第3話 幸せのとき② 「小さな命」
頑丈な肉体と、並外れた身体能力をもつ、ラメルの民が多数をしめる港町では、医術が発展しなかった。
生きるべきものは神に生かされ、去るべきものは、神に招かれる。そんな思想の中で、フォンセの医術師としての知識は、あまたの命を救う。
黒い髪と黒い瞳を忌み嫌う貴族でさえも、病にふせれば、ひそかにフォンセを頼った。しかし、いくら医術にたけたフォンセでも、すべての命を救うことはできず、やはり死神だと揶揄される。
王都に足を踏み入れると、きびしい差別を受けたが、フォンセの隣にはいつもアニスがいた。
金糸のような髪をなびかせ、だれをも魅了する、輝く金色の瞳をもつアニス。
心臓に病を抱えていたが、血液の流れをコントロールする薬のおかげで、自由に外出したり、おもいっきり走ったり。制限なく、好きなことができるようになっていた。
「こんにちは、ラスティ。今日は、とってもいいことがあったの。その赤いお魚ちょうだい」
フォンセと森で暮らすようになってから、二年が過ぎていた。でも、あいかわらずお嬢様気取りのアニスは、一番高い魚を欲しがる。
ラスティは「はあ」とため息をついて、無愛想なまま赤い魚を紙に包むと、ポンと渡した。
「その魚は金貨、八枚だぞ」
「ちょっと、なによそれ。高すぎるわ。じゃ、いらない」
「あのなぁ、商売のジャマをするなら帰れ。フォンセはどうした? ずいぶんと稼いでるそうじゃないか」
「フォンセは海をみないように歩くから、遅いのよ」
「亭主を置いてきたのか? うちの嫁さんより怖いな」
ラスティがようやく白い歯をみせて笑うと、アニスもほほ笑んだが、すこし顔を曇らせた。
「最近、すごく忙しいの」
「だろうな。王国騎士団は、いまや国内の治安維持だけじゃねぇ。国外にも飛び出し、戦争をしてるんだろ? 傭兵なんかも募集して、ケガ人だらけだ。……フェザードが心配か?」
「わからない。でも、フェザードは、どんどん戦いにのめり込んでいるわ。それがちょっと、怖いの」
「…………」
順風満帆に生きてきた色男が、唯一、心の底から愛した女を、パッといきなりあらわれた、よその国の男にとられたら……。ラスティは苦笑いをする。
「ねぇ、フレムは? 今日はいないの?」
「フレムか? ちょっと休んでる」
「病気なの?」
「いいや、たいしたことはない。ただ――」
みじかい赤い髪をかいて、フレムの心配するアニスから目を背けた。すると、白い石畳の坂を駆けてくるフォンセがみえた。
昼下がりの市場は、買い物客で混みあっていたが、フォンセの黒髪はひときわ目立ち、遠くからでもよくわかる。
アニスは手を振った。
「フォンセ、こっち、こっち」
アニスの声に、一瞬、ホッとしたような顔をしたが、キッと眉をよせる。
息を整えながら、ラスティの店の前に来ると、アニスの腕をつかんだ。
「頼むから、僕の話を聞いて。アニスには無理なんだよ」
「無理なんかじゃないッ!」
険しい声で叫ぶと、アニスはフォンセの手を勢いよく振り払った。
「おいおい。夫婦喧嘩なら、よそでやってくれ」
「あ、すまない。アニス、家に帰ろう。よく考えてくれ」
「い・や・よッ」
アニスは身をクルリとひるがえすと、走ってラスティの家の中へ逃げ込んだ。
「走っちゃダメだ、アニスッ!」
フォンセの尋常じゃない大声も、にぎやかな町の声にかき消される。フォンセは膝に手をつき「はぁ」と、大きなため息をこぼした。
「アニスはお嬢様育ちのじゃじゃ馬だからな。フォンセも苦労するねぇ。フレムの体調がわるいから、さっさと連れて帰ってくれ」
からかうようなラスティの笑いに声に、決まりわるげに苦笑をしたが、すぐにアニスを追いかけた。
何度も来たことがある家なので、アニスがどこにかくれているかも、よく知っている。
ノックをして、ラスティの妻、フレムの部屋の扉を開けた。すると、クセのある真っ赤な髪をひとつに結ったフレムのうしろに、アニスがパッとかくれた。
「話はアニスからすこし聞いたわよ。フォンセ、ちょっとひどいんじゃない?」
具合がわるいと聞いていたが、フレムにはラメル独特の迫力がある。すこし怯んだが、フォンセはグッとこぶしに力をいれる。
「アニス、フレムは具合がわるいんだ。家に帰ろう」
フォンセは手を伸ばしたが、フレムのうしろにかくれたアニスは、出てこない。
「アタシは大丈夫だから、今日はうちで預かるよ」
「それは許可できない。早めに処置をしないと、アニスの身体が――」
話の途中でも、フォンセの横っ腹に、フレムの蹴りが深く入る。ドスッと鈍い音がした。
不意打ちをくらったフォンセは「かはっ」と咳をして、横腹をおさえたまま、その場にうずくまった。
フレムは怖い顔をして、フォンセを見下ろしている。
「いまの言葉は聞き捨てならないねぇ。女を泣かせるヤツは許さないよ」
「フォンセッ」
慌てて駆け出したアニスをみて、フォンセはまた「走るなッ」と怒鳴った。そして、見下ろすフレムを睨みつける。
「アニスは……もう元気になったかも……しれない。でも、無理なんだ。アニスの身体は……」
横腹が痛くて、うまく声が出せないが、フォンセにも譲れないものがある。
「だからといって、アニスの気持ちはどうなる。「はい、そうですか」って、簡単にいえると思っているのか?」
「僕はアニスを……、死なせたく……ない。お腹の中の子は、アニスの命を奪うッ!」
床をダンッとたたき、険しい顔をしてフォンセは立ち上がった。だが、フレムはフォンセの顔をひっぱたいた。
「フォンセッ。その言葉は全部、子供に聞こえているんだぞ。もっと言葉を選びなさい」
アニスは懐妊した。
ふつうの夫婦なら、心から喜ぶ出来事になるはずなのに、アニスの身体は脆い。
「……僕はアニスを、失いたくないんだ」
片手で頭をおさえ、下唇を噛むフォンセに、アニスがそっと抱きついた。
「ねぇ、フォンセ。なんのために生まれてきたのか、わからなかった私に、あなたは生きることを教えてくれたわ。そして、なにも残せないと思っていた私に、小さな命をくれたのよ。この子をあきらめたら、きっと私は後悔する」
「わかってる。それでも、ダメだ。無事に生まれたとしても、身体は壊れてしまう。そんなこと――」
「大丈夫。私は大丈夫だから」
「フォンセ、アタシたちも最大限の協力をする。なんとかならないのか?」
その日はそのまま、ラスティの家に泊まり、話しあった。
心臓の弱いアニスには、とても危険なことだと何度も説明した。
「ふたりで一緒に生きようって、約束したじゃないか」と、つめよっても、アニスの決意は固い。
もうフォンセが折れるしか、道はなかった。




