7
その知らせがローム城に届いたのは、明け方のことだった。早馬が開城を求めたのだ。
その知らせを聞いて、ローム王はロームに滞在中の幾人かの領主に使者を出した。王からの呼び出しに驚いたカンロ伯爵も、昼前には王城へと向かったのである。
そうして王から話を聞いたカンロ伯爵は、なるべく早急にロームを離れてカンロへ戻ると王に伝えたのであった。
「さて、もう簡単に話は聞いていると思うんだけど、朝からこんなにも勢揃いすると、・・・なかなか迫力があるものだね」
のんびりと、緊張感のない声でリガンテ大将軍がそう話し出す。
リガンテ大将軍の温和でのんびりとした話し方はいつものことだ。
リガンテ公爵は、軍では王に次いで偉い大将軍の位を持っているが、あくまで戦いに出る事のない大将軍である。高位の貴族が軍をまとめておく必要があること、そしてそれぞれに優秀な三将軍の誰かを最高指揮官におくわけにもいかないことから、拝命した地位でもあった。
「さて、普段ならフィゼッチ将軍、エイド将軍、ケリスエ将軍との四人で話し合うところだが、今日はそれぞれの副官でもあるリストリ殿、フォンゲルド殿、ケイス殿にも来てもらった。それは他でもない、今回の件に関して、どの軍に出てもらうかの話し合いもあるからだ」
自分達の上司であるリガンテ大将軍が話している以上、誰もが静かに話を聞いている。しかし、どこが動くのか、そして自分達が動くとしたらどうするか、頭の中ではそれぞれに作戦を組み立てていることだろう。
「北方にある隣国が軍を動かすらしいという知らせが入ったのは本日明け方だ。それは隣国に放った間諜の報告によるものだが、どこへ向かわせるつもりかは不明となっている。目的も不明だ。しかし隣接するカンロ、フェリエ、ロナの三領には、ロームからその連絡を本日向かわせてある」
そこでリガンテ大将軍は六人を見渡す。
「ロームに攻めてくると決まったわけではない。しかし油断はできない。各領主も自軍を動かすだろうが、本当に戦端が開かれるとなったらそれだけで持ちこたえられる筈もない。あくまで兵を集めているという段階である以上、まだ十分に時間はある筈だが、今後も追って情報が入ることだろう」
そこでリガンテ大将軍が苦笑する。
「いずれ、その際にはどこの軍に出てもらうかの話し合いのつもりだったんだけど、・・・どこもやる気満々っぽいね。うん、まあ、ちょっと三軍でどこが指揮を執って出るか、話し合いしておいてくれるかな? 隣国が兵を集めているといっても、まだうちの総力が必要な状況じゃない。数としては一軍でも十分対応できる程度だ。だが、その時になって慌てたくはないからね」
そう言ってリガンテ大将軍が「はい、さあどうぞ」と、ゼスチャーで示し、三将軍とそれぞれの副官が話し合うこととなった。
「北方でしたら、戦略よりは力で攻めてくる公算が大きいことでしょう。それでしたら我が近衛騎士団にお任せいただきたく存じます」
口火を切ったのは、フィゼッチ将軍の副官であるセイランド・リストリだった。
「そうとも今は決めつけられる段階ではありますまい。それでしたら王都騎士団の方が小回りもきくかと存じます」
次に発言したのはエイド将軍の副官であるロメス・フォンゲルドだった。
「斥候的な意味合いでしたら我がローム国騎士団が得意かと存じます。同時に、総当たり戦であれば近衛騎士団が、幾つかの小競り合いとなると王都騎士団が出ることを提案したく存じます。いかがでしょうか」
三番目にカロン・ケイスが発言する。
(しかし、こうして見ると、三人の副官同士での話し合いって感じだな)
リガンテ大将軍はそう思って眺めた。三将軍は黙って副官達の意見を聞いている。どの将軍も、部下である副官に任せる気なのだろう。
そこで、リガンテ大将軍とケリスエ将軍の視線が交わった。
「リガンテ大将軍。・・・そうなると、この後、大将軍は王と話し合う予定もおありでしょうか?」
「ああ。君達の話し合いの結果を王に報告することになるかな」
そう答えると、ケリスエ将軍がそのままフィゼッチ将軍とエイド将軍に語りかけた。
「フィゼッチ将軍とエイド将軍におかれましては、私の提案をお聞き届けくださるでしょうか?」
「珍しいことですな、ケリスエ将軍がご提案とは。勿論ですとも、何でもおっしゃっていただきたい」
「そうですぞ。いつもいつもケリスエ将軍は控えめが過ぎておいでだ。この際、何なりと」
フィゼッチ将軍とエイド将軍に首肯され、そこでケリスエ将軍が切り出す。
「我らの前では三人も遠慮がありましょう。隣室にてセイランド殿とロメス殿とカロンとで話し合いさせてはいかがと、提案申し上げます」
フィゼッチ将軍はセイランドを見た。無言でうんうんと頷いている。
エイド将軍はロメスを見た。無言でにっこりと微笑んだ。
ケリスエ将軍は誰もいない場所を見ていた。カロンは既に期待などしていない、諦めている。
「なるほど。良い提案ですな。エイド将軍、いかがか?」
「いや全くですな。それでは三人とも隣室へ行くがいい」
三人の将軍が了承した以上、席を外しても問題はない、三人の副官は上司達に一礼すると、隣の部屋に移った。
残された大将軍と三将軍は、その結果を待つことにした。
尚、隣の部屋でも扉が開いている為、会話する声は聞こえてくる。たしかに三人を隔離した方が、話がさっさと進む。しみじみと大将軍とフィゼッチ将軍、エイド将軍は、ケリスエ将軍の提案に感心したのであった。
とは言うものの、それに至るまでの過程は、どの将軍にとっても額に青筋を立てずにはいられないものがあったが。
「大体、この間、ロメス殿はしっかり暴れたばかりだろう。それなら今回はこっちに寄越せ。近衛騎士団だってたまには体を動かさないと鈍ってしまうだろうが。何でもかんでも自分ばっかりってのは感心しないぞ」
「あんなの暴れたと言えるか。たかだか相手は奴隷商人だ、軍じゃない。ノーカウントだろ、あれは。なあ、カロン殿?」
「いや、あれはノーカンじゃないだろう、ロメス殿。というより、ここはお互いに譲り合いと協力をすべきだと思うが?」
将軍の目がなくなった途端、セイランドが主張し、その話をしっかり蹴り飛ばしているロメスだが、そこでカロンが互いを諌める。
「セイランド殿の意見も受け入れるべきだ、ロメス殿。言っておくが、それを受け入れなかった場合、困るのは貴君であると忠告させてもらおう」
「その根拠は?」
「簡単なことだ。ここでロメス殿が武勲を立ててみろ。・・・先だってのあれと合わせて、さすがに将軍位を断れなくなるんじゃないのか? ただでさえ先の戦でも、その話が出ていたかと思うのだが」
「・・・・・・」
ぽんと、セイランドが右の拳を左の掌に打つ。
「あ。そういえば、考えてみれば近衛騎士団は北の大地を苦手としていたかな。いや、ロメス殿のやる気に心打たれたかもしれん。ここは譲らせてもらおう」
「ちょっと待て、セイランド殿。逃げんな、まずはこっちに任せろって言ったのはお宅だろ」
「昔のことは忘れたな」
「だから、お宅のことを逃げ足が速いとフィゼッチ将軍が嘆くんだろうが。たまにはきっちり地面に足をつけて一緒に戦おうってもんだろ。お宅の個人的感情で軍の出撃を決めるだなんて許されると思ってんのか」
