第9話 叫び声は聞こえなかった
東京の夜、ネオンの光が届かぬ闇が広がる。東京湾の辺縁、観光客が足を踏み入れない寂れた工業地帯。
錆びた倉庫のシルエットが月光に浮かび、遠くで機械の低いうなりが響く。レンタルボックスの前に、パトカーの赤い光が点滅する。
<23:00 東京湾レンタルボックス>
刑事・八車鳴一、巡査部長の肩書を持つ彼は、7年前は一介の巡査だった。パトカーから降り、懐中電灯を手にレンタルボックスの前に立つ。
錆びたシャッターの隙間から、潮風と油の匂いが漂う。コンクリートの地面には海水の染みが広がり、遠くで波が打ち寄せる音がかすかに響く。
現場には既に別の刑事がいた。伊藤誠、メガネをかけた端正な顔、冷静沈着な目つき。
「遅いですよ、八車巡査部長」
伊藤の声は静かだが、どこか挑戦的だ。
メガネを軽く直し、ボックスの奥を指さす。
「被害者です」
薄暗い蛍光灯の下、皮膚のない遺体が横たわる。40代から50代の男性、筋肉と骨がむき出しで、まるで剥製のような無機質な姿。
八車の顔が一瞬強張るが、すぐに冷静さを取り戻す。
「またか……」
彼は呟き、被害者の所持品に目をやる。
良笑社のネームプレートが床に転がっている。
「SCチーム峰岸」
フィギュア業界の従業員だ。八車はネームプレートを手に取り、冷たい金属の感触を確かめる。
伊藤が言う
「遺体の状態から、赤男の可能性が高い」
八車は眉をひそめる。
「赤男……だが、なぜ中高年だ? 若手俳優ばかりだったはず」
伊藤は肩をすくめ、視線を逸らす。
「それはこれから調べます。あなたも動いてください、巡査部長」
伊藤の部下たちが現場を封鎖し、証拠品を回収し始める。カメラのフラッシュが遺体を照らし、ビニール袋に詰められるネームプレート。
八車は現場の空気を吸い込む。潮の匂い、鉄の錆、そして遺体の無音の叫び。赤男の影が脳裏をよぎるが、彼は口を閉ざし、伊藤の横顔を盗み見る。
メガネの奥の目は、まるで全てを見透かすように静かだ。
<5年前の記憶>
5年前の悪夢が、八車の胸に蘇る。
若手俳優連続失踪事件――11人の遺体がホルマリン漬けで発見されたあの事件。警視庁が「証拠不足」で捜査を打ち切った時、八車は納得できず、辞表を握り潰す寸前だった。
その時、イドと出会った。休職中のイドは、憔悴した顔で八車に囁いた。
「警察学校でお世話になった先輩にお願いあります。八車さん、伊藤誠……いや、日神総一を追って下さい。」
彼の目は、恐怖と執念で揺れていた。水槽に浮かぶ11人の遺体――その異様な美しさが、イドを蝕んでいた。
八車もまた、あの現場で震えた。だが、イドの言葉に突き動かされ、辞表を撤回。以来、日神の尾行と捜査を密かに続けていた。
日神総一は公安のエリートだ。博識で正義感を装うが、赤男に関わる噂が彼を疑わしい存在にしていた。
八車は考える。
(日神、お前は何を隠してる?)
<日神への疑念>
現場で日神を観察する。日神の指示は的確で、部下たちは迷いなく動く。だが、八車にはその動きがあまりにも計算されたものに感じられた。
日神が部下に指示を終え、現場を離れる瞬間、八車と目が合う。その目は、まるで八車の疑念を見抜いたかのように鋭い。
八車は被害者のネームプレートを握りしめる。
「SCチーム峰岸」なぜフィギュア業界の従業員なのか? 赤男のターゲットが若手俳優から変わった理由は何か?
彼は現場を歩き、コンクリートの地面に残る油の染みを睨む。
赤男の手法は一貫している。皮膚を剥ぐ残虐さ、まるで芸術のような配置。だが、今回の被害者は中高年だ。動機の変化は何か?
八車の胸に、熱血と冷静さが交錯する。彼は日神に一瞥をくれ、現場を後にする。
(あの男、警戒した方が良さそうだな……)
< 23:50 車内>
八車はパトカーに戻り、助手席に積まれた5年前の事件資料に目を落とす。黄ばんだファイルには、若手俳優11人の写真、失踪現場のスケッチ、そして「赤男」の文字が赤ペンで殴り書きされている。
八車はスマホを手に取り、イドの番号を呼び出すが、指が止まる。
「だめだ……まだ証拠が足りねえ」
彼はファイルを握りしめ、考える。
5年前、警視庁が捜査を打ち切った裏には、政府の圧力があった。若手俳優の失踪は、単なる犯罪ではない。赤男の存在は、誰かを生贄にする闇の幕かもしれない。
今回の被害者――中高年の従業員、なぜターゲットが変わった? 八車は資料をめくり、被害者リストを眺める。11人の若手俳優たちの姿が、水槽のガラス越しに揺れる。赤男の影は、業界の深い闇に根ざしている。
(日神、お前は何を知ってる? 赤男はどこに潜む?)
八車はファイルを閉じ、エンジンをかけ、車は闇の中へ走り出す。日神の影を追い、アクセルを踏み込む。
<警視庁刑事部捜査一課>
名前:八車 鳴一
性別:男性
年齢:38歳
身長:185cm
風貌:セミロングの黒髪をオールバックにし、鋭い目つきと長身の精悍な体格。ダークスーツに緩めたネクタイ、現場ではコートの襟を立てる。
職業:刑事 巡査部長(7年前は巡査)
性格:熱血と冷静さを併せ持ち、正義感と執念で事件を追う。仲間への使命感が強く、5年前の若手俳優連続失踪事件のトラウマに突き動かされる。赤男と日神総一への疑念を胸に秘め、時に脆さを見せるが不屈の精神で立ち向かう。
名前:伊藤 誠
本名:日神 総一
性別:男性
年齢:30歳
身長:179cm
風貌:端正な顔立ちにメガネをかけ、整った黒髪と冷静な目つき。スーツは常に完璧に着こなし、隙のない雰囲気を漂わせる。現場でも動じず、計算された仕草で周囲を牽制。
職業:警視庁公安部(エリート捜査官、表向きは刑事として活動)
性格:知的で冷静沈着、表向きは正義感を装うが、裏に底知れぬ野心と秘密を抱える。部下への指示は的確で、完璧主義者。八車の疑念を鋭く見抜く洞察力を持ち、言葉や視線で相手を試すような二面性がある。赤男事件への関与が噂され、謎めいた存在感を放つ。




