4.嫌われるためには
エリンはシャルドレイスのもとを去った後、帰国したアリシェルに用意された客室へと逃げ込むように向かった。
「ねぇ、エリンちゃ〜ん? いつまでわたくしの寝台を占領するつもりなのかしら」
アリシェルは寝台の側で仁王立ちし、寝台でうつ伏せで寝転んでいるエリンを翡翠の瞳で見下ろしている。その眉間には皺が彫られ、人の部屋でくつろぐエリンへの鬱憤が皺の深さに表れている。
エリンは顔だけアリシェルへと向け、死んだ目をして友人を見つめた。
「一生……もうずっと永遠にここにいる!」
「どうして? いい人だったでしょう? わたくしの元婚約者、彫刻男は」
アリシェルは絹のような金色の髪を靡かせ、自分の男のような口ぶりでそう言った。
エリンはその言葉を聞いて、手紙にあった人物とは全く違ったことへの不満を口にした。
「いい人? どこがよ。全部分かっていて揶揄ってくるなんて性根が腐ってるんだわ」
「へえ? 全部ってなに?」
「全部は全部よ……。昨日の夜も……さっきも……」
エリンはアリシェルの枕に顔を埋めてブツブツと呟いた。
昨日の夜、シャルドレイスは厩舎に来た自分をエリンだと分かっていて接していたこと。初対面の時、わざと二人だけしか知らない「光栄」の言葉を使ったこと。
もはやそれはどうでもいいかもしれない。それ以上にとんでもないことを口にしてしまったからだ。
(あんな人が婚約者だったらよかった? よくないよ!)
自分を恨むように両手で頭を掻きむしり、声にならない声で悶絶した。
厩舎で出会った男にときめいてしまった自分を忘れたいほど、昨夜の男とシャルドレイスは違っていた。
「え〜、詳しく聞かせて?」
アリシェルは年上の包容力というやつでエリンの頭を撫でながら、優しさを含んだ声色でそう言った。
そうして昨夜の出来事や、顔合わせの時のことを話した。
「あっはっはっは! 手のひらで転がされてるじゃない」
アリシェルは口を大きく開けて、笑い死ぬのではないかと思うほど腹を抱えて笑っていた。なぜだか小馬鹿にされているように感じたが、少し嬉しそうにも見える。
「アリーの悪知恵を吸収したんじゃないの……」
「さあね。まぁ、わたくしにわかるのは、彼が揶揄っているわけじゃないってことだけ。好きな子をいじめちゃう、子どもによくあるやつよ」
「好きな子? ふざけないで、私彼と会ったのは昨日が初めてなのよ」
「うふふふ、そうだね。貴女はそうね」
アリシェルは優しくエリンの頭を撫でながら、目を伏してそう言った。
「……?」
エリンにはその言葉の意味がまだ分からず、目に涙を一杯溜めながら、首を少し傾けるだけだった。
+ + +
カーディリア王国に出立するまで残り二日。
エリンは寝台に大の字になって寝転がり、悶々とする頭をゆっくりと回転させていた。
「エリン! おはよう」
「……おはよう。朝から元気だね」
アリシェルは腰に手を当て、母親の顔でエリンを見下ろしている。
「わたくしはいつでも元気よ? エリンは元気がないみたいだけど……」
「……嫌われるために毎日会いに行かなくちゃならないと気づいて。でもむしろそれって相手のことを知ることになるんじゃないかってずっと考えていたら眠れなかった……」
シャルドレイスに嫌われるために、相手が怪我をしない程度で相手の嫌がることはなにかあるか。そうすると相手の嫌いなことを知らなければならなくなる。
まだ出会って一日しか経っていないので、嫌いなものは愚か、いつもなにをしているかもわからない。
接触しないで嫌われようとも考えた。
フィッセルにされたように相手との接触を徹底的に避け、自ら孤独の道を選ぶ。
ただ、それが婚約破棄に繋がるかわからないし、自分が先に辛くなってしまう可能性もある。存在がないもののように扱われ、死んでしまったような気分になり、寂しくて辛い孤独の日々を過ごすことになる。
接触しないという選択肢は、エリンにとって一番選び難い選択肢だった。
なので嫌いなものを使って嫌われるしかない。そのためにはシャルドレイスに会いに行かなければならなかった。
(矛盾してるって自分が一番わかってる……。嫌われたくないし誰かといたいって思ってしまう)
エリンが顔を上げると、アリシェルの口角が目尻につきそうなほど曲がっていた。
「楽しそうね……」
「ええ、とっても。わたくしはエリンを応援しているから」
アリシェルがなぜ楽しそうなのか理解できない。優しく微笑む瞳の奥で、いつも天邪鬼な性格が蠢いている。エリンはアリシェルに背を向け、横向きになった。
背中の方で寝台が沈み、アリシェルの手が頭に置かれた。
「ねぇ、エリン。どうして相手を知る前から嫌われようとするの?」
「魔法使いは貴族と結婚してはいけないって法律があるじゃない。それに調べてみたけど、どこの国も魔法使いが貴族と結婚した前例はない」
「この国はそうよ。でも他の国も同じとは限らないじゃない」
「そうかもしれないけど、魔法使いが生まれるようになってから千年は経ってるのに、誰もしていないってことはそういうことでしょ。する前に殺されたか、死んだか……」
エリンは目の前にある手をギュッと握る。
「私はまだ死にたくない。魔法使いとして生きたいの。そのために十六年の遅れを取り戻さなきゃならない」
アリシェルは「うんうん」と声に出して相槌をした。姉のような、母のような諭すような声色で。
「それを彼に話してみようとは思わない?」
「思わない。魔法使いである私が欲しいだけよ。そんな奴の元に居座るつもりはない」
「そっかあ。わたくしはエリンの味方だからなんでも言って」
アリシェルの揺るぎないその言葉に、エリンは眉間を寄せた。
「……うん」
すぐに離れ離れになってしまう。遠い所にいる味方ほど心強いものはないが、不安になってしまう。
「それで、彼に嫌われるんでしょ? 会いに行かなくていいの?」
「よくない。……準備しないと」
エリンは重い頭を起こし、冷たい床に足を下ろした。
「アリーも来ない……?」
「いや、行くわけないでしょ」
アリシェルは鼻で笑ってそう言った。
+ + +
エリンは自分の持っている中で一番質素なドレスに着替えて、身支度を終えてからシャルドレイスの部屋へと赴いた。
「おはようございます。第二王子殿下」
部屋には王子と、そのそばに側近らしき薄緑の髪色の男がいた。
側近はこちらに頭を下げている。エリンはそれを見て軽く会釈した。
「おはようございます、エリン嬢。なにかありましたか?」
シャルドレイスは真夏の太陽のような笑みで、エリンを見つめた。




