第7話 記憶の有無② 「退行睡眠」
高校生になって、はじめての中間テストが終わったころ、南さんから連絡が来た。
退行催眠をする場所は、この前と同じSTAFF ONLYの部屋。学校の帰りに、三人でいくことにした。
その日はまだ五月なのに、いきなり夏がやって来たような暑さで、南さんはオレンジジュースを出してくれた。ほのかな酸味がのどをうるおし、シャリシャリの氷がいっぱいで、つめたくておいしい。
わたしは目を細めながら、飲んでいたけど、真鈴はすこし緊張したおもむきで、南さんからの説明を聞いている。
途中から南さんの先輩……といっても、四〇をこえた年配の男性が、ヒプノセラピストとして加わり、いよいよ退行催眠がはじまった。
「では、横になって、目をつぶって。深呼吸をしてください」
真鈴が、ほどよく身体がしずみ込むベッドに横になった。
一条君はあまり興味がないのか、戸棚にかざってある調度品を手に取ったり、本棚の本を勝手に読んだりしている。
「では、ゆっくりとイメージしてください。なにがみえますか?」
穏やかな声に導かれるように、中学校、小学校、幼稚園……と、さかのぼっていく真鈴。
弟が生まれたときの複雑な思いなど、極めてプライベートな記憶も聞こえてくる。
あまり聞いてはいけないような気がして、すこし離れた。
すると――。
「これ以上は、もうやめましょう」
横になっていた真鈴が、急に目を開けた。
南さんが、とても驚いた顔をする。
なにか予期しないことが起こったと、鈍感なわたしでもすぐにわかった。
「あなたは、だれですか?」
ようやく出たヒプノセラピストの言葉に、真鈴はニッコリとほほ笑んだけど、その笑顔は、真鈴じゃない。
鳥肌が立って、視界が大きく揺れる。
あるはずもない波の音が響くと、部屋の中にあったクラシックな調度品が消え、わたしはエルネストの白い建物の中にいた。
頭がクラクラして、ひどい眠気に襲われる。でも、真鈴がゆっくりと起きあがる。
「羽野真鈴……。それじゃ、ダメかしら?」
そういって笑ったのは、ゆるいおさげ髪の真鈴じゃなくて、金糸をひとつに束ねたような長い髪と、満月のように輝く金色の瞳。
「アニ……ス」
それは南さんの震えた声だった。そして、そっと手をのばしたのに、アニスは首を横に振った。
「私は身体が弱くて、大人になれないって、いわれたわ。でも、フォンセのおかげで、長く生きたの。エトのようなかわいい子共もできたし。……あなたがエト?」
金色の瞳と目があう。
「おリボンのついた、かわいい服ね。あら、私とおそろい? 真鈴とあなたは、なかよしなの?」
コクンとうなずくと、アニスは金色の瞳をさらに輝かせ、あでやかにほほ笑む。ただの制服なのに、めずらしいものをみているような目で、楽しそうにしている。
真鈴がアニスにかわったという、あり得ない出来事にビックリして、わたしは声を出すこともできない。
すると、アニスは小さなため息をついて、悲しい目をした。
「私たちの世界は終わったの。エルネストで幸せすぎるときを過ごして、終わったの。フォンセには、感謝の言葉しか出てこないわ。だから、自分を責めるのは、もうやめて。過去はどんなにがんばっても、かわらないのよ」
「やっと、やっとキミにあえたのに。どうして、僕を拒むんだ? まさか、フェザードに――」
フェザード?
知らない名前が出てきた。思い出してみようと目をつぶると、一条君が肩をつかんだ。
「そいつのことは、思い出さなくていい」
鋭くつめたい眼差しで、余計なことはするなと、威嚇しているようにみえた。
カルデニアでも、一条君でもない顔つきに、足がすくんだ。そして、真鈴がアニスになり、南さんは完全に冷静さを失っている。
一条君もなにかを思い出して、いらだっている。
わたしは――。
「わ、わたしは江藤蓮夏です」
右手を大きくあげて、叫んでいた。
混乱していた部屋に静けさがもどり、南さんは目をパチパチしている。
一条君は……「なにいってんだ、コイツ?」という痛い視線。
でも、アニスがにっこりと笑って、ポンッと手をたたいた。
「ここにいるのは、羽野真鈴です。アニスじゃないわ。フォンセ、いまのあなたのお名前は?」
「南……、透流」
「じゃ、透流さんを自由にしてあげて。あなたは覚えていないかもしれないけど、エルネストから去ったあとも、私たちはずっと一緒にいたのよ。このうえない幸せにつつまれて……。だから、もういいの。エルネストのことを忘れて、進んでほしい。エト、あなたも遠い昔の記憶に、まどわされないで」
金色の瞳から輝きが薄らいでいくと、アニスは真鈴にもどり、糸が切れた人形のようにパタリと倒れた。
「アニスッ」
真鈴はすぅーと寝息をたてて、南さんの呼びかけに答えない。
ヒプノセラピストのおじさんは、このことを学会で発表したらすごいことになると、興奮したようすで熱く語っていたけど、南さんは了承しなかった。
記録を取ることすら、許さなかった。
「みっともない姿をみせて、すまなかったね」
南さんは深く頭をさげると、思いがけないことを口にした。
「とても愛した人を残してこの世を去ったから、つぎこそは幸せに……って、ずっとアニスをさがしていたけど、それは間違いだったかもしれないなぁ」
「間違い?」
「羽野さんが夢をみないのは、アニスが十分に生きたという気持ちと、過去は過去。当たり前だけど、いまの僕はフォンセじゃない。南透流、だということ」
そして、ジェラルドにあいたいと願うわたしに、ハッキリといった。
「大切なのは、きっといまだから、エルネストの記憶にまどわされるのは良くないことだったよ。あ、羽野さんは疲れて眠ってるから、もうすこし休んでから、みんなを家まで送るよ」
「ありがとうございます」
ちょこんと頭をさげると、窓が暗い鏡のようになり、わたしたちをうつしていた。
ここにいるのは、エトワールの父フォンセと、母のアニス。そして、だれよりも信頼していた友、カルデニア。
でも、窓にうつるのは、ただの高校生と南さん。
頭の中ではわかっていても、ジェラルドにあってみたい気持ちは、簡単に消えてくれそうにない。
南さんの「間違い」という言葉が、とがった針のようになって、わたしの胸に刺さる。
泣きそうになってうつむいていると、一条君が顔をのぞいた。
「なぁ、江藤。ジェラルドにあいたいのか?」
「え? そりゃ、あってみたいよ。……でも、わたしが望んでいるジェラルドは、きっと別人のようになってるんだろうなぁ」
「オレもそう思う。あえればラッキーって、程度にして、もっとほかにイイ男みつけろよ」
アニスとフォンセは夫婦だった。だけど、いまは違う。
南さんはわたしたちより、九つも年上だし、もしかしたら、ジェラルドはまだ小学生かもしれない。女の子になってしまった可能性もある。
「まあ、その、ほかにイイ男がいなかったら、オレがそばにいてやってもいいけど?」
「……ありがとう」
カルデニアはいつもやさしい。
気落ちしていると、すぐに慰めてくれる。
「えっ!」
驚いた声が出ると、すごく照れているような、心配してくれているような……。どう読み取ったらいいのかわからない、一条君の姿があった。
なんか、すごいことをいわれた気がするけど、考えがうまくまとまらない。
胸がドキンとして、ただ、ただ、心臓の音がうるさかった。




