♯1 心穏やかに逝く事の定義1。
基本的に感覚で書いてるので調べないで書いてますので御了承ください。
最後に私は一つの冒険をする事にした。それというのも私自身の命の残量が残り少ないという事もわかるからだ。医者が言うには私の臓器はガン細胞にやられ、もうすでに手の施しようにないくらいに侵されていたらしい。家族との仲も不仲ではなく、90もの年月を生きた割には頑丈だとは私自身は感じていたのだが、最後の最後でそうもいかなかったらしい。
煙草も吸う事もせず酒もたいして呑まず、穏やかに年を重ねて愛する妻も出来、会いする妻を見取る事もでき、曾孫やら玄孫にも恵まれ実によい年月だ、私の家族はどうにも早くに子を作ることをする。
それは私の血筋だからしょうがない。私の父もまたそんなロマンチストな人物であったし、何より母は恋多き人であったときく、話を聞くには異父兄妹が山ほどいたらしいが、少なくとも会う限りでは私は末弟ではあったが、半分の血のつながりであったとしても仲がよかったようにおもう。
話は多少ずれたが、私が終わる前直前の話をしようと思う。そう不思議な青年、白髪の青年、この街と同じ名前の蘇芳という青年が営む喫茶店で私が最後に味わった穏やかな時を。
蘇芳町
人口20万ほどの地方都市とも呼べるほどの町、東京よりも少し離れた自然と融合した新規の都市である。場所的には多摩の方面にさしかかるかかからないほうの場所であるか、過疎化解消のために政府が打ち出した案によって作りだされた都市ともいわれている。
もっとも昔は鬼が住む場所という眉唾な話も出るような曰くつきな土地であり、数少ない村や小規模な町があったがそれらを統合しもうすでに10数年の月日がたっている。活気的には高円寺や吉祥寺ほどの活気はあり、商店街にもコンビニや大規模な店はないものの、個人経営の店群がしのぎを削りながら町の発展を支えている。
地方から出てきた学生達にとっては家賃も安く、都内へは30分~40分ほどでいける距離なので学生が住む町としても人気があるようだ。
私こと、工藤銀次郎も実は幼少期この地方に住んでおり、まだ栄えてもいなくその日食べるのも苦労した貧乏な村の時期が記憶としてあるのでこの発展は実に驚く、過去には駅なんてものはなく馬車で近隣のわりと栄えた町まで連れていってもらったものだ。
今では書店もあり、商店街もでき、ファーストフードや現代における利便性の伴った想像しうる全ての物が揃っている。若者がこの町に来たがるのもわかる気がする。町というかもう都市とも街とも呼べるようなそんな場所だ。
私が何故ここを最後の場所にしようと思ったのかは、何故だか無性に産まれ故郷に戻りたかったというのもあったし、何よりあるう噂を聞いたからだ。
白髪の青年が経営しているとある喫茶店の噂を………。