竜脈の性質に合わせて、薬そのものや薬の材料を適切な竜脈に浴させることで、効果の異なる薬を作っている。付帯効果のついた竜人の薬『竜人薬』は、長い探索行を計画している冒険者や、戦闘を控えた傭兵、王の警護に赴く前の近衛兵等に人気があり、一般的な薬屋の数倍の値段になる薬もあるが固定客を掴んでよく売れている。


「で?何枚要るね?」


「そうさな。100枚もらっておこうか。丁度ナータが結構な数を水脈にもってっちまったからな」


 竜人に言わせると羊皮紙は竜脈に流れる竜気を吸う力があるという。竜脈で付帯効果をつけた薬は、竜脈から離すと次第に付帯効果が消えていくが、竜脈に浴させた羊皮紙で薬を包むと付帯効果が持続するので、在庫の保存用や高級薬の包装用に使われている。


 ピン!と甲高い音がして、空中を金貨が一枚飛んだ。


「毎度」


 ガインは武骨な手で器用に金貨を受け止め、外に停めた手押し車から羊皮紙の束を5つ出してナーガに手渡す。


「またよろしく頼むよ。」


「たまには二日酔いにならん程度に呑めよ。」


「ふん、お断りさね」


 ガインは口端を少しばかり上げた。川辺での昼寝はしっかりと目撃されていたようだ。しかし酒は人生の目的と言ってもいい。思うさま呑めないなら死んだのと大して変わらない。


「うちの薬なら二日酔いも防ぐぞ。」


「三日分の酒代より高いんではなぁ。俺には手は出んよ」


 違いネェ、とナーガは哄笑した。


 後ろ手に手を振って、ガインは薬店を出て再び手押し車を曳いて王宮近くのバルザック商会へ向かう。バルザック商会はザムル国外との海運貿易と両替と為替を扱う大商会。近づくほどに荷物を積んだ馬車の往来が増えていく。


 絶えず行き交う馬の蹄と馬車の車輪が土煙を巻き上げて街道が煙っている。道に落ちている馬糞尿の頻度も増え、避けるのも難しくなってきた。ガインは手押し車が汚れるのを避け、小さな小道へ逸れた。バルザック商会の館まで多少時間はかかるが、こちらのほうが羊皮紙も手押し車も汚れずに済む。


 このあたりの風景も変わった。数年前までは一階建てがぽつりぽつりとあるだけだったこのあたりは、建て替えが進んで三階建ての石造りの建物が所狭しと並んでいる。数年前には見上げずとも歩く者の前に広く広がっていた空は、今は並び建つ建物(スカイスクレイパー)に削られて首を折って見上げないと見えない。


 小道の角を何度も折れて、再び馬車の行き交う街道に出る。バルザック商会の通用口前に出た。馬車用の中庭はすでに馬車の列ができている。あそこにいっても荷が汚れて時間がかかるだけだ。ガインは通用口脇の馬繋ぎに手押し車を突っ込み、荷台から持てる限りの羊皮紙の束を担いで通用口をくぐる。


 通用口は丁度受付カウンターの裏側にあたり、受付の向こうには荷の証文やや手形を持った商人どもが束になって受付を睨んでいる。受付の中では事務員が忙しなく個々の案件をさばいていた。


「ムタリカ商会だ。」


 ガインは裏口から声をかけた。


「案件は受付に回れ!・・・ムタリカのドワーフか」


 受付の後方で書面を睨み、次々とサインをしていた男のエルフ、番頭のアンドレがガインを一瞥した。すぐに目の前の書類に目線を戻し、サインをして次の書面を睨む。


「今日はなんだ」


「うちは羊皮紙さ。必要だろ?」


 どさりと担いでいた羊皮紙を降ろす。


「これで四千ある。荷台にはまだ一万は残っているさ。」


「ふん。そんなものか。ならば全て引き取ってやる。9000でいいな。」


「9000?そりゃ。先代との値段より安いじゃないか」


 バルザック商会との取引は先代の棟梁、ジィユが切り開いたものだ。羊皮紙は一枚当たりザムル銅貨一枚が通常価格だが、バルザック商会とは100枚あたり銅貨70枚とする特別価格の設定がされていた。これは大量に羊皮紙を使用する大商会向けの価格だった。


