涙、サタ子、それぞれの良理に対する気持ち
私はどうすればいいのか。
それよりもここはどこだろう?
意識はあるのだが、何も見えない自分の肉体がない。ただ感じる。
姉さんのこの上ない愛情を。
すごく暖かい。
私はこの暖かい愛情に包まれて育った。
どうしようもない達彦の息子として生まれて、私は姉さんの愛情に包まれ育った。
だから私の心は姉さんを許す許さないの問題ではない。
だから良いんだ。
姉さんが姉さん自身でいられる程の幸せなことは私にとっては幸せな事だと。
私が私でいられるのは姉さんがいたからだ。
姉さんは達彦に特別な感情があるみたいだが、そんなの問題ではない。
ただ姉さんが、ただ生きているだけで幸せなんだよ。
私はどうしたのだろう。
何か意識に光がくすぶられ、視界が露わになってきた。
そして五感を司る体感に暖かい温もりを手で感じていた。
姉さんが私の手を優しく握って、眠っていたのだ。
「姉さん」
と呟くと、姉さんもその瞳をおもむろに開け、私が意識を取り戻したと分かったとたん、表情をこわばらせて、私の頬をはたいた。
「何をやっているのよ、よっちゃん。どれだけ心配したと思っているのよ」
姉さんは瞳に涙いっぱいにして、私を見る。
言い訳は出来た。
でもそれはしてはいけない気がして、「ごめんなさい」と謝った。
事情を聞いたが私はぶつかった男に自棄になり立ち向かい、反撃をくらい気絶して病院に運ばれ、それが姉さんに伝わった。
私は姉さんに迷惑をかけてしまったことに罪悪感でいっぱいだった。
それに涙さんも心配していたみたいで、姉さんに聞いてみたところ、涙さんは姉さんにこの上なく謝罪をしたみたいだ。
『あの時、小林さんを引き留めるべきだった』
と。
入院は三日間、花里先生の担当の元でする事になった。
花里先生は姉さんの事を見て、「あの美人さんは誰なんだい。君のことをすごく心配して配慮していたけど。」
と聞かれて、とりあえず私は「姉です」と答えた。
花里先生に、この際事情を話そうとしたが、色々と話してはいけない事、話しても信じてもらえない事なので、黙っているしかなかった。
姉さんは若返ったサタ子おばあちゃんなのだが、花里先生はそんな姉さんの存在にほっとしていた。
私にあんなにかわいい理解者がいる事に。
私のことを花里先生は心配していたみたいだった。身寄りにおばあちゃんしかいない事に。おまけに近所の涙さんも。
入院中、ぼんやりとしていたが退屈ではなかった。
達彦の事やら涙さん、姉さんに対する気持ちが少しずつ整理されていき、退院した時は体が少しなまったが頭がすっきりしていた。
私は姉さんの為に生きればいい。
そして私は達彦の事は許せないが、姉さんの達彦に対する気持ちは大事にした方が良いと考えた。
要は何が言いたいかは、姉さんの事を守るのも一つだが、姉さんの気持ちも私の気持ちもお互いに納得の行くようにしていきたい。
退院した時、姉さんに迎えられ、荷物を整理して帰る。
その間、姉さんとは帳尻を合わせて笑顔で対応していたが、達彦の事に対してタイミングを見計らって話を切り出して行きたいと思っている。
そして自宅に戻ったとき、お隣の涙さんが私の帰りを待つかのように、現れた。
「小林さん」
と彼女はこの上ない笑顔だった。
きっと私を励ましているのだろう。
本当に私は愛されて至れりつくせりって感じだ。
そんな涙さんにもいつかお礼をお返ししておかないと考えた。
そして自宅に戻り、お昼の準備をする姉さんに私は話を切り出す。
「姉さん」
姉さんは私のひたむきな目を見て、大方何を話すか分かったみたいだ。その証拠に私の視線を逸らした。
でも私は、
「達彦から聞いたよ」
と単刀直入に言うと私は言い過ぎたのかもしれない。姉さんはかなり動揺している。でも私はこの際はっきりさせたいと思って姉さんに言おうとしたら、姉さんがその口を開いた。
「よっちゃん。よっちゃんが今回の件で自棄を起こしたって聞いた時、お隣の涙ちゃんが駆けつけて事情を話してくれたわ」
「涙さんが」
「あの子凄い洞察力だし、本当にヨッチャンのことを思っているんだなって分かった。
本当は姉さんの方がはたかれるべきなのよね」
凄く罪悪感を感じている。続けて姉さんは、
「達彦はあんなだけど、私にとって一人の息子なの。達彦が自棄を起こしてよっちゃんをあたしに押しつけたとき、本当に勘当しようと思った。
でもあの子は本当はあのようなひねくれた人間じゃなかった。まじめで誠実で昔は親思いの良い子だったのよ。
でもよっちゃんも知っての通り、あの子奥さんに逃げられて、心を歪ませてしまった。
もうその歪んだ心を直すには困難かもしれないけど、もうあたししかいないのよ。本当の理解者は・・・」
そういって涙声で、
「あたしがいなくなったらあの子はもう、真っ黒い心の持ち主に無惨な姿で闇に葬られてしまう。そうなる前に、あの子の心をまた昔のように夢いっぱいに染めてあげたい。
それが出来るのは私しかいない。
よっちゃんが憎くても、私は憎みきることは出来ない。
あの子が闇に葬られるような事が合ったら私はもうどうして良いか」
泣き崩れてしまった。
達彦は姉さんがお腹を痛めて生んだ子供だ。だからその気持ちは親になってみないと分からない。
入院中にも思ったが、やはり姉さんは達彦の事を愛する気持ちがまだ強く存在しているから、達彦の事は許せないが、その母性本能に満ちた姉さんの気持ちは大事にしてあげたい。
その後、姉さんの涙が落ち着いた頃、姉さんをとりあえず慰めて、姉さんは涙に打ちひしがれそうになったがすぐに笑顔を取り戻して、お昼ご飯の支度をしてくれた。
思えばこうして姉さんとお昼ご飯を共にして、幸せを改めて感じるのである。
姉さんの良いところは、涙に打ちひしがれてもまた立ち直り、また誰かを幸せにする魔法のような力を持っているところだ。
その魔法は一人では唱えられない。でも一人でも側に寄り添ってくれる人が入れば、その魔法は全世界へと伝わっていく。
その証拠に私の小説は規模は小さいものの誰かの心に伝わっている。これは姉さんの魔法のたまものだろう。
食事がすんで、小説を書こうとしても描く気にはなれず、部屋にこもっているとおっくうになるので、外に出た。
夏の日差しは強いが太陽の光を浴びていると、心の底から生きる意欲がわき起こってくる。
公園のベンチに座ってただぼんやりとしていた。
こうして太陽の光を浴びて、風を感じて呼吸するだけでもただ幸せになれる。
何だろうか?
