第一話 出会い
夕方になって、俺、首藤一登は漸く目を覚ました。
体中の筋肉に物理的な疲れが残っている。節張った柱の間を明るめの漆喰で塗った壁。気密性などあるはずもない木の板でできた扉。施錠は閂一本。電灯はない。代わりに天井には蝋燭皿が吊るされている。窓にガラスはなく、鎧戸。戸板の隙間からは夕陽が殆ど水平に差し込んでいる。ベッドは藁の上にシーツを敷いたもので、天井から虫除けの蚊帳が吊るされている。
やはり夢ではなかった。俺は昨日の夜、一晩中歩いてこの宿のある街に辿り着いた。六時間は歩いたが、舗装された道は一度も通らず、自動車に遭遇することもなかった。
枕元に置いたスマホを覗き込んだ。十七時十三分。電池残量27%。マップを開いても現在位置が出ない。街だというのに、圏外だ。海外でも人里ならローミングするはずなのに。
そう、ここが人里ならばまだ救いがあった。疲れ果て、とにかく休みたいと敷居をまたいだのがこの宿だったが、フロントの応対に出てきたのは二足歩行をして服を着た人間サイズの巨大な猫だった。
「おや、あまり見ないなりの人間種だね。お泊りかい?」
なぜあの時悲鳴をあげて逃げ出さなかったのか、今でもわからない。疲れでそんな気力もなかったのか、自分が知る世界とは違うことに気づいていたからか、それとも逃げたほうが状況が悪化すると直感していたからか。とにかくその場で俺は
「・・・・そうしてもらえると助かる。」
と、言うことができた。
「ずいぶんと仕立てのいい礼装用の靴だが、それで歩いてきたんじゃ難儀だったろう」
そのしゃべる巨大猫は、一度裏に引っ込んで、水を張った桶を持ってきた。飲むには大きすぎるし所々カビていて、器が衛生的でないように思う。
「うちみたいたいな安宿じゃ湯は出せないがね。この時期は水のほうが疲れも落ちるってもんだろ」
と言って、手拭いを渡された。
「足を洗ったら桶はそこに置いておいてくれていい。一晩20ザムル。食事は朝昼晩関係なしに5ザムルだ。何泊のご予定で?」
それは俺が聞きたい。
「まだ決まってないんだが。とりあえず3泊はお願いできますか。」
「宿代60は前払いで頼むよ」
そこで気付いた。金だと!猫の金など持っているわけがない。
「・・・・あー。この国に来たばかりでね。この国の金を持っていないんだが・・・」
金がないわけではないと示す必要がある。できるだけ自然な動作で財布を鞄から取り出す。財布の中で小銭がちゃりちゃりと音を鳴らす。確か財布には四万くらいしかないはずだ。
「ああ、ドラゴ払いでも構わんよ。両替分は差し引かせてもらうがね。うちのレートは10ドラゴ15ザムルでやってるが、いいかい」
ドラゴもザムルもない。持っているのは日本国造幣局発行の硬貨と日本銀行券だけだ。電灯がないのだからカードも当然使えないだろう。
仕方ない。出たとこ勝負だ。日本の硬貨が使えるとは思えないが、両替できない金はあったと思わせる。最悪、物々交換でも何とかなるかもしれない。猫相手ならボールペンだってそれなりの取引材料になるかもしれない。
硬貨の中では比較的見た目が一番派手な五百円玉を取り出そうと、財布の小銭入れのチャックを開けた時、俺は固まってしまった。なぜ俺の財布に金貨が入っているのか。
「なんだこれ?」
思わず口に出てしまった。一枚取り出し、フロントのカウンターで揺らめいている蝋燭の明かりに照らしてみる。片面には聖者らしき刻印と、その裏面には中央に向かって描かれる集中線が刻印されている。
「何だ、猫がわる・・人が悪いなお客さん」
猫の番頭が両目をくしゃっと瞑った
「いくらこんな安宿だってね、聖教国金貨はわかりますよ」
すまない。俺には何のことだかさっぱりだ。
「聖教国金貨でのお支払いは勿論お請けします。寧ろ釣りが出せないんですが。正規レートなら940ザムルのお返しになりますでしょう。その現金を出しちまうと、明日の市場や酒の仕入れとかが回らなくなっちまうんでさ。それとも、50日逗留いただけます?」
