第5話 約束② 「フォンセのいない世界」
船が海賊に襲われた。と、港町は朝から騒然としている。
フォンセがいない間、リララックの家に世話になっていたアニスは、エトワールをつよく抱きしめたが、震えがとまらない。
ラスティもフェザードもケガをして、帰港してすぐに王都に運ばれたことまでは、フレムもリララックも教えてくれた。ところが、肝心のフォンセの情報だけが、いつまでたってもはいってこない。アニスが必死になって尋ねても「わからない」をくり返すばかり。
不安と焦燥で、荒れる波のように心をかき乱されたアニスは、フレムからもらったラメルの願い石、エルネロスの涙にフォンセの無事を祈る。しかし、青い石はつめたく、アニスの悪い予感を否定しない。
時間だけが無情に過ぎていく中、最初にあらわれたのはフェザードだった。
「すまない、アニス。みんなでフォンセを守ろうとしたのだが、海賊に襲われて海に……」
アニスのちいさな手にのったのは、錆色の血がべっとりと付着している革袋。
ずっと悪いことばかり考えていたが、現実を突きつけられると、呼吸が乱れた。それでも苦しい胸をおさえて、惨状を伝える革袋をおそるおそるのぞき込む。
革袋の中には、深緑色の粉がつまった小瓶がひとつだけ。
「薬?」
「そうだよ。フォンセはそれを私に託したんだ。「アニスを頼む」といって」
いかないで。と、すがりついたのに、フォンセは必ず帰るといって家を出た。だれよりも深い愛情でアニスを包み込んだフォンセは、一度も約束を破ったことがない。それなのに――。
アニスは悲しみよりも先に、怒りが沸々とわきあがっていた。
「……フォンセが、あなたに? 私を……、頼むですって?」
「ああ、そうだ。最期までアニスのことを心配していた」
フェザードは涙ぐみ目を伏せたが、アニスは革袋から小瓶を取り出すと、おもいっきり床にたたきつけた。
パリーンッと激しい音と共に、小瓶は粉々に砕け、深緑の粉が飛び散る。
「アニスッ、なんてことを!」
つよく腕をつかまれたが、力いっぱい振り払った。そして――。
「フォンセのいない世界に、私はいらない」
美しい金色の瞳に、攻撃的な色が浮かぶと、フェザードは顔色をかえた。
「なぜわからない。その選ばれし者の目が、この世界を救うことをッ」
怒りで顔を真っ赤にし、無理やりアニスを連れ出そうとしたが……。
「アニスにさわるなッ!!」
大きな声と共に、隣の部屋から飛び出したのは、真っ黒な髪に黒い瞳。一瞬、ほんの一瞬だけ、フェザードは心臓をつかまれたような恐怖を感じ、アニスを手離した。だがすぐに、フッと笑う。
飛び出してきたのは、紅葉みたいな両手をひろげているエトワール。ちいさな身体でアニスを守ろうとしていた。
フェザードは表情のない顔に戻るとアゴを引き、剣に手をかける。
「フェザード、やめてッ!」
アニスはエトワールを抱きかかえ、その場で泣き出した。
フェザードはふたりを見下ろしたが、睨みつける黒い瞳が、あのいまいましい男の最期を思い出させる。
「……こんな汚い子をうんだのか」
軽蔑するような眼差しをむけると、フェザードは身をひるがえし、その場を去った。
アニスはずっと泣きながらエトワールを抱きしめ、「ごめんね、ごめんね」と何度も謝る。そしてその日から、アニスは起きあがれないほど衰弱していく。
ずっと草わらのベッドに横たわり、食事も満足に取らない。心配をしたエトワールは、泣きながらよくラスティの家にいった。
ラスティは海賊たちと戦った傷が癒えても、アニスのもとへ足を運べなかった。かわりにフレムが毎日、娘のカルデニアを連れてアニスを見舞う。
エトワールとカルデニアはなかよしで、いつも楽しそうに笑い、深い悲しみに沈んだアニスの心を、すこしだけ穏やかにしていた。
「フレム、私はひどい母親だわ。ずっと寝てばかりで、もう抱っこもしてあげられないの。エトはまだ四歳なのに……。こんな姿をフォンセがみたら、なんていうかしら」
「ラスティが付いていながら……。ごめんねアニス」
フレムは横になるアニスのそばに座ると、やわらかい金色の髪をやさしくなでた。すると、アニスはうれしそうに目を細める。
「ラスティは元気にしてる?」
「……でかい図体をしいても、気が小さいからねぇ。ひどく沈んでいたけど、まぁそれなりに生活しているよ」
「そう……。私、海がみたいの。ひとりじゃ動けないから、ラスティにお願いしてもらえないかしら?」
「そんな身体で外に出たら、ますます弱っちまうよ。ダメだ」
ガタンッと、丸い木のイスから立ちあがったが、アニスは素早くフレムの手をつかんだ。そして、ふわふわの白い布団をめくる。
「アニス……」
フレムは口をおさえ、絶句した。
草わらの上に敷いた白いシーツに、血痕がひろがっている。
「昔ね、フォンセがいってたの。肺の病は進行が遅いけど、血を吐いたらもうダメなんだって。私、今日、聖なる岬から海がみたいの」
じっとフレムを見つめる金色の目が、激しい輝きをみせる。だがその輝きは、長く続きそうにない。
アニスの覚悟に、フレムは目をつぶる。
「ラスティを連れてくるよ」
そういったものの、気落ちしたラスティがアニスのもとへいけるのか。フォンセを失い、失意の底で苦しむアニスの姿を直視できるのか。フレムの不安は尽きなかった。
でも――。
「ラスティ、アニスを海に連れていってやってくれ」
漁に出ようとするラスティの胸ぐらをつかみあげ、フレムらしいお願いの仕方をする。
「なんで、俺が? いまから漁に出るから、無理だ」
ムッとした顔で手を払いのけたが、フレムは引かない。ラスティの厚い胸にこぶしをぶつけ、必死に頼む。
「もう最期かもしれないんだよ。アニスは血を吐いている」
その言葉に、ラスティの顔が強張る。だが、真剣な眼差しのフレムから目をそらした。
「……だったら、なおさらエトワールのそばにいっ――」
言い終わらないうちに、フレムの強力な蹴りがラスティの尻をたたきあげた。そしてまた、胸ぐらをつかみあげると、堰を切ったようにまくしたてる。
「アタシが行けといってるんだよ。気がかわらないうちに、さっさといってきなッ。アンタが一番、アニスを――」
フレムの目から大粒の涙が落ちた。
「フレム?」
驚いて目を見開くラスティに、プイッと背中をむけ、シッシと犬や猫を追い払うようなしぐさをした。
「アタシが行けといってるんだよ」
もう一度静かにつぶやくと、ラスティはフレムの背中に軽く礼をして、走り出した。