「不服なのか?ならばその束と荷台のものを持って帰るがいいさ。羊皮紙はお前たちの専売ではないのだ。」


 アンドレは顎でゴミ箱を指し示した。ゴミ箱には羊皮紙の包装紙が無造作に突っ込まれて、山になっている。その多くは、ムタリカ商会が納める羊皮紙のものではなかった。


「それと、支払いはうちの為替にするからな。サイトは90日だ。」


 バルザック商会はその資金力とザムル王国内外に多くの支店を持つ規模を背景に、為替両替も行っている。アンドレは為替の支払いをバルザック商会自身が振り出して90日後にバルザック商会で換金する手形を振り出すと言っているのだ。手形そのものは裏書きをすることでバルザック商会の手形を承認する他の業者への支払いとして使用することも可能だが、その手形を現金にするには、手形を持つ者が90日後にバルザック商会のカウンターに並ばなければならない。


「なにい?」


 ガインは顔色を変えた。支払いが現金ではないということは、手形を持って帰らなくてはいけない。それ以外の金はナーガの薬屋で受け取ったザムル金貨一枚のみ。


 ガインは、ある程度の量を纏めてその日のうちに売り捌き、回収した代金のうちから、帰りがけに立ち寄る酒場の払いに充て、販売単価と数量を適当に誤魔化すことを日常的にやっていた。


 今日はバルザック商会で大量に現金を手に入れて、強かに呑んで帰るつもりだった。そうすれば価格交渉されたなどと言っておけば過去の販売単価と出荷量と回収金額のズレは誤差の範囲に留まるため誰にもわからない。


 先代のジィユが亡くなってから、ガインはそのような手管で、自分の懐が痛まない酒を呑み続けていた。しかし、このアンドレの示した条件では、現金を手に入れることはできない。手形は回収できたとしても、金貨90枚相当の手形を呑み代に受け取る酒場はないし、かと言ってナーガが支払ったザムル金貨一枚を原資に呑んでは相対的に減った現金が多くなってしまう。呑み代はせいぜい銀貨で2~3枚だが、手元の現金は羊皮紙100枚の代金である金貨1枚しかない。金貨1枚は銀貨10枚相当だが、たった100枚の羊皮紙をナーガの薬店に売るのに7~8掛けにしたと言っては不自然だし、そもそも一般価格の客の価格を変えたとなってはその分給料から減らされるかもしれない。この手管は、ジィユが特別価格を設定したバルザック商会相手だから使えるのだ。今日帰りに酒場へ立ち寄ることができないと言うことになる。


 ガインは考えた。このままアンドレの提示した条件を呑むか、それとも蹴って羊皮紙を持って帰るか。どちらにしても今日はタダ酒は無しになる。そう考えると腹立たしくなってきた。ジィユと合意した特別価格に飽き足らず、他の羊皮紙業者から節操もなく羊皮紙を調達し、あまつさえ支払いも90日サイトの手形で振り出すなど、バルザック商会はちょっと大きくなった程度で図に乗っている。手形の換金日に、手形を持ってあの殺気だったカウンターに並ぶのはおそらくガインだ。そこまで自分がひどい目に逢わなければならい理由はない。


 ガインは羊皮紙の束を担ぎ直した。


「帰るのか」


「そんな条件、呑んでやる義理もないんでな」


「フン、そうか。愚かなことだ。」


 アンドレは相変わらず目線を書類から外さずに、何の感慨も示さずに言った。


 ガインは手押し車に羊皮紙を積み直した。陽が傾いて、世界が朱に染まっている。急いで帰らないと日が暮れて馬糞が見えにくくなる。ガインは手押し車を再び押した。何故か、手押し車は朝支店を出たときよりも重かった。



 支店に戻るとモーリーがまだ残っていた。


 朝の殺気だって歪んだ顔はそのまま残っていた。支店に残っていたのはモーリーのほかにアシスタントのナズィと、初めて目にする人間種(ヒューマン)だった。


「戻ったか。お前で最後だ」


 モーリーの腹に響く声。


「本日決定は?」


「ホンジツケッテイ?」


「今日、幾ら売ってきたのかと聞いている」


 モーリーの声が更に低くなった。


「ああ」


 ガインは金貨一枚ををナズィに放った。


「ナーガのとこで100枚だ」


「それだけか」


「それだけさ」


 モーリーは立ち上がって後ろの黒板へ向かった。昨日までは支店のメンバーの行動予定と伝言しか書いていなかった黒板に、新たに表が書かれ、メンバーの名前と数字が並んでいた。数字の欄は「枚数」と「金額」の2つの欄があり、ガイン以外のメンバーには四種類の数字が書いてある。ドワジの所には「枚数」の欄に「1200 / 20000」、「金額」の欄に「1200 / 18000」と書かれている。ガインの欄は枚数に「/ 22000」、金額に「/ 20000」と書かれている。


