無償の愛
時計は午前六時を示していて、とりあえず起き上がり、部屋を出るとサタ子は朝食の準備をしていた。
「おはよう。よっちゃん」
とサタ子も眠れなかったのだろう。無理をして笑顔を取り繕い、心配かけまいと必死の表情だ。
思えば昨日の不吉な電話が鳴り響いてから、私たちの幸せが壊れてしまったかのようだ。
そして夜中に来た達彦が生きている事を知らせるメール。
何かきな臭いものを感じる。
部屋に戻り、スマホに確認してみたが、返信のメールは返ってきていない。
何か怖くて不安で、押しつぶされそうな感じになる。
とにかく昨日の一件でサタ子も私も気が優れないが、そんな日もあると自分に言い聞かせ、サタ子が作った朝食をいただくとする。
やはりサタ子も調子が良くない。
それは朝食がご飯は固かったし、サンマの焼き魚もちょっと焦げている。それにサタ子私と目が合う度に笑顔で接してくれるが、それはやはり無理をしている感じだ。
そんなサタ子にどんな言葉をかければいいのか分からず、私は黙っているしかなかった。
達彦が生きているって言うメールが合ったことを伝えた方が良いか迷ったが、言わない方が良いと思って黙るしかなかった。
朝食が済み、サタ子は後後かたづけをして、畳に伏して眠ってしまった。
私も昨日は眠れなかったので少し仮眠をとろうとした時だった。
スマホにメールの着信音がして、私の心臓が一瞬は跳ね上がり、背筋が凍るようにおののいた。
昨日の返信のメールだと思う。
それしか考えられない。
返信は昨日の夜中から待っていた。
でも見るのも怖かった。
でも確認しなければならないが怖くて目の前にあるスマホを手にする事さえ臆した。
でも確認しなければいけないだろう。
息を飲みスマホを手に取る。
いったいどんな内容の返信なのか、考えれば考えるほど悪い事しか思い浮かばない。
そんな疑心暗鬼を断ち切るには確認するほかないので、表示させ画面を見てみる。
それは思った通り昨日のメールの返信内容だった。
『小林達彦の命が惜しければ、小林サタ子を連れてこい。場所は君の住む隣町の一番高い屋上に今日の正午だ』
内容を見た時、考えさせられる。
どうしてサタ子の事を連れてこい何て言うのだろうか?
サタ子は見た目は十六才ぐらいだが、年は九十才だ。
そんなサタ子の事を知って興味を持つ輩が入るのだろうか?
行くしかないと思った。
でもサタ子を連れて行くわけには行かない。
この事はサタ子には黙っていた方がいいだろう。
ベランダから隣町を見渡すと、一番高いビルと言ったら、あの丸八タワーだとスマホのマップで確認できた。
私一人で行くしかないだろう。
達彦がどうなっても良いと私は思っているが、サタ子はやはり心配になるだろう。
でもサタ子に危険な目に合わせるわけにはいかない。
部屋を出てサタ子を見ると健やかな表情で眠っている。
「言ってくるから」
眠っているサタ子の耳には届いていないけど、私はそういって外に出て隣町の丸八タワーに向かった。
バスに乗り電車に乗り換え考えさせられる。
いったいサタ子に何の用があって来るのだろうか?
