弱虫なんていらない。でも・・・
あの後、僕と姉さんとの間に、気まずい空気が漂っていて、会話もぎこちなかった。
僕は達彦が怖いんじゃない。
そんな達彦をそれでも慈しむ姉さんの優しさが怖かった。
いつかそれで身を滅ぼしてしまうんじゃないかと私は心配だった。
夜な夜なその事がネックで眠れない日があった。
達彦は若返った姉さんが実の母親だと言う事を知らないが、もしその事を知ったら、達彦はその姉さんの優しさにつけ込み、姉さんが・・・。恐ろしくてこれ以上は想像できない。
そう思うと姉さんは僕が守るしかないと思った。
幼い頃、貧しいながらも僕を五体満足に育ててくれた姉さん。
今もなお、僕は姉さんの優しさで生きている。
そんな思いを胸に二週間が過ぎて、あれ以来達彦は家に来たりしなかったが、油断はしていけないと思う。また何か問題を起こして私たちに迷惑をかけてくるかもしれない。
まあそれはそれで良いとして、私と姉さんは平和に日々を過ごしている。
私は相変わらず、姉さんに特別な思いを抱いている。でも姉さんは相変わらず、言葉では言わないがそれを拒むような感じだ。
小説家は良いアイディアが浮かぶ時はテンションがあがるが、浮かばないときは極端な話、死んでしまおうなんて考える自分がいる。
でもそんな時、姉さんはそんな僕を察して側に寄り添ってくれた。
ただ黙って。
思えば、悲しくて苦しくてどうしようもないとき姉さんは黙って僕の側に寄り添ってくれた。
だから私には姉さんが必要だ。
僕には姉さんが必要だ。
死ぬまで一緒にいて欲しい。
小説のアイディアに詰まり私は、気分転換がてら一人で昼ご飯の買い物に出かけようと外に出た。
そこで偶然、お隣の桜井さんの娘さんに出会って、他人のふりをしてやり過ごそうと思ったが、そうは行かず、気づかれてしまい因縁を付けられるように僕の所まで来た。
「ねえ、あの一緒に住んでいる人のことをおばあちゃんとかお姉さんとか呼んでいるけど、どういう関係なの?」
「・・・」
何て答えたら良いのか僕は途方に暮れた。そんな僕を急かすように、
「答えなさいよ」
と一喝。
私は思った。
何でお前にそんな事を話さなければいけないんだ。私たちの事はほおっておけば良いじゃないかと強く言っておきたかったが、それはいけない気がして私は音便に、
「まあ、色々とあって」
すると私の脇を肘で思い切りこづいて、
「答えになってないじゃない」
と突っ込む。
面倒くさい事に僕はおかしくなりそうだった。
脳裏によぎった。
そんな連中に私は精神的におかしくなっていったことに。
発狂したい気分だった。
でもここは押さえて、シカトしてやり過ごそうとしたが、女の子はたちが悪いことに、
「待ちなさいよ」
と追いかけてきた。
私は我慢の限界が来て、
「うるさいな。君には関係ないことだろ」
と罵ってしまった。
店のお客はみんな僕に注目している。みんな何事だと言うような顔で見ている。
女の子を見ると、目に涙をためて今にも泣き出しそうな程のショックを受けている。
僕はそこにいても立ってもいられなくなり、買い物かごをその場に放置して店を後にした。
何だよ。私の事はもうほおっておいてくれよ。
私はまた人に迷惑をかけてしまった。
あんなか弱い女の子を泣かせてしまった。
罪悪感でいっぱいで僕は帰り道を走って帰った。
姉さんに泣き顔なんて見せたくない。
ひどく心配される。
悲しみにさらされるのは人がいるから生じることであり、私は出来れば人と交わらずに生きていきたいと思ったりもする。
でも実際一人では生きられない。だから姉さんがいる。
だったら世界を僕と姉さん以外の人間を排除してくれよ。
何て非現実的な事を考えてしまう。
『小林君ってすごいね。何でも出来るんだね』
『小林が頼りだよ』
『小林には世話になっているから、何か合ったら俺に相談してこい』
嫌な事が脳裏によぎる。
もう僕に構わないでくれ。
きっと桜井さんにあんな事をして、世間から非難を浴びてしまうかも知れないが、私には唯一姉さんがいる。
ただ一人信頼できる人がいればいい。それは家族でも恋人でも友達でも、それらをすべてを含めて姉さん一人私の側にいればいいと思う。それ以外は何もいらない。お金も名誉も。そんな物を持っていると凄く面倒な事になるし、私の平和に支障が来す。