 モーリーは黒板の前に立つと蹄を床に一度蹴りつけた。不機嫌な時のヤツの癖だ。床石が少し削れて石粉が飛び散った。


 モーリーは白墨を握ってガインの欄に数字を書き加えた。ガインの数字は枚数が「100 / 22000」、金額が「100 / 20000」になった。


「テメェ、今日1日なにしてやがった?」


 モーリーの握った白墨が握力で粉々に弾け飛んだ。


「何ってそりゃあ、、、昼まで川辺で酒抜いてよ、その後ナーガの薬屋とバルザックへ回ったさ」


「アッハッハッハ」


 突然人間が笑い出した。何処がツボ刺さったのか、本当に可笑しそうにバタバタと足で床を踏み鳴らしてている。ミノタウロスの咆哮をぶちかます寸前だったモーリーは、気勢を削がれてたたらを踏んでいる。


「カズトさん、、、、」


 モーリーが困惑した風で人間へ言った。


「いや失礼。あんまり可笑しかったものでね。モーリーさん続けてください」


 カズトとか言う人間は目元の涙を拭いながらモーリーに、続きを促した。それでもまだ時折「ヒヒッ」などと奇声をあげて思い出し笑いをしている。


「テメェ、午後二件しか仕事してねぇのも許しがてえが、バルザックに行って100枚ってことはねえだろ。」


「いやそれがな」


 ガインはバルザック商会で番頭のアンドレから示された価格と支払方法を含む取引条件変更を報告した。もちろん自分の呑み代がパアになったことについては伏せている。


「で、ムカついたんで話蹴ってきたってぇわけよ」


 ガインは胸を張った。そんなガインに、ナズィは目の端に一瞬侮蔑の色を滲ませたが、すぐに消し去った。


「んむぅ・・・ジィユ会長と合意した条件を反故にするたあ・・・しゃあねえか」


「しゃあない?仕方ないって言うのですか?」


 カズトが割って入ってきた。


「そうじゃありませんか?ジィユ会長が決められた条件なら、我々がそれをひっくり返してはいけないのではありませんか?」


 さっきからやけにこの人間に対してはモーリーは低姿勢だ。何者なのか。


「では、ガインさんがそのなんとかという大商会との条件に同意して羊皮紙を売ってきたら処罰されたはずなのですか?」


 処罰?なんで仕事で処罰されなきゃならないんだ。


「うーん?処罰ですか?仕事で処罰っていうのも割に合わなくはありませんか?いままでそんなものは聞いたことがないですね」


 モーリーが至極当たり前のことを言うと、人間は額に手を当ててうなだれた。


「ということは、話を蹴って来ても『しゃあない(・・・・・)』のは、手形取引でもなく、単価の変更でもなく、先代の会長との条件を変えることが筋違いだから、ということですか?」


「その通りです。」


 カズトは頭を抱えたまま、「なんだそれは」「ありえない」などとぶつくさと口の中で一人ごちた後、目だけをモーリーに向けた。


「ちなみに手形取引は禁止されているのですか?」


「手形の振出元と支払元によるんで、基本は手形は無しなのですが・・・今回の場合は全部バルザック商会ですからね。事実上支払いが九十日後に伸びたくらいの話です。」


「バルザック商会というところはそんなにすごいところなのですか?」


「為替の決済までやるところですからね。そこよりも信用のあるところはザムル王家か・・・というくらいでしょうかね。」


 カズトはふぅと一息ついて、頭を振った後、椅子に深く座りなおして足を組み、モーリーへ向き直った。

「それでは再度聞きますが、なんでこの話が『しゃあない(・・・・・)』んですかね」


「えっ?それは先刻お話したとおり・・」


「ええ聞きましたよ。先代の会長と合意した条件の話ですね。ところで君は(・・)先月の会議に出ていて何を聞いていたのですかね。」


カズトとモーリーで勝手に話が始まった。ガインはナズィに近寄って小声で先刻から腹の中に蟠っていた疑問を吐いた。


「誰だあの人間?」


「カズト・シュトー。棟梁がちょっと前に雇ったみたい。会司らしいよ。」


 会司なら棟梁の下。支店長のモーリーより上ではないか。


 ナズィは腕を組んでモーリーとカズトのやり取りを眺めている。アマゾネスの豊満な乳房が組んだ腕の上に載って、いつもより堆く盛り上がっている。これをやるときはたいてい何かに興味があるときだ。


