第8話 この学校にジェラルドがいる① 「ジェラルド発見!?」
真鈴に退行催眠をおこなったあの日から、エルネストの夢をみない。きっと、南さんとアニスの言葉が響いている。
大切なのは、いま。
わたしはエトワールじゃなくて、江藤蓮夏だ。あこがれの高校生活は、三年しかない。いや、一年、二年、受験生。三年生はないものと思って、ステキな恋をするもよし、バイトも出来ちゃうから、出会いはたくさん転がっているはず。
しかし、城南高校は進学校。
課題が山のように出て、毎日、毎時間、小テストがある。ギリギリ合格のわたしに、部活やバイトをする余裕なんてなかった。
「どこかにステキな人、いないかなぁー」
だらけた声を出していると、真鈴が一条君を指差した。
「あいつは? 告白されたんじゃないの?」
「んー、よくわかんない。冗談っぽかったし、なぐさめてくれただけだと思う。カルデニアだから……。それより、真鈴のほうはどうなの?」
「どうって聞かれても、なにもないけど? 催眠中のことは、夢をみているような感覚だったから、よく覚えてないし……。ほら、夢って目が覚めたら、すぐにわすれちゃうでしょ。そんな感じ」
「そっかぁ」
ひんやりとした机に、ずべっと寝そべり、チラッと一条君をみた。
背は高いし、ちょっと口が悪いけど、やさしい人。
どこかの部活に入ったようで、放課後に話をしたり、南さんのところへいったりする機会がぐっと減った。
「もったいないことしたのかなぁ」
このまま何事もなかったかのように、ダラダラとした高校生活になるのかと思うと、ため息しか出てこない。
「いまからでも遅くないよ。「そばにいてください」っていってみれば? 絶対OK、もらえるよ」
「一条君は、カルデニアだよ。なぁーんか違うんだよねぇ」
「蓮夏ちゃん、贅沢いいすぎ。一条、人気あるんだよ。あっという間に、別の人と付き合っちゃうよ」
「んー」
それはイヤだと思った。
クセ毛にはきびしい六月に入り、重そうにふくらんだ雨雲が青空をかくすから、どんよりとした空と同じで、気分が晴れない。
「もう、ダラダラしないで、シャンとする! あ、そうだ。今日の小テスト、がんばってね。蓮夏ちゃん居残りになったら、おいて帰るからねッ」
バシッと背中を強くたたかれた。痛みでピンと背筋が伸びる。そんなわたしの様子を笑いながら、真鈴が席に戻ると、授業開始のチャイムがなった。
真鈴は小テストで満点しかとらないから、がんばっても合格点が取れないこの気持ち、わからないだろうなぁ。
軽くため息をついて、窓の外をみた。
古びた校舎の割れ目に、ヌルッとした苔がはえそうなほど、ジメジメとした季節。いまにも雨が降りだしそうな天気だけど、中庭に咲くアジサイのうすい青色が、灰色になった外の景色を華やかにしている。
難問、課題、テスト。勉強漬けの日々は、わたしが選んだ道だけど、なにもかもを放り出して、遊びにいきたい。
お弁当を作って、大好きな人と一緒に歩きたい。
あ、いざというときのために、もっと料理をがんばろう。勉強よりも、絶対に楽しいはず。
目をつぶってすぅっと息を吸い込むと、久しぶりに潮の香りがした。
すると――。
『エトワールッ』
声が、頭の中に飛び込んできた。
「なっ!」
先生が小テストの用紙を配りはじめていたのに、わたしは机をたたいて、飛びあがる。
いま、突然、あの人の声がした。
そして、中庭の奥にみえる廊下に、男の人がいて、わたしを……みていた?
「コラ、江藤。席に座れッ」
先生に叱られると、クスクスと軽蔑するような笑い声が、四方から聞こえる。
普段のわたしなら、耳まで赤くして縮こまっていたと思う。
でも、嵐のような心臓の動きに、手が震えている。
「す、すみません」
席に座り、目を大きく開いて、中庭の奥にある廊下をのぞいた。
新緑の葉につつまれたアジサイが、色鮮やかに咲いているだけで、もうそこにはだれもいない。
急に胸が苦しくなった。
涙ぐむような愛おしさが、勝手に胸を突きあげてくる。
ずっとあこがれていた、あの人の声。
「……ジェラルドが……いた」
ほんの小さな声がこぼれたけど、すぐ前に座る真鈴も、すこし離れた斜め前の席にいる一条君も、勢いよく振り向いた。
真鈴、ごめん。
ジェラルドが、すぐそこにいた。
まばたきをするほんの短い時間だけど、あの声はジェラルドだ。
わたしは、ジェラルドに呼ばれた。
頭の中がパニックを起こして、もう小テストどころではない。
手に力が入らなくて、ボロボロ。
授業中もぼーっとなって、上の空。
しかし、授業が終われば、カッと目を見開いて、教室を飛び出した。
居残り確定で、真鈴に謝らないといけないけど、わたしは弾丸のように駆けた。
「おいッ。ちょっと、待てよッ」
一条君と真鈴が慌てふためきながら、わたしを追いかけてきた。
「本当にジェラルドがいたのか?」
「うん。中庭の廊下にいたの。さがさなきゃ」
「蓮夏ちゃん、落ち着いて。いまのジェラルドは、どんな人だったの?」
「えっと……」
ピタリと止まった。
ほんの一瞬の出来事だったので、どんな服を着て、どんな顔をしていたのか、よく覚えていない。
だけど心が「ジェラルドだ」と、いっている。そんなことを説明すると、一条君はあきれるだけだった。
「んだよ。制服を着てれば生徒だろ? それもわからないのか?」
「白いシャツしか」
「上着を脱いだら、みんな白だぜ。オレたちと同じぐらいの年なのか?」
「ごめん、それも遠くてよくわからない」
わからないを繰り返すわたしに、いらつくような一条君の視線が、突き刺さる。
こんなとき、必ず助けてくれるのが真鈴だけど。
「ただの業者さんとかだったら、もう二度と会えないね」
つめたく突きはなされた。
ふたりに責められて、泣きそうになったけど、まだかすかに潮の香りが残っている。
「ジェラルドは、まだこの学校にいる。……たぶんだけど……」
「はぁー。じゃ、オレも手伝うよ。エルネストの人間なら、わかるかもしれないしな」
「私も、蓮夏ちゃんとはじめて会ったときのような、あの不思議な感覚をさがしてみる」
「ありがとう!」
中庭を中心に、ジェラルドさがしがはじまった。




