5.彼を知ること
「おはようございます、エリン嬢。なにかありましたか?」
キラキラと朝から眩しい笑顔を浮かべ、あまりの胡散臭さにエリンは口角をひくつかせた。
昨日よりゆったりとした服装だが、髪はしっかりセットしてある。急に押しかけて失礼な人間だと思われただろうか。
「……なにもないですが」
「そうですか。良ければ座ってください」
エリンは言われた通りに座り、ギギギとシャルドレイスを監視するように見続けた。
(嫌いな物とか見つけてから帰らせてもらうわ。それまで帰るつもりないので!)
しかし、シャルドレイスはこちらを一瞥さえしない。そのせいかエリンはソワソワして落ち着かないでいた。
シャルドレイスは隣国に来ても書類を机に広げていて、書類に何かを書いたりそれを見て唸ったりしている。王子の仕事は責任のあるものばかりと聞いたことがあり、そんな状況でエリンはシャルドレイスに話しかけることができないでいた。
(忙しそう。目元にくまもあるし、邪魔しちゃったかな)
嫌われに来たとはいえ、彼の仕事まで邪魔するつもりはない。そこまでしたら人としての矜持が地に落ちると思っている。
昨日はあんなに挑発的な笑みを浮かべていたのに、今日は真剣な眼差しで仕事に向かっている。
少し吊り上がった切れ長の目には、宝石のような碧い瞳が嵌められている。その瞳が文字を追い、左右に動く。
話しかけてミスがあれば……。
(王子の側近の方と話すのは問題ないわよね。この方なら色々知っているだろうし……)
エリンは思い切って、シャルドレイスの側にいる薄緑の髪をした側近に声をかけた。
「あの」
それと同時に、部屋の扉がノックされた。
「シャルドレイス様、フィッセル殿下がお呼びです」
「あ……」
エリンは胸を思わず撫で下ろした。
そしてここを去る理由ができたと思い、安堵してしまった。
「そうか。すぐ行く」
エリンも流石に部屋を出ようと椅子から立ち上がる。
「なぜ立ち上がる」
「私もこれで失礼します」
「戻ってくるまで待ってはくれないのか?」
「……流石に主人のいない部屋に居座れるほど図々しくはないので」
エリンは立ち去りたい一心で愛想笑いを浮かべてそう言った。
「別に俺は構わない。俺のことが待てなかったらアウフリックから手土産でも貰うといい」
「え、俺? 俺はなにも渡せる物は……」
「じゃあアウフリック、よろしく頼む」
「……承知しました」
アウフリックと呼ばれた男は、眉を下げながらそう言った。シャルドレイスはそれをみとどけ、彼を呼びに来た使いの者とどこかへ行ってしまった。
「仕方のない方だ……」
エリンは貴公子然としている側近のアウフリックを見て固まった。何を話せばいいかわからないからだ。ただじっと警戒する猫のように彼をみて、いつでも逃げられるように目だけで行動を追っている。
「初めまして、私はカーディリア王国近衛騎士所属のアウフリックと申します。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。私はアヴィッツ伯爵の娘、エリンと申します。よければ名前でお呼びください。年下ですし、敬語もやめていただけると嬉しいです……」
年上の人間に敬語を使われると、心がむず痒くなり居心地が悪く感じてしまう。
「ではお言葉に甘えて、エリンちゃんと呼ばせていただきます」
「は、はい……」
突然恥ずかしさが襲ってきた。
「あの……アウフリックさんって、シャルドレイス王子の側近をいつからされてるんですか?」
「シャルドレイスが八歳の頃からです。あの時は大変でしたよ、お前を認めない! とか言われましたから」
「想像できないですね……」
「そうですね。今はだいぶん落ち着かれました」
記憶を噛み締めるように頷きながら、アウフリックは言った。
「昔はやんちゃだったんですか?」
「まぁ、色々と落ち着かれたんです」
アウフリックの仮面のような笑みに、エリンはこれ以上その話をすることをやめた。これ以上踏み込むなと、笑顔を通して言われた。
そうしてたわいのない話をして時間を潰した。アウフリックの身の上話や、騎士団にいた頃の話など、聞くもの全てがエリンにとって新鮮なものだった。ついでにシャルドレイスの苦手なものも聞き出した。
「それにしても遅いね。ちょっと待ってて」
アウフリックは何か閃いたのか、ニコニコしながら部屋を出ていった。
数十分待っていると、ワゴンを引いたアウフリックが戻ってきた。ワゴンにはサンドイッチが乗せられている。
「エリンちゃん、お待たせ。こちら良ければどうぞ。昼食の時間も当に過ぎてるので」
「あ、ありがとうございます……」
