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誘惑

帰りの電車賃も払わされ、心が疲弊して死んでしまいたいという気持ちにも陥った。


 あの時と気持ちは同じだった。


 今後いっさい涙さんとはつき合わないし、本当に嫌いになってしまった。


 家に戻り、姉さんは少し元気がなく「おかえり」と挨拶をしてくれる。


 元気がないのは今朝のことで蟠っているからだろう。


 でも姉さんの顔を見て、今日合ったことは話せないが、心が潤って来て、生きる活力になる。


 いつもなら姉さんは私に何かあると、「何かあったの」と聞いてくるが、姉さんは今朝の事で蟠っているようで、その心のゆとりがないのだろう。


 とりあえずご飯を食べる。


 ご飯を食べるときもいつもと違って会話はなく何かよそよそしい感じだ。


 でも姉さんと一緒にいれば、今日涙さんに痛めつけられた心が次第に回復していく。





 一人の夜、私は今日の事で苛むことになる。


 姉さんの件に関しては気持ちの整理が付いたが、問題は涙さんの事で疑心暗鬼が心に芽生えていた。


 涙さんのあのナイフのような鋭い目が、脳裏に鮮明に焼き付けられ、まるで呪いをかけられたかのように離れない。


 私は彼女に何をしたんだろう。


 確かに彼女から距離を置くために挨拶も交わさないように避けた。

 それがいけなかったのか。


 そこで花里先生の言葉を思い出した。


『彼女は小林さんのことを苦しめるような事はいないと思うよ』


 と。


 全然嘘じゃないか。充分苦しいよ。


 私は彼女に嫌われるような事はしていない。


 そこで思い出す。


 子供の頃、好きな人に対して意地悪をした女の子がいた事を。


 私はあの時、その女の子に構って欲しいあまりに意地悪をしてしまった事があった。


 彼女もそれと同じじゃないのか?


 きっと僕が子供の頃、意地悪をした女の子も嫌な気持ちだったんだと思う。


 その証拠に僕はこんなに苦しい。


 彼女はまた僕に好かれたいがために嫌がらせをしてくる。


 色々と考え今日は眠りにつくことが出来ず、朝を迎えてしまった。





 台所に行くと姉さんは朝ご飯の支度をしていた。


 姉さんも昨日の事に関して気持ちの整理が付いたのか?いつもの笑顔を私にくれ、今日は不安で眠れなかったが、少しだけ不安が遠のいた。


 食事中思っていた、私には姉さんがいればいいと。

 



 私は涙さんの事が怖くて、外に出ることが出来なかった。

 その時、花里先生の言葉が脳裏に浮かぶ。


『困った時は誰かに相談する事も大事』


 だと。


 姉さんに相談しようと思ったが、昨日の事で言いづらく出来なかった。


 花里先生に電話で相談しようと思ったが迷惑だと思ってやめておいた。


 今日のところは我慢した方が良い。


 とにかく私はいつものように部屋で小説を描くことにした。


 そんな時、私のスマホに電話がかかってきた。


 出版社からかと思って着信画面を見ると、見知らぬ番号だと思ってとりあえず出てみると。


「もしもし」


「おはよう小林さん」


 声からして涙さんの声だと思って全身が凍り付くようにおののいた。とりあえず私は、


「桜井さん。どうして私の番号を知っているの?」


「そんなのどうでも良いじゃん。とにかく今日は良い天気だよ。部屋にこもっていないで出てきなよ」


 こっそりと窓から下を見下ろすと彼女は下で私と今通話しているのが分かる。


 これはもう俗世間が言うストーカーという奴だと思って恐怖でパニック状態に陥りそうになった。


 このまま引きこもっていたいと思った。


 姉さんに助けを求めたいが、姉さんも昨日のことで、まだ何か悩んでいそうなので出来ない。


 どうすれば。どうすれば。


 このままほおっておこうと思ったが、黙っていると何をするか分からない。


 だから私は、


「い、今行くから」


 うろたえながらも外に出て涙さんと顔を見合わせた。


 涙さんの笑顔を見て安心する自分がいるが、すぐにだまされてはいけないと思う。


「ねえ、今日は小説の方はお休みにして私とプラネタリウムに行こうよ」


「何で私が小説を書いていることを知っているの?」


 すると彼女は嫌らしげに瞳を細めて、


「私は何でも知っているの」


 ますます恐ろしくなった。


 行きたくなかったが、行くしかなかった。行かなければ彼女に何をされるか分からない。


 そして馴れ馴れしく私の腕を掴んで、


「さあ行こうよ。今日は私がおごってあげるから」


 正直怖かった。


 でも一緒に歩いていて、すごく強引なところは嫌だが、悪い気はしなかった。


 彼女と腕を組んで、彼女の温もりを感じる。


 シャンプーの香りが鼻腔にくすぐり、しかも今気が付いたが、彼女は昨日私におごらせた服に身を包んでいて、かわいくて私が買った服を着てくれたことに嬉しく思ったりもしていた。