家に帰り、僕は姉さんの顔を見てほっとした。
「おかえりよっちゃん」
姉さんの顔をじっと見つめる。
すると姉さんは僕を強く拒むような目つきで見つめられ、過去の事がよぎった。
それは限りなく弱くなった僕を見透かすような目つきだった。
そんな目で見つめられ私はいても立ってもいられなくなって、その場から離れて、部屋に閉じこもった。
どうして姉さんはあんな目で僕を見るのだろう。
何も信じられなくなった。
姉さんにまで僕をあのようにあしらわれてしまったら、僕は何をより所にして生きれば良いのか分からなくなってしまう。
死んでしまいたかった。
何もかも終わってしまえば良かった。
自殺をもくろんだりもした。
でもなぜかそれを拒む自分がいる。
どうして姉さんは僕の事をあんな目で見るんだ。
そう思うと、記憶の片隅から一筋の言葉がよぎった。
『弱虫は嫌い』
と。
それは昔、僕に言った姉さんの言葉だった。
そうだよ。僕は弱虫だよ。
そう認めてしまおうとすると、それを拒む心が存在する。
僕は弱虫、僕は弱虫じゃない。
みんなが悪いんだ。
僕の事なんてほおっておいてくれればいい。
『小林君は頼りになるね』『小林君どうしたの?』
ひどい。昔のことが幻聴となって僕の頭に駆けめぐる。
耳をふさいでもそれは聞こえてくる。
真っ暗な部屋の中、職業である小説も書ける精神状態ではなかった。
やめてくれ。
死んでしまいたい。
姉さんがいなくなったら私は私でいられなくなる。
でも姉さんは僕みたいな弱虫は嫌い。
大嫌い。
大嫌い。
弱虫なんか大嫌い。
死んでしまいたい。
私は姉さんがいなくなったら、もう。
でも私みたいな弱虫は死んでしまった方が良いんじゃないかとさえ思ってくる。
考えてみれば、弱虫って近くにいるだけで迷惑な存在だ。
だから世間は言うんだ。
『弱虫毛虫はさんで捨てろ』って。
姉さんは僕のことを迷惑だと思っている。
姉さんは若返って、不自由だった体が動くようになり、僕を必要としていないのだろう。
僕なんかいなくなってしまえば良い。
死ぬことが出来ないなら、せめて姉さんに迷惑のかからないところで一人でひっそりと暮らそう。
人は一人では生きていけない。
その事が脳裏に浮かび、激しい不安に押しつぶされそうだった。
そう一人では小説は書けない。
すべて姉さんを世話することを生き甲斐にしていてそれが小説を書く原動力になっていた。
もう分からないけど、姉さんには迷惑はかけられない。
すごく不安だけど、とにかく旅に出ようと私はその時、決意した。
それが実行できないなら、私はただの弱虫だ。
とにかく行こう。
様々な葛藤の中そう決意して、時計を見ると、午後九時を回ったところだ。
姉さんはこんな時間まで気にかけてはくれなかった。
姉さんは僕を必要としていない。
だったら姉さんがずっと若返らずに年寄りのままで良かったんじゃないか。
そうすれば姉さんは僕を頼らざるを得ない状況だった。
姉さんの余命まで、僕はそれまで幸せに生きられたのかも知れない。
僕は立ち上がり、ワープロを背負って外に出ようと部屋を出たときだった。
扉の前にお皿に載ったおにぎりが二つラップに包まれおいてあった。
「姉さん」
人知れず僕は呟いて、お皿の下に紙が添えられていた。
見てみると、
『よっちゃんは一人じゃないからね』
と書き記されていた。
姉さんの字だ。
その文字を心の中で黙読した時、不安だった気持ちが一気に払拭され、何か優しい何かに包まれた感じがして、心が潤ってくる。
涙があふれ出て、私は精神的にまいっていて空腹を忘れていたが、食欲がわいてきて僕はそのおにぎりを食した。
何の変哲もない鮭と梅のおにぎりだが、すごくおいしかった。
正直三つ星の超高級なレストランよりもおいしいと言っても過言じゃないと思った。
私は一人じゃない。
私は何てバカなんだ。
姉さんは私のことを必要じゃないと一言も言っていない。
そうだ私は一人じゃない。
明日何が起こるか分からないけど、私なりに乗り切ろうと生きる意欲が心の底からわき起こってきた。