生きていれば、良いことある。
診察日、私は私の担当医の花里先生にこの二週間の間の調子を語る。
「そう、おばあちゃんとはその後うまくやれているんだ」
「はい」
と返事をして相変わらず、姉さんと呼ぶサタ子おばあちゃんが若返った事は伏せておく。
「まあ、家族だからたまには互いの齟齬があってぶつかり合ってしまうときはあるよ。でも今回の件を聞いて一つ言っておくけど、何か問題が合ったときはおばあちゃんでも誰でも僕でも良いし、誰か頼れる人に相談した方が良いよ。
そうすれば、以前よりもよりよい関係を築き上げられる事だってある。
だから何か合って一人で自棄を起こしたい時は僕でもおばあちゃんでも信頼できる人に相談できるようにしましょうね」
「ありがとうございます」
と立ち上がり、
「じゃあ、また二週間後」
病院を出て僕は人知れず呟く。
「人に相談か」
思えば僕は人には頼られたが人を頼ることが出来なかった。
確かに花里先生が担当医になって、こうして話すだけでも気持ちが楽になったりする。
相談する事は甘えなんじゃないかと考えたが違う。
どうしても出来ない時、決められない時、誰かに相談する事で心が楽になり、自己の成長を促せる。
だからあの時、姉さんに相談すれば良かったんだ。
桜井さんに嫌なことを言われて発狂してしまったと。
でもちゃんと素直にそういえば良いのに、あの時の姉さんの反応は僕を弱虫を見る目だった。
それでもちゃんと言えばいいのだ。
弱虫と思われても良いから誰かに相談する。
二十五になっても、そんな事が出来ない自分が嫌になるが、仕方がない。これからそういうことを学んでいくしかない。
そう学んでいく。
そう思うと、僕の中でネックになっていた柵である対人恐怖症を克服出来るんじゃないかと思えてくる。
でも今、相談する人は姉さんと花里先生だけで良い。
本当にダメなときは信頼できる人に頼って良いんだ。
だから姉さんは僕を一人じゃないと僕の心に諭してくれた。
そうだったんだ。
頼られ潰れそうだった時、姉さんに相談すれば良かったんだ。そうすれば・・・。
もう過去のことをあれこれ思いめぐらすのはやめよう。
とにかく輝かしい未来を信頼できる姉さんと見つめていきたい。
花里先生の言うとおり、家族なんだから、互いに齟齬があってぶつかり合ってしまうときがある。
正直そのような場面は避けたいが、これから先きっと起こる必ず。だから気をつけながらも覚悟をしておいた方がいいだろう。
若返った姉さん。
いつまでも僕の側にいてくれる存在であって欲しい。
でも・・・。
さて帰って小説を描こう。
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帰り道、実家の前で桜井さんの娘さんの出会ってしまった。
以前怒鳴りつけてしまったことで、すごく気まずかった。
近くに住んでいたらこのような日が来ることを私は恐れていた。
私の事を威圧的な視線で見つめている。
すごく怖かった。
だから何も言わずに、そのまま通り過ぎようとすると、桜井さんは、
「この前はごめんなさい」
私の背後から謝られた。
私は振り返り彼女を見る。
どうして私が謝られるのか不思議に思っていると。彼女は、
「小林さんにとって聞かれたくない事を聞かれて、すごい迷惑だったんじゃないかって」
と言って視線を斜めに反らして、本当に悪いと思っている様子に思えてくる。
確かに聞かれたくない事を聞かれて私は嫌な思いをしたけど、私も言い過ぎたと思って、逆に謝るのは私の方だと思って、謝った。
「どうして小林さんが謝るの?」
