第4話 オレがカルデニア!?② 「オレも夢をみた」
まぁ、いきなり江藤に抱きつかれてとても驚いたが、いい香りがした。
どこか懐かしい夏の匂い。
あれはいったい、なんだったんだろう。
「ただいまぁ」
「遅いよ、アラタッ。今日は入学式ではやく帰るんじゃなかったの? お腹すいたぁー」
「昼飯ぐらい適当に作って食べろよ」
「そうやって、家事から逃げようとするのね。いっつもアタシばっかりに押し付けて。今日の当番はアラタなのよ。責任感がなさすぎる」
帰宅して早々に文句ばかりをいう女は、オレの姉、風玲愛。
親父は仕事で海外に。しばらくしてから母も親父についていった。残ったオレと姉は、家事の分担などでよくケンカをする。
あまりにも口うるさいので、ムスッと不機嫌な顔をしても、五歳下の弟のことなんて下僕としか思っていない。
口答えをしようものなら、フンッと鼻息を荒くして、何十倍も言い返してくる。かなり厄介な相手だ。
「アラタ、はやくしてよ。三時には隼人クンがむかえに来るんだから」
「隼人? あれ、ヒロ君は?」
「……飽きた。勉強しかできない男はつまんないのよ。そうね、やっぱり男は力強さと、積極性。さりげないやさしさも必要ね」
えらそうにいう姉の部屋は、ゴミ屋敷のように汚い。
決まり事にもルーズだし、うまい飯も作れない。それなのに、うわべを飾ることと、男をだますテクニックだけは超一流。
オレは肩を落とした。
姉のような女と毎日顔を突きあわせていると、女性不信になりそう。でも、江藤はどうなんだろう?
良い匂いと、やわらかい感触を思い出す。
「あら、やだ。アラタ、顔、赤いよ」
「は? なにいってんの? 赤いわけないじゃん。オレは別に。江藤が勝手に――」
抱きついてきた。と、いいかけて口をつぐんだ。
「エトウ? アンタそれ、女の子に殴られたの? アタシのグーとおなじ大きさね」
「え? あっ」
顔が赤いって、殴られた頬のことか。なんかいろいろと勘違いをして、冷静さを失っている。ビックリするほどやわらかい身体に、ちょっとつめたかった細い腕。江藤に抱きつかれたことが、頭から離れない。
「あぁー、もう。うるさいッ。昼飯はなにがいいの? リクエストないなら勝手に作るよ」
「なんでもいいわよー。アタシが作るより百倍おいしいからね」
がんばって受験をのりこえた。今日は入学式で、本来ならお祝いされる側の人間だと思う。それなのに、江藤に殴られ、姉のいいなり。
あまりにも最悪な一日に、しおれた花のようにうなだれた。
「アラター、はやくしてよー」
「へいへい」
ぱっと簡単に作るなら、パスタがいい。
大きめの鍋にたっぷりの湯をわかし、塩をいれた。
冷蔵庫をのぞいて、タマゴとブロックベーコンを手にとる。
サッと切ったベーコンが焼けてきたら白ワインをくわえたいが、あるはずもなく、姉の酒を勝手に使う。
チラッと姉をみても、気がついていない。みつかれば、きっとまた口うるさく説教されるだろうな。
湯がわいたので、パスタをいれた。
ボウルにタマゴと粉チーズをいれ、生クリーム……これもないから、牛乳を加えて、黒コショウをふる。冷ましておいたベーコンがはいったフライパンに、ゆであがったパスタと、ゆで汁をすこし加えて、ボウルの中身を素早くまぜるだけ。
「できたぞ」
「えー、カルボナーラ? カロリー高そう」
「イヤなら食うな」
「ちゃんと食べるわよ」
いろいろと文句をいってきても、食べるときはとても良い顔をする。
とろっとした濃厚なソースにパスタをからめて、ときどき目をほそめながら「んー」といって、とてもうまそうに食う。
