サタコと良理
目覚ましがなり、僕は目覚めて、ベットから降りて台所に向かう。
時計は午前四時を示している。
冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して僕はそれを一気に飲み干し、眠気を覚ます。そして朝ご飯の準備にトースト二枚を焼いて牛乳をついで朝ご飯を食しながら、ニュースを見る。
食事が終わって仕事を始めなければいけない。
私の職業は小説家であり、文章を書く事を生業として生きている。
二時間くらいが作業して、今の所はこのぐらい進めればいいだろうと思って、そろそろ起こさなくてはいけない。
僕は部屋を出て、サタ子おばあちゃんの部屋に入って、
「ばあちゃん朝だよ」
と揺さぶった。
「もうそんな時間かい」
「とりあえず食事を作るから、居間で待っていて」
僕はサタ子ばあちゃんの食事を作る。
サタ子ばあちゃんは私の唯一の親類だ。
父親がアル中で精神的におかしくなり、病院に搬送されたが、病院を脱走して行方がわからなくなっている。
まあ今更父親や母親の事などどうでも良い。
サタ子ばあちゃんはそんな私を引き取って、育ててくれた。
やはり多少の不自由はあったが、私は客観的から見て普通に育って成人したと思っている。
でも私はなれ合いは好きじゃないので、あまり人と関わりのない小説家の道を歩んだのだ。
昔から自分で言うのも何だが、やれば出来る子で、とにかく物事に自分から進んでいき、周りから頼りにされる存在だった。
友達もたくさんいたよ。
本当に楽しかった。
でも私は頼られてばかりで、それはそれで嬉しいのだが、頼られすぎて、心が疲弊して、精神的におかしくなり、大学を中退して精神科の病棟に入院を余儀なくされてしまった。
あの時はサタ子ばあちゃんに迷惑をかけてしまった。
サタ子ばあちゃんは毎日お見舞いに来ては、そんな心が疲弊した私を励ましてくれた。
それ以来、僕は対人恐怖症と統合失調症と言う病名をつけられ、退院しても今もなお薬を飲み続けている。
頑張ってアルバイトくらいはしようと、やってみたが、仕事は出来るけど、人と接するのが怖くなり、すぐにやめて、挫折して、落ち込み、また始めて、すぐにやめて、落ち込みの繰り返し。そんな事を繰り返している内に、心の器が小さくなってきて、些細な事で大声をあげたり、物を壊してしまった事があった。
そんな私をサタ子ばあちゃんは一度も僕をその非を攻めたことは一度もなかった。
むしろサタ子ばあちゃんは、働けなくても、よっちゃんが元気でいればそれで良いんだよ。
その時思ったんだ。
せめてサタ子ばあちゃんが死ぬまで生きようって。
サタ子ばあちゃんがいなければ僕は今まで生きてこれなかった。
それに生計を立てるために小説も描けなかった。
今、本当に幸せだと思っている。それは今も変わらずサタ子おばあちゃんが生きている限りは。
でもサタ子ばあちゃんは今年で九十、寝たきりにはなっていないが、常識的に考えて長くはないだろう。
サタ子ばあちゃんがいるから私は生きていられて小説だって描ける。
もしサタ子ばあちゃんがいなくなったら、私はどうすればいいのか恐ろしくもなる。
さてサタ子ばあちゃんの食事の準備も出来た。
「ばあちゃん出来たよ」
サタ子おばあちゃんは九十だが、まだ歩けなくはない。
ばあちゃんの朝ご飯は納豆とご飯とお豆腐で決まっている。
安上がりだし、大豆は健康にも良いから、長生きしたい女性にとっては持ってこいの食材だ。
お醤油は減塩で、食べさせている。
サタ子ばあちゃんは本当においしそうに食べている。
食事が済み、サタ子ばあちゃんに使った茶碗は自分で片づけるように言っている。
それはちょっと無理があってもやらせている。
何もしないでただ飯食って眠っているだけの年寄りにはさせたくない。
でもサタ子ばあちゃんは私の言うことをちゃんと聞いてくれる。
普通、お年寄りはわがままで、タガが外れてガキみたいな事を言って老人ホームの職員に迷惑かけっぱなしの高齢者が続出している。
でももうこのご時世四人に一人は高齢者の時代だ。
まあとにかく、周りはどうであれ、ばあちゃんには普通に生きていて欲しい。
