第1話:SSランクパーティと高級干し肉
連載化する際に、転送罠の階層を30階層に変更しています。
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序章:最下層の日なた
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そこは、人類の英知も、英雄たちの刃も届かぬ絶望の底だった。
地下100階層——【奈落の淵】。
足元には太古のマグマが蠢く亀裂が走り、天井からは青白く光る毒性発光苔が垂れ下がっている。
空気は重く沈み込み、漂うのは硫黄の匂いと、果てなき死の気配。
この階層に棲まうのは、世界に終末をもたらすと謳われるSSSランク魔獣『深淵の暗黒竜』。
漆黒の鱗と山のような巨体を持つその怪物は、数百年もの間、侵入者という侵入者を骨すら残さず噛み砕いてきた。
……はずだった。
「ふぁあ……」
小さく、間抜けた欠伸が、静寂に包まれたダンジョン最深部に響く。
暗黒竜の巨大な頭部。
その鼻先の目と目の間、ちょうど心地よい平らなスペースに、一匹の『黒猫』が丸くなっていた。
毛並みは夜のように深く、尻尾の先だけがほんのりと白い。
名を、クロという。
クロの前世は、路地裏を泥だらけで駆け回っていた冴えない野良猫だった。
寒さと飢えに耐え、最後は老衰で静かに息を引き取った。
その際、目の前に現れた光るおじさん(神様)から「来世はどうしたい?」と尋ねられ、クロは「うまいカリカリが腹いっぱい食えて、暖かくて静かな場所で寝られればそれでいい」とだけ願った。
結果、目覚めたらここだった。
神様が気を利かせすぎたのか、クロの半径三メートルには【絶対不可侵領域】という規格外の聖域が展開されている。
どれほど恐ろしい魔獣が爪を立てようが、ブレスを吐こうが、クロの周囲の空間そのものが攻撃を拒絶するのだ。
それどころか、最初はクロを噛み殺そうと襲いかかってきた暗黒竜も、今やクロの絶好の「寝床」と化していた。
クロが放つ謎の聖域オーラに触れているだけで、暗黒竜の長年の慢性頭痛と肩こりが和らぐらしく、今ではすっかりクロの下僕——もとい、巨大なクッションである。
(……今日の苔の発光加減は、なかなか暖かいニャ)
暗黒竜の頭の上でクルリと体の向きを変え、日なたぼっこならぬ「苔ぼっこ」を楽しむクロ。
クロにとって、この恐ろしい最下層は、誰にも邪魔されない最高の居場所だった。
そう、「あいつら」がやってくるまでは。
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第一章:満身創痍の訪問者
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「ハァ……ハァ……っ! 逃げ切れ……たのか……!?」
静寂を破り、重厚な石造りの大門が激しく打ち振るわれた。
飛び込んできたのは、三人の男女だった。
先頭を走るのは、巨大な大剣を携えた重騎士の男。
王国最高峰のSSランク冒険者パーティ『赤き獅子団』のリーダー、ガルバだ。
しかし、その勇猛な姿はどこにもない。
鋼鉄の鎧は半ば溶け落ち、全身は血と煤にまみれ、右足を引きずっている。
「ガルバ様! 後ろから……『影の追跡者』の群れが……ッ!」
「くそっ、30階層の罠にかかって転送された先が、まさか伝説の100階層だなんて……!」
悲鳴を上げたのは、魔導師の少女ミレイと、弓手の青年ルーク。
二人もまた魔法使いの法衣を破られ、弓の弦を切られ、満身創痍の極限状態だった。
背後の暗闇から、無数の赤い目が浮かび上がる。
100階層に生息する凶悪な魔獣の群れだ。
一匹一匹がAランク以上の脅威を持ち、万全の状態であっても苦戦は免れない。
「ここまでか……。王国の歴史上、誰一人として足を踏み入れられなかった100階層で、俺たちは野ざらしの骨になるのか……」
ガルバは絶望に歯を食いしばり、大剣を構え直した。
せめて仲間の盾となって死ぬ。それがリーダーとしての意地だった。
その時だ。
『グラァァァァァッ!!』
ダンジョン全体を揺るがすほどの地鳴りと共に、奥の闇から圧倒的な圧迫感が噴き出した。
あまりの魔力の質量に、追いかけてきていた『影の追跡者』たちがギャッと悲鳴を上げ、一斉に逃げ出していく。
ゆっくりと姿を現したのは、山のごとき漆黒の巨体。
SSSランク魔獣、深淵の暗黒竜。
「ひっ……!」
ミレイが膝から崩れ落ちる。
ルークは絶望のあまり矢を射る手すら動かせない。
ガルバもまた、死を覚悟して目を閉じた。