不思議そうな目で見る桜井さんの娘さん。
そう言われると言葉に迷って、何を返せばいいのか分からなくなって、とりあえず、
「とにかく私も大人げなかったよ」
そういって私と彼女の間にしばしの沈黙がよぎる。
正直私はもう彼女から離れたかった。
だから私は、
「仕事があるから」
と言って立ち去ろうとすると、
「あの」
と声をかけられ、私は心の中でいらっとしたが、改めて彼女の目を見ると、先ほどの威圧的な視線から穏やかな優しい目をして僕に言った。
「これからもお隣同士よろしくお願いします」
と深く頭を下げ、私は動揺と共に嬉しいという気持ちが芽生えて気分が高揚した。私も本心の気持ちを伝える。
「こちらこそ」:
と。
すると彼女は笑ってくれて、その笑顔を見て、私の胸が躍るような嬉しさに満ちた。
家に帰ると、姉さんに「嬉しいことでもあったの?」と言われて、私は「別に」と返しておいた。
小説は進んだ。
何か気分が高揚するとアイディアが浮かんできて、パチパチとキーボードを叩く手が止まらなかった。
今日は彼女の笑顔がしばらく忘れられず、ふと知れずにやけてしまった事は姉さんには伏せておく。
思えば姉さん以外の人にあんな風に優しい笑顔を見たのは本当に久し振りだ。
考えてみれば、以前桜井さんの娘さんと一悶着あって、自棄を起こして死にたいなんて思っていたことがバカみたいに思えてきた。
こうして生きていれば良いことはあるんだな。
でも、姉さんの事を勘づいている感じがしたが、もしまた何かの拍子に聞かれたらどうしようか面倒くさいが考えておかないとな。
小説も一段落終えて、ちょうどその時、夕ご飯ができあがっていた。
居間に生き、姉さんは相変わらず私の食べる姿を見て、「おいしい」と聞く。私は正直に「おいしい」と言う。
食事を共にする時のいつものやりとりだった。
「よっちゃん、さっきから何か嬉しそうだけど、何か良いこと合ったんでしょ」
今朝も言われたことだった。別に言っても差し支えないし、喜びを分かち合うのも良いと思って今朝の桜井さんとのやりとりを語った。
「なるほどね。あたしもよっちゃんがあの子と所帯を持ってくれたら安心だな」
いきなり突拍子もない事を言う姉さんに、思わず、
「何言っているんだよ。話聞いていなかったの?ただ以前私を怒らせた事を謝られて、私も悪いと思って謝って、お互いの蟠りを解消して、去り際に彼女に笑顔で挨拶をくれた事がただ嬉しかっただけだよ」
すると姉さんは嫌らしい目をして、
「よっちゃん。いっその事、あの子とつき合っちゃいなよ」
「話聞けよ」
少しいらっとして、そんな姉さんが心配になり、
「もしかして姉さん。頭が元に戻ったとか?」
「んー」
と視線を上向きにして、考えて、
「今のところ元通りに戻る傾向はないね」
今のところと聞いて、いつか戻ることに不安と切なさでいっぱいになる。すると姉さんは、
「そんな顔しないでよっちゃん。姉さんはよっちゃんより長生きして、いつまでもよっちゃんの側にいてあげるから」
と穏やかな笑顔で姉さんは言う。
それを聞いて安心した。
食事が終わって、お風呂場でふと先ほどの事を考えてしまう。
先ほどの姉さんが「桜井さんの娘さんと所帯を持っちゃいなよ」って言う言葉に切なく感じてしまっている。
冗談なのかはさておき、姉さんの口からそんな言葉が出たという事は私と姉さんは結ばれる事がないと言うよりも、姉さんは私とそういった関係にはなる気はないと言っているようにも聞こえる。
自分の気持ちを確かめてみると、私の心は姉さんを求めている。
家族だから結ばれてはいけないのか?
