大切にしたい気持ち
その後平和な日々が続いた。
姉さんが達彦を思う気持ちは大事にしたいが、また原稿料を勝手に持って行かれて達彦に貢がないように私は用心して、お金は姉さんの届かないところに引っ込めた。
それと姉さんの年金も私が管理することにして、姉さんもそれに納得してくれた。
姉さんも分かっているみたいだ。
また自分が妙な感情が芽生えて達彦に貢いでしまうことを。
そんな事を繰り返していたら、達彦はつけあがり次から次へとお金を請求しては遊びの繰り返しをするだろう。
そんなことをされたら私たちは破産して破滅してしまう。
そうなる前に、姉さんの気持ちも大事にしながらも、私や姉さん自身の気持ちも大事にしていきたい。
でも達彦は最近姿を現さない。
本当に平穏で穏やかな日々を私や姉さん、私を慕う近所の涙さんとの生活は幸せそのものだとも思う。
でも何だろう?何か不穏な気配が私たちの前に立ちふさがろうとしている予感みたいなのを感じていた。
ある日買い物をしている時、
「小林さん」
と私に近づいてくる涙さん。
これで何度目だ。
「奇遇ね」
何て彼女は言っているが、彼女は私をつけてモーションをかけようとしているのが丸わかりだ。
これはこれで困ったものだが、私もなぜか彼女にそうされて悪い気はしないのも問題なのかもしれない。
「涙さん。それって俗世間で言うストーカーと言うものですよ。いい加減にしないと警察に通報するよ」
すると彼女はその目を細めて嫌らしそうに、
「言えば」
何て言う。続けて、
「それに本当に偶然だもん」
偶然とかこつけて、私に接触する機会をうかがう。
「今日の夕飯?」
「うん」
「今日こそは私も小林さん地にご相伴に預かりたいのですが」
「ダメダメ」
いつものように断固断る。
そうやって、いつも彼女は私に距離を縮めようとする。
だからここでちゃんと涙さんと私とはここまでと境界線を引いておく。
そこで、
「あら涙ちゃんじゃない」
と姉さんが現れた。
「こんにちはサタ子お姉さん」
「こんにちは」
二人の会話を見て何か嫌な予感がしてくる。
「お買い物ですか?」
「ちょっとよっちゃんを追いかけて来たんだけど」
そこで私が、
「何姉さん」
「ほらお財布」
私が忘れていった財布を差し出して、それを受け取って、
「ありがとう」
とお礼を言っておいた。
「しっかりしなきゃ」
肩をこづかれ、再び涙さんに向き直り、
「涙ちゃんもお昼のお買い物?」
「はい」
「良かったら、お昼ご飯は家に食べに来ない」
それを聞いた瞬間、嫌な予感的中と落胆してしまった。
「喜んで」
涙さんはこの上なく嬉しそうにしていた。
と言う事でお買い物を済まして、涙さんを我が家へ招き入れるのであった。
姉さんにタイミングを見計らって、『涙さんを誘わないで』と言っておきたかったが、タイミングが合わずに言う事が出来なかった。
涙さんと姉さんは台所でお昼ご飯の準備をしている。
私も手伝おうかと思ったが、二人に居間で待つように言われてしまった。
学生の夏休みもほんのわずかになってきた。
学校が始まれば、涙さんとの距離を離すことが出来るだろう。
でもそう考えると、寂しい気持ちにもなるのはどうしてか、考えている間に、料理が運ばれてきた。
メニューは大量の唐揚げに大量の八宝菜、それに春巻きなんかも手作りだ。
涙さんは、
「腕によりをかけすぎたかしらね」
「まあ、愛情はばっちしね。良かったらよっちゃんのお嫁に来る?」
「喜んで」
そこで私が口を挟み、
「おいおい・・・」『勝手な事をいうな』と言いたかったが、姉さんが手を叩いたことにビクッとして、言えず、姉さんは、
「とにかく食べましょう」
「小林さん。たくさん食べてください」
「涙ちゃん。小林さん何て他人行儀で何か良くないから。小林さんじゃなくて、これからは良理って読んであげて」
「分かりました」すると涙さんは、気持ちを改めるように、笑顔で「良理さん」
何か全身の背筋が凍るほどおののいた。
やめて欲しいとは言えなかった。
このまま行くとますます距離が縮まる事に不安に思ってしまう。
でも心底私は嫌じゃない。そう思うと彼女のことをまんざら嫌いな訳じゃないんだな。