——だが。
待てど暮らせど、激しいブレスも、押し潰すような前脚の爪も振り下ろされなかった。
「……? ガルバ様、見てください……あれ……」
ミレイの震える指先を辿り、ガルバはおそるおそる目を開けた。
暗黒竜は、巨大な頭を地面に低く擦りつけるようにして、静かに平伏していた。
まるで、高貴な主君に対して敬意を表するかのように。
自由になったその頭の上に——
「……ニャ?」
一匹の、ちっぽけな黒猫がちょこんと座り、不思議そうにこちらを見下ろしていた。
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第二章:交渉とカリカリ
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「ね……猫……!?」
「なんでこんなところに猫が……!?」
ガルバたちの頭の上に、無数のクエスチョンマークが浮かぶ。
世界を滅ぼす暗黒竜の頭に乗っかる黒猫。
あまりにもシュールで、非現実的な光景だった。
クロは暗黒竜の頭からトントンと軽やかに飛び降りると、トコトコと足音を響かせてガルバたちの方へ歩いてきた。
「ひっ……近寄るな! いや、でも猫だし……?」
パニックになる冒険者たち。
クロはガルバの前に辿り着くと、その全身の血の匂いと、深刻な怪我の様子をジロリと観察した。
(……ふむ。ボロボロだニャ。今にもくたばりそうな顔をしておる)
クロ自身は、人助けなどに興味はない。
前世の野良猫時代、人間に優しくされた記憶もあれば、追い払われた記憶もある。
人間という生き物は気まぐれで、面倒な存在だと知っている。
だが、クロには一つだけ、譲れない『ルール』があった。
(……手ぶらで我が家にやってくる奴に、施しは与えない。だが、もし『美味いもの』を持ってきたなら、話は別だニャ)
そう、このダンジョン最深部に転生して数年。
たまーに、命知らずの冒険者が迷い込んでは、クロの【絶対不可侵領域】に守られて命拾いしていくことがあった。
そしていつしか、冒険者たちの間で都市伝説が囁かれるようになったのだ。
——『ダンジョン最深部には、神の遣いである黒猫様が居られる。最高級の肉を献上せし者には、死の淵からの救済が与えられる』と。
クロはガルバの腰にぶら下がった、固く頑丈な革袋をじーっと見つめた。
そこから漂ってくるのは……熟成された、香ばしい肉の香り!
「ニッ(出せ)」
クロは短く鳴き、前脚でガルバの革袋をポンポンと叩いた。
「え……? あ、これか……!?」
ガルバはハッと息をのんだ。
彼ら『赤き獅子団』は、今回のダンジョンアタックにあたり、万が一の非常食として、王国一の老舗肉屋に特注した【極上ワイバーン肉の干し肉】を携行していた。
熟成に半年をかけ、特製のスパイスと燻製で仕上げた、金貨数十枚は下らない最高級品だ。
「もしかして噂は本当だったのか……!? ダンジョン最深部の『黒猫様』……!」
ガルバは震える手で革袋の紐を解き、中から大切に保管されていた干し肉を取り出した。
一口サイズに丁寧にカットされた、黄金色に輝く干し肉だ。
それを、恭しくクロの前の地面に捧げる。
「く、黒猫様……! 我らの命をお救いください……! これが、我々に提供できる精一杯の献上品です!」
クロは鼻をひくひくさせ、干し肉の匂いを丹念に嗅いだ。
(クンクン……ほう。この煙の香ばしさ、そして肉汁の凝縮具合……なかなかやるニャ)
シャクッ、と一口噛み砕く。
口の中に広がるのは、豊かなジビエの旨味と、程よい塩気。
(……うむ! カリカリとしての歯ごたえも完璧。前世で食った缶詰の数倍美味いニャ!)
クロは満足げに目を細めると、「ゴロゴロ……」と胸を鳴らした。
そして、「まあ不合格ではないニャ」と言わんばかりに、ガルバに向かって言った。
「ニャー(合格)」
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第三章:奇跡の毛繕い
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「認めて……もらえたのか……!」
ガルバが感涙にむせぶ中、クロはのそりと歩み寄った。
ガルバの右足は、先ほどの戦闘で重い骨折を負い、皮膚は裂けて赤黒い血が流れ続けている。
普通なら数ヶ月の入院、最悪の場合は切断を免れない重傷だ。
クロはガルバの傷口の前に座ると、ピンク色のザラザラした舌をペロッと出した。
そして——ペロリ。
ガルバの右足を、優しく一舐めした。
その瞬間。
ざわ……っ!
