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スノーカメリア  作者: 古浜夕
志賀良治
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29/38

勝利

 さよならを言う直前、椿ちゃんがそう言って俺をじっと見た。

「明後日? ああ、うん、大丈夫だけど……」

「夕方、うちに来てくれませんか? ご馳走用意して待ってますから!」

 少し前なら前のめりで頷いただろうが、今は正直気が重い。

 だけど、断るのは不自然だ。

 それに……潤と父のことは、きちんと二人に話すべきだろう。

 もし二人が望むなら、警察にも打ち明け、潤の名誉を晴らせるように尽力する。

 それが、法的には父と子である俺の、せめてもの償いだ。

「わかった。楽しみにしてるよ」

 無理やり作った笑顔を向けると、二人はほっとしたように微笑んだ。


   *


「志賀さん、たくさん食べてくださいね」

 雪くんが用意してくれた料理はどれも絶品で、味が美味しいだけではなく、体が喜んでいる感じがする。

「最近、ろくなもの食べてないんじゃないですか? やつれてるし、顔色悪いし……」

 言いながら、雪くんは俺の皿にどんどんおかずをよそっていく。

「私たちはまだ学生だし、志賀さんの苦労はわからないですけど、何かできませんか? 心配なんです」

「ありがとう」

 真剣な瞳で俺を見つめる椿ちゃんも、その隣でこくこく頷く雪くんも、本当に良い子だ。

 潤から愛されていなかったとしても、彼女のお陰で二人と出会えた。

 それはきっと幸運だった。

 俺は一旦瞼を閉じて、小さく深呼吸してから、目を開く。

 二人の真っ直ぐな眼差しを正面から受け止めて、ゆっくりと口を開いた。

「潤――君たちの母親と俺の父の関係がわかった。……聞いてくれないか?」

 二人は驚いたような顔をしていたけど、素直に頷いてくれた。

 俺は小さく息を吐くと、事の経緯を順を追って説明する。

 喜代さんが語った潤の母親のこと。

 俺と潤の出会い。

 潤の思惑。

 父との関係。

 勝手に祖父母診断をしたことへの謝罪。

 診断書からわかった事実。

 そこから推測できる、あの事件の真相。

 そして最後に残った疑問、どうして学生時代、潤は父に復讐しなかったのか。

 不確定なことから事実まで、全てを話し終わると、二人は何とも言えない顔で黙り込んだ。

「この件を明らかにすれば、世間の潤のイメージは良くなると思う。だけどかなり個人的な事情だし、騒ぎになるのは確実だから、二人の意見を聞いてから対応を決めたい。……あとは、何か俺に言いたいこととか、聞きたいことはある?」