「個人的感情で出撃を決めていることに関して、お宅の右に出る者がいるものか。それに、将軍を嘆かせているならお互い様だろうが、ロメス殿。言っておくが、うちは変な二つ名なんぞつけられてないんだからな」
「おい、言われてるぞ、カロン殿」
セイランドとロメスもぽんぽんと言いあうタイプだけに、三人の中では一番控えめなカロンがブレーキ役となる。尚、諦めというものを一番上司に鍛えられているのはカロンだ。
なんで自分がこんな目に遭っているのだろうと、遠い目になりながらカロンは二人に視線を向けた。
「・・・・・・個人攻撃に走らず、まずは話し合おう。こういうのはお互い様だ。互いの武勲が拮抗していれば、どうにでも逃げられる。三軍の得意分野を割り出した上で、それぞれにうまく差配すれば突出する軍も出てはこないだろう」
「なるほど、さすがカロン殿。三人とも同じ程度であれば、他の二人を理由に逃げられるからな。うちのフィゼッチ将軍もあと十年は頑張ってもらわなきゃならんし」
「全くもっていい案だ。うちのエイド将軍も俺が死ぬまで頑張っていただくつもりだしな。どうせケリスエ将軍をカロン殿が引退なんぞさせないのは分かってるし、折角なら三軍をスクランブルにさせてみてもいいかもな。部下なんぞ、上司の為に働くものと決まっている」
そんな理由で三人の自発的な連携がとれたとは、何とも隣室で聞いている三将軍にも頭の痛いことであった。目の前で行われていたら、拳骨の一つも落としたことだろう。
三将軍それぞれ、大将軍と他の二将軍の目がなければ一喝ぐらいはしていたかもしれない。
「エイド将軍。・・・うちのセイランドもお宅のロメス殿も、どうも根本的に教育を間違えてしまったような気がしてしまいませんかな」
「実は私もそう思っていたところです。・・・野心家で上を目指すというのが男の生きる道であろうに、どうしてああも、ああなんでございましょうな」
疲れた溜め息を二将軍がついたのは仕方ないことだっただろう。どこまで上司を働かせるつもりなのか、あの部下達は。
「なあ、カロン殿かセイランド殿、地図、持ってるか?」
「ああ、それなら私が持ってきている」
「さすがセイランド殿だな。細かいっつーか、何っつーか」
「褒め言葉だと信じておこう、ロメス殿」
「いや、セイランド殿はそういう王道をおろそかにされないからな。フィゼッチ将軍の教え方をしっかり踏襲されておられて、いつも感心する」
「カロン殿はよく分かってるな。しかし、最初からそれを見越してロメス殿も持ってきてなかったのだろうがな。しっかり筆記具は持ってきてるところがロメス殿だ」
「それを言うなら、カロン殿が持ってきている駒は何だよ。結局、お互い、手の内はバレバレってことだろ」
それでも、三人とも優秀なことには変わりないのだ。さっさと地図を広げて隣国からの進軍してくる場合はどのルートになるか、その所要日数はどれ程か、どの辺りに兵を配置すべきか、その場合の出撃方法に至るまで、様々なパターンを割り出し、話し合いをしている。
「ここの山脈を冬は越せない。となると、秋までだ。二つって所かな」
「いや、ロメス殿。そうとも限るまい。先入観は危険だ。その辺りは、先に情報を集めよう。それから判断していただけないか」
「だが、ここの山脈を冬には越せないことは有名だ。ロメス殿の意見は正しいと思うが、何かカロン殿にはご存じなことが?」
「セイランド殿とロメス殿には、ここだけの話としてもらいたいのだが、山賊の根城があると、噂だけはある場所だ。ただの噂で根も葉もないのであれば良いが、そうじゃない場合、山賊が暮らせるならば山越えも出来ないとも限らない。情報をもっと集めさせよう。それまで保留にしておいてほしいのだが」
「なるほど。じゃあ、それは保留で。で、この街道を通るなら総当たり戦だ。ここに開かれた場所がある。セイランド殿、どこまで出せる?」
「そうだな、分散させていても五大隊は出せるが・・・総力をそこに集中させていいものか、だ。もしロメス殿が出せるとしたらどれくらいになる?」
「うちは駐留に持って行った方がいいだろう。それならカロン殿、どうだ?」
自軍についても正確に把握している三人だ。できることとできないこと、得意と不得意についても、誇張なく話し合う為、かなり精度の高い所まで詰めることが出来ていた。
リガンテ大将軍も感心して、ケリスエ将軍に尋ねる。
「なるほど。たしかに三人を別室に追いやったのはいいやり方だったね。やはりケリスエ将軍はそういう人を使う才能があるんだろうね?」
「それはありますまい」
あっさりとケリスエ将軍が否定する。
「ですがケリスエ将軍のおっしゃる通り、ここで話し合わせるよりもよほどトントンと進んでいるではありませんかな。ご謙遜めさるな。なあ、エイド将軍」
「全くでございますぞ。・・・まあ、あの話し合いにはいささか思うものもござったが、やはり三人がああやって協力し、一丸となっているのはよろしいことではありませんかな。さすがはケリスエ将軍」
だが、ケリスエ将軍はそこで首を横に振った。
「どれも優秀なだけにその方が早かろうと愚考したにすぎませぬ。それに・・・私は現在いささか後悔しております」
「後悔?」
リガンテ大将軍が首を傾げる。
「あの三人が協力するとなったら、本当に武功を均等にすることでしょう。我が国としては三軍の連携がとれているのは強みにもなりましょうが、・・・個人的にはかなり頭が痛い思いをしております」
「ああ、・・・そうかもね」
リガンテ大将軍が同意する。ケリスエ将軍がどれ程に引退を望んでも、自分の部下だけではなく、他の二軍もそれぞれに協力してくるとなったらかなり面倒になるだろう。
さすがにフィゼッチ将軍とエイド将軍もケリスエ将軍の気持ちを察する。自分達も同じ身の上だからだ。
自分達の世代は出世の為に働いたものだ。にもかかわらず、自分達を凌ぐ実力を持ちながら、あえて上司を据えておこうとするあの部下達は何なのか。
今時の若い者は本当に度し難い。
「じゃあ、斥候部隊がカロン殿の所で、駐留部隊がロメス殿、出陣はうち、・・・そんな感じだな」
「あとはどうせ俺達の誰かが出るんだ。その時はどの二軍もそれに従うってことでいいだろ? ただ、お宅のプライド高い近衛騎士団が、俺やカロン殿に従うかが分からんな」
「そこはきっちり言い聞かせておこう。というより、上官命令に従わなかったということで処分してもいいしな」
「おいおい。かなり腹黒いな、セイランド殿」
「お宅程じゃない。どこも問題性のある人間はいるからな。その人間のリストも作っておくか」
「そりゃいいな。・・・どうした、カロン殿、額なんぞ押さえて?」
「いや。気にせず続けてくれ」
カロンだけではなく、隣室で聞いていた四人も、(どさくさに紛れて問題のある人間を処分しようって腹か)と、呆れ返る。
それでも、そういった指揮官の命令に従わずに問題を起こしてくれる人間のおかげで、敗戦に至ることもあるのだ。それを考えれば必要な措置とも言えた。