「いいですか?モーリーさん。君の仕事はこの支店の業績を上げることであって、先代を弔うことではなありません。先代に敬意を表するのは構いませんが、囚われるのは言語道断です。」


「俺・・・・私が囚われているとおっしゃるんですか?」


「そうじゃなければなんなんでしょうね。囚われていないのなら、なお悪いですがね。」


「何故ですか。」


「わかりませんか?素でそうだとしたら、ただの無能ということでしょうよ」


 モーリーの顔が怒りと羞恥で赤化していく。先ほどまでガインに向いていた怒りは完全にこのカズトという人間種(ヒューマン)に向いている。


「ポッと出の人間種(ヒューマン)に何がわかる!」


 モーリーは11年前に先代のジィユに認められてムタリカ商会に入ったベテランだ。昨日今日来たばかりの者に侮られるのは我慢ならない。ジィユに対する思いも非常に強く、それは敬意というより信仰に近いものを抱いている。


「残念なことにね、モーリーさん」


 しかしこの人間には、そんなことは関係ないようであった。


「君よりは僕のほうがこの部下たちの考えはわかるようですよ。仮にガインさんがバルザック商会の条件に合意してきていたら、あなたの言いようなら処罰するのがあなたの職責に聞こえますが」


「なぜそれで処罰しなければならない!」


「おかしなことを言いますね。ジィユ前棟梁が交渉した条件が不可侵なら、それを違えたガインさんは当然処罰の対象たりうるでしょう。ちがいますか。」


 話がガインに戻ってきた。


「そんなとこまで一々見るかボケ!」


 モーリーは殆ど吠えるかのように言ったが


「だからテメェの店は数字が上がらねえんだよ牛野郎!」


 今まで冷静かつ論理的に話していた人間のほうが突然切れて、別人のような口調になった。モーリーは突然のことに反応しきれずに言葉が出ない。ミノタウロスのモーリーのほうが身体も大きく外見も凶悪だが、寧ろいまはこの人間のほうが圧倒していた。


「いいか?テメェの店の実績はここ一年右肩下がりなんだよ。それも前年比九掛けのダダ下がりでな。だから俺がわざわざここに来てんだ。テメェが頭張ってんじゃねえのか?言い訳があんなら言ってみろ」


「す、数字は部下が働いた結果だ。いい時も悪い時もある」


「その数字に責任を持つのがテメェだろうが!業績ってのは天気予報じゃねえんだよ!」


 ガインが隣をふと見ると、ナズィが目を潤ませて身体をそわそわと捩っている。組んでいた腕は自らの体を抱き、吐息も荒めになっている。アマゾネスの趣味は理解しにくい。


「じゃあなんなんだ」


「そんなのもわかんねえのか。カス。」


 カズトは椅子から立ち上がり、手を伸ばしてモーリーの側頭部に生えている角を掴んで引き下ろし、自分の目線までモーリーの頭を下げ、覗き込むようにその目を睨みつけて低く、


「戦だ」


 一言そう言うと、カズトは角を持つ手を離した。モーリーは再び伸びあがった勢いで後ろに三歩、よろけて退がり、黒板に背をついて止まった。


「負けたら死ぬしかねえ。そういうもんだ。」


 モーリーはカズトの気迫に飲まれたのか、床を見つめて突っ立っている。言葉を発する気にはなれないようだ。カズトはそんなモーリーを放置して、椅子に座り直すと


「さて、ガインさん。」


 カズトは理性的で穏やかな調子に戻って、微笑すら浮かべているが、目だけはまったく笑っていない。


「あなたの仕事は数字を出すことです。多少の提供価格も含めた交渉をするのもあなたの職権ですが、最終的にはあなたが数字をやれるか、やれないかで全てを判断します」


「はぁ」


「モーリーさんから聞いていると思いますが、今月からあなた方の給金は業績次第です。ゼロにはしませんが、そこの表の数字をやれれば給金は増え、やれなければ減ります。もしあなたが今月このままだとしたら・・・今月分の給料はあなたは前月の半分です」