なるほど。この金貨は1000ザムル相当ということか。かなり力のある貨幣らしい。この金貨、まだ何枚も財布に入っていたな。
「・・・50日はどうかな。ちょっと訳ありな旅できてるんだが、そこまで長逗留するかと言うと疑問なんだ」
俺はちょっと考えて、
「じゃあこう言うのはどうだい。釣りは要らない。その代わり、逗留は七日間で、飲み放題食べ放題にして欲しい。」
猫番頭は片目をぱちっと上目遣いに開いて此方を伺っている。
「お安すぎる御用ですが、そんなんでいいんで?」
「勿論まだある。残念ながら俺はここは初めてでね。色々と勝手が分からないんだ。七日間、払った金の範囲でできる限りのことを協力して欲しい。まず1つは、、」
俺は自分の足元を見た。革靴とスーツのズボンが泥と砂に汚れている。
「着替えを三着、用意して欲しい。どこで売ってるのか知らないのでね。質素なもので構わない。靴は二足お願いしたい。サイズは・・・」
猫番頭を見た。背格好は俺と同じくらいだ。
「背丈は君と同じくらいだから、人間種用に見繕ってくれればいいよ。靴はいま履いているやつの大きさを何かで測っておいてもらえるかな。他にもあるけど、足が出そうならもちろん追加で支払いはするから安心してくれ。まずは・・・・」
俺は桶を持ち上げた。
「足を洗って、ひと眠りしたい。」
「承知しました。ごゆっくり。」
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そして俺はベッドの上で目を覚ましている。壁にはハンガーに裾の汚れたスーツのズボンが吊るされている。これが悪夢でもまだ覚めてはいないらしい。そうでなければやはりこれは現実なのか。悪夢も現実も、実存主体には差がないということなのか。そこまで哲学的に考えて、ふと、シニカルな笑みが口元に浮かんだ。そういえば加藤事務機商事も悪夢みたいなものだったな。まずは着替えか。
内線電話もないのでフロントまで降りると、頼んでいた服はすでに用意されていた。やはり番頭は猫だったが、どうやら雌のようだった。服は着替えて脱いだものの洗濯を頼み、腹も減ったので食堂で人間が食べられるもので火が通っているものを頼むと、焼き魚と穀物と野菜の煮物であった。塩で薄く味がついていて、大して美味くもなかったが猫の料理で食えるだけマシだと考えることにした。
まずはこの世界を知らなければ。俺は街を見て歩くことにした。スマホではすでに18時近かったが、まだ外は明るい。寝る前に持物を調べると、財布の中だけでなくスーツのポケットや鞄の中にも金貨があり、合計で99枚あった。昨夜支払った分を入れると百枚あったということになる。
<言葉と路銀はお前への報酬だ。楽しめ>
神を名乗った耳長女の言葉を反芻する。
報酬。路銀。
俺をこの世界に飛ばしたあの耳長女がこの金貨を俺に寄こしたのか。
この世界は電気は無さそうだが、貨幣はある。ならばある程度の文明と秩序が存在するということだ。番頭は猫だったが、食堂には服を着た魚類、爬虫類、哺乳類、そして髭を蓄えた身長140センチくらいの男が居た。彼らは、俺に一瞥はくれるものの何ら珍しそうにもせず食事を続けていた。少なくともここは猫の世界ではないようだ。とすると、どんな世界なのか。夢の動物園か。
宿屋を出ると、夕陽が海に沈みゆくところだった。風に潮の香りが含まれている。太陽は知っている太陽と同じで、数もひとつだった。海に近づくほど建物が増えていくように思える。海までそう遠くなさそうだ。海まで行ってみることにした。帰るところがあるから、昨晩と心構えが全く異なる。今日明日、野垂れ死ぬことはない。まずはこの世界を知る必要がある。
街並みの建物は石を積んで作ったものか、木の柱を組んで壁を塗ったものかの二種類。多くは一階建てだが、二階建ての家もある。
往来には人外と人の流れがそれなりにある。往来に誰かが歩いていない状況に出くわすことは殆どない。