「問題を起こしてくれれば降格処分にもできるしな。ちょうどそれ用のどうでもいい出兵も組むか」
「いい案だな、セイランド殿。なら、そいつらはカロン殿に任せよう。そうすれば確実にやらかしてくれるだろうよ。なあ、カロン殿?」
「いや、もう、好きにしてくれ」
狂犬と呼ばれるロメス、暴れ狼と呼ばれるカロンに比べ、セイランドは特に異名も持たず、普通にまともな貴公子然とした人間である。
とはいうものの、この会話を聞いていたら一番性格がどうかと思えなくもない。
フィゼッチ将軍は己の副官に対し、大きな大きな溜め息をついた。
エイド将軍とお互いに肩を叩き合っている背中は、どこか悲哀が漂っていた。
昼過ぎ、王都騎士団の棟に、珍しい客人が訪れていた。
「これはカンロ伯爵。・・・どうぞおかけください」
「忙しい所をお邪魔して申し訳ない、ロメス殿」
カンロ伯爵がロメスを訪ねてきたのだ。
貴族であるカンロ伯爵がこの軍部エリアに立ち入ることは初めてだっただろう。本人も珍しそうに辺りを見回している。
さすがのロメスも丁寧に接している。カイエスとロムセルも、ささっと卓上の書類を片付け、椅子を勧めた。
相手が貴族となると、さすがのカイエス達も無駄口はきかない。黙って全てを用意し、提供するのみだ。
「うちのフォルが嬉しそうに話してくれるのだが、こちらはかなり雰囲気が違うものだな」
「こちらは戦う人間の為のものですから、自ずと装飾性はなくなります。ですがフォル殿は皆にも可愛がられておりますよ」
「いや、ありがたいことだ。フォルはかなり騎士団に憧れているようだからな」
カイエスが飲み物をカンロ伯爵に勧めると、ちょうど正装が暑かったのだろう、のどが渇いていたらしい伯爵は笑顔になった。
そこでロメスに目で合図され、カイエスとロムセルは共に退出する。
部屋にはカンロ伯爵とロメスの二人きりとなった。
「カンロ領にお戻りになられるのでしょうか。夫人とフォル殿はご一緒に?」
「ああ。明後日に出発する予定だが、二人はこちらに置いていくつもりだ。・・・ロメス殿、カレンをよろしく頼む。それを言いに来たのだ」
カンロ伯爵はカレンの従者三人がロイスナーに戻ったことを知っていた。出発する前にドルカンが挨拶に来たとのことだった。
「隣国と言っても、こちら方面への出兵とは限らない。あの国もまた色々な国に仕掛けているからな。何も起こらないかもしれないが、・・・もしも戦となったら何が起こるかも分からない。それはロメス殿の方が、お詳しいだろうが」
「そうなりますと、カンロ伯爵の姫君達もロームに避難させるおつもりでしょうか?」
「もしも戦となるようであればそれも考えたいと思っている。人質にされてはたまらないからな」
戦の際、高位貴族やその家族は捕虜として狙われることが多い。カンロ伯爵もその点を気にしているようだった。ましてやカンロ伯爵家の姫君達は若く美しい娘達だ。略奪しようと真っ先に狙われるだろう。
「ロメス殿、私はカレンが可愛い。できるなら安全な所でいてほしいと思っている。もしもこのことを知ったら、カレンは何があってもロイスナーに戻るだろうが」
「なぜ、カレンが?」
「ロイスナーはその為にあるからだ。カンロを守る主要な砦をロイスナーが引き受けている。勿論、カレンがいなくてもそれは機能するが、・・・ロメス殿もお分かりだろう、その主がいるのといないのとでは、かなりの違いが出るということを」
「・・・・・・」
どんな強い軍も指揮官がいなければバラバラになる。そのことは、ロメスとて言われるまでもなく知悉していた。
どんな集団にも頭は必要なのだ、きちんと間違いなく動く為にも。
「領主としては、ここは何があってもカレンを連れて帰るべきなのだろう。だが、あえて私はカレンには知らせたくない。・・・愚かだと笑ってくれてかまわんよ」
「いえ」
カンロ伯爵の自嘲に、ロメスもそうとしか言えなかった。
ロメスとて、これがカレンでなければ連れ帰るべきだと忠告しただろう。平常時ならいざ知らず、非常時にそのトップがいるのといないのとでは、雲泥の差だ。そんなことも分からない領主など、無能としか言いようがない。
それでも。
愛する者を危険な場所になど、どうして追いやれるだろうか。
「といっても、あの国のことだから内乱の可能性もあるが」
「そうですね。こちらも追加の情報を待っているところです」
まだ情報が少ないだけにカンロ伯爵も見極めが難しいらしい。ロメスにももっと詳しい話を聞いていないかと訊いてきたが、お互いに持っている情報は同じ程度だった。
「もしも戦となったらロメス殿も出られるのか?」
「はい。三軍のどこがそちらに向かうかは分かりませんが、ご一緒に戦うことになるかと存じます」
「それは心強い」
カンロ伯爵が顔をほころばせる。
「何と言っても、ロメス殿の武勇は有名だ。その際にはよろしく頼む」
「出来る限りの力を尽くさせていただきます」
そうしてカンロ伯爵は「では、出立の用意があるので」と、去って行った。
それを見送り、ロメスは考え込んだ。
(ロイスナーが見張りの砦を引き受けている、か・・・)
ロメスは、かつて地下牢で出会った娘の姿を思い出した。難攻不落の城に住む娘の姿を。
(カンロ伯爵だけじゃない。おそらくあのドルカン達も、そうなるとカレンをロームに置いておきたいと思うだろう。たしかに頭は必要だ。しかし戦の時は誰もが血に狂う。そんな場所にどうして彼女を置いておきたいと思うだろう。俺とて、カレンを危険かもしれない場所に行かせたくなどない)
ロメスは目を閉じて、今のカレンを思った。そういったロイスナーの名前にまつわる全ての荷を肩から下ろし、無邪気に日々の生活を楽しそうに送る妻の姿を。
(おそらく、ロイスナーもカレンに連絡を入れることはしないだろう)
ロイスナーもカレンがいないと困るのは分かっているだろう。
だが、あの従者達を見れば分かる。どれ程、彼らがカレンを大事に思っているのか。
カレンだけは安全な所で傷つかずにいてほしい。その為に、彼らはカレンには何も知らせずにおく筈だ。
カンロ伯爵と同じように。
ロメスと同じように。
・・・・・・誰もが、それを愛だと信じて。
その日の夕食は、香草で臭みを取ってから炙り焼きした牛肉が出た。骨付きのそれは、熱い内に齧りついてこそである。
まさに、四人は無言になってせっせと食べていた。集中しないと、滴り落ちる脂で服まで汚してしまうからだ。手は、勿論ベトベトである。しかし、それが美味しいのだから仕方ない。
「骨の髄をスープの出汁にいたしますからね、骨は残しておいてくださいましね」
「ふふ、さすがに骨まで食べないわよ、リナさんったらもう」
「それがですね、カレン様。坊ちゃまったら、ちゃんと注意しないと、骨を割って髄まで食べてしまいますの」
「えっ!?」
そんなリナの言葉に、カレンが信じられないといった目で、ロメスを見る。どこまで意地汚いのかと思っているのだろう。それが表情に出ている。
「いや、カレン。そこで馬鹿にするなよ。結構うまいんだぜ?」
「・・・まあ、そういうことにしておいてあげてもいいけど」
「信じてないな。一度やってみろよ。そのままバキッと割って、中身を啜ればいいのさ」
