第36話:魔王軍を退けた男
「俺が直々に説明しよう。その方が、話が早いだろうからな」
大剣を易々と振り回す男が、学園長室へと歩を進める。
「ブランドよ……っ!どうやって学園に入ってきた?!ミノスや他の教師たちは、どうしたというのだ?!」
「「勇者ブランドが、かつての盟友・大賢者ムスターハに会いに来た」って言ったら、全員嬉々として通してくれたぜ?誰にも手を掛けてはいないから安心しろ」
珍しく狼狽える学園長とは対照的に、余裕たっぷりに受け答える。
「アレクよ。どうやら、俺のことを探していたようだな」
「父さんっ!!」
今すぐにでも飛び付いて行きたい衝動に駆られるが、実父といえども抜き身の大剣を持っている状態だ。安易に近づくのは危険なため、間合いを取ったまま言葉だけを投げ掛ける。
「統王グラウドレからここにいると聞いて、様子を見に来たよ」
「っ!!」
統王グラウドレから場所を聞いた。
この一言だけで、眼前の男の立場は瞭然だった。
「ブランドよ。お主は人を殺めるようなやつじゃなかったはずじゃ。なのに、どうして魔王軍なんぞに加担しておるのじゃ?」
行方不明の父親と感動の再会……などと呑気にやっている場合ではない。背中の剣のグリップを握りながら、実父を見据える。
「何か、遺物や魔導具・高等な洗脳魔法によって洗脳されているのじゃろう?だったら、儂が解除してやるから、少し待ってくれい」
ムスターハが杖を構え直し、魔法を唱えようとすると、
スパッ!
前脚の毛の一部が見えない斬撃で刻まれ、灰色の毛の塊が宙を舞う。
「心配はいらない。何故なら、俺は自らの意思で魔王ルグルガーラに力を貸しているのだからな」
冷酷に。
無感情に。
鮸膠もなく放たれた一言は、握られた漆黒の大剣で斬り刻まれるよりも深く、心の傷を抉り取った。
「俺は遺物に呪われているわけでも、魔導具に操られているわけでもない。そして、魔法で洗脳されているわけでもない」
「じゃあ、何故…………?」
なんで、空は青いの?
なんで、雲は流れているの?
アレクは「なんで期」の幼い子供のような稚拙な問いを、震える唇から絞り出す。
「決まっている。あらゆる生物の根絶を行い、ルグルガーラ率いる魔王軍による世界を作り上げるためだ。それ以外に目的はなかろう。……なぁ、ムスターハ」
木の板でできた床に靴音を転がしながら、かつての盟友の元へと歩く。
「魔王軍と英雄が争うなんて、実に無意味なことだと思わないか?互いに多くの命が奪われ、多くのモノたちが恨み、殺し合う。こんなことを永い年月繰り返していたって、鼬ごっこなだけじゃないか?」
まるで、墨にでも浸けたかのように漆黒へと染まった抜き身の聖剣からは、不思議と闇のオーラを感じ取れない。
「だったら、力でも魔力でも魔族に劣る人間たちはさっさと降伏し、滅びていくのが自然の理だと思わないか?」
ヨーロッパから飛来したセイヨウタンポポが芽吹き、種を広めたことで、日本原種のタンポポが二割以下まで減ったように。
アメリカザリガニが爆発的に繁殖してニホンザリガニを駆逐した結果、ニホンザリガニが国の天然記念物に指定されるほどに数か減ったように。
弱い者たちは強い者たちに淘汰され、自然界から姿を消していく。
「そうすれば、無駄な争いをしなくて済む。全員が全員、手を繋ぎ合って生活できる。そう思わないか?」
黒い革手袋で覆われた手で、何かに縋るようにムスターハへと手を伸ばすが、
「はぁ……。とんだ馬鹿野郎じゃのぅ。女神様が作った聖剣は、こんなポンコツを勇者にしたかったのか?」
深い溜め息をついて、物怖じせずに瞳を覗き込む。
「良いかブランド。確かに、ルグルガーラが儂らを淘汰して世界を作り直せば、平和になるかもしれん。じゃがな、お主ら人間は、モンスターを駆逐しようだなんて、一度も考えたことはないじゃろうが。お主だって、そうだったじゃろうが」
「……」
耳を傾けることなく反駁してきたハムスターの言葉を、静かに受け止める。
