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裏切り

 まあ彼女の言う通り、ご近所同士としてのつきあいは大切にした方がいいだろう。


 とにかくこれからは彼女とは距離を置き姉さん一筋にして、生活を歩んでいきたいと思う。


 彼女は私を好きになった理由は詳しくは言っていなかったが、私が小説家と言う肩書きにひかれたのだろう。


 でも今日、今朝は強引に誘われたのに、帰るときはあんなにあっさりとして言ってしまった事に意味深に思えてきて、多分私と一緒にいてつまらなくなったのだろうか?


 小説家というのは基本的に孤独であり、面白い小説を書くには確かに誰かに出会ったり、見つけたりするのも手だが、でも私は過去の経験と膨大な量の小説を読んでいるので、これからもあまり人と接しないで良き書物から学び、小説家として進んでいきたいと思う。


 そう、私はあまり人と接したくないから小説家の道を選んだのだ。


 まあ人それぞれだが、私みたいな小説家はつまらない人間なのかもしれない。







 それから三日後、姉さんと僕との蟠りもなくなってきて、以前よりも姉さんとの絆が深まったと思う。


 でも達彦に対しては気をつけなければいけない。


 姉さんの親心につけ込んで、またお金をセビりに来るかも知れない。


 ご近所の涙さんとは何か関係を深めてくるようなアプローチをしてくるが、思ったより話の通じる人でストーカーには至っていない。


 でも気をつけないといけないと日々思っている。


 だが、そう気をつけなければいけないと思いながらも、彼女に 私は誘われ、その場に居合わせた姉さんにも笑顔で「行って来なよ」と促され、彼女とこの日つき合うことになってしまった。