「私はスープになるのを待ちます。・・・大体、ロメスったらその体のどこにそんなに入るのよ」
「普通だろ。カレンが小食なんだ。もっと食え」
「十分食べてるわよ」
そんな二人をネイトとリナはにこにこと見守っていた。
三人の従者がいなくなってかなり気落ちしていたカレンだが、その分、ロメスとの仲は近づいているらしい。自然と寄り添う時間も増えているようである。
「坊ちゃまに関しては諦めておりますから、もう髄でも何でも食べててくださいまし。その内、意地汚く骨まで齧りついて歯を折ってもしりませんからね」
「誰がそんな間抜けなことをやらかすってんだ」
「まあまあ、坊ちゃん。そういえば昔、お小さい頃にそんなこともありましたな」
「いつの頃の話だ。忘れろ、ネイト」
口うるさいのはリナなのだろうが、ロメスに対してグサッとくる言葉を言うのはネイトの方だ。カレンもくすくすと笑う。
いつも通りの夕餉の時間だった。
「さあさ、食べ終わったなら湯あみの用意もしてありますからね。カレン様もゆっくりしてきてくださいまし」
「ありがとう、リナさん」
本来は濡らした布で体を拭く程度だが、ロメスが何かと血まみれになってくることもあり、その汚れを効率的に落とす為にも、この屋敷は水を引きこんで気兼ねなく使えるようにしてあった。
夏の暑い時期なので、そこまで熱くお湯を沸かす必要もない。
ぬるま湯程度だが、やはり全身を浸して洗うとさっぱりするもので、カレンも気に入っていた。
水を入れる革袋。そして携帯用の食糧。それだけは決して外せない。何が起こるか分からないのだから。
何か起こった時の為にも、布も必要だ。怪我した時、何かを固定する時などにも布は欠かせない。着替えは最低限でいい。大事なのは自分自身が辿り着くことだと教わった。
「逃げ出す算段か、カレン?」
そこへ声が掛けられる。驚いてカレンは振り返った。
いつの間にか部屋の扉が開いていて、そこにロメスが立っていた。
「ロメス・・・。びっくりした、いきなり声を掛けないで」
「そりゃ悪かったな。で、何をやってるんだ?」
そのまま扉を閉めて部屋に入ってくるロメスはかなり機嫌が悪いようだった。カレンも何と言ったものかと、とっさに言葉が出ない。
「旅支度、か。・・・聞いたのか、カレン」
それはもう、質問ではなかった。そこでカレンははっと気づく。
「・・・ロメス。あなた、知ってたの? もしかして、・・・私が知らなかったら、そのまま隠し通す気だったの?」
「どうかな。言ったかもしれないし、言わなかったかもしれん。・・・誰から聞いた?」
「どうして、そんなこと、訊くの?」
警戒心を滲ませて、カレンが訊く。それを自分から聞き出してどうしようというのか。
「・・・まだ未確認すぎてあやふやな情報だ。この時点で誰もが動くには至らん。知ってる者も限られる。にもかかわらず、それをお前の耳に入れることができたとしたら、そいつは間諜の可能性もある。・・・誰から聞いた、カレン?」
嘘だったが、真面目な顔でロメスが言うと、まさかという顔でカレンは素直に答えた。
そんな理由とは思わなかったのだ。ロメスは真面目に対応する為に質問してきたらしい。そうなるとカレンとて隠す必要はなかった。
「え・・・。多分、貴族の人だと思うけど。・・・今日、お城に行ったら、その入り口の所で『おや、たしかカンロ伯の所の・・・。お互い、災難ですな。うちもすぐに出発しますよ』って言われて・・・。どこの方か分からなかったけど、あちらが私を知ってる以上、失礼になったらいけないからお名前なんて訊けなかったし・・・」
「なるほど。・・・それならカンロ以外の領主か。なら知っていてもおかしくない」
ロメスがそう言うと、カレンはその人が間諜ではなかったのだと安心した。ほっと胸を撫で下ろす。
ロメスにしてみれば、軍の人間からの情報だとしたらきっちりカレンに言って良いことと悪いことがあるのだと、明日にでも体に教え込むつもりだったのだが、さすがにそういうことでは仕方ないと判断していた。
「それより、ロメス・・・。あなた、私には何も言わないつもりだったの?」
カレンにとっては、そっちの方が気になることだったらしい。ロメスは既にカレンにこの話が伝わっている以上、ここで頷くべきではないだろうと思考を巡らせる。
「そうだな。きちんとした情報が入るまではお前の耳に入れるつもりはなかった。噂に惑わされて、軍隊ですら壊滅状態に陥ることは多々ある。確実な情報が入ってからお前に話すつもりだった」
そこでロメスはカレンに一歩近づき、その髪を掬い上げる。まだ濡れている黒髪は、その手に水滴を移した。今、間違いなく自分のこの手にある存在は、けれどもそのまま違う場所に去ろうとしている。
ロメスは瞼を少し伏せた。
いつもと同じ夕食。それでも少し、カレンの動作に違和感があった。そういった違和感は大事だ。それを疎かにしないからこそ、ロメスは生き残ってこれたし、小さな予兆に気づくことができる。
「なあ、カレン。お前は? お前こそ、俺に何も言わずに行くつもりだったのか?」
「・・・だって、だってロメスは・・・、きっと私を行かせてくれないもの」
「どうして、そう思う?」
そう尋ねると、カレンは目を伏せる。
特に悪いことをしているとは思っていないらしいが、同時に静かな口調ながらロメスの声が怒りを内包していることを感じとっているようだった。
「カレン?」
「だって、・・・みんな、そうだもの」
「みんな?」
カレンが悔しそうに唇を噛む。その顎に手をやって、ロメスはその口を緩めさせた。
「カレン、唇を噛むな。傷つくだろう。何がみんながそうなんだ?」
「だって、みんな、そうだもの。私が危なくなると思ったら、絶対に私に言わないもの。・・・私が必要でも、それでもみんな・・・・・・」
そこではらりとカレンの目頭から涙が零れる。
「ロメスだってそうなんでしょ。結局、みんな私には何も教えようとしないのよ。本当に大事な時には」
「・・・泣くな、カレン」
その頭を撫でると、ロメスのシャツをカレンが握りしめてくる。その指をゆっくりとほどいて自分に抱きつかせながら、ロメスなりにカレンへの認識を修正していた。
(なるほど。全く気づかないってわけじゃないんだな)
ついでにカレンの推測は正しい。実際、ロメスはカレンに何も言うつもりはなかった。そんな自分の行動は読まれていたようである。
・・・だが、どんなにここでカレンに疑惑を抱かれていても、最後の最後まで否定する。それが正解だ。
大抵の男は最後まで嘘を貫き通す根性がなさすぎるのだ。自分の女に対して嘘をつこうと思ったら最後まで貫かずしてどうするというのだろう。
「今まで、そんなことがあったのか?」
「・・・ロイスナーを手に入れる為に、私の周りの人を攫って脅しをかけてきたりとか・・・。だけど、そういう時、みんな私に何も言わなかったの。・・・私の為に見殺しにする方を選んだの。私は、・・・そりゃロイスナーは渡せないけど、助ける為に努力したかったのに」
「そんなことをする奴は何が何でも目的を達するまで卑怯な手を使う。お前を踏みにじられるわけにはいかなかったんだろう。誰もが、お前を愛していたんだ」