行って確認するしかない。
サタ子を連れてこなければ達彦の命がないと言っていたが、それは仕方がないことだと思っている。
そして丸八タワーの麓までたどり着き、私は恐る恐る中に入り、エレベーターは使わずに階段で登っていった。
階段を一段一段登っていくごとに恐怖が増す。
はっきり言って達彦の事はどうでも良いが、サタ子は心配している。でもサタ子を危険な目には合わせる訳にはいかないから連れてこなかった。
達彦が連中にトラブルを起こして、連中はサタ子にいったい何の用があるのかは、真実はメールで記されたこの丸八タワーの屋上に行けば分かることだ。
ほったらかしにすればいいと思うが、サタ子に免じて私が出来る限り、達彦にすればいいのだ。それに思ったことも考えたくもないが、あれでも私の実の父親だからな。
そして屋上にたどり着き、重たそうな鉄の扉がある。
私は扉のドアノブをひねり、体重をかけて開けた。
すると風が勢いよく吹き込み、ドアの向こうはビルの天辺からの壮大な景色だ。
そんな勢いある風に煽られながら辺りを見渡しながら歩き回り、連中を捜したが誰も見あたらないが人の気配を感じる。
この感じはあまり良いものじゃない。あの不審な電話から感じた時の不穏な気配と似ている。
油断してはいけないと思った。
「待っていたよ」
男の声が聞こえてその声の発信源に目を向けると、男は吸水等の天辺にいた。
サングラスをかけ黒いスーツに身にまとい、何か変な言い方かも知れないが邪悪な何かを感じる。
その脇に倒れ込んだ達彦の姿が合った。
「何だよあんたは、そいつとは私たちは無関係だ。だからそいつを煮るなり焼くなり好きにすれば良いさ。だから私たちの事はほおっておいてくれないかな?」
「メールで伝えたはずだ。小林サタ子を連れてこいと」
「サタ子に何の用だ?」
「それはボスが会いたがっている。ただそれだけだ。私にも理由は分からない」
そこで考える。そのボスはサタ子と昔何かしらの縁があって、それでサタ子は若返り、その姿を見て・・・。
「あんた達のボスとやらは、九十は越える男性か?」
「ほう、よく分かったね。でもどうして年齢まで分かるんだ」
「そんなのどうでも良いから。そいつの事はまあ、でも心配する人間はいる。だから出来れば見逃してはやれないか?」
「こいつを」
そういって達彦に思い切り蹴りを入れた。
達彦は意識を取り戻し、
「助けてくれ、命だけは助けてくれよ」
見苦しくも同情の余地もないと私は思う。
サタ子を連れてこなくて良かった。
男の携帯が鳴り、
「はい」
何やら用件を聞いている。
「わかりました」
と通話を切り。
「喜びなさい良理君とやら、こいつを見逃してやるとよ」
そういって吸水等から飛び降り、見事に着地して私に向かって歩み寄り、
「君の小説、ボスも絶賛していたよ」
と私の肩にポンと手をおいて去っていった。
いったい何がしたいんだ。
そう思いながら、男の背後を見つめていた。
「良理、助けてくれ。頼む」
達彦は拘束されていて動くことも出来ないみたいだ。
私はやれやれと言った感じで、吸水等の梯子を登り、拘束されている手足の紐をほどいてやった。
「ありがとよ。良理」
抱きつこうとする達彦に気持ち悪いし臭いから、
「近寄るんじゃねえ」
私もあの男と同じように思い切り蹴り飛ばした。
「いてえじゃねえかよ」
こいつのせいでサタ子や私たちは・・・。
本当に顔も見たくない。
でもサタ子はこんな奴に肉体関係になるほどの行為をするほど、思っていたのだ。
悔しいがサタ子が心配していることは否めない。
こんな奴に言葉などいらないと思って立ち去ろうとしたが、
「待てよ良理」
追いかけてくる。
「付いてくるなよ」
「お前の嫁さんに手を出した事は謝るよ。でももとはと言えば、お前の嫁さんが良いよって言ってくれたからだし、それに入らないって言っても貢いでくれるし。こんな事になったのはお前の嫁さんが貢ぐのも原因かも知れないじゃん」
殴りたいがこんな奴本当に殴る価値なんてないと私は本気で初めて思った。
だから私は先を急ぎ帰る。
「待てよ。良理」
私の前に立ちふさがり、嫌みったらしい笑みを浮かべながら、
「悪いけど、金貸してくれなかな?もうすってんてんでさ」
私は息をついて、財布をとりだして、達彦に私の嫁だと思っている人が母親だと言うことを伝えようとした時、財布を取り上げられ、
「じゃあお前の嫁さんに俺が悪かったって謝っておいてくれよ」
つくづく救えない人間だと私は本気で呆れてしまった。
その時スマホに着信が入り、画面を見てみると、涙さんからだった。