商店は薬屋、肉屋、八百屋、魚屋、酒屋など、商店街にありそうなものは大体ありそうに見えた。沈む太陽を追いかけるように、次々と店仕舞いが始まっている。十分もするとほとんどの店は鎧戸を閉じてしまった。
殆どの店が閉まった通りは通行者も減り、夜の訪れに連れて静けさと闇が街に染み込んでいく。
ふと視線を空に向けると、灼朱のカーテンが夜空の帳に引き下ろされていた。この世界でなくとも毎日見ることのできたはずな光景は、何故か首藤の網膜から脳髄を鮮烈に灼いた。
やがて護岸が岩で整備された港にでる。帆のある船が三隻係留されている。船にはオールが10本ついていた。水を張った水槽が取り付けられている。屋根と柱だけの構造の建物が港沿いに建っている。今は人がいないが、市場だろう。
港沿いにしばらく歩き、目抜き通りと思われる通りを歩く。店は殆ど閉じているが、まだ鎧戸が開いて明かりが漏れている店がちらほらある。世界が違ってもすぐにわかる。呑み屋だ。中は荒々しくも陽気な雰囲気があふれている。どれか店に入ってみるか、と物色しながら歩いていると、明かりの種類が違う店があることに気付いた。電球のようなサイズの発光体の粒が看板にちりばめられ、パステルカラーを発色していてネオンサインのようになっている。扉は閉じていて店の中は見えないが、直感的にわかる。これは楽しい店だ。キャバなのかピンサロなのか、それとも女郎宿なのか。詳細はわからないが方向性はそっちだ。
首藤は訝しんだ。この世界に電力はないはずだが、どうやってこの光る看板を実現しているのだろうか。看板には耳の長い女が描いてあり、その隣に『世界樹』と店名らしきものが大書してある。
愕然とした。なぜだ。なぜ俺はこれが読める?。日本語はおろか、アルファベットですらない未知の文字で記された看板をなぜ読めるのか。
財布から金貨を取り出して表面を見ると、聖者の図柄の周囲に看板と同じ種類の文字で『神聖ジーン教導国正貨 5013』と彫られている。これも読める。
<言葉と路銀はお前への報酬だ。楽しめ>
自称『神』はそう言っていた。奴め。俺の頭を弄ったのか。
「あら怖い顔されてるのね。お入りになられませんこと?」
扉を開いて、耳の長い女が微笑んだ。胸の開いたドレス。肌は白人のそれ。髪は白に近い金で、目は翠色。身長は約170センチくらいか。切れ長で、下がり目の目尻。とびきりの美人だ。
「うちには初めてお運びくださったんでしょう?そんなに緊張されるような店ではなくてよ」
急に気恥ずかしくなった。店の前で金貨を握りしめて看板をにらんで立ち尽くしていたのだ。筆降ろしに来て緊張している童貞と思われても不思議ではない。
長耳の女は滑るように俺の左腕に袖をくぐらせ、その豊満な胸で俺の二の腕を押し、否応もなく店へと誘った。どうせ予定があるわけでもない。遊んで行くか。
ここは猫が番頭をやるような異世界。しかし、俺は知っている。ここは紛うことなき、キャバクラ。それ以外ではありえない。
糞ったれ。なんて馴染みのある空気なんだ。
それも高級な類のキャバクラだ。天井と壁に看板に使われていたのと同じ照明がちりばめられていて、店内は割と明るい。テーブルを中央に置いてソファーをUの字に並べたボックスが壁に沿ってコの字型に配置されている。
店内の照明が明るい店は、暗がりで隠せない分、嬢の質が高い傾向にある。この店もそうだろう。嬢はみな耳長女だが、全員がかなりのレベルの美人だ。肌、髪、瞳、身長と肉付きに個人差はあるが、皆一流の美女ぞろいだ。
対照的に客のほうは様々な種族がいる。全員男・・・のはずだ。猫とか狼とか、熊とか、ぱっと見で男かどうかはわからない。全員ズボンを履いていた。
人間に近しい容姿の客もいる。耳長の男、背が低く髭があり筋肉の塊のような男、そして肌が緑色っぽく、ぎょろっとした目つきの小男。この客だけは少々荒れている。俺が通された席は、緑色の小男の隣のボックスだった。
「ご来店戴き、ありがとうございます。ダニエラでございます。こちらはカトリーヌ。お見知りおきいただきとう存じます」
いつの間にか、俺の後ろにもう一人いた。肌の色は白いが、黒髪、鳶色の瞳の耳長女。