それと桜井さんの娘さんの件だが、以前姉さんは私に気があると言っていたが、それは姉さんの勘違いだろう。私は彼女に気になるような魅力などない。
ただ、私は彼女が私にさわやかな笑顔をくれた事が、ただ嬉しかっただけだ。
ただ悲しくても諦めずに生きていれば、良いことがあるって彼女の笑顔が教えてくれた。
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次の日朝を迎え、太陽の光を浴びると、何か心が高揚して生きる喜びなのか?そのような実感がした。
台所から姉さんが家事をする音が聞こえてくる。
そんな姉さんの所に行って私は言う。
「おはよう姉さん」
すると姉さんはいつものように笑顔で、
「おはよう、よっちゃん」
と挨拶をくれる。
いつもの朝だが、何か違っていた。
そして私はいつものようにデスクに向かってパソコンを開き小説を書く。
私みたいに想像力を活かす仕事は気分が乗ると調子も出てくる。
私はいつもただ生きる為だけに、小説を描いていたが今は何か違っていた。
この小説に私の思いを込めて誰かに伝えたいと言う気持ちが芽生えてきた。
私の中で何かが変わり始めてきている。
そんな気がして、今日という日が何かワクワクしてくる。
朝食をとっている時、私は新聞を広げて見ていた。
「よっちゃん。食事の時は新聞はやめなさい」
「ああ。うん」
新聞を畳んで床に置き、朝食をいただく事にする。
そして姉さんは思いついたように立ち上がり、
「そうだ。よっちゃん。新聞屋さんから映画のチケットを貰ったんだけど、よかったら今日行かない」
と言ってタンスから二枚の映画のチケットを私に見せた。
「うん。行くよ」
と私は断る理由などない。
姉さんと一緒に映画が見れるなんて、本当に今日は朝からついているって言うか、良い事づくしだとテンションがあがる。
でもあまりにも幸せすぎると、逆に不安になってくるが、まあ気にすることはないだろう。
何かあったらその時対処すれば良いのだから、杞憂したって仕方がない。
出かける時、女性は化粧やらおめかしやらで時間がかかるので私は外で待つことにした。
玄関を開け、階段を下りて、私が姉さんを待っていると後ろから「ねえ」と声が聞こえて私はびっくりして「うわっ」と思わず大声をあげてしまい振り向くと桜井さんの娘さんだった。
すると桜井さんはそんな私がおかしいのかクスクスと笑っている。
からかわれて私はあまり良い気分ではないが、とりあえず、
「おはよう」
と挨拶をする。
「はい。おはようございます」
と彼女の笑顔に昨日と同じように胸が躍りそうだった。
そして彼女はじっと私のことを見ている。
挨拶を交わして、それでどこかに立ち去ろうとしないのか?
私はそんな彼女に何て言葉をかければ良いのか戸惑っていると、桜井さんは、
「小林さん。やっぱり気になるんですけど、あのおばあちゃんとか姉さんとか言っている、小林さんと一緒に住んでいる女性は誰なんですか?」
またその質問か?もしかしてこの人、私のことを怒らせたいのかな?と勘ぐりが入ってしまう。
でも私はここは悪い方に考えないように気持ちを落ち着かせて深呼吸をして整えて、何とかごまかそうとしたら、その時、
「あたしはよっちゃんの祖母のサタ子よ」
姉さんが支度を整えて、現れてその正体を明かした。
「おい」
と、面倒な事になりそうなので、止めようとしても姉さんは、
「だから、あたしとよっちゃんはあなたが思っているような関係じゃないよ」
にっこりと優しい笑顔で姉さんは言う。
「べ、別に私は・・・って言うか、そんな不可解なことを信じられるはずがないじゃない」
疑う桜井さんの娘さん。
無理もない。彼女の言うとおりそんな不可解な事実信じろ何ておかしな話だ。
でも改めて思うがこれは信じられないが事実なんだよな。
桜井さんは信じるか信じないかと言う頭の中で葛藤している表情が見て取れた。
姉さんはにこにこと大人気に笑顔で、そんな桜井さんを見つめている。
とにかく姉さんの正体がばれたが、それを信じる信じないは彼女の自由って事で、姉さんと共に「映画に行こう」と言うと姉さんは白いバックから新聞屋から貰ったチケットを私に差し出して、
「ゴメンね。よっちゃん。姉さん急に用事が出来たから、映画は涙ちゃんと行ってきて」
そういって、姉さんは私に意味深に思えるウインクをして去って行ってしまった。
「おい」
と呼び止めようとしたが、
姉さんはピューとどこかへ去って行ってしまった。
取り残されたように私と、そこに桜井さんの娘さんの名前を今日初めて知ったが、涙さんと言うらしい女の子の方を見ると、上目遣いで私の方を見ていた。
その目は姉さんが急にセッティングした映画に行きたい目だと鈍感な私でも理解できた。
それで私は確信した。
姉さんの言っていた事は勘違いではなく本当だと。
それは涙さんは、彼女は私に気が合るんだと。
考えていると、彼女のまなざしが痛いほど目に入り、心に揺さぶられる感じだ。
断った方が良いかも知れないと思ったが、それは何か彼女がかわいそうだと思って、
「良かったら、行く?映画」
すると涙さんは表情を綻ばせ、満面の笑顔で、
「はい」
と嬉しそうに返事をする。