私は顔をしかめつつも『またかよ』と思いながら、シカトしようかためらったがとりあえず出て、
「もしもし」
「もしもし良理さん」
涙さんの声で何かあわただしい感じだ。
「私見たんだけど、サタ子さんが黒いスーツに身にまとった怪しい連中に連れて行かれたところを。何か、良理さん留守だったし、何か心配になって電話したんだけど」
涙さんの話を聞いて、謀られた事に気が付く。
私がサタ子をここに連れてこないことを連中は視野に入れていた。
今のサタ子は精神的に不安定だから、私がいない事良い事に達彦を餌にしておびき寄せたのかも知れない。
私はスマホを耳に当てながら走り出し、
「涙さん。それってどこで見たの?」
「私たちが住んでいる団地の脇の道路よ。黒いワゴン車で何か不気味な感じがして」
「分かった。ありがとう」
そういってスマホを切り、屋上から階段で下りながら達彦の後ろ姿が見えて、こいつの姿を見ていると無性に腹が立ち、後ろから蹴り飛ばして、先ほど奪われた財布を取り上げ、再び走った。
「何すんだよ良理。父親に後ろから蹴って金まで取り上げるのかよ」
私は振り返り、
「うるせー」
と叫んで急いで下へ降りていった。
達彦といるとろくな事がない。
何て愚痴なんてぼやいている暇などない。
すぐに自宅に戻らなくてはいけない。
隣町の一番高い建物である丸八ビルの外に出て、タクシーを呼び寄せ、運転手に自宅の集合団地を伝えて、向かわせた。
くそ。くそ。
心は急いていて、落ち着けと言い聞かせたが、落ち着いてはおられず、とりあえず深呼吸をタクシーの中で繰り返した。
自宅に到着して、私の帰りを待つように涙さんが外で出迎えてくれた。
「良理さん」
心配そうに私を見る涙さん。
「車はどっちに向かっていった」
「あっちよ」
指さした方角は一本道の国道だった。
私とした事が軽率だった。
自宅に戻ったって、涙さんから電話が合ってから四十分は経過して、その間に連中は果てしなく遠くに行ってしまっている。
こんな事ならサタ子にスマホを持たせるべきだった。そうすればGPS機能で場所を特定できたのに。
「くっ」
と、つい吐き捨て、側にいた涙さんは、
「ごめんなさい」
「どうして涙さんが謝るんだ。とにかく教えてくれてありがとう」
そういってとにかく考えなくてはいけないと思って自宅に戻ろうとしたところ涙さんに「待って」と呼び止められた。
私はそんな涙さんの目を見る。
「私に出来ることはないかしら」
「いやないよ。気持ちは嬉しいけど、あなたにそこまでする義理なんてないよ」
「待って」
再び私を呼び止め、私はいらだち、
「何?」
とドスの利いた声をつい出してしまった。
「私、協力したい」
「だからさっきも行った通り・・・」
「義理だったらある。私、良理さんに幸せになって貰いたいもん」
と真摯な瞳を突きつけ私に言う。
「だから同じ事を・・・」
「私は良理さんがサタ子さんを思う気持ちが好き。私はそれだけであの時、私も頑張らなきゃって思えた。実を言うと私」
セーラー服を巻く仕上げ、体中が痣だらけだった。
私は息を飲む。
「私は学校でいじめられていた。こんな事、親にも相談できなかった。
何度も死にたいとも思った。
こんな世界滅んでしまえば良いとさえ思った。
私をこんな目にした連中の見るに耐えない姿に変えて死ぬよりも辛い生き地獄を味らわせたかった。
私の心がどんどん黒く染まりそうな所を良理さん。
あなたがサタ子さんを大事にする姿を見て、私の心に光が射すように、私の枯渇した砂漠のような心に一滴の潤いの水が流れ込んできた。
私はあなたを思う事でいじめから克服できた。勇気が芽生えて、どんな困難な事を克服しようとする力が自然とわき起こってきた。
確かに義理はないかもしれないけど、あなたに出会えた事に本気で感謝したい。
勘違いしないで欲しいけど、私はだからって良理さんに好かれよう何て考えていない。
ただあなたに出会えた事に恩返しがしたい」
私は彼女を疑った。
いや彼女を疑ったんじゃない。
彼女のような人間がこの世に入る事に。
彼女の目を見れば分かることだが、彼女の目には嘘偽りなどいっさい感じられない。
私は小説家で、物語は基本フィクションであり、つまり嘘の世界を作り上げている。
私をこんなにも愛してくれる人がこの世にサタ子以外にいるとは思わなかった。
サタ子以外に無償の愛をくれるものなど、存在しないと思っていた。
もしサタ子が若返っていなかったらこの子を愛していたかもしれない。
だから私は、
「じゃあ、涙さん。力を貸して貰いたい」
すると彼女は力強くほほえみ、
「はい」
と返事をする。