にび色の残像
人気の絶えたプラットホーム。
裸電球が儚げな明りをコンクリートに落としている。吐き捨てられたガムがあちこちに黒いシミとなり、誰も使わない洗面台では、ポタッ、ポタッと水滴が滴っていた。
こんな寒い時期に洗面所を使う客などいないのに、アルマイトの洗面器がきれいに磨かれている。その鏡も、今は何も写していない。
改札を抜ける人はまばらで、誰もが大きな鞄を提げている。
まだ少し時間があるのか、ホームへ渡った乗客は吸い寄せられるように、まだ灯りを落としていないそば屋の小さな暖簾をくぐった。その中だけは風をしのげる、暖かな空間なのである。
キーンと冷え込んだホームの先には赤色の信号現示。凍える寒さのせいか、やけに鮮やかに燈っている。
ほどなくして駅員が二人、構内踏み切りを渡ってホームに姿を現した。どちらも白い手袋をしてカンテラを提げている。一人はホームの先端へ。もう一人は後端へと足早に去って行った。
ココーン、ココーン。
レールが音を立て始めた。
不意に眩い光が遠くに現れ、ぐんぐん近づいてくる。レールの音も強くなってきて、キーン、キーンという軋みも聞こえてきた。
そば屋にいた客が鞄を提げてホームに出た。そして、空いていそうな車両の見当をつけて移動してゆく。もっと賑やかな駅なら汽車弁の立ち売りもいるだろうが、あいにく乗客がまどろむ時刻である。きっと売れはすまい。
ダン、ダダダダダ、ダン、 タタン、タタタタン……。
ギ、ギー。
闇をついて駆け込んできた夜汽車が、静かに行き足を停めた。
窓の内側はぼんやりした電球の明かり、橙色に照らされている。多くの乗客は、硬い背当てと窓枠に、肘掛にもたれて目を閉じていた。
床下から湧き出した蒸気が車両の裾を覆い隠し、乗客は雲に足を踏み入れるように昇降口に消える。
ホームの先端にいた助役は機関車に駆け寄った。
「ごくろうさんです。この先、特別な注意事項はありません」
窓越しに応対した運転士は、口数が少ない。
「この先、特別注意事項なし、了解です。ごくろうさんです」
ただそれだけ言うと前方に向き直った。
出発現示が青に変わった。
「出発進行!」 「出発進行!」
運転士の指差換呼にあわせて、運転助手も換呼する。
「上り五〇三八列車、発車」
車掌からの発車合図とともに、運転士はブレーキ弁を開放した。
「発車!」「発車!」
ホーー。ため息を漏らすようにブレーキがとかれた。
ほんの少し、連結器の隙間分だけガチャガチャという音をたて、列車はふたたびレールを刻み始めた。
……タタンタタン、タタンタタン、タタン。
チョコレート色の列車が助役の前を通り過ぎてゆく。
一番後ろの窓を開けて、車掌が敬礼を交わしていった。
タタッタタッ、タタッタタッ……。
軽快にレールを刻むようになるとみるまに音が小さくなり、やがて聞こえなくなった。
赤い尾灯だけが遠い闇の中にかすかに見え隠れしている。
ホームの異常を点検した助役が視線を戻すと、すでに列車は闇にのみこまれていた。