 失望も罵倒も、二人の感情は全て受け止めるつもりだった。

 だけど、二人の口から出たのは予想もしなかったことだ。

「真実は僕たちが知っていたら、それでいいんじゃないかなって思います。あとは……」

「志賀さんが疑問って言ってたところ、あれ、本当にわからないんですか? 私たちにはわかりますけど」

「え?」

 目を見開くと、二人は顔を合わせて微笑む。

「お母さんは志賀さんを好きになったから、志賀さんが『愛した』父親に危害を加えられなかったんだと思います!」

 椿ちゃんが断言する。

「……俺、振られてるんだよ」

「父親、に複雑な感情があって、将来を望めるような器用さはなかったんじゃないですかね。僕だったら、そうですけど……」

 雪くんが躊躇うようにそう言って、俺をじっと見る。

「志賀さんって、母さんが志賀さんのこと、最後まで好きじゃなかったって思ってます?」

「ああ、えっと……うん」

「そんなわけないじゃないですか!」

 否定したのは椿ちゃんだ。

「それは……永久にわからないことだよ」

 潤は死んだ。

 心を覗くことはもうできない。

「わかりますよ」

「どうして?」

「だって、お母さんの歌……リリースされていない歌の中に恋の歌があるでしょう?」

「そうだね」

 家族の歌がほとんどだけど、恋愛ソングと呼べるものもある。

 ああ、そうか。潤はあの、宇都宮和樹とも恋したんだもんなあ。

「あれ、ぜんぶ志賀さんに宛てた歌じゃないですか。今まで気づかなかったんですか?」

「……」

 呆けてしまった俺を見て、雪くんが苦笑いする。

「あんなにあからさまなのに」

「そ、そうかな」

「そうですよ。今から歌うので、しっかり聞いててくださいね」

 椿ちゃんが立ち上がり、口を開く。

 紡がれたメロディは雪のように俺の心に染み入った。


   *


 あの愛が本物だった。

 それだけで、世界がきれいに見えるから不思議なものだ。

 俺は浮足立った気持ちで、今夜も椿ちゃんのバイト先へと向かう。

 今日は雪くんが来られないから、俺は一人で椿ちゃんを家に送り届ける予定だった。

 先にバーを出て、着替えが終わって外に出てくる椿ちゃんを路地で待つ。

「志賀さん、いつもありがとうございます。でも、無理しないでいいのに」

 手を振りながら、こちらに向かって歩いて来る椿ちゃんに微笑んだ。

「好きでやってることだしね。歌姫が夜道を一人なんて危ないよ」

「大丈夫で――っ」

 言葉が途切れたのは、一人の男が駆け寄ったからだ。

 真っ黒なパーカーのフードを被っていて、手にはナイフをもっている。

「椿ちゃん!」

 何かを考える余裕なんてなかった。

 椿ちゃんを庇うように前に出て――

「っ」

 腹が熱く――とんでもなく、痛い。

 だけど、男を必死の思いで捕まえて、羽交い締めにする。

「誰か……誰か!」

 椿ちゃんの叫ぶ声が聞こえた。

 人が集まってくる気配がして、誰かが俺から男を引き取った。

 ほっとしたのと同時に力が抜けて道路に倒れると、椿ちゃんが俺に駆け寄り、優しく体を抱きしめてくれる。

「志賀さん、死なないで……志賀さん!」

 ああ、彼女は泣いている。

 父の葬儀で、俺は泣かなかった。

 他の誰も泣いていなかった。

 でも父の息子である俺の前で、椿ちゃんは顔をくしゃくしゃにして、涙を流してくれている。

「椿ちゃん、ありがとう」

「どうして、お礼なんか……お礼を言うのは私の方です」

 飛び出したのは無意識だった。

 無意識に、君を強く守りたいと思った。

 自分よりも、はるかに大事だった。

 愛していた。

 血の繋がりのない君を、実の娘のように思っていた。本当に、心から、そう思っていた。

 俺は鈍いから、こういうことでもないとわからないのだ。

「……ありが、とう」

 意識は半ば薄れ、声はカラカラだ。

 だから、微笑む。

 精一杯の感謝を込めて。

 愛させてくれて、ありがとう。

 俺は父に勝った。

 それが誇らしい。

 産まれるはずのない、奇跡の愛を産んだのだ。

「志賀さん、嫌です……志賀さん!」

「……つば、き、ちゃん……歌って……お願い」

「っ、はい……」

 椿ちゃんは頷いて、泣きながら歌ってくれる。


「どんなに絶望的な状況でも……あなたが隣で、その屈託ない顔で笑ってくれたなら、何でもできるような気がするの。……そんな人、もう出会えない。恋が終わってしまっても、二度と会えなくても、あなたはきっと……私の、運命の人」


 ――椿ちゃんの歌、すごく良かった。なんて言うか、今わの際に聞きたいくらい。きっと幸せに死ねる。

 初めて椿ちゃんの歌を聞いた時、俺はそう言ったけど、あれはまさしく真実だった。

 だって今、俺はすごく、すごく、幸せなのだ。

 負けを確信していた父に勝った。

 大事な人が俺のために泣いてくれている。

 それに……きっとこれから、潤に会える。

 愛しい人の笑顔を思い浮かべながら、俺は静かに瞼を閉じた。

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