「・・・知ってる。けど、私だって、みんなを愛しているのに」
「ああ。分かってるよ。・・・カレンもみんなを守りたかったんだな」
こくりとカレンが頷く。その涙が自分のシャツを濡らしていくのをロメスは見ながら、それでもと思っていた。
どれ程にカレンの気持ちに寄り添う言葉を織り出しながら、それでも自分とて同じ状況なら見殺しにすることを選ぶだろう。誰もがうまく助かるだなんて方法はまずない。選べるのは、何を切り捨てるか、程度のことだ。
今ですら、自分はこの腕の中にいる存在をどうやって閉じ込めるべきだろうかと考え続けているというのに。
「ロメスも・・・、私を、・・・・・・行かせるつもりなんてなかったんでしょ?」
「どうしてそう思う?」
「ロメスだってそうじゃない。いつもいつも私が危険なことは絶対にさせないもの。・・・行かせるわけ、ないもの」
しゃくりあげながら指摘するカレンは正しい。その通りだ。
「そうだな。・・・俺は行かせたくない。お前が危険なことになるかもしれないと思うだけで、この身が張り裂けそうだ」
「ロメス・・・」
「ここが、嫌いか?」
「好きよ。みんな優しいもの。いつだって」
「俺の傍で暮らすのは嫌だったか?」
「嫌じゃない」
「・・・だけど、お前はロイスナーに帰りたいんだろう?」
そうロメスが優しく確認すると、弾かれたようにカレンが顔を上げる。その涙で真っ赤になった目は、それでも何かを伝えようとロメスをまっすぐ見上げてきていた。うまく言葉にならないのか、口を開けようとしては声が出ないで閉じている。
「あのっ、ねっ、ロメス・・・」
「ああ」
「別にここが嫌いじゃないの」
「ああ」
「一緒に暮らすのも楽しかったの」
「ああ」
「だけどっ、だけどねっ、・・・私しかいないのっ」
「ああ、分かってる」
ロメスとて軍人だ。砦の重要性など言われるまでもない。・・・これがカレンでさえなければ、無理矢理馬車に放り込んででも即座に向かわせただろう。
そしてまた自分の立場を理解しているカレンが何をどう望むかも、ロメスとて理解しないわけではなかった。
「カレン。いつか言っただろう? お前はこの俺も含めて好きにしていいのだと」
「・・・ロメス?」
ロメスは寝台にカレンを腰掛けさせ、その前にしゃがみ込んで視線を合わせた。涙に濡れた顔は、どこまでも捨てられた子猫のように身の置き所がないといった様子である。
「お前の望みは叶えると言った筈だ。・・・ロイスナーの人間のことは知らん。だが、俺にだけは隠すな、カレン。俺にしてほしいことは何でも言え。俺はお前に伝えてあった筈だ」
「・・・え。だけど、だって・・・」
「カレン。お前は俺に望んでいい。何がしたい? 何がしてもらいたい? まずは俺に言え。お前の願いは全て叶えよう」
目を丸くしたカレンの涙を拭ってやりながらロメスが言うと、しばらくしてから、カレンが小さくふふっと笑った。
「・・・川での水遊び以外は?」
「そうだな。川での水遊び以外は」
ロメスが片目を瞑って同意する。
二人でいたずらっぽく小さく笑いあうと、おずおずとカレンが切り出す。
「あのね、ロメス」
「何だ?」
「ロイスナーに帰りたい」
「・・・明後日、カンロ伯爵がカンロに向かうとのことだった。その馬車に同乗させてもらってもいいが、もっと早く帰りたいというのであれば、お前の為に兵士と馬を出そう。馬車よりも馬の方が早いからな。その時はきちんと精鋭をつけてやる」
まさかそんなに簡単にロメスが了承するとは思っていなかったのだろう。カレンがまじまじとロメスを見つめてくる。
そして、不安げな顔になって、小さな声で尋ねた。
「・・・ロメスも、落ち着いたらロイスナーに来てくれる?」
「お前がいる所なら、どこにでも行くよ」
「ここに戻ってきてもいい?」
「この屋敷はお前のものだ。お前以外の女主人は存在しない。ずっとお前を、この屋敷は待ち続けるだろう」
そこでカレンがロメスに抱きつく。さすがに中腰だった為、ロメスがひっくり返ると、その上に乗っかった状態で、カレンが笑った。
「あのなあ、カレン。せめて体勢を考えてくれ」
「あのね、ロメス」
「何だ?」
「・・・疑ってしまってごめんなさい。ロメスは伯父上のことまできちんと聞いていてくれたのに」
「いいさ、気にしてない。・・・そりゃ、少しは傷ついたが、な」
そう言うと、カレンが申し訳なさそうな顔になる。最初から何も言わずに帰るつもりだった自分を恥じているようだった。少なくともロメスがカンロ伯爵の予定まで把握していたのは、カレンが望んだら一緒に帰らせるつもりだったのだろうと判断したらしい。
(だが、その疑惑は正しかっただけに、な。やはり何事も自分を過信すべきではないということか)
きちんと囲い込もうと思ったなら、もっと情報管理を徹底させておくべきだったのだ。
ロメスは次に向けて既に考え始めていた。
今回はロイスナーに戻すしかないだろう。ここでカレンの自分に対する不信を育むわけにはいかない。
それに、あのロイスナーの城ならば簡単には落とされないだろう。かえって居場所がはっきりしている分、いざとなればどうにでもなる。
「なあ、カレン」
「なあに?」
「約束してくれ。今後は決して俺に何も隠し事はしないと。・・・ちゃんと俺に話してくれ。お前が俺の知らないところで無茶したり傷ついたりなどといったことは、俺には耐えられない」
「・・・ごめんなさい。約束する。もう二度と、あなたに黙って何もしない」
「いい子だ」
そこで額にキスすると、いつものようにカレンはくすぐったそうに笑った。その頭を撫でてやりながら、ロメスが言う。
「やっぱりお前は笑顔の方が似合うよ、カレン」
「あのね、ロメス」
「何だ?」
「大好き」
「ああ、俺もだよ」
床に座り込んだままのロメスに抱きついてくるカレンは、先程までの泣き顔が嘘のようだ。まだ目は赤かったが、それでも信頼しきった顔をロメスに向けてくる。
疑っていた分、それが晴れたとなると、全てにおいてロメスは信用できると判断したのだろう。
「ねえ、ロメス」
「何だ?」
「本当に私の言うことは全て聞いてくれるの?」
「そうだな。・・・月を取ってこいとか、そういうのは困るが」
「水浴びも駄目なのよね」
「そうだな。絶対に駄目だな」
くすくすと笑いあいながら、二人で額や頬を軽く合わせて、ついばむようなキスをする。
「ねえ、ロメス」
「何だ?」
「私、・・・ロメスの本当の奥さんじゃないんでしょ」
「お前以外の妻はこれまでもこれからも存在しないよ」
「だけど・・・」
「あのな、カレン」
ロメスはカレンの言葉を遮った。
「俺はお前の全てを叶えると言っただろう? お前の望まぬことをするつもりもない、と。愛してる、カレン。だからお前が望まない限り、お前を奪い尽くすつもりはなかっただけだ」
カレンは真っ赤になった。真摯なロメスの紺色の瞳が、言葉にしない想いを深く伝えてくる。もじもじとしながら、カレンは下を向いて尋ねた。
「・・・ロメスって、もしかして、かなり、私のこと、好きなの?」
「知らなかったのか?」