 でもこれは彼女の誘惑だ。


 この彼女の誘惑にとらわれたら、とんでもないことになりそうで怖くなったが、でも悪い気はしない。


 でも私には姉さんが。


 バスで揺られているときも電車に乗っているときも彼女は私の腕を組んだままだ。


 さすがにうっとうしいと何度も思ったが、ふと私を見る彼女の優しい眼差しに嫌とは言えなかった。


 これ以上彼女に好感をもたれたら大変な事になってしまうが、拒絶できない。


 私には姉さんがいる。


 だから涙さんとはそういった関係にはなれない。


 もしかしたら、このままずるずると彼女のペースにはまってしまい、とんでもない泥沼に陥るんじゃないかとさえ勘ぐるが、腕を組んでいる涙さんが私が勘ぐろうとすると、それをストップさせるかのように優しい目で見つめてきた。


 私の心を読めるのだろうかとさえ思い、分からなくなったが、とにかく今は彼女の腕に組まれながら彼女の危険な誘惑にのって、とりあえず後でちゃんときっぱりと断らないといけないと考えた。


 それと私は彼女の事は怖いが嫌いじゃない事は分かった。


 とある町のプラネタリウムにたどり着き、夏休みを満喫する学生で賑わっていた。


 ロビーに入りチケットを購入して、ようやく涙さんは私の腕を放してくれ、


「ちょっと待っていてね」


 と言って察するにトイレだと言うことが分かって何も言わず黙っていた。


 涙さんがいなくなってこのまま逃げてしまおうと考えたが、そんな事をしたら、何をされるか分からないし、彼女がかわいそうだし、いやいや、ここは逃げた方がいいんじゃないか?そうしないとお互いの為にならない。