ダニエラは俺の左腕を抱いたまま、俺を席に座らせふた。座る動作のベクトルをそのまま利用して、自然に俺の膝に手を置いてくる。こいつ結構なプロだな。黒髪のカトリーヌは一人分程度の距離を空けて俺の右に座った。
「最初は葡萄酒になさいますか?」
コアントローをロックで、と言おうとして、固有名詞は通じないだろうと思いなおした。
「ん・・・こっちに来たばかりでね。勝手がわからないんだ。何があるんだい?」
「カトリーヌ。メニューを」
「こちらに」
カトリーヌが白魚を思わせる指でメニュー開く。看板と同じ類の文字。「お飲み物」「お食事」「デザート」のタイトル部分は読めるが、他は「キブ」「ズィノ」「ルーン」など、意味がわからない。酒の固有名詞が書いてあるのだろう。
「食事は宿で済ませてきたんだが、ダニエラのお勧めはなんだい?」
メニューには5~25の価格が並んでいた。何を注文しても、身ぐるみはがれることはなさそうだ。
ダニエラは優雅に微笑んで、
「お任せいただけるのでしたら、この『ズィノ』を最初にされてはいかがですか」
ズィノ。8ザムルと40ザムルとの二つの値段が書いてある。40はボトルだな。
「どんなの?」
「甘く仕立てた白葡萄酒に香草で香りを加えたものです。呑みやすうこざいますよ」
ベルモットみたいなものか。
「じゃあそれを。ボトルでいい。」
カトリーヌが軽く会釈をして席を立ち、酒が入っているであろう陶器の瓶と、盃を三つ、そして果物らしきものを一つ持ってくる。
盃に殆ど透明の液体が注がれると、ボックスに香草のような香りが漂う。続けてカトリーヌは色の濃い皿の上に果物を置くと、人差し指を当て、何やら小声でつぶやいた。するとカトリーヌの指から放射状に青白い光が走り、果実は八等分に分割されて皿に広がり、レモンに似た香りが漂ってきた。
その果実の一切れを軽く絞って酒に加え、盃の方に刺し、
「ズィノでございます」
両手を揃えて俺の前に置く。完全にキャバだな。
「その果物を切ったのはなんなんだい?」
カトリーヌは一瞬意外な顔をした。
「鎌鼬の魔法を最も弱めて使いました」
魔法!魔法か。猫が宿をやってるくらいだ。魔法くらい不思議でもなんでもないか。俺は自分の常識に諦念を抱き始めた。ここは映画やアニメの世界か。
「君たちは皆魔法を使えるのかい?」
「もちろんですわ。エルフですから。個人差はございますが。私などよりダニエラのほうが魔法は得意ですのよ」
「そうなのかい?」
ダニエラはくすりと笑って
「精霊の加護が少しばかり多いというだけですわ。」
「その魔法というのは、なんでもできるのかい?たとえば・・・死者を甦らせたりとか?」
「あら」
ダニエラとカトリーヌは同じように当惑した顔になった。
「本当に魔法をご存じないのね。」
「死者復活の魔法は一部の高位神官の専売特許ですわ。」
できるのか。
「ははっ。もしかして死んだら教会に飛ばされて『おお一登よ!死んでしまうとは情けない・・・』とか毎回言われたりするの?」
そんなバカなことあるはずがない、と笑い飛ばされるはずの話だったのだが
「それは・・・。聖教国の『勇者』様だけです」
しまった。俺の顔があからさまに引き攣った。
「一般民は皆、神に召されれば朽ちるもの。だから今を楽しく生きるのでしょう?」
ダニエラが盃をすい、と俺に差し出した。
一息に飲み下す。酒精を弱めにして、甘さを強めたベルモットといった味で呑みやすい。お陰で表情も切り替えることができた。
この分だと勇者の剣だの竜王だの、ドラキュラだのも普通にあるかもしれない。
「『勇者』様は死ねないのか。俺にしてみればお気の毒だが、それはなんでだろう?」
カトリーヌは不思議そうな顔をした。
「『勇者』様は聖教魔法で創り出される聖者。「死ぬ」というより活動を停められると転移させられる、と言った方が正確でしょうか。」
転移!ワープか?そいつを使えば俺も元の日本に帰れるのだろうか。
「転移の魔法っていうのは、ダニエラも使えるのかい?」