「な?!」


 ガインは目を剥いた。


 給料半分だと?どういうことだ?そんな話は聞いていない。


 そう、ガイン()聞いていなかった。モーリーは今日の朝その話を延々としているのだが、二日酔いで話を聞いていなかったのである。


「おや?ご存じありませんか?ますますモーリーさんの仕事ぶりが疑われてしまいますが、このままなら半分ですよ。見てください。あなたの売上はまだ100しかありません。半分出るだけでもありがたいと思ってくれないと困ります」


「し、しかし、半分と言うと月収が金貨15枚を切るということだろう?」


 ガインの月収は2500ザムル、つまり金貨25枚である。半分であれば金貨12枚と銀貨5枚になる。それでは生活が成り立たない。ガインの収入は毎晩の呑み代だけではない。妻を食わせる金、息子を食わせる金、家の賃料などに毎月消えていく。ガインが大酒呑みであることも手伝い、毎月の収入から蓄えに回せる分など殆ど出ていなかった。


「もちろんです。どこからそのお金が出ていると思っているのですか?」


「そんなもん、棟梁の財布に決まってる。」


 はぁ、とカズトは嘆息して、人間が残念なモノを見る表情を作った。あの顔は、ルイが女郎宿で醜女をあてがわれた時の顔と同じだ。


「あなたに給料を出しているのは確かにアーツ棟梁ですがね。その金はあなたが売った羊皮紙の代金、正確にはその粗利から出ています。100売ったって、その中には仕入れやら経費やらが含まれているのですから、100の給料が出せるわけありませんよね。だから、」


 カズトはくい、と顎で黒板を指した。


「あなたは月に20000ザムル売る必要があるのですよ。安心してください。そこに書いてある、枚数で22000、金額で20000を売れば、給料は金貨5枚上乗せします。」


「なに?たくさん売れば給料が増えるのか?」


「もちろんです。頑張ってくださった(・・・・・・・・・)皆さんにはこれまで以上に報いたい、というのがアーツ棟梁のお気持ちです。」


「そ、それは一回こっきりじゃないのか?」


「毎月数字を達成した方には、毎月上乗せします。勿論、数字が出せなかった場合は、下がります。さらに、年間通して目覚ましい実績をあげた場合にはボーナスも支払われます。」


「ぼなす?」


 ガインにとってボーナスは初めて聞く言葉である。


「毎月の給料と上乗せ報奨金とは別に、年間で良い実績の方には別途報奨金を出すということです。」


「そ、それはいくらもらえるんだ」


「業績次第です。金貨1枚かもしれませんし、100枚かもしれません」


「ひゃくだと?!」


 それはすでに叫びだった。ガインは驚愕した。金貨100枚は4カ月分の給料に相当する。


「業績次第です。実績が良くなければ出ませんから。」


 なんということだ。売れば売るほど自分の給料が増えるのか。ガインの仕事は、地域で割り振られた担当顧客への行商であり、毎日考えていたのはその日の売上代金をちょろまかして呑み代にできるかどうかだけであった。どれほど業績をだせるかなど考えたこともなかった。


「え?じ、じゃあ、バルザックの条件を呑んでいたら・・・」


「枚数と金額はどのくらいだったのですか?」


「14000枚で9000ザムルだ」


「では、あなたの実績は14100枚の9100ザムルになっていたでしょう。枚数は月初日に6掛け、金額は4掛けを超えていたことになりますね。」


 そう言って、カズトは一枚の羊皮紙をガインへ差し出した。そこにはこう書かれていた。


--------------------------------


新給与支給基準 営業職

 役職相応の目標に応じ、枚数・金額双方ともに達成した場合に以下の掛け率での給与を支給する。

     目標達成率        給与支給率

  実績ゼロ              40%

       ~  30%未満     50%

  30%  ~  50%未満     70%

  50%  ~  80%未満     80%

  80%  ~ 100%未満    100%

  100% ~ 150%未満    120%

  150%以上           150% 


・枚数・金額の片方がより高く達成できた場合は、達成率の低いほうの支給基準に5%を上乗せする。

・ゼロ実績が三カ月続いた場合は解雇とする。

--------------------------------


「なんじゃこりゃ!初めて見たわ!」


 カズトは蔑みのこもった冷たい目線をモーリーに投げた。実際にはガインがモーリーの話を聞いていなかっただけなのだが、いまやカズトの中でモーリーの評価はダダ落ちのようだ。