エリンはアウフリックと軽く昼食を食べた。
遅いくる眠気に打ち勝ちながら、エリンはソファに座り続けた。しかし、ずっと座り続けて腰が痛み、アウフリックとの会話も尽きてしまいすることがなくなった。
「相当忙しいんですね……」
エリンはアウフリックの前だというのに、取り繕うのに疲れて背もたれに凭れた。
「手土産になるかわかりませんが、なにか聞きたいことでもありましたらお答えするよ」
そう言われて天井を見つめた。
聞ける範囲がどこまでかわからず、考えあぐねた。
「……そうだ、王子はどうしてアウフリックさんを紹介してくださらなかったのでしょうか」
「ああ、それはエリンちゃんと俺が話しているのを見たくなかったからでしょう」
「どうしてですか?」
アウフリックは二人しかいないはずの部屋をキョロキョロと見渡し、エリンの耳元へ近づいた。エリンも自ずとアウフリックの方へ体を傾ける。
耳元でアウフリックの貴公子らしく、優しい芯のある声色が囁く。
「それはもう、出会えないと思っていた方に出会えたからですよ」
「それはどういう――」
詳しく聞こうとした瞬間、エリンとアウフリックの間が引き裂かれた。
「おい。随分、親しくなったんだな」
シャルドレイスがソファの背から身を乗り出し、二人の間に割り込んだ。シャルドレイスはアウフリックの胸ぐらを掴み、鼻先が触れ合いそうなほど距離を詰めている。
アウフリックは笑顔を崩さず、シャルドレイスの肩を軽く叩いた。
「いつのまに戻られたんですか、殿下」
「さっきださっき。驚かそうと思って扉を開けたら距離が近くて驚いた」
シャルドレイスはアウフリックを軽く押し、手を離した。二人は主従を超えた友人関係のようにも見える。
「殿下が遅いから手土産をと思って。いつまで待たせるおつもりですか」
「これでも早く切り上げてきたつもりだ」
「あ、エリン様をお送りしたらどうですか?」
「ああ、そうするつもりだ」
エリンはそっぽを向いていると、シャルドレイスに手首を掴まれ、アウフリックに別れを告げる間もなく部屋から引っ張り出されてしまった。
部屋から出てすぐ、シャルドレイスは掴んでいた手を離した。そして何も言わずに歩き始めてしまった。
エリンは仕方なくシャルドレイスの半歩後ろをトボトボと歩いて着いていく。歩くペースは合わせてくれているようで、小走りになることもない。
ただ、少しばかり肩にくるこの空気感が、長い廊下が終わるまで続くのかと思うと耐えられない。何か話さなければと思い、咄嗟に疑問に思っていたことを聞いた。
「あの! 私たちってどこかでお会いしたことありますか?」
シャルドレイスはぴたりと歩みを止めた。前を歩くのも失礼かと思い、半歩後ろで止まる。
「ある」
彼は振り向かずたったその一言を放った。その短い一言は風の音を消し、意思と覚悟が込められているように聞こえた。
「そ、そうですか……」
この居た堪れない空気感を感じないように、エリンは目を瞑ってシャルドレイスの記憶を探した。
「その時の君は、動かないし、体温は感じられないし、こうやって話すこともできなかった」
「どどどどういう」
エリンは思わず目を丸くした。
(死んだ覚えはないけど?!)
情報が整理しきれず、頭の中が混乱している。
「いつどこで出会ったか、知りたい?」
振り向いたシャルドレイスは、瞳の氷が溶けそうなほど熱の籠った瞳でエリンを見つめた。
「し、知りたいです」
「じゃあヒントだ」
エリンは答える気満々で構えた。
「君はアズモンド嬢の隣で笑っていたな」
「アリーと会っていたのは小さい頃だから、伯爵の家でお会いしたんですか?」
「いいや、俺の国だ」
「行ったことないはずですが……」
顎に手を当て、真剣に考える。
フィッセルと婚約する前も、国内の移動はあっても国外へ行ったことはない。しかし、シャルドレイスの国で会ったのだという。
シャルドレイスは前を向きまた歩みを始めた。
「まー、それがわかるまで、俺は君のこと嫌いにならないだろうな」
エリンは口を小さく開けてその場に佇んだ。
つまりシャルドレイスは、「もっと自分のことを知れ」と言ってきたのだ。答えを教える気は更々なかったのだ。
エリンは茹蛸のように赤くなり、膨れっ面になった。
「い、いじわるだ!」
その場で叫んだ。答えさせるつもりもなかったのに、真剣に考えさせられたことに対して時間を返せと叫びたくなった。
「あっはっは! なんとでも言ってくれ。そんなんじゃ俺は嫌いにならないぞ」
「最低! 時間を返して!」
城内に罵声が響き、シャルドレイスが罵られていたと噂されるのには時間はかからなかった。