「で、江藤さんってどんな娘なの? アラタを殴るなんて、勇気あるわね」
「……はやく食わねぇと、三時になるぞ」
「えっ、やだ。もうこんな時間。今度から、帰りが遅くなるときは、ちゃんとメッセージ、いれてよね」
ブツブツ文句をいいながら、カルボナーラをつめこんでいる。
食ったあとは、色あせたパジャマを脱ぎすてて、服えらびがはじまった。
オレはまだ飯を食っているのに、「アラタァ、スカート、知らない?」と、下着姿でウロウロする。
「飯がまずくなるから、部屋で着替えろよ」
「失礼ね。あ、そうだ。今日、夕飯はいらないから、適当になんか作って食べなさいね」
「ちょっと待て。夕飯当番は、てめぇだろ。なんか作っていけよ」
「時間がないの。明日の朝ご飯はアラタの番だからね」
ムカついて怒っても、姉はオレのことなんか気にしない。楽しそうに鼻歌まじりでいってしまった。
飯を作らなかった方があと片付けをする約束も、いつの間にか破られている。
洗いものがたまったキッチンに目をやると、疲労が波のようにおしよせてきた。
「やってられるか」
ソファーにドカッと座り、かるく目を閉じた。
家のなかは静かで、壁時計からカチコチと、秒針の音だけが聞こえる。
静けさにスゥッと心が落ち着くと、また夏の海にいるような、江藤のふわりとしたやさしい香りを思い出す。
「ああぁ、もうッ」
イラッとして、そのままソファーに寝転んだ。
頼むから、頭から離れてくれッ! 心のなかでオレは叫んでいた。
――アタシは認めないよッ!
だれだ?
――エトワールを泣かせたら、許さないんだからねッ!
ヒステリックに叫ぶ女の声。
勘弁してくれ。
ややこしくて厄介な女は、姉だけで十分だ。
オレは目を開けた。
開けたというよりも、意識だけがスッと誰かのなかにはいっているような、ヘンな感覚がする。
そして白い石畳が続く、みたこともない町並みにオレはいた。
キツイ潮の香りと、よせてはかえす波の音が聞こえる。そして、目の前にいる鮮やかな赤い髪色の女に、息をのんだ。
姉にそっくりな女だけど、雰囲気がすこし違う。……オレに似ているかもしれない。
「コラッ、聞いているのかッ! エトワールの黒い髪を最初にほめたのは、アタシなんだから!!」
え、なんだこれ? ちょっと、待てよ――。
赤い髪の女をつかまえようと手を伸ばしたが、つかむことができない。
身体がガクンッと崩れおちた。
「ぅわッ」
ハッと意識を取り戻したオレは、リビングのソファーの上にいる。
「え、なに。いまの……夢?」
艶やかな色のある夢。潮の香りもまだ鮮明に覚えている。
江藤が保健室で話した、カルデニアのことが頭をよぎった。
異国情緒あふれる知らない町で、江藤はエトワールと呼ばれ、羽野はエトワールの母親だった。そして、エトワールの親友、カルデニアがオレに似ていて……。
いや、ヘンな話を聞いたから、それが頭に残っていてあんな夢をみたに違いない。
部屋は暗くなり、時計をみると七時を過ぎていた。
いつの間にか深い眠りにおちていたようだ。
「ったく、なんなんだ」
ヘンな夢をみたせいか、やけに鼓動がはやくなっている。寝汗もひどいし、体もだるい。
重い体を動かし、立ち上がると、窓からつめたい風がはいってきた。
カーテンが大きくゆれ、青白い月の光が差し込む。すると、真珠のように輝く月と目があい、ドクンと心臓が大きな音をたてた。
「満月が心を奪いに来るような、ちょっと怖いけど心がひかれる月夜に、必ずみる夢があるの」と、江藤はいっていた。その真剣な眼差しを思いだして、オレはその場から動けなくなっていた。