「こ、これだとバルザックの話を請けていれば・・・?」


「75%ですね。ガインさんは、主任相当なので月給の基準が2500ですから・・・初日で1875ザムル確定していたことになりますね。」


「そ、そんな・・・」


 ガインは酒精だけが強くて質が最低の安酒を一気飲みしたような酩酊感と悪寒に襲われた。バルザック商会が羊皮紙を消費する量は、ガインが担当している顧客の中でも群を抜いており、一回の注文枚数もケタ違いに多い。手押し車に羊皮紙を満載しても売り切れるのはバルザック商会を置いて他にはなかった。他の担当顧客は多くても一回の注文量は1000枚程度で、多くはナーガの薬店のように100枚程度の注文が一般的だ。一日500枚売ったとしても、残りの実働24日で売れる枚数は12500枚になる。このままでは、うまくいって今月の給料は八掛けである。酒を買う金を削らなければ妻子が食う分が減ってしまう。


「酒・・・減らすのか・・・・この俺が・・・・」


 徹頭徹尾、酒で物事を考えるのはガインの種族性によるものだ。酒への愛は、ドワーフの魂に刻まれている。


 ザムル王国では、建国以来国土を焼くような戦争は起きていない。モンスター退治などの武器の需要はあるものの、戦乱の時代と比べると王国軍と冒険者の需要が減り、人口は種族関係なく伸びているため、ドワーフといえども良質な武器や防具を作り上げる武器鍛冶師(ブラックスミス)とならないものも多く出ていた。ガインもそのような一人だ。ドワーフの中では比較的手先が器用では無かったガインは、早々に鍛冶師となることを諦め、先代のジィユにその頑健な肉体なら重い羊皮紙の行商に向いていると誘われ、この仕事を始めたのだ。故に、ガインをドワーフたらしめているものは、酒への愛と髭に集約されている。ガインにとって、その片割れである酒を減らすということは自己否定に等しいのである。


「お酒、好きなようですね」


「酒が嫌いならドワーフじゃネェからな・・」


「バルザック商会の取引を蹴ってきたのは失態でしたが、あなた方にはそもそも実績を伸ばす努力が必要です。金貨5枚で何回酒が呑めますか?」


 酒場で浴びるように呑んで25ザムル程度。金貨5枚、つまり500ザムルなら20回は呑める。


「カズトさんよ、増やすったってどうやって増やすんだ。俺たちゃジィユ棟梁が増やした客を回るのが仕事だ。客のとこに行く回数増やしたって、使ってる量が増えなきゃ押し込むことぐらいしかできんぜ。」


 押しこんだら当然次の注文が少なくなる。押し込みで不必要なモノを買わされて客の不興を買う分、損ではないか。


「うん、それですね。」


 カズトは椅子から立ち上がり、


「口で言っても難なので、明日実践しましょう。ガインさんも一緒に来てください。」


 黒板の前でうな垂れているモーリーのところまで来て、殺気を漲らせた。


「テメェも来るんだ。いいな。」


 目線も合わせずに一言発して、そのまま扉のほうへ歩き出した。ナズィが慌てて扉に駆け寄り、扉を開けた。


「おや、ありがとうございます。」


「当然のことです会司。なんでしたら私がお宿までお供させていただきましょうか?」


 ナズィが囁くような高い声で言った。いつもはもっとドスの効いた声で、モーリーやアーツのためにドアを開けたりしたこともない。そのまま閨まで供する気満々だ。


「いえ、結構です。王都をふらふらと見物しながら帰りたいのでね。では、おやすみなさい」


「あっ、それなら尚更私がッ・・・」


 しかし、カズトはするりとドアから出て静かに扉が閉まった。残されたナズィは、身体をそわそわと捩って、腕で身体を掻き抱き、


「クソッ!」


 いつもの声で吼えた後、右足で床を一撃した。ナズィの一撃は、モーリーの蹄よりもずっと重く、建物全体に響きわたった。


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