二人のテンションに乗っていくのは疲れたが、食事はおいしかった。
やはり、おいしい物を食べると元気がみなぎってくる。
それよりも食事が済んでから大分時間が過ぎている。
涙さんはそろそろ帰らないのかと思っていたが、いっこうに帰ろうとせず、姉さんとの会話に夢中だった。
姉さんと涙さんが仲が良いことは良い。でも、これ以上涙さんを長居させておくとあまり良くないような気がして、
「そろそろ十四時だけど」
と帰れと言う意味を込め私が言うと、姉さんが私の台詞を無視して、
「ゆっくりして行ってね」
と、また睦言を交わしあう。
もう勝手にしろって感じで、部屋を出て、気を取り直して小説の仕事を進めようとした時、私の家電に一本の電話が鳴り響き、私は嫌な予感がした。
家電に連絡をしてくるのは達彦ぐらいしかいないからだ。
姉さんもそれを察したようで、電話にでる。
すると姉さんは受話器を持ったまま黙り込んでしまった。
何か合ったと気が付いた。
でもそれは何なのか大抵は予想は付く、達彦だろう。だから私は、
「誰からだよ姉さん」
訝しげに私がそう聞く。
「・・・」
深刻そうな顔をして黙り込む姉さん。
「達彦だろ姉さん」
「・・・」
図星だと言わんばかりの表情で目を閉じて黙り込む。だから私は、
「姉さん」
と一喝。
「達彦がある組織の女性に手を出して、トラブルを起こしたみたい」
心配だと言わんばかりに唇を震わせながら喋る姉さん。
そんなのほおっておけば良いと伝えたかったが、そうも行かず、姉さんの達彦に対する気持ちも大事にしたいと誓ったので、とりあえず姉さんに、
「トラブルを起こしてどうなったの?」
「一億円用意しろって」
私はそれを疑って、
「それってもしかして俺俺詐欺か何かの類じゃないの?」
私は仮に姉さんの聞いたことが事実であっても、そのようにごまかすつもりでもいた。でも姉さんは私に言い寄ってきて、
「達彦の助けてって声が確かに聞こえたの」
「俺俺詐欺だよ。姉さんも騙されないように気をつけないと」
「嘘じゃない。あたしには分かるの。あれは間違いなく達彦の声だって」
目を潤ませ必死訴える姉さん。でも私は、
「気のせいかもしれないじゃん」
すると姉さんはもう良いと言わんばかりに、外へ出て行こうとしたところ。
「どこ行くの?」
「・・・」
急いで靴を履く姉さんの腕を掴み、
「とにかく冷静になれよ」
「離しなさい。もうよっちゃんには迷惑かけないから」
そこで私の堪忍袋の緒が切れた。
「充分迷惑だよ」
と怒鳴ってしまった。
私と姉さんの間にしばしの時間が止まったかのように姉さんはきょとんとした。
そこで大変な事が合ってその存在を忘れていたが、涙さんが私と姉さんの間に割り込むように入ってくる。
「とにかく二人とも落ち着いてください」
「君には関係のないことだろ」
「確かにそうかも知れませんが、このような時こそ良理さんの言う通り、落ち着いて行動するのが無難だと私は思います」
涙さんの言う通りで、姉さんもそれを聞いて落ち着いた感じで、とりあえず玄関から靴を脱ぎ、家の中に入って冷静になる。
姉さんは落ち着いたものの、やはり心配で表情が優れない。
そんな姉さんを見ていると何かいたたまれなくなるが、どんな言葉をかければいいのか分からない。
そこで涙さんが立ち上がり、
「どうやら私に出来ることは、良理さん達を落ち着かせることしか出来ないですね。だから私はお暇しますが、もし私の力を借りたい時は言ってください。その時は出来る限りの事はします」
気持ちは嬉しかったので、とりあえず「ありがとう」と一言お礼を言っておいた。
涙さんは帰り、私と姉さんは二人きり。
このまま姉さんを一人にすると、何をしでかすか分からないので私は近くで寄り添った。
姉さんの達彦に対する気持ちは大事にしたいと思うが、でも私は達彦を姉さんから、遠ざけたい気持ちが私の本心だ。
姉さんが受けた電話が俺俺詐欺なのか、それとも姉さんの言うとおり達彦が危ない目に遭ったなんてどちらでも良く。私は私の為にも姉さんのためにも姉さんに巣くっている達彦からの柵を取り除くしかない。