「魔法に興味がおありなのね。エルフは精霊と契約する元素魔法が得手なのですわ。例えば・・・」
ダニエラの長く美しい手が優雅に宙を舞った。
すると、俺たちのボックスの上にちりばめられた明かりの明るさがすっと落ちた。
「これも風の魔法の使い方の1つですのよ。ですが、何かの位置を入れ替える転移は、聖教魔法。自然には使えません。それこそ、『洗礼』でも受けないことには」
そう言って、ダニエラはほんの一瞬、すっと目を眇めた。
「うお?暗くしていい雰囲気にしようってのか?ダニエラ〜?」
隣のボックスから嗄れた声が飛んできた。
緑色の肌に褐色の髪に鷲鼻。人間ならば小学生程の上背。尖った耳先がギョロっとした目。「わるいまもの」をわかりやすく絵に描いたらこうなる、と言う見た目だが、街のキャバクラで座って酒飲んでいるのだから、狩られる対象ではないのだろう。
「アーツ様。うちはそういうお店ではございません。ご存知でいらっしゃいましょう?」
なんだ違ったのか。ますますキャバクラそのものだな、ここ。
「ふん、どうせ個人の恋愛は別とか言うんじゃないのか?」
「妬いてくださるのかしら?ふふふ」
「今はエレナといい雰囲気なんだ。残念だったな」
そう言って緑の小男は隣のエルフ嬢の腰に手を回そうとしたが、腕が短いせいで腰を抱き寄せられなかったらしく、所在無さげに頭を掻いて、悔しそうに目線を逸らした。
誰?と指と表情で尋ねると、ダニエラは俺の耳元に口を近づけて囁いた。ちょっとした会社の棟梁をやっているらしい。
もう一度目を戻すと緑の小男はかなりの勢いで俺を睨んでいる。
俺が恨まれるのは完全にお門違いだが、あの目線はわかる。嫉妬だ。ダニエラ狙いでこの店に通っているが、袖にされ続けている・・・そんなところか。
そこで、俺はひらめいた。
「ええと・・・アーツさん?でしたっけ。宜しければ同じテーブルで呑みませんか」
「ぬぉ?」
「えっ?」
アーツとダニエラが同時に驚きの眼差しで俺を見た。アーツは間抜けな顔になったが、ダニエラはどんな顔をしても様になる美しさだ。
「そちらのエルフのお嬢さんも一緒なら、この世で最も美しい花を三つも同時に愛でられるというものじゃありませんか。それに・・・」
今の俺に最も不足していて、かつ重要なのは情報だ。
「私もこちらには来たばかりでして。色々と教えていただきたいのです」
「そうかい?そんならそうしようか」
小男はあっさり承認した。目線が完全にダニエラに向いている。やはりダニエラ狙いなんだな。
当のダニエラは、俺の左腕を抱いたままで、じっと俺の瞳を覗き込んでいた。脇を締めて少しだけダニエラの腕を引き寄せてやると、ダニエラは更に身を寄せてきた。
テーブルを同じくした緑の小男は打って変わって機嫌が良くなり、よく喋るようになった。
この男はアーツ・ムタリカ。種族は『ゴブリン』。ここ、ザムル王国で主に羊皮紙を扱う商社『ムタリカ商会』の二代目棟梁。従業員数は約50人程度。創業者の父の跡を継いで三年前に棟梁になった。父のジィユは、突然変異種で体が大きく、知能が高かった。ザムル王から『ゴブリン・ロード』の称号を授与された傑物だった。息子のアーツは知能は高いものの、外見は通常のゴブリンと殆ど変らないらしい。
商会の本店はこのエルフのキャバ『世界樹』があるのと同じ港町『アインツ』にあり、首都『ザムル・パレス』と森の都『スントウ』を中心に、王国西部で事業を展開している。
「それで、カズトさんの御商売は?」
アーツが話の流れで俺に話を振った。ダニエラの耳が、ぴくっと動いた。
どう答えたもんだろう。
「うーん・・・いまは何屋というわけではないんですが・・・ここに来る前は営業をやっていました」
「エイギョウ?っていうのはどんな商売なんだい?」
そこにひっかかるのか。
「営業というのは、業種ではなくて、職種です。主に売上と粗利の数字を追いかける役割です。アーツさんのところではそういった役割はないのですか?」
アーツはうーんと呻きながら目線を宙に泳がせた。
