第1話:牛頭の巨漢
「ここが、かの有名な英雄養成機関か」
四方八方を宵闇に包まれた崖の上で、アレクが呟く。
ムスターハ英雄学園
数多もの生物を脅かす存在である魔王と、その配下のモンスターたちに対抗するための人材を育成する機関の一つであり、数々の武勲を立てた英雄を輩出する名門校だ。
「それにしては拍子抜けだな。こんなところでどうやって教育を行うと言うんだ?」
辺りを見渡しても、扁平に均された崖の頂上には、簡素に造られた石造りの建物と、目印のように天に向かって伸びる岩の塊しかない。
「それを君に教える義理はない」
虚空から声がした。左手に持った燭台で辺りを照らしながら、警戒心を高める。
「こんな夜分に来るということは、差し詰め、学園長に用がある者か、盗人の類だろう?そういう輩を通さないために、この僕がいるんだから」
声の主は岩塊――いや、岩のように大きい人物だった。胡坐を掻いていたのか、徐に立ち上がると、
「僕の名前はミノス。不審者が入り込まないように、こうやって学園の入口を守っている者だ。用事がないのならば、今すぐにでも崖を降りてもらおう」
こう告げた。
まずは、相手の素性を確認することが先決だ。
持っていた燭台を頭上に挙げ、男を検める。
男の頭は、頭頂部から鋭い角が二本生えた牛の頭となっており、その体躯も、少なくとも10フィート(約3m)はあるだろうと分かるほどの図体だった。
「それはできないな。何故なら、学園長に用があって、わざわざここまで来たんだからな」
その身長差は5フィート(約1.5m)以上。
眼前の怪物を見上げるようにしながら申し立てる。
「学園長に用がある、っていう者は、大抵恨みを持っていて暗殺目的で来ることが多いんだ。君もその一人かい?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるな」
「答えるつもりはない、と。ならば、」
目の前の男から醸成される闘気が高まる。
直後、
パキッ。
卵の殻が割れるような音がした。
しかし、アレクもミノスも、卵など持っていないし、鏡やガラスなどの罅が入るような物を落としてもいない。
「君を学園に入れるわけにはいかないね」
パキパキッ。
さらに大きな音が聴こえたため、音源を探すために辺りを見回す。
すると、闇に潰されていたはずの空間に亀裂が入り、極彩色に彩られた別の空間が顔を覗かせていた。
「脱出不可能な迷宮」
漆黒の空が巨大な欠片となって落下する中、牛頭の巨漢は呟く。
「僕の能力は、相手を脱出不可能な迷宮空間に閉じ込める能力なんだ」
亀裂が蔦のように走り、不気味な線が空中を埋め尽くしたかと思うと、宵闇色の大きな断片が剥がれて崩れ落ち、こことは別の世界が顕わになる。まるで、卵の中から殻が割れるのを見ているような感覚に苛まれた。
「君には、ここで頭を冷やしてもらおう」
ピシピシピシッ!
最後に、真正面で対話していたはずのミノスも縦に割れ、崩れた先には異空間が展開した。
粉々になった世界の破片が雨霰となって空から降り注ぎ、不気味な色をした異空間へと溶けて消える。
「なるほど。脱出不可能な迷宮を持つ異空間、か」
首を動かして状況把握に勤しむアレク。
現在アレクがいる場所は、前後左右の四か所に出口が設けられた、黒い壁に囲まれた部屋なのだが、どの出入り口も出てすぐに突き当たりになっていることから、右、もしくは左に通路が続いているようだ。
次に空を見上げる。
空は何処までも極彩色の空間に塗り潰されているため、この空間がどれほど縦に長いのかが計り知れない。
無限に続くかもしれないし、何処かに終焉があるのかもしれない不気味な空間が何処までも続く。
そして、その空から黒い塊が振ってきては、入れ替わるように別の黒い塊が空へと飛んで消える。どうやら、一定の時間間隔で壁が入れ替わったり増減したりすることで、引っ切り無しに迷路の形が変わっているらしい。
「確かに、これじゃあ脱出はできそうにないな」
迷路とは本来、分かれ道になっていてもゴールに辿り着く道は一本で、行き止まりに到達しても引き返せば、必ずゴールまでの道を導き出せる。
時間が掛かる代わりに確実にクリアしたいのであれば、右手を壁につきながら壁沿いに歩く方法が有名だ。
だが、元来た道を戻ろうとして、通路が塞がっていたら?
一本道の通路の横合いに穴が空いていて、通れるようになっていたら?
そして、ゴールの位置すらも変わってしまったら?
脱出云々以前の単なるクソゲーであり、出ることを想定されていない迷路を監獄と呼ぶのは、適切な表現なのかもしれない。
けれども、
「俺には関係ない!」
乱雑に荷物が詰め込まれた背中のリュックから剣を取り出すと、鞘から抜いた。
「幽幻斬り!!」
狙いは迷宮を形成する異空間。
刃のない、のっぺりとした鉄の塊を剣身に持つ剣を軽く振りながら叫ぶと、布類をナイフで引っ掻いたかのように空間が裂け、真っ黒い空間――アレクがいた元の世界の景色だ――が姿を現す。
刃が触れた場所から裂け目はみるみるうちに拡張されていき、極彩色の空間がインク瓶を倒したかのように真っ黒に染まる。
「僕の脱出不可能な迷宮が破られた……、だと……?!」
極彩色の空間は最後に目を見開くミノスの姿を顕わにすると、跡形もなく消え去った。冷たい風に吹かれる扁平に均された崖と、宵闇に支配された空がアレクの視界に広がる。
「俺の幽幻斬りは、形のないものを斬ることができる能力なんだ。どうやら、お前の能力とは相性が悪かったようだな」
「ふぅん。なるほど」
石造りの建物の屋根の上から女性の声が聞こえた。
明らかにさっきはなかった気配に、アレクは警戒心を強める。