 でも彼女が私を見る優しい目を想像すると何か逃げてはいけない気がする。


 でも彼女のナイフのような鋭い視線を想像して、今すぐにここから立ち去りたい気持ちになった時に、


「お待たせ」


 彼女は用を済ませて来たのか?戻ってきた。


「あっ、うん」


 狼狽える仕草を必死で隠しながら、彼女は目を細めて嫌らしい笑みを浮かべて私を見た。


 その時知ったが、その彼女の視線は人を見透かすときの目だ。その証拠に、


「私がいない間、逃げようなんて考えていたでしょ」


 心を看破され、私は動揺を隠せず、


「そんな事ないよ。そんな事ないよ」


 否定したが、もはや彼女に心を完全に読まれてしまっただろう。


「まあ、いいわ」


 先ほどの私の心を見透かす、嫌らしい目から一転して涙さんは優しい目で私を見て、


「とにかく館内に入りましょう」


 館内に入り、中は真っ暗で中央に望遠鏡があり、それを囲むように座席が円形に設置されている。


 満席ではないが座席には、ぱらぱらと若いカップルもしくは友達とはしゃぎまくっている人がいる。


 私は涙さんに手を引かれながら、適当に空いている席に座る。


 会話はなく、私は考えてしまう。


 どうして彼女はこんな私のことに好意を寄せてくるのか。


 もしかしたらさっき気が付いたが、私が小説家だと知って、それに目を付けたんじゃないかと思った。


 確かに私は小説家だが、それほど裕福な程売れていない。


 私の事を小説家だとネットか何かで調べて、それで私の携帯の番号をどこかで入手してかけて私に迫ってきた。


 そうとしか考えられない。


 色々と考えている内に、プラネタリウムは上映され、アナウンスが流れる。


「みなさん。こんにちは。ようこそいらっしゃいました・・・」


 長々と自己紹介がされて、場内は完全に真っ暗な状態になり、ドーム型の天井には幾千もの星が映し出され、私は思わずうっとりと眺めてしまった。


 まあ私は自然や星に関することが好きで、今度の小説は星をテーマにした物を書いてみたいと人知れず心の中で思った。


 渋々強引につれられたプラネタリウムは来て良かったと思えるほどの印象があった。


 あまりにも心奪われて、涙さんの存在を忘れている事に気が付いたのは、私の手に暖かい手の感触が重なった時だった。


 彼女の方を見ると、無垢に星を見る彼女の姿は美しく私の心が奪われそうになったが、その瞬間姉さんが私の頭によぎり、とりあえず思いとどまった。


 でもこのまま彼女と一緒にいたら、心が彼女に染まり取り返しの付かない事態になることに私は恐れる。


 でも彼女といて私は本当に楽しい。


 もし姉さんが若返らなかったら、涙さんを好きになっていたのかと思うと、何か複雑だ。


 それって姉さんが若返らなければ、一人の女性として見ることが出来ないと言う不純な動機に私は嫌気が指した。




 プラネタリウムの上映は終わり、私は彼女に言わないといけない事があった。


「楽しかったね」


 表情を綻ばせて笑う彼女の姿を見て、私は本当に楽しいと思えた。でも、


「あのさ」


「ん?」


「私にどうしてそんなに好意を抱いてくるの?私が小説家だと知ってだったら、買いかぶるのは良くないと思うよ。

 確かに私は小説家だけど、世間一般で言われているニートとほとんど変わらない。そんな人種だよ私は」


 彼女は何を思ったのか?嫌みったらしく目を細めて、私を見て、


「とにかくそれはランチを楽しみながら語り合いましょう」




 そうだ。もうランチが終わったら、もう彼女とは完全に決別させようと決意した。


 これ以上彼女とつき合ったら、取り返しの付かないことになる。


 ランチは巨大ハンバーガーが売りの店を選んで入っていった。


 ここは彼女がおごると言ったが、私がおごると強引に注文した品を受け取った時、支払った。


 ここで私が支払ったのは私はもうこれ以上彼女の言いなりになりたくなかったからだ。


 今日は強引に誘われ、渋々恐れながら彼女につき合ったが、案外楽しかった。


 正直、彼女といて楽しい。


 今も私を前に楽しそうに食事をしている。その巨大なハンバーガーを大口を開けて食べる姿は何か愛らしく思い、彼女のどんな仕草にも愛おしく感じる私がいる。


 彼女は食べている時は夢中で食べ、そして食べ終わって話を切りだしてきた、


「姉さんは元気なの?」


 そう聞かれて、昨日ちょっとしたトラブルを思い出して、何て言っていいのか言葉に迷い、とりあえず、


「あ、うん」


 と返事をしておく。


 すると彼女はその視線を細めて、私の心を見るような目つきで、


「小林さんは嘘がつけない人だね」


 何て言われて私はいらっとして、そんな私を見て、


「怒ってる。かわいい人」


 完全にからかわれ、彼女のペースに私ははまっている。


 ムカついたが、ここでムカついて怒ったら、何かそんな自分が嫌になるし、後々面倒な事になりそうなので、とりあえず流して、


「とにかくこれ以上私は今後いっさい君とはつき合えない」


 とりあえず私は注文したビックアボカドバーガーを大口を開け、食べて、これを食べ終わったら家に帰ろうと思う。


 そんな私をにやにやとじっと見つめる涙さん。


 凄く不快だ。


 私をからかうのがそんなに楽しいのかな?


 早く食べて急いで食べると。むせてしまい。


「早く帰りたいからって、無理して急いで食べなくても良いじゃん」


 と言って私にナプキンを数枚差し出して私は受け取って口元を拭った。


「ありがとう」


 とお礼を言った。


「どういたしまして」


 もう良いから早く食べて帰ろう。


 相変わらず彼女は私の食べる姿をにやにやとしながらじっと見つめて、さすがの私も堪忍袋の緒が切れて、


「さっきから何なの?」


 つい大声を上げてしまい、周りのお客もそんな私に注目する。


 ついとは言え、急に大声を上げてしまい、周りに迷惑をかけてしまったことに、とりあえず、「すいません」と一言謝った。


 そして彼女の方を見ると、私に大声を上げられてショックそうな様子はなく、何だろう?ほっとしてほっこりとした笑顔で私を見ていた。そして彼女は言う。


「我慢しないで言いたいことが合ったら言えば良いんだよ。私が小林さんに言いたいことは今日のところはそれだけ」


 と彼女は立ち上がり、


「昨日も今日も強引につき合わせてゴメンね。でも楽しかったよ。

 じゃあ、またご近所同士近々あえるでしょう」


 と私に笑顔を振りまいて帰ってしまった。


 なぜだろうか?あんなに彼女と別れたいと思っていたがいざこうして、彼女から帰られて、何か切なく感じてしまう。


 いやでもこれで良いんだ。


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