そりゃ意外だなというニュアンスを含ませたロメスの言葉にカレンが更に下を向く。あれ程、愛の言葉を向けられていて、知らなかったなどということはない。
ただ、・・・確認したかっただけだ。
「ううん。知ってた。・・・あのね、ロメス」
「何だ?」
カレンは顔を上げてロメスを見た。いつだってロメスはカレンに優しい。今も焦らずにちゃんと聞いてくれる。改めてそれを実感する。
最初は傍若無人で粗野な男だったのに、いつの間にか誰よりも近しい存在になっていた。
カレンは全身真っ赤になって、その言葉を絞り出す。
「好き。・・・誰よりも愛してるわ」
「・・・ああ、知ってる」
その言葉を言うだけで指の先まで赤くなっているカレンを見たら、誰でも分かるだろう。
ロメスはそのうなじと腰に手を添えてカレンの顔を上向かせる。恥ずかしそうに視線を横にしようとするが、それでもカレンは抵抗しなかった。
「俺も誰よりも愛してるよ、カレン」
二人は目を閉じて、角度を変えながら深いキスを交わした。
二人にとって長く短い時間が終わると、力の抜けたカレンがその身をロメスにもたれさせて呟く。
「あのね、ロメス」
「何だ?」
「私の全てを、奪い尽くして」
口づけの余韻で目を開ける気力もないカレンの瞼に、ロメスが口づけを落とす。
「あなた以外にされたくないの。お願い・・・」
かなりの勇気がいったのだろう、その体が震えているのがロメスにも伝わってくる。ロメスのシャツを強く握りしめて縋りついてくるカレンの瞼はぎゅっと閉じられ、そして羞恥の涙が滲んでいた。
「・・・カレン。お前のその言葉だけが聞きたかった」
その赤く染まった耳元に小さなキスをする。
寝台にカレンを運んで横たえると、ロメスは灯りを消した。
そうして。
二人にしか聞こえない小さく囁かれる愛の言葉と吐息、そして二人しか知らない時間が流れていった。
カンロにあるカンロ城。
現在、そこを仕切っているのはカンロ伯爵の長女であるエイリ姫である。父の不在もそれなりの経験として努力していたエイリだが、王都ロームから隣国に兵を集めている動きがあるという報がもたらされたのは昨日のことだった。
「あまりご案じめさるな、エイリ様。伯爵もいずれこちらにお戻りになられましょう」
「ええ、それは分かってるけど・・・」
「それに戦と決まったわけでもございません」
そこへぱたぱたと文官が入ってくる。
「失礼いたします。王都ロームよりカレン様がお戻りになりました」
「まあ、カレンが!? すぐに通してちょうだい」
「はっ。ですがカレン様は、王都の騎士様方に守られて馬でお戻りになったとのこと、騎士様と兵士の方々にはゆっくり休めるよう取り計らってもよろしゅうございますか?」
「勿論よ。丁重にね。・・・あまりにも早すぎるわ、きっと無理して駆けてきた筈よ。お食事もお部屋もきちんとおもてなししてちょうだい」
「かしこまりました」
エイリにとってカレンは特別な従妹である。その知らせに、エイリの声にも隠せない喜色が混じった。
やがて、数名の騎士を連れたカレンが案内されてくる。
白いシャツに黒いズボンといった男装ながら、上に羽織ったロイスナーの紋章をつけた上着と腰に締めたサッシュの質が、おろそかにしてはならぬ相手であることを伝えてくる。それは、黒い巻き毛もあって独特の存在感を醸し出していた。
「カレンッ、会いたかったっ」
「お久しゅうございます、エイリ姉上。ただいま、戻りました」
エイリがカレンに抱きつく。カレンもまた笑顔になり、従姉の体を抱きしめた。
「カレン、カレン・・・」
「ああ、ほら、泣かないで、エイリ姉上。幸せが逃げていっちゃいますわよ。ね? ほら、可愛いお顔が台無しですわ」
そう言って、カレンがエイリの眉間をつつくと、その手を取って踊り出す。
「新しいダンスを覚えてきましたの。ほら、こうやって一緒に踊りますのよ。ね? 面白そうだと思いません?」
「カーレーンーッ。もうっ、あなたって人はっ」
まさかカンロ城での執務室で、その代行とはいえ主の手をとって踊り出すのだから、どこまでもカレンである。
さすがのエイリも笑い出さずにはいられない。
さすがに周囲にいた文官達もあっけにとられる。付き従ってきた騎士達も同様である。
「ロイスナーのカレン様か。・・・たしか、王のお声がかりでご結婚されたと聞いておりましたが」
「しかしお戻りになってくださったというのは心強い。何と言ってもロイスナーの女主人だ」
「エイリ様のお従妹君と聞いておりましたが、・・・印象は全く違いますが、本当にどちらもお美しい」
「王都の騎士団でも出世頭の男と結婚なさったのではなかったかと」
ひそひそと、文官達が囁き合う。
城に長年勤め、カレンを見知っている人間にとってカレンの奔放さはいつものことだったが、あまり知らない人間にとっては度肝を抜かれる光景だった。
男装している女性など、まず見ないからだ。それでも隠しきれない美しさと、何よりも男装していても尚、周囲に侮らせない存在感がある。
「カレン様・・・。実はかなりお茶目な性格だったんでしょうか」
「そうかもな。考えてみれば、王都や我々の前では住み慣れた故郷と同じようにはいくまい。それにカンロのエイリ姫とはお従姉妹同士と聞く。姉妹に近いものがあるんだろう」
護衛としてついてきた騎士の一人がロムセルに尋ねると、ロムセルも苦笑せずにはいられない。
こんなカレンの姿を見られると知っていたら、それこそあの上司が一緒に来ていたことだろう。・・・絶対にそんなことをさせるわけにはいかないが。
男装とはいえ、黒髪の巻き毛も艶めいて美しい娘が、金の滝が流れるかのような緑の瞳をした美姫を相手に踊っているのだから、目の保養と言えなくもない。
だが、それこそ花の咲き乱れる庭園ならばいざ知らず、どこまでも場所を間違えているとしか思えないのも事実だった。
踊りながら、カレンのよく通る声が執務室に響く。
「ふふ、エイリ姉上。ご安心くださいな。伯父上は馬車ですので少し遅れると思いますが、既にカンロに向かっておいでです。それに・・・ロイスナーからはまだ何も連絡が入ってはおりませんでしょう?」
「え? ええ」
「では、まだこちらに向かっている軍は存在しません。私も伯父上が戻るまではこちらに滞在させていただき、伯父上が戻られましたらロイスナーに戻ります」
「えっ、本当に? じゃあ今日はここに泊っていってくれるのね」
「ええ、エイリ姉上。・・・決して我らロイスナーはあなたを一人にはしませんわ」
「カレン・・・。お帰りなさい」
「ええ、姉上。長らくお待たせしました」
そこで動きを止めた二人に、長年伯爵の傍で働いてきた男が近づく。
「カレン様。よくぞお戻りになられました」
「お久しぶりですわ。・・・申し訳ないのですけど、ロイスナーに知らせを出してくださいます? 迎えに来てもらいたいんですの」
「勿論でございます。エイリ様、ロレア様もお心強くいらっしゃいますでしょう。どうぞそれまでは当城でごゆるりとご滞在くださいませ」
「恐れ入ります。よろしくお願いいたしますわね」
花咲くような笑顔を浮かべると、そこでカレンはエイリに向き直る。
