【5】氷のグラスと最後の言葉。〜諸刃の剣であることを、主任分析官はまだ知らない〜
そのメッセージには、電話番号が記されているだけだ。
ギャレットは「失礼」とだけ言うと、会議室を出て、自分のオフィスへと向かう。
そして、ドアに鍵をかけると、ブラインドを全て下げ、デスクについた。
電話を掛けると、数コールで相手は出た。
スマホの画面に映るのは――
ヴェイル博士だ。
博士はベッドの上でスマホを固定すると、熱のせいか、ほんの少し掠れた声で言った。
「初めまして、ローク主任」
ギャレットも、無表情で返す。
「初めまして、ヴェイル博士」
ヴェイル博士が、アッシュブロンドの髪の上に氷嚢を置く。
不釣り合いな青い氷嚢を。
ヴェイル博士が微かに微笑む。
「ローウェル課長から、話は聞きました。
あの青年の最後の、言葉を忠実に再現しろと?」
「ええ。
その通りです」
「そう……」
ヴェイル博士がゆっくりと瞼を閉じる。
しっとりと濡れた長い睫毛が光を帯びる。
ヴェイル博士は、掠れた声で静かに言った。
「では、彼の言葉だけを伝えます」
そして、淡々と話し出した。
「『あの公園を知られました』
『エレナが危ない。俺さえ死ねば、全部チャラになる』
『誰にも、自殺です。俺は、自首が怖くなって自分で刺した』
『ウェルズ特別捜査官、お願いします。俺が死んでもマスコミに名前が流れないように。捜査もしないで。エレナには仕事で遠くに行ったと』
『お願いします。お願いします』
『これで、自殺です』
『エレナを頼みます』
『エレナ、好きだよ。愛してるよ』
『言いたかったな』
以上です」
すると――
ヴェイル博士は、ガリガリと粒状の物を噛み砕き出した。
ギャレットが静かに問う。
「何のお薬ですか?
水は飲まれないのですか?」
その刹那――
ヴェイル博士の熱で潤んだ淡いヴァイオレットグレーの瞳が、くっきりと紫色に光った。
ヴェイル博士は、素っ気なく一言答える。
「アスピリンです。
熱があるから」
「成る程」とギャレット。
ヴェイル博士は素っ気なく続けた。
「僕はローウェル課長の命令通り、答えました。
課長が用意してくれた、この使い捨てのスマホを使うことも、あなたとお話しすることも、もうないでしょう。
では、失礼します」
ギャレットが素早く口を開く。
「お大事に。ありがとうございました。失礼いたします」
ギャレットが、博士から通話が切れるのを待っていた、ほんの1秒たらず――
ヴェイル博士は氷がたくさん入ったグラスを画面に映した。
「このグラスが見えますか?」
「ええ」
「グラスの中の氷が、きらきらと光を反射しているのが見えますか?
この欠片一つ一つに、きらきらと輝く愛情が――
あなたは、誰にも、氷水を入れることはない」
そして、ヴェイル博士の白く細い腕が伸びたかと思うと――
画面がブラックアウトした。
ギャレットはヴェイル博士から聞いた青年の最後の言葉を完璧に記録すると、チームの全員のタブレットに送った。
そして、スマホに手を伸ばした。
直ぐに、開け放たれたギャレットのオフィスのドアの横がノックされる。
一分の隙もない身なりの、ホイットモア渉外官が立っている。
「ご用は何でしょう?」
柔らかな声音。
ダークヘーゼルの瞳も、一見柔らかく見える。
かなりの"深み"を隠して――
ギャレットが即座に告げる。
「FBI所属の精神科医、クララ・モリス博士をオーラに早急に呼べ。
FBIに関すること以外なら、どんな理由でも構わない」
ホイットモア渉外官が、「お任せを」と一言言って、音もなく去って行く。
ギャレットは分析する。
ヴェイルの言葉と行動を。
「初めまして」の意味とは?
――俺たちは既に会っている。
「では、彼の言葉だけを伝えます」
――「だけ」と彼は付け加えた。
それ以外にも何かを知っていると、わざと俺に告げる必要性は?
なぜ、あの瞬間にアスピリンを噛んだ?
普通なら、ビデオ通話の前に、アスピリンを飲んでおけばいい。
「お大事に。ありがとうございました。失礼いたします」と俺が言わなくても――
博士はグラスを見せただろうか?
なぜ、スマホをブラックアウトさせる?
通話を切れば良い。
だが、博士は電源を切った。
その理由は?
すると、ギャレットのスマホが鳴った。
相手はアッシュ捜査官だ。
「私とクロウ捜査官で、ヴェイル博士から聞いた『彼の最後の言葉』を予備プロファイルしてみたわ。
直ぐに会議室に来て」と。
ギャレットが会議室に戻ると、直ぐさまアッシュ捜査官が口を開いた。
「あの青年はエレナに恋愛感情を抱いていた。
エレナの方は分からないから、エレナは一旦脇に置くとして、ね。
そして、何らかの理由でそれを伝えていない。
でも、おかしいわよね?」
ギャレットが言葉を引き継ぐ。
「彼女の為に死を選んだのに、だろ?」
アッシュ捜査官がにっこり微笑む。
「そうよ!
死を選ぶほど、エレナが好きなら、なぜ気持ちを伝えないの?
それに『言いたかったな』と、彼は最後に言ってる。
つまり、逆に言えば『伝える』手段はあった。
でも、"あえて言わずにいた"のよ。
それに、彼は『エレナには仕事で遠くに行ったと』とウェルズ特別捜査官に伝言を残している。
そして、『エレナを頼みます』――
つまり、エレナとあの青年は"親しかった"。
特命大使の娘であり、医師であり、国内外のボランティア活動に勤しむエレナと彼は、顔見知りでもない、"親しい間柄"だったんだわ!」
ギャレットが頷くと、次にヴォーン捜査官が言った。
「それに、『あの公園を知られました』と、彼は最初に言っている。
つまり、自分の死よりも"公園"を知られたことの方が、彼にとっては重要だった。
彼を刺した犯人側の心理は――
たぶん、そこまで"公園"には拘っていない。
きっと、刺した犯人は、彼を脅す時に何の気なしに言ったに過ぎないんじゃないでしょうか?
だが、彼は"公園"という単語を聞いた瞬間に、"反応"した。
そして、エレナの危険を悟り、刺した犯人の手を逃れ、FBIまで行った。
ウェルズ特別捜査官に伝言を託す為に。
そうなると、ウェルズ特別捜査官も、ただ、ギャングの情報を持って自首する青年を、まだ、逮捕か保護かは分かりませんが、身柄を引き受けるだけの相手ではない、ということになります」
「ヴェイル博士と青年の関係は?」とアッシュ捜査官。
ギャレットの冷静な声が響く。
「FBIはヴェイル博士に、『彼の最後の言葉を伝えろ』としか命令を出していない。
ヴェイル博士は、その言葉を俺に伝えただけだ。
ヴェイル博士はFBIが総出で守っている。
だから、別角度からFBIの"姿勢"を崩すしかない」
「方法は?」というアッシュ捜査官の問いに、ギャレットは静かに答えた。
「まずは――
FBI所属の精神科医、クララ・モリス博士から切り込もう。
彼女はヴェイル博士に、医師以上の感情を持っている」
だがそれは、ギャレットをも切ることの始まりであることを、彼はまだ知らない――
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