ダンジョン最深部の重苦しい空気が一変した。
クロの舌が触れた場所から、淡い黄金色の光が溢れ出す。
それはまるで、温かな春の日差しのような、どこか懐かしく愛おしい光だった。
「な、なんだこれは……!? 温かい……!?」
ガルバが目を見開く。
光が傷口を包み込むと、バキバキと音を立てて砕けていた骨が瞬時に再結合した。
裂けていた皮膚が縫い合わされるように繋がり、失われた血が満ちていく。
痛みなど、最初から存在しなかったかのように消え去っていた。
「が、ガルバ様の足が……!? 傷が完全に消えている!?」
「そんな……上級回復魔法どころの騒ぎじゃない……完全再生だなんて……!」
ミレイとルークが絶叫する。
クロは「ふぅ」と一息つくと、続いてミレイの魔力枯渇による頭痛を頭へのペロリ(一舐め)で癒やし、ルークの切れた腕の筋を首筋へのペロリ(一舐め)で瞬時に治癒した。
ほんの数十秒の出来事だった。
全滅寸前だったSSランクパーティ『赤き獅子団』は、傷一つない万全の状態へと戻っていたのだ。
それどころか、クロの奇跡の毛繕いを受けたことで、疲労は完全に吹き飛び、肌のツヤまで良くなっている。
「おお……おおお……っ!!」
ガルバは自身の両手を見つめ、何度も握りしめた。
全身に満ち溢れる活力。身体が、まるで10代の全盛期に戻ったかのように軽い。
「これが……黒猫様の『毛繕い(アフターサービス)』……!」
ガルバたちは感極まり、その場に平伏した。
「感謝いたします、黒猫様! この恩は、生涯忘れませぬ……!」
一方、仕事を終えたクロはといえば。
「フンッ」
軽く鼻を鳴らして毛玉を吐き出すような仕草をすると、冒険者たちに興味を失ったようにプイと背を向けた。
そして、再び暗黒竜の頭へとトコトコと登っていく。
一番心地よいポジションにすぽりと収まると、前脚で顔をゴシゴシと洗い、クルリと丸くなった。
(ふぅ……うまい肉も食ったし、食後の運動(舐め舐め)もした。あとは寝るだけニャ)
「ガ、ガルバ様……黒猫様がお休みになられます……」
「しっ! 起こしてはならん! 我々は静かに退出するぞ!」
ガルバたちは息を殺し、深々と一礼すると、命拾いした喜びと畏怖を胸に、静かにダンジョン上層へと引き返していった。
暗黒竜もまた、クロを起こさないようにそ〜っと息を殺し、静かに目を閉じる。
ダンジョン最深部は、再び静寂と、平和な昼寝の時間に包まれたのだった。
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終章:伝承は巡る
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それから数ヶ月後。
王国の首都にある冒険者ギルドは、ある『異常なブーム』に沸いていた。
「おい、知ってるか!? 『赤き獅子団』が100階層から無傷で生還したらしいぞ!」
「ああ、伝説の『黒猫様』に会ったんだろ!? なんでも、最高の干し肉を持参したら、瀕死の重傷をペロリと一舐めで治してくれたらしい!」
「マジかよ! 俺も高級肉を持って100階層を目指すぞ!」
ギルドの掲示板には、高難易度クエストではなく『美味しい干し肉のレシピ』や『極上カリカリの製法』に関する情報が乱れ飛んでいた。
精肉店からは干し肉が消え、高級ジビエの価格は跳ね上がり、冒険者たちは武具を研ぐこと以上に「どうすれば猫の好む絶妙な焼き加減と塩加減を実現できるか」に心血を注ぐようになったという。
世界の危機を救うためでもなく、財宝を求めてでもなく。
ただ一匹の黒猫に「うまいニャ」と言わせるためだけに、数多の猛者たちがダンジョン最深部を目指す時代が訪れたのだ。
……そんな人間の狂騒など、当の黒猫は知る由もない。
「ふぁあ……」
今日も今日とて、暗黒竜の頭の上。
毒性発光苔の柔らかな光を浴びながら、クロは幸せそうに「ゴロゴロ」と喉を鳴らしていた。
美味しいカリカリと、暖かい日なた。
それさえあれば、ここがダンジョンの底だろうがどこだろうが、クロにとっては最高の世界なのだった。
(おしまい)
ご覧いただきありがとうございます!
「面白い!」「クロ様がかわいい!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
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