「・・・ところで姉上、ご紹介させていただきますわ。こちらが王都騎士団のロムセル・フォネリアル様。カンロまで馬を飛ばしてくださいましたの。ロムセル様、こちらがカンロ伯爵の長女にあたられるエイリ様ですわ」
そこでロムセルは膝をつくと、エイリの手を取ってその甲に口づけるかのような仕草をして挨拶をする。
「カレン様の夫にあたられるロメス・フォンゲルド様の部下、ロムセル・フォネリアルでございます。小さなフォル様もお可愛らしくいらっしゃいましたが、さすがにその姉君だけあってお美しい。お目にかかれて光栄でございます」
「まあ。フォルもお世話になってますの? ありがとうございます。この度はカレンがお世話になりました。どうぞ旅の疲れを落としていってくださいましね。すぐに休める部屋をご用意させていただきますわ」
「ふふ、姉上。フォルったら、王都騎士団の鍛錬場で玩具の剣を振っては、皆様にお相手してもらってますのよ」
「まあ、本当に?」
あのフォルがと、涙ぐむエイリは、まさにカレンとは違うタイプの美しさである。カレンがどちらかというと妖艶な雰囲気を持つならば、エイリには硬質の輝きがある。
ロームにいる時は、どちらかというと純朴であどけない印象だったカレンが、カンロに戻っただけでその雰囲気を変えるとはと、ロムセルはまさに魔法を見ているかのような思いだ。
(女性とは様々な顔を持つとは言うが、・・・なるほど、ロメス様が執着するわけだ)
太陽の下、小さな従弟を相手に玩具の剣で遊ぶ姿、水遊びしたいと駄々をこね、ロメスに頑固おじいちゃんと捨て台詞を残して駆け去る姿、ロメスのちょっとした戯れに真っ赤になる姿、・・・それらも決して嘘ではないのだろう。
しかし、この城に到着してからのカレンはどうだろう。
城にいる人間全ての注目を集め、それに怖じず、そこの女主人であるエイリ姫の支えになるべく既に意識を切り替えている。
ロムセルは、かつてこのエイリを含むカンロ等の領主の姫君達とロメスとの間に縁談があったことも知っている。改めてエイリを見、その美しさに驚かされたのも事実だ。
(だが、やはりロメス様だけはある。カレン様のような女性はそうそういない)
ロイスナーとは、カンロでの主要な砦を管理する一族でもあるという。
カレンは堂々とカンロ城の執務室で踊るといったことをやらかしても、誰にもそれを咎められない存在感を皆に印象づけた。同時に、その伯爵代行であるエイリ姫を支えるといった立場をも、カレンは明確に口にした。
(いくら伯爵代行といえども、年若い女性であるエイリ姫を侮る人間もいたことだろう。だが、カンロを守る砦は命綱だ。そこへいくらカレン様が年若い女性でもおろそかにはできない相手であることを、まだロイスナーが動いていないなら軍は来ていないのだと言い切ることで、改めて皆に思い出させた。同時に、そのロイスナーのカレン様がそこまで大事にするのはエイリ姫だとも示したのだ)
従姉妹同士とはいえ、そこに血縁ばかりか、紛れもなく情の絡んだ絆があると、カレンは分かりやすく皆にこの一幕で教えたのだ。
王都騎士団に属する自分達が護衛してきたことも、カンロとは違う守りがカレンにあることを皆に改めて記憶させたことだろう。領主である伯爵よりも早く動ける機動力を誰もが実感した筈だ。
今、カレンに対して大きく出られる人間は存在しないだろう。
(なんとまあ、こんな真価を隠しておいでだったとはな、カレン様も。しかし、そうなると困った事態になりそうだ)
ロメスのことだ。どうせほとぼりが冷めたらカレンを自分の手元に確保するつもりだっただろう。
しかし、これほどの存在感のあるカレンを、カンロの人々が手放すとはとても思えない。自分とて、反対の立場なら王都になど持って行かれたくないだろう。
ロムセルは、周囲に悟られぬよう、溜め息をついた。
夏が過ぎ、秋が終わり、冬の凍てつく時期も次の季節へと移り変わった。
蒲公英の花が、あちこちで黄色い姿をそよ風に揺らしている。
「うーん、今回も失敗したらしいな」
そうぼやく男は日の差さない地下で、周囲を二重にした鉄格子の中に閉じ込められていた。
「馬鹿でしょ、馬鹿よね、馬鹿以外の何物でもないわよね」
「それはイヤミか」
「紛れもない貶し言葉よ」
二重になった鉄格子の向こうに現れた娘は、どこまでこいつは間抜けな狸なのかしらといった表情である。
セピア色のシャツに黒のスカートを身につけた姿は地味なのだが、存在感がある。くるくるとした黒い巻き毛を後ろにまとめて赤いリボンで括っていた。
「どうせ俺は馬鹿だよ。で、俺をどうする気だ?」
「どうするって言われても、・・・・・・大体、あなた、どうしてここにいるのよ?」
「そりゃ、難攻不落の城に住むという娘に会いたかったからだろう?」
そうふてぶてしく答える男は、黄赤色の髪を撫でつけた、かなりの色男である。少なくともこんな場所でなければ女が放っておかないだろう。
だが、対する娘は、黒髪の巻き毛を掻き上げて、もう馬鹿につける薬はないといった風情である。
「言ったわよね? その城に住む娘さんって言われている人、実は生きてたらもうよぼよぼのおばあちゃんだって」
「そんなことはないさ。ちゃんと目の前にいるだろ?」
紺色の瞳に面白がるような光を瞬かせて答える男に、娘も何と答えたものやらと呆れかえるしかない。やがて溜め息と共に手を挙げてどこぞに合図すると、全ての鉄格子が上がっていく。
二人の間を隔てるものがなくなった時点で、男はニヤリと笑った。
「だが、忍び込んだ価値はあると思わないか?」
「どこがよ?」
「ちゃんとお前に会えた」
「何よ、それ」
カレンはつかつかとロメスに近づくと、その頬を両手で引っ張った。
「いひゃいんだが?」
「あーなーたーのーおーかーげーでーっ、またもや地下道の入り口を違う偽装しなきゃいけないじゃないのっ」
「あー、悪い悪い」
どう見ても反省なんてしていないと分かる軽さだった。ぴきっとカレンの額に青筋が走る。
「ちゃんと門から来ればいいでしょっ。どうしてこんな面倒な所から来るのよっ」
「いや、こっちから入ればお前に会えるのかなー、なんて」
黙ってカレンはその能天気な男の頭をはたいた。
カレンの拳など最初から大した問題ではない男は気にした様子もない。
そのままカレンの体を抱きしめた。自分よりも華奢な体をその腕に閉じ込め、彼女にだけ聞こえるように耳元で小さく囁く。
「約束通り会いに来た。・・・愛してる、カレン。ずっとお前の顔だけが見たかった」
「私も・・・会いたかった」
しかし、そこで流されてはいけないのである。
カレンはすぐに身を離すと、きりっと男を見上げ、その鼻に人差し指を突きつけて念を押した。
「・・・いーい、ロメス。今度はちゃんと門から来ないと、数日間ここでご飯無しの刑にしますからね」
「分かった分かった。ちゃんと反省する」
肩を竦めてロメスが言うと、カレンもそこで許してやる気になったらしい。
「ほら、ちゃんとついてらっしゃい。・・・全く、もう、どうしてこんな面倒な通路を使おうとするのかしら」
「・・・そうは言うが、やはりお前のそういうプンプン怒っている顔も見たかったんだよな」
「ロメスッ」
