第3話 幸せのとき① 「この場所で生きる」
首から流れる血は、手で押さえるとすぐにとまった。もうすこし深く斬られていたら……。フォンセはゾッとした。すると、足が震えているのに気がつく。
自分の命がなによりも大切で、危ない橋を渡ったことなんか、一度もなかった。それなのに、悲しむアニスの顔をみただけで、とんでもないことをしたと、黒い髪をかいた。そして、頭の中でいろいろなことを思いめぐらせたが、出てくる言葉はひとつだけ。
「「ごめん」」
アニスと同時に、同じ言葉が出た。
フォンセはおどろき、顔をあげる。
「アニスは僕をかばってくれたのに、どうして謝るの?」
「あ、ごめんなさいね。フェザードはとてもいい人なの。でも、ちょっとかたよった考えをもっていて、フォンセを傷つけたわ」
「僕はよそ者だから、気にしてない。差別なんて、他国に行けばよくあることだ」
「この国はね、金色の髪と金の瞳をもつ者でつくりあげたのよ。だから、王族にはジラルデという名字がつくの。でも、ジラルデの前にヤンがつけば、直系の大公。ユンがつけば親しい血族の公爵。ヨンのつく伯爵家もあったんだけど、これは、もうなんちゃってジラルデみたいなものだから、いまは名乗らないわ。フェザードみたいにね」
アニスは、床に座ったままのフォンセの手を引くと、丸イスに座り、木の器を両手のひらで抱え込むようにもった。
じっと木の器をみつめたまま、話を続ける。
「彼、なんでもできるのよ。容姿だって王族に負けてないのに、生まれた場所がヨン家だから、騎士どまりなの。私と結婚すれば、ヤン家に入れるから、そこからさらなる出世も望めるわ。フェザードは神の色をもつ者だけの国をつくりたいの。選ばれし者だけの楽園……。そんな野望をもっているから、すこし違う髪色でも……。ごめんなさい」
「だから、謝らなくていいって。それよりも、アニスは、フェザードと結婚する気はないの?」
「私はまだ十五歳。結婚なんてできないもん。でも、身体の弱い厄介者だし、この話も勝手に進められていくのかしら……。私、なんのために生まれたんだろ。神の子として、神のもとへいきたかったのに、国王陛下を差し置いていけるわけ……ないよね。なにもせずに、なにも残せないまま死ぬのかしら?」
「人はそう簡単に死なないよ」
フォンセの言葉にアニスは首を振った。
ときどき死んでしまいそうなぐらい苦しくなること、眠るとそのまま息がとまり、朝日をみることができない気がして、眠れないことなどを、金色の瞳に涙をためて訴えた。
「いつ襲ってくるかわからない病に、怯えながら暮らすのは……もう疲れたわ。楽になりたいの」
「僕はね、エルネストよりも南にある、サイ国に売られるところだったんだ」
「売られるって、奴隷? トウの国は奴隷を輸出しているの?」
「あ、いや、そうじゃなくて。僕の家はみんな医術師で、みんなライバル。家族でもたがいの技量に嫉妬したり、成功を妬んだり。先月、兄が軍事を強化しているサイ国に、医術師を派遣するっていい出して、僕が選ばれた。さも名誉なことのように仕立てあげられたが、ていよくトウの国から追い出すための口実だったよ」
「なんだか、私たち似ていますね」
「そうだな。でも、ちょうど船が海賊に襲われて、嵐が来て。僕は生きるために、死んだ仲間の血を身体に塗り、盾にした。なにがなんでも生きてやるって。自分の命より大切なものはないと思っているし、命を粗末にする人の気持ちがわからない」
すこしきつめの口調に、病から逃げ出し、楽になりたいといったアニスは、ますます下をむく。でも、フォンセはアニスの手を取った。
「アニスが安心して眠れるように、僕は全力を尽くす。だから、一緒に生きてみないか?」
「安心して、眠れるようになる? あ、森の空気が薬になるって本当?」
「え、あれは……。あながちウソではないけど……、ごめん。すこし耳を澄ませてみて」
アニスは目をつぶり、丸い小さな耳に気持ちを集中させた。
石畳の上を軽快なリズムで歩く靴音や、ガラガラと荷車が通る音が聞こえる。そして――。
「波の音がするだろ?」
「うん」
「そこの窓の向こうにも、すこし海がみえる」
「二階の窓からはもっとよくみえるわ」
とってもキレイなのよ。といいかけたが、フォンセが頭を抱え込んだ。
「荒れた海の中で死にかけて……、もう二度と海なんかみたくない。あの波の音を聞いていると、背筋が凍りそうだ」
「えっ、なにそれ。海が怖いの?」
「当たり前だろ、死にかけたんだぞ。思い出しただけでも、ゾッとする。ほら、鳥肌がこんなにも」
フォンセが袖をめくると、鳥肌よりも、すこし日焼けした頑丈そうな腕に残る、アザや傷が目についた。
「……痛そう。海に落ちたときの傷かしら?」
どこまでも白い、アニスの細い指がやさしくなめらかに腕をさすると、フォンセの気がフッと遠のいた。
「フォンセ?」
「か、顔が熱くて、なんだか頭がクラクラする」
「あっ、いけない。フォンセは熱があったのよ。大丈夫? 早く布団に入って」
アニスに介抱されながら横になると、黒々とした目を細めて笑った。
「死んだと思ったのに、生きていた。さっきもフェザードに殺されるかと思ったけど、生きている。僕は……運が……いい……な」
張り詰めていた糸がプツンと切れたフォンセは、その後、丸々二日間も眠った。そして、次に目が覚めたとき、困った顔をしたラスティと、うれしそうな顔のアニスがいる。
「おはよう、フォンセ。気分はいかが? 今日は引っ越しをするのよ」
「引っ越し?」
チラッとラスティをみると、彼は深いため息をついている。
「あら、忘れたの? 森の奥に家を建てたわ。かなり小さいけど、ふたりで暮らす分には十分よ」
「ふたり?」
「てめぇ、アニスはまだ子供なのに、求婚したんだって?」
荷造りをしながら、ラスティはひややかな言葉と視線を送ったが、フォンセは呆然としている。
「おい、アニス。フォンセは、なんのことかわからない様子だぞ。大丈夫か?」
「失礼ね。フォンセは私に「一緒に生きよう」って、いってくれたのよ。だから、森に家を建ててもらったわ。全力で守ってもらうんだから」
喜悦の笑顔で、身体を起こしたばかりのフォンセに抱きついた。
「え? ちょっと、え?」
状況がのみ込めず、困った顔をしてもアニスの笑顔は消えない。
「エルネストにはこんな言葉があるの。「乙女の唇を奪いし男は、その生涯をかけて、女を守る」よろしくね、フォンセ」
「く、唇ゥゥ!? おいおい、俺のいない間にいったい、なにがあったんだ? アニスはまだ子供だぞ」
「失礼ね。私はもう大人よッ!」
妖精のようなかわいい微笑みに、だれも抗うことはできなかった。
フォンセも口元を緩めて、アニスの頭をなでる。
フェザードのことがすこし気になったが、どんなことがあってもアニスを守り、エルネストで生き抜くと決めた。




