第3話 エトワールの記憶② 「カルデニアってなに? 再び…… 」
そういえば、わたしはカルデニアの髪が大好きだった。
美しく燃えあげる炎のような赤い髪。耳から下はくるりんと軽くウェーブがかかっていて、オシャレ。
エトワールはうらやましいと何度もいっていたけど、カルデニアはストレートな髪にあこがれていたっけ……。
わたし、悪いことしたなぁ。
実際にカルデニアと同じぐらいクセのある髪になって、はじめてその気持ちがわかった。
朝の支度に時間がかかるし、雨の日はもぅサイアク。まとまるという言葉を知らない髪なんか、バッサリと切ってしまいたいぐらいだ。でも切ったら、四方八方にひろがり、大爆発したような髪形になるんだろうな。
一瞬深い眠りに落ちた気がしたけど、ゆっくりと、くっついていたまぶたが開く。
白くぼんやりとした景色の中、カルデニアと目があった。
「ごめんね、カルデニアッ!」
ガバッと飛び起きて抱きついた。
「わたし、クセ毛がこんなにも大変だなんて知らなく……、あれ?」
やけに太い首。
肩下まで伸びているはずの赤い髪がない。
消毒液の匂いが鼻につき、ぼやけていた視界がハッキリとみえてくる。
白いシーツのかかったベッドの上にわたしがいて、抱きついているのは――。
顔を真っ赤にして、両手を万歳したまま硬直している一条新太。
「イィヤァァァァーッ」
無意識に叫び声が出た。と、同時にわたしの右手はこぶしを作り、一条君の頬をめがけて――。
ガツンとクリーンヒット。
「な、なにすんだよ。てめェッ」
頬を押さえてイスから立ちあがった一条君をみて、さらにわたしの顔が熱くなる。
「だ、だって」
言い訳をしようとしたが、一条君は怒っている。恥ずかしさの色で染まった顔よりも、グーの跡がついた頬が、痛々しいほど赤い。
「てめェが勝手に抱きついてきて、なんで殴るの? おかしいだろッ! オレ、なんもしてないぞッ」
「ご、ごめんなさい。で、でもね」
「あー、いってェ……。女に殴られたなんてはじめてだよ。しかも、グーで殴るか?」
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。すっかり寝ぼけてて」
何度も頭をさげて、謝るしかなかった。
申し訳なさと、あまりにもおバカなことをしてしまったという後悔で、全身が燃やされるような恥ずかしさに包まれる。鼻の奥がツーンと痛くなって、目の縁からは涙がこぼれそう。
一条君は頭をかきながら再びイスに座った。そして、白い布団をギュッと強く握りしめながら、涙をこらえるわたしの頭に、ポンッと軽く手をのせた。
「もういいよ。それより、大丈夫なのか?」
「え?」
「オマエ、突然倒れたんだぞ。どっか体、悪いのか?」
小さく首を横に振った。
入学式のあと、生活指導のセンセイに髪をつかまれたことを思い出す。異なるものを認めようとしない、攻撃的な眼差し。その出来事がエトワールの記憶を呼び起こし、眠ってしまった。
「オマエも髪のことで苦労してるんだな」
さっきまで怖い顔で怒っていたのに、一条君はニカッと笑っている。
わたしの頭をグシャッとなでると、今度は自分の髪をひっぱった。
「ほら、オレの髪も赤っぽいだろ。生まれつきなんだけど、校則とかなんとかうるせーよな。あ、オマエの母さんか? センセイに怒鳴り散らしていたぞ」
「えっ、どうして?」
「入学式だし、保護者はきてるだろ。オマエが倒れたから、連絡がいったんじゃね? いまは、校長室で話しあいってところかな」
一条君は、校則にうるさい生活指導のセンセイに「ざまあみろと」いいたそうな感じだったけど、わたしは顔を伏せた。
昔から、脱色したような明るい栗色の髪のせいで、お母さんが学校に呼び出されることがある。
いつもわたしをかばってくれるけど、家に帰ると必ず悲しそうな顔をした。
「黒い髪にしてあげられなくて、ごめんね」……と。
お母さんはなにも悪くない。
もし、エトワールがわたしの前世なら、カルデニアのようなかわいいカールのかかった髪で、黒とは違う色になりたかったのかな。
でもそれは「隣の芝生は青くみえる」ただそれだけのこと。
あとは、それをどう受け入れて、納得するか。
濡羽色の髪を好きになったエトワールのように、前向きでなきゃ、わたし以上に傷つく人がいる。そんなのはイヤだ。
「いい母さんだな」
一条君の言葉に大きくうなずき、照れ笑いをした。
やわらかくて温かい気持ちになれたけど、隙間風のような寂しさが胸をつく。
目の前にいるのはカルデニアに見えるのに、カルデニアじゃない。
また一緒に買い物をしたり、ランタンのあかりがユラユラと揺れるのを眺めながら、朝までおしゃべりしたり、たくさんの楽しい思い出があふれかえっているのに、どうすることもできない。
「大丈夫そうだし、オレ、帰るわ。羽野、あとはよろしくな」
「……え?」
立ち上がった一条君の視線は、わたしを飛び越え、はるか先にある。
倒れてから保健室のベッドに寝かされて、長い夢をみていた。そして、目を覚ますと、ベッドの右側にいる一条君をカルデニアと間違えて抱きついた。それから頭をグシャッとなでられて……。
バッと勢いよく左側をむくと、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべる真鈴がいたので、思わず大きな声が出た。
「真鈴ッ。いぃ、いつからいたの?」
「最初からずっといるのにィ。ふたりの世界に入りきって、私に気がついてくれないんだもん。ちょっと傷ついたかなぁ~」
真鈴のからかうような声に耳まで熱くなって、反論すらできなかったけど、一条君は違った。
「ふたりの世界って、オレはグーで殴られたのに?」
赤く腫れた頬をさすり、これ以上からかうなと怒っているような、鋭い眼差しで真鈴を見下ろしている。
険悪な空気にわたしはオロオロするだけだったけど、真鈴も負けていない。
フッと鼻で笑い、わたしの手を取った。
「ねぇ蓮夏ちゃん、知ってる? あ、倒れてたから知らないかー。一条ね、ものすごく血相をかえて、倒れた蓮夏ちゃんをガバッと抱きあげたのよ。あれは見事なお姫様だっこだったんだよ」
「は? め、目の前で人が倒れたら、だれだってそうするだろッ!」
「へぇー、そーなんだぁー」
怖い顔でにらまれても動じない真鈴。
意外と胆が据わっているので感心していると、一条君が大きなため息をつき、またイスに座りなおした。
「羽野とは話にならないな。江藤、ひとつ聞いていいか?」
「え、なに? いいよ」
「カルデニアってなに?」
一条君にじっと見つめられると、ボッと火がついたみたいに全身が熱くなり、たらたらと汗がこぼれ落ちる。
真鈴になら、いや、気心の知れた真鈴だからこそ、不思議な夢のことを話せた。
一条君はカルデニアかもしれないけど、真鈴とはまったく違う。
チラッとすがるような思いで真鈴に視線をおくるけど、ただただ大笑いするのを必死にこらえている。
「は、話さないと……いけないのでしょうか?」
なぜか敬語しか出てこない。
お願い、誰か助けて。
男の子に夢の話をしたって、バカにされるか、呆れられるだけじゃないかァーッ。
勘弁してください……。