そんな二人が地下道を上がって出たロイスナー城の庭では、太陽を思わせる黄色い蒲公英が揺れていた。
「ケイス将軍、ケイス将軍はどちらにおいでですかぁ?」
そんなまだ青年にもなっていない少年の声が響く。
「おや。あれは・・・」
「ええ。最近、うちに入りました騎士見習いの少年です」
「あれがかの・・・。ではそろそろ失礼いたします、ケイス将軍」
「はい。わざわざありがとうございました」
男が立ち去ると、カロンは自分を捜す少年に向かって声を張り上げた。
「ここにいる。何かあったか、トレスト?」
「そちらでしたか。良かった、見つかって」
まっすぐな黒髪に紺色の瞳の少年が、カロンを確認して嬉しそうに走り寄ってきた。
「まあ、あまり最初から張り切るな。すぐに力尽きてバテるのがオチだぞ、トレスト」
「ですが、ケイス将軍の屋敷にも住まわせていただいてますし、これくらいは・・・」
トレストは、カロンの屋敷で暮らしている。トレストにも王都内に家はあるが、本人がそこは嫌だと逃げ込んできたのだ。
どうせ部屋は余っているし、トレストは働き者なので、カロンにとってもそれはそれでかまわないのだが、つくづくとトレストは損しているのではないかとカロンは案じずにはいられない。
「だがなあ、トレストは近衛騎士団の入団資格もあるし、更に王都騎士団に行ってもすぐ出世できるだろう。わざわざうちに来るんじゃ、せっかくの将来性を潰しているのじゃないかと思うんだがな」
「あははは。ありがとうございます。だけど、近衛騎士団なんてお貴族様が多いって話じゃないですか。俺には無理ですって」
朗らかに笑う少年は、人懐っこい。元々の身体的な資質も高いのだが、カロンが自分の手元に置いているのは、それなりの理由もあった。
「王都騎士団に行けばかなり順調に出世できるだろうに」
「・・・ケイス将軍は、俺に死ね、と?」
トレストがぶるりと身を震わせる。
ひどいです、俺を見捨てるんですねと、そのカロンを見上げてくる表情が、言葉は無くても雄弁に語っていた。
「いくらなんでも死ぬことはないだろう。どちらかというと、保護してもらえるのでは・・・」
「あー、あり得ません。太陽が西から昇ってもあり得ません」
「そうか」
そう言いきられてしまうと、カロンも反論はできない。
「だけど俺、ケイス将軍の下で良かったと思ってますよ。だって、母も言ってましたし」
「何と?」
「ケイス将軍は男の中の男だって。いや、ホント、あれで母も見る目はあるんですよ。父以外に関しては、ですけどね」
「それは光栄だな」
カロンも苦笑せずにはいられない。
「ほう。そりゃ知らなかったな。まさかトレストがこの父に対してそう思っていたとは」
「げっ、父上っ」
「何が『げっ』だ、トレスト」
「痛っ、痛いですっ、父上っ」
そこへちょうど後ろを通りがかったらしいロメスが、トレストの頭を片手で鷲掴みにする。カロンはやれやれと思って、その間に割って入ってやった。
「フォンゲルド将軍。うちの見習いを苛めないでいただきたいのだが」
「別に今からでもうちの配属にしてかまわないが?」
そこでカロンがトレストを見ると、真っ青な顔で思いっきり首を横に振っていた。
顔だちは良く似た父と息子なのだが、性格はかなり違っている。それでも肉体的な資質はかなりロメスと通じるものを持っていて、トレストは有望株でもあった。
「・・・生憎、うちも将来性のある若者が欲しいところなので、諦めていただきたい」
「ちっ、しょうがねえ」
さすがのロメスもカロンとやり合う気はないらしい。
「だがなあ、トレスト。お前、父親の軍を避けてって、それもどうかと思うんだがな」
「俺は自分の身が可愛いんです」
「なら誰よりも頼りになる父の所に来るべきじゃないのか?」
「冗談やめてくださいよ。父上がやらかしたアレコレ、全部母上の耳に入らないようにするってんで、兄上がどんだけカンロで胃の痛い思いをしてると思ってんですか。これで同じ軍に俺が入ろうものなら、父上の悪行が全て俺のやったことにされてしまうのがオチじゃないですか」
「・・・何だ、バレてたのか」
「どうせそんなことだろうと思ってたんですよっ」
カロンもそれを聞かされると、トレストを王都騎士団に入れるのだけはやめてやろうと思わずにはいられなかった。
「まあ、それはそれでいい。なら、どうしてうちから通わないんだ? ここに家があるってのに」
「それこそ絶対嫌です。大体、父上がやらかしたアレコレの後始末を俺に押しつけてくるのが見え見えじゃないですかっ。父上のやったことを俺のせいにされて、それで母上に軽蔑されるだなんて、絶対嫌ですっ」
「何だ、そっちもバレていたのか」
「当たり前じゃないですかっ。俺は忘れてませんよっ、父上が試し切りでロイスナーの花壇を全滅させた時、それを俺達のせいにしたことをっ」
カロンは天を仰いだ。どうもこの父と子の間には、かなりの確執が横たわっているらしい。
そこでトレストがカロンの服の裾を掴む。
「ケイス将軍、俺っ、絶対に将軍についていきますからっ」
「・・・まあ、色々と事情があるのはよく分かった」
必死だと分かる紺色の瞳に、カロンも何とも言えない気分になる。どうしてこんなにも似た親子なのに、性格はまるっきり違うのだろう。・・・・・・母親の血か。
「トレスト、お前なあ・・・。反抗期には遅くないか?」
「父上に反抗する前に、あなた、俺達が邪魔だと思ったらそのまま消しかねない人でしょうがっ」
「・・・そんなことはないと思うんだが」
「見え透いた嘘つかないでくださいよ。大体、母上を囲い込む為だけに、俺達を作ってロイスナーを押しつけたくせにっ」
「子供なんて、その為に役立たせるものだろう?」
ぬけぬけと言うロメスである。さすがのトレストもそこまで堂々と言われると、こたえるものがあったらしい。
「父上なんてっ、父上なんてっ、・・・その大嘘がバレて、母上に嫌われてしまえばいいんだぁっ」
ぷるぷると震えて言い捨てると、脱兎のごとく駆け出して行ってしまった。
見送るカロンはロメスに非難の視線を向けたが、ロメスは声を出さずに笑い転げている。
「あまり息子殿を苛めるもんではないと思うんだがな」
「アレは見た目はともかくとして、一番カレンに性格が似てるんだ。さすがにカレンを苛めたら嫌われてしまうが、あいつならいいと思わないか? ああやってちょっとつついたらすぐ涙目になって泣きそうになるところなんて、カレンそっくりで楽しいしな」
「・・・・・・」
カロンは、今日は何かトレストが喜びそうな菓子を買っていってやろうと思った。
少なくとも、トレストには父に似ずまっすぐ育ってもらいたいものである。
「それよりも聞いたか、ロメス殿? なんでも墓荒らしが出ているとか」
「らしいな。何が目的か知らんが、思想活動ってところかね」
人前なら互いを将軍と呼ぶが、人目がない時には昔と同じ呼び方になる。
何度も同じ戦いを共にした仲間だ。
二人はフッと笑いあった。
「まあ、ちょっとこっちにも来いや、カロン殿。セイランド殿も誘おう」
「そうだな。たまにはいい」
二人が消えていく先を、ただ蒲公英だけが揺れながら見ていた。