ばあちゃんの世話が私の生き甲斐となっていて、ばあちゃんがいなければ私は小説を生業として生きていけない。
まあばあちゃんとは時にはぶつかり合うときもあるけど、それは昔と変わらない。
私を育てて二十五年も同じ釜の飯を食べているのだ。
お互いに嫌なところが露見しても別に仕方がないだろう。
朝ご飯は終わってばあちゃんは、居間でテレビを見ている。
私は私で職業である小説を進めようと、パソコンの画面に向かいキーボードを打つ。
小説を書きながら、いつものことだが、悩む。
何に悩むかと言うと、対人恐怖症とは言え、私を心から愛してくれる女性が現れないかと思っている。
その思いを題材に小説を描いている。
私のファンの人間は私の顔も年も知らない。ただペンネームで柴田盟と女性を名乗って、出版している。
出版と言っても電子出版で、私の小説は結構評判が良く生活できる程度までは稼げる。
時計が十二時を回りそろそろ昼食か。
今日の昼食はとりあえず、サタ子ばあちゃんが好きなうどんでも作ってやろうと思っている。
ばあちゃんは素朴でやすい物が好物だから、生活は安定している。
うどんの玉は一袋四十円で、ついでに私も食べるので八十円。それに鳥のささみを煮込んで、ネギをいれ出汁をとって完成。一人前にして二百円もしない安い昼飯だ。
サタ子ばあちゃんはそれをおいしそうに食べる。
私もそれを見てほっとする。
今日はこれぐらいにして、サタ子ばあちゃんの将棋の相手をしてやることにする。
このようなコミュニケーションは生活の意欲を促進させる力があると思っている。
それに私にはサタ子ばあちゃんしか頼る人がいない。
ちなみに将棋ではこの二十五年間一度もサタ子ばあちゃんには勝った事がない。
今日こそは今日こそはと思って真剣に勝負したが、まったく歯が立たない。
「ばあちゃん強いな」
「あたしゃに勝とうなんて十年早いよ」
何て調子に乗られてちょっといらっとしたが、まあいつもの事だ。
ばあちゃんもおだてなきゃ、ばあちゃんはばあちゃんでいられなくなるから、それはそれで良いと思う。
ついうたた寝して、子供の頃の夢を見た。
近所の縁日で花火大会が会った。
私はばあちゃんの手をしっかり握り、歩いた。
祭囃子が鳴り響き、気分が高揚してくる。
家はお金がない事を知っている。だから浴衣も買えないし、出店の品物さえも買えない。
周りの子供達は色々と買ってもらえて羨ましいと思った。
だだをこねてまで買って貰う子を見て、僕もあんな風にしてねだりたいと思ったが、ばあちゃんが迷惑するからやめておこうと思った。
「よっちゃん」
ばあちゃんが私の名前を呼んで、その顔を上げると、私に大きな綿飴を差し出した。
気持ちは嬉しいが、私は何か申し訳ない気がして、
「良いの?」
と聞くと、
「おあがんなさい」
僕は大きな雲みたいな綿飴をむしって食べて、口いっぱいに広がる甘みがすごく絶品で、こんなおいしい物は食べたことがないと思ったんだっけ。
その後、大きな綿飴をおばあちゃんにも食べて貰いたいと思ってちぎって差し出したが、「みんなよっちゃんが食べなさい」と言われたが、僕はだだをこねて「おばあちゃんも食べて」と強引に言っておばあちゃんはやれやれと言った感じで、ちぎった綿飴を食べて、ほっこりとした表情でおいしいと笑顔で言ったんだ。
そして突然夜空から大きな音がして、夜空を見上げると、花火があがっていた。
綺麗にさいては儚く消える花火、僕は未だに忘れられない。
思い出に浸るのは何か気持ちいいが、あまりふけりすぎると自分を見失ってしまうので、外に出て買い物に出かける事にした。
ばあちゃんも運動のためちょっと強引だが連れて行く。
ドアを開け外に出ると、お隣さんの女子高生がいた。
名前は知らないが、その女の子は僕をじっと見つめて、何も言わずに中に入って行った。
多分、いつも私が家にいるから世間では私のことをニートとでも思っているのだろう。
傷つくが仕方がない。
それに好都合かもしれない。
そう思われていた方が、あまり人と接することはないのだから。
ばあちゃんは階段を下りるのも難儀で私はそれに会わせるように一段一段ゆっくりと降りるように促した。
行き先は近所のスーパーだ。
ここ団地密集地のお客が密集する。