「人を襲ったモンスターは殺してきたが、背中を見せて逃げるような輩を追跡して殺すようなことはしなっかったじゃろう?儂やアープ・レイウーは、そんなお主の芯の通った心に命を預けてもいいと思ったから、『魔王軍殲滅戦線』として一緒に旅に出たんじゃぞ。そして、」
民衆を導く救世主のように、執務用デスクに杖の柄を打ち付ける。
「ルグルガーラを阻止しなければならんのは、そういう人間の情が分からぬまま、自身の裁量だけで善悪を決定し、無差別に死をばら撒くところじゃよ。そんな仁徳の備わっていないようなやつが君主として降臨したが最後、「疑わしい行動をしたから」という理由で家臣とその家族までをも皆殺しにするような、恐怖政治しか生み出さんぞ。お主は、それを分かっててやっているのか?」
「……」
何かを考えているのか。
それとも、腐敗した聖剣で目の前の男を黙らせようとしているのか。
勇者が口を噤んだまま、しばらくの時間が流れる。
そして、
「モンスターにかける情け、か。最も必要のないものだな」
「なん……じゃと……?!」
勇者の口から出た最も似合わない言葉に、ハムスターの獣人は驚愕する。
「人間が熊を殺さなかったら、熊は人間を襲って食べないのか?……それと同じだ。俺たちがどれだけ慈悲深く、どれだけ温厚な情けを掛けようが、モンスターは平気で人を襲い、人を殺す。人間もまた、モンスターに襲われないようにモンスターを殺す。だから、」
伸ばしていた手は、いつの間にか握り拳に変わっていた。ブランドの拳に力が籠る。
「この手で終わらせてみせる。人間もモンスターも、どちらも全員殺して、な。個体が減れば、それだけで争いがなくなり、平和な世界が完成する」
これ以上話しても無駄だと思ったのだろう。身体の向きを変えると、入口に向かってゆっくりと歩く。
「それを邪魔するというのならば、かつての盟友だろうが、実の息子だろうが別はない」
「父さん……」
実子に言葉を掛けられて、闇夜のように深い黒を纏った背中が動きを止める。
「本当に、俺たちと一緒に英雄として戦うつもりはないのか?!本当に、父さんはそれでいいと思っているのかよ?!」
「アレクよ」
何処までも黒く、誰よりも血生臭い手でアレクの頭を撫でようとするが、その手は中空で止まって引き戻される。
「俺は、俺が信じているものを貫いて戦っているだけだ。全てを終わらせた暁には、お前を新しい世界へと案内しよう」
「そんなことをしていて、死んだ母さんは喜ぶのかよ?!」
ぴしり、と、ブランドの動きが凍り付いたかのように止まる。
「父さんが無差別に刃を振るっているのを見て、母さんは喜ぶのかよ!!」
「黙れえっ!!」
その一言に激昂したブランドは大剣を突き立てると、胸倉を掴んでアレクを持ち上げる。
「死者に口がないのをいい事に、死者の気持ちを勝手に代弁するな!お前を生んで死んだレイユのことを何も知らないのに、レイユのことを語るな!!」
ぎりぎりぎり……。
大蛇が首に巻き付いたかのような圧倒的な腕力が、次第に強くなる。
「ぐ……、う…………っ」
「ならば、レイユの気持ちを味わわせるために、この場で縊り殺してやろうか?邪魔をするのであれば、旧友であろうが肉親であろうが、容赦しないと言ったよな?」
「それ以上はやめよ」
空中へと浮かんだムスターハが、爪楊枝サイズの杖を構える。
「儂の大事な生徒を傷つけるな。このままアレクを殺すとあらば、かつての仲間であろうと容赦はせんぞ!」
「……そうだな。お前たちは遅かれ早かれ魔王軍の誰かに殺される身。ここで俺が殺らなくても、誰かが殺ってくれるだろう。限られた余生を楽しむがいい」
力強く掴んでいた手を離すと、羽織っていたマントを翻す。
「ごほっ、ごほっごほっ!!」
大量の空気を肺の中に取り込んでいる最中、
「次に会った時は、お前たちとは敵として刃を交えることになるだろう。――魔王軍の五王の一柱・剣撃王ジルゴとしてな」
こう背中越しに告げると、漆黒を身に纏った勇者は学園長室を後にした。