 彼女に誘われた事に対しては断れたが、姉さんの後押しが利いて、しかもそれは私にとって嫌な事だったので半分自棄になっていたのかも知れない。


 今、涙さんと美術館を観光している。


 絵を見て思うことだが、私も小説家という芸術関係の仕事をしているから、絵に関心が持てて、見ていて楽しい。


 もしかしたら涙さんそんな私に気を利かせたのか?嬉しいのやら怖いのやら、と気持ちがあたふたとする事もある。


 私はこれからとんでもない事に出くわすことを知らない。


 そう美術館を出て、涙さんとのランチの時間の時だった。


 いつも渋々つき合っているが、彼女といて正直楽しい。そんな彼女との会話をしていると、聞き覚えのある下品な男の笑い声が聞こえてくる。


「大丈夫大丈夫金ならいくらでもあるんだから」


 恐る恐るその方に目を向けると達彦だった。


 しかも女性を三人くらい侍らせて会話をしている。


 あいつ、姉さんが貢いだお金をこんな事に使っていたのかと思うと、憤って私は他人のふりをして黙っていた。


 でもそんな情景を見て気分を悪くした私に、涙さんは、


「誰、知り合い?」


 と聞かれて、


「い、いや」


 と僕が狼狽えながら言うと、すぐさま目を細めて心を見る。


 達彦の下品な笑い声がこだまする音と、その私の心をのぞき込む涙さんの視線に耐えられなくなり、トイレへと行く。


 トイレの鏡の前で、精神的に追いつめられそうな自分のひどい顔を見て、嫌になるが、涙さんの機嫌を損ねてはいけないと思って、鏡に映っている人間を見つめて言う。


「大丈夫。落ち着いて」


 と連呼した。


 そこで達彦が入ってきた。


「あれ、良理じゃん」


 下品な笑顔を私に見せつけ私は思わず背けてしまった。


「そんな顔するなよ」


 私はほんの少しの勇気を振り絞って、


「姉さんが貢いだお金をこんな事に使っているのかよ」


 その視線を合わせて言う。


「貢いだって言うかさあ、何か良理の奥さん、他人じゃない気がしてきて、何か知らないけど、お金くれたんだよ」


「じゃあ、そのお金でちゃんと生活が出来るように働けよ」


「働くったって、俺も年だよ」


 私はいらついて、


「何いいわけしてんだよ。だったらあの女達は何だよ」


「まあまあ気にするなよ。それと」


 私の耳元で達彦はささやいた。


「お前の奥さん、俺が口説いたら案外たやすく抱かせてくれたぜ」


 そう言って達彦は用を足し出て行った。


 私は耳を疑い信じられなかった。


 いや達彦は姉さんが実の母親とは気が付いていないだろう。でも姉さんは実の息子の達彦には特別な何かがある。


 頭が狂いそうだった。


 呼吸が乱れて、目の前の視界が真っ暗に染まりそうだった。


 私はひどく動揺している。


 だから私は頓服で貰っている薬を取り出して、トイレの蛇口の水で飲んで激しく息しながら、落ち着け落ち着けと連呼した。


 今は涙さんと食事中だ。


 何とか彼女の心配は避けたい。


 鏡の前で笑顔を取り繕ったが、うまく笑えない。






 このまま彼女の前に戻ったら、彼女に心配され何か嫌になる。


 だったら彼女には悪いが、知らぬふりをして帰った方が良いと思う。


 そう思ってトイレの外に出た時、涙さんはトイレの前で待っていた。


「涙さん」


 思わずその名前を言う。


「遅いから、心配したよ」


 涙さんの顔を見ると本当に心配そうな表情で私を見ている。


 何だろう?そんな目で見られると無性に涙がこぼれ落ちそうになる。


 ダメだ。やっぱり涙さんの前では私の気持ちを見破られてしまう。


 私はもうそんな目で見られるのが嫌で、とっさにその場から立ち去った。


 会計で涙さんの分の代金も含めて、一万円札を投げつけ店を出た。


 私は外に出て走った。


「待って小林さん」


 と涙さんは追いかけてくる。


 彼女は女性の割に足が速く追いつかれそうだ。


 私みたいな引きこもりの小説家とは訳が違う。


 追いつかれたくない。追いつかれて涙なんて見られたくない。今は一人でいたい。


 でも、そんな思いとは裏腹に彼女は私を追いかけてくる。


 そして追いつかれ、私はもう理性のコントロールは出来なくて。


「付いてくるなよ」


 と罵って、捕まれた手をふりほどいた。


 私は彼女におぞましいくらいの目で見つめて、さすがの彼女もそんな私におののいている感じだ。


 そうだ。それで良い。


 私は彼女に背を向けゆっくりと歩いて去ろうとしたところ、どういうつもりか涙さんは後ろから私の事を抱きしめてきた。


「ほっとけないよ」


 女の子に抱きしめられるなんて姉さん以外に初めてだ。


 それはまた姉さんとは違った別の温もりを感じて心が癒されていく。


 だから私は彼女の気持ちを肌で感じて、


「ありがとう涙さん。でももう大丈夫だから」


 先ほどはこの上なく憤っていたのに、今は不思議と彼女の優しさに包まれて、心が穏やかな感じだ。


「言いたくないなら良いけど、さっきの男、もしかして小林さんの父親?」


 本当に涙さんの洞察力には感服してしまいそうだが、それに干渉されるのは私は嫌なので、私は黙っている。


 私は彼女の抱擁をゆっくりとほどいて、


「じゃあ」


 と言って私は帰っていく。

 



 涙さんと別れて、私は本当に独りぼっちになってしまった。


 だったらあの時、涙さんの優しさにすがりついていればなんて・・・・甘ったれた事を考える自分を自重したりもする。


 辺りを見渡すと、夜の町中を歩きさまよっていた。


 先ほどの達彦の言葉が木霊する。


『お前の奥さん軽々と抱かせてくれたぜ』


 あの下品な顔が頭に鮮明に浮かび、その言葉が私の頭の中でリフレインする。


 もはや私は正気ではいられない。


 姉さんは私を裏切ったのではないだろう。


 でももう姉さんに合うのが怖い。


 もう私は家には帰れない。


 スマホを見ると姉さんからの着信が十数件表示され、心配しているのが分かる。留守電も登録されている。それを聞く勇気は今の私にはなかった。


 ゆく宛がなくたどり着いた先は夜の繁華街だった。いかがわしい店が建ち並び、素行の悪そうな男や艶やかな女性が店の前で客引きなんかしている。


 以前の私だったらこんなところに怖くて近づけなかった。


 私は強くなったのか?いやそうじゃない。私はもうどうでも良くなってしまったのだ。


 もう私には失うもの何てない。


 だったら姉さんが若返らなければ良かったんじゃないかとさえ思ったが、誰のいたずらか分からないが姉さんは涙さんと同じくらいの年齢くらいに若返り、挙げ句の果てに、その若返った姉さんはその清らかな体を達彦の汚れた手に染められてしまった。


 別にそれはそれで良いんじゃないか?


 達彦に姉さんは汚されても姉さんは姉さん。


 そう頭の中で整理がついて、私はせめて姉さんの留守電を聞く気になってきた。


 スマホを取り出したが、電源が入っておらず、バッテリー切れみたいだ。私は自棄を起こしてスマホをたたきつけて壊そうと思ったが、とりあえず冷静になり、バッテリー切れのスマホをポケットにしまった。


 そんな時、私の心をぬらすかのように、雨が降り始めてきた。


 まるで私は悲劇の主人公だ。


 また一つ、小説が書ける。


 夏にしては冬の雪に匹敵するほどの冷たい雨だ。


 私は本当に行く宛もなく歩き、そんな中やはり達彦の言葉が頭に浮かび、それを振り払うかのように私はその場で全速力で走った。


 そして角を曲がったところ、何者かにぶつかって、私は、


「どこを見て歩いているんだ」


 と自暴自棄になっている私はそんな理不尽な事と分かっていても、止められなかった。


 相手を見ると厳つい私なんかが太刀打ちできないほどの強そうな男だった。


 私は死ぬ覚悟が合ったのかも知れない。それと同時に相手を殺す覚悟も合ったのかも知れない。


 その証拠に私は勢いで相手に立ち向かって・・・・・。




 私が死んでも悲しむ人はいる。


 きっと姉さんは悲しむ。


 でももう私は一人になりたい。


 本当に死んでしまいたい。


 でも私がいなくなったら、悲しむ人がいる。


 でも何だろう。それは分かっていても私はもう死んでしまいたい。


 達彦は姉さんを母親とは気が付いていないが、姉さんは達彦に子供と言う特別な感情があったため、達彦と肉体関係になったのは分かっている。


 分かっているけど、どうやら私の中でそれが許せない自分が存在している。


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