創作意欲が増してくる。
ポケットにしまってある、小さなノートを取りだして、私が小説のプロットをたてようとすると、後ろから何者かにのぞき込まれ、私は驚いて、
「おわっ」
と声を上げると、
「アハハハ」
と女性の笑い声が響いた。
その声の主は涙さんだった。
「何?びっくりするじゃない」
「作戦成功」
彼女は意気揚々に笑った。
それに彼女、先ほど迎えられた時との服とは違って、今着ている服は、私に無理矢理買わせた服だ。
その服を見てみると、どこかで見た、いや感じた、いや想像した。そうだ。私が以前書いた小説のヒロインのおめかし姿に気が付いた。すると察しの良い彼女は、
「ようやく気が付いた?」
やれやれと言った感じで私は涙さんに言う。
「言っておくけど、私は君とはそういう関係になる気はないよ」
「あれ?もしかして私振られちゃった?」
そんな明るい降られ方があるかよ。多分その調子だとまだ諦めない感じだな。でも私は、
「ありがとう。涙さん」
「私どうしてお礼を言われているの?」
不思議そうな顔をしている涙さん。
そう言われると私も言葉に迷ってしまい、とりあえず、
「色々とね」
「色々」
「うん色々」
「色々」
そういって彼女は私のところに近づいてくる。
「ああ。うん」
今度ばかりはあまり良い思いはしないが、にも関わらず彼女は私のところに近づいてくる。
「じゃあ、お礼をして貰おうかな」
何か話が嫌な方向へと向かっている感じがして、そこで付け足して、
「お礼は気持ちで表すものじゃん」
「じゃあ、私にその気持ちを示してよ」
話が痛い方向へと向いている。
ここで私は思い上がって彼女にお礼なんて言わないで何も言わずに引き上げれば良かったと、後悔する。
でも私は観念して、
「無理のない程度なら良いよ」
そういって私はベンチに座り直す。
すると彼女は私が座る隣に座ってきて、その輝かしい大きな瞳で私をマジマジと見つめ、
「前から、小林さんと」
何か無理難題な事を予想して不安になったが、彼女は、
「小林さんが書いた小説の事を語り合いたい」
何だ。そんな事か。と安堵すると、彼女は見透かして、
「何か変な事を想像したんじゃないでしょうね」
何て目を細めて見透かしてきたが、変な事というか無理難題な事と言った方が適切だから、彼女の勘は半分外れていた。
とりあえず私は、
「別に良いよ」
彼女が語る私が描いた登場人物は私が表現したよりもとても生き生きとしてリアルに彼女は語る。
彼女は私の小説の虜になっている感じだった。
正直嬉しかった。
何度も私の小説を見て感動した人は数知れないが、これほど嬉しいことはなかった。
それに彼女、私の小説を読んで媚びを売るような口振りはなかった。
本当に私の小説が、ただ純粋に好きだって事だけだった。
そんな彼女の話を聞いて、また私は心が奪われそうな感じだった。
これも彼女の誘惑かと思ったが、でもそれもあるかも知れないがそれだけじゃない。
私も彼女の話に乗せられて、ついつい語ってしまう。
話していると楽しい。
でも、やはりどんな事にも終わりというものはやって来るもので、そんな楽しい会話も終わるように彼女は立ち上がり、
「そろそろ帰らなきゃ」
私は正直もっと彼女と話していたいと思ったが仕方がないと割り切った。
彼女は私が座っているベンチの真向かいに立ち、
「小林さん。私が小林さんを好きになったのは、別に小説家だからって言う理由だけじゃないから」
『じゃあ何なの』と言う表情をすると彼女は続ける、
「私が小林さんを好きになった理由は、おばあちゃんを切に思う優しさに私の心は引かれて、それで小林さんの事をもっと知りたいと思って、ネットで小林さんの事を調べたら、小説家だったなんて驚いたけど、それにその小説を読んで私は小林さんの事をますます好きになった」
好き好きと大胆に告白されて私は鼓動が破裂しそうな程、気持ちが高ぶる。続けて彼女は、
「とにかく小林さん。おばあちゃんの事を大切にしてね」
と「バイバイ」と言って帰って行った。
その後ろ姿をぼんやりと見つめて、私は思った。
これから彼女に迫られるんじゃないかと面倒だとも不安にも思ったが、正直気持ちは凄く嬉しかった。
ここで私は初めて小説家であって本当に良かったと思えた。
本当に思い上がってしまうほど嬉しく空へも飛んでいけそうな感じだ。
そして私の中から得体の知れない創作意欲が増してくる。
早速帰ってパソコンを開いて小説を描いた。