ばあちゃんと並んで、品物を物色する。
「ばあちゃん。今日は何が食べたい?」
「久しぶりにお刺身が食べたい」
お刺身か、今の時間ならタイムセールで半額だからいいだろうと思って、五百円のお刺身だが半額で二百五十円で販売されており、それを二つ取り、そろそろテッシュもなくなって来たから買っておくことにしよう。
帰りも、やはりばあちゃんにとって階段は難儀だ。
「ばあちゃんゆっくりな」
「はいはい」
と、ばあちゃんはゆっくりと階段を一段一段登っていく。
そんなばあちゃんを見て、色々な不安が頭によぎる。
もうばあちゃんも長くない。
私はばあちゃんがいなくなったら独りぼっちになり、どうなってしまうのだろうと人知れず不安を感じていた。
ばあちゃんが俺と同じ年ぐらいで、体が不自由じゃなかったらな。そうしたらお互いに安心して暮らしていけるかも知れない。
何て思っていると誰かに見られている視線を感じて、その方向に視線を向けると、先ほどのお隣さんの女子高生が僕をベランダから見ていた。
僕と目が合うと、罰が悪そうにすぐに引っ込んで姿が見えなくなった。
「ニートがそんなに珍しいか?」
まあ、私は小説家でニートではないのだが、あまりその事を公言するのもよくないだろう。
私は人と関わるのが苦手だ。だから誤解されてもいいから人とは関わる事はなるべく避けたい。
ばあちゃんは階段を上りきって疲労困憊で、
「やっと登れたよ」
「じゃあ後は私がやっておくから、ばあちゃんは居間でテレビでも見て待っていて」
食事の用意は簡単だ。
先ほど買ったお刺身と、トマトやレタスを切って添えて、ご飯をよそって後は召し上がるだけ。
ばあちゃんはご飯をゆっくりとかみしめながら食べている。
私も食べる。
おいしいお刺身だ。食べている時、ばあちゃんが言う。
「わたしゃがもっと若ければ、よっちゃんに面倒はかけられなかったのにね」
「・・・」
その問いにどんな言葉を返せばわからないので僕は黙っていた。
食事が終わり、ばあちゃんをお風呂に入れ体中を磨いてあげ、寝間着に着替えさせた。
これが私とサタ子ばあちゃんの二人だけの幸せな生活だ。
貧しくても、ただ一人かけがえのない存在であるばあちゃんがいれば私は生活が出来る。
ばあちゃんの世話をすることは時には面倒だとか、こんなババア早くいなくなれ何て思うときもあるが、いざばあちゃんがいなくなる事を考えると、それは地獄を彷彿させるかのように恐ろしいことだと思う。
ばあちゃんの世話は僕の生活意欲をかき立てる原動力になっている。
ばあちゃんも寝て、私は寝る前に小説を描いた。
こうして小説が描けるのは、私の小説を読んでくれている人がいるからじゃない。サタ子ばあちゃんがいるから小説を描くことが出来るのだ。
でも私の小説を買ってくれて嬉しくも思ったりして、それはそれで創作意欲をかき立てるが、本当の創作意欲の根元はサタ子おばあちゃんの世話だ。
夢だった事に私は安心する。
恐ろしい夢を見た。
サタ子おばあちゃんが亡くなった夢だ。
時計を見ると午前四時前で、まだ目覚ましはなっていない。
そこで私はサタ子おばあちゃんが心配になり、部屋へと駆けつけた。
「ばあちゃん」
そこにいたのはサタ子おばあちゃんではなかった。
髪は白髪一つない真っ黒で、誰だと思って顔を見ると、見知らぬ若い女性だった。
僕はひどく動揺して、後ずさり、そして少しして気持ちを整え、その見知らぬ女性をたたき起こした。
「誰だお前は」
「どうしたのよっちゃん」
「どうしてお前がそのあだ名を」
「どうしてってどうしたの」
その若い女性は、よく見るとサタ子ばあちゃんの寝間着に身を包んでいた。
「お前、サタ子おばあちゃんをどうしたんだよ」
「サタ子はあたしゃだけど」
「嘘付け」
でたらめなことを言う見知らぬ女性にもはや堪忍袋の緒は切れかけていた。
するとサタ子と私のばあちゃんを名乗った女性は自分の体を見て、
「あれ」
と何か異変を感じているような仕草をした。続けて、
「あたしゃどうしたの。体が若い頃のようにスムーズに動くじゃないか」
とジャンプする。
そんな見知らぬ女性を見て、写真でサタ子おばあちゃんが若い頃の姿を見たことがあるが、それとそっくりだった。