「つまり、カズトさんは棟梁なのか?」
なんだって?この文脈で棟梁ってのは社長と同じ意味だよな。
「いえ違います。社ちょ・・棟梁は、別にいてですね。お客様の開拓や商取引上の駆け引きを担当します。細かい仕事や納品なんかは別の担当に任せることもありますが、会社のを代表した窓口としての機能を果たします。」
「それじゃ、やっぱり棟梁じゃないか?」
どうも話が噛み合わない。
「アーツさんのところは、そう言った仕事は誰がやっているのですか?」
「うーん、あえて言えば俺なのかな。正直、親父が死んでからこっち、いい流れではないんだ」
アーツが言うには、父のジーユは自身のカリスマと誠実さで自然と人脈を育み、ザムル王国に顧客を着実に広げていった。しかし、病には勝てず、三年前に棟梁を息子のアーツに譲って他界してしまった。
父を尊敬していたアーツは、父が育てた商会を何とか潰さないようにと頑張っているものの、思うように顧客も増えず、業績も低迷していると言う。
「やっぱり、俺みたいな頭でっかちだけが取り柄のゴブリンが、この国でやっていくのは無謀なのかと思っちまうんだ」
同じテーブルで飲み始めてから四杯目の麦酒の器をじっと凝視しながら、アーツは独り言のように言った。
「なあ、飲んだ勢いで訊いちまって悪いんだが、棟梁だったカズトさんだったらどうする?」
棟梁じゃないって言ってるのにもう完全シカトだ。酒の席だし世界も違うし。どうでもいいか。
「いやぁ・・・それだけだと何とも。状況も知らないで適当なことを言っても無意味でしょう?」
「そりゃ違いネェ」
くつくつと、喉を鳴らしてアーツは嗤った。
「逆に・・・一つ質問させてもらうと、アーツさんは会社をどうしたいんですか?」
「大きくしたい。今は王国の西側だけでやってるが、王国全土にムタリカ商会ありという風にしたいんだ。」
「どうしてそんなに大きくしたいの?棟梁」
エレナが新しい麦酒を出しながら訊いた。
「はっきり言えば、半分以上は俺のエゴだ。親父から引き継いだものをそのまま維持するんじゃ俺がやってる意味ねえし。それに・・・」
アーツは上目遣いに俺を見た。
「なんでだかわからねえが・・・大きくしなければ小さくなっちまうような気がするんだ。やがては商会もなくなっちまうって、そんな気がね」
「じゃあ、アーツさん。会社が大きくなるために今の従業員を解雇しなければならないとしたら、どうされますか?」
「すごい二択だな。しかし・・・そうだな・・・」
アーツはしばらく考えたが、すぐに迷いのない面構えにもどった。
「会社を大きくしたい、かな。うん。そうだな。」
俺に答えるというより、それは自問自答だった。
「そうですか。ずいぶんと思い切りますね。」
この国に労働三法に類する規制があるのか不明だし、社会全体としての働き方そのものの実態がどうなっているのかさっぱりわからない。仮に従業員が奴隷みたいなものだとしても、敬意を払っておいたほうが失礼にあたらないだろう。
「この店みたいに種族で統一できている組織は違うのかもしれないけどね。うちは多種多様な種族が居るからね。そんなに一体感があるとは思ってない。それに・・・・」
アーツはトーンを落として、
「棟梁もこんなだしな」
と、自嘲して見せた。
組織における殆どの問題の原因を辿ると、殆どはリーダーに帰結させることができる。それは確かだが、問題の原因をリーダーに求めると、解を導くのが容易いということもまた事実だ。しかし、この場合、棟梁がゴブリンでなければ、たとえば魔力のあるエルフや、戦闘力のある者ならばよかったのかというと疑問が残る。突然変異種の先代だったからもっていた組織なのであれば、その死後三年も組織が維持できていることが、必ずしもリーダーにジーユのような人物を据えることだけが問題解決方法とも限らないことを示している。
三年も保ったのなら、アーツがリーダーであっても成長する方法はあるはずなのだ。
「たぶんね。棟梁」
俺は顔の前で手を組んだ。
「方法はあると思いますよ。」




