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スノーカメリア  作者: 古浜夕
有佐雪
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16/16

志賀さんとの出会い

「先に、帰る」

 慌てて立ち上がり追いかけようとして、だけどその場に立ち竦む。

 椿を捕まえても、何と言ったらいいのかわからない。

 それに、椿はしばらく僕の顔を見たくもないだろう。

 そんなことを考えて、ややあって、家とは反対方向にある繁華街までのろのろと歩き始める。雑踏を掻き分け、ひたすら前に進んだ。

 何度か利用したことのあるネットカフェに向かい、一度も利用したことのない夜通しプランを申し込み、「満員です」と断られた。肩を落として外に出て、人混みの真ん中で立ち止まり、ぽっかりと浮かんだ丸い月を仰ぐ。

 お腹が気持ち悪いからと公園へと入ったのに、今はそんなことどうでもいいくらい心が苦しかった。

 初めてケンカをした。

 僕には椿しかいないのに。

 椿のことを相談できる知り合いさえ――あ。

 一人だけ、いた。

 頭に思い浮かんだのは、志賀さんの顔だった。


   *


「今から会えませんか?」

 まるでラブラブな恋人に送るようなメッセージを送ると、志賀さんはすぐに街まで出てきてくれた。

「雪くーん、大丈夫? 何かあった?」

 志賀さんは普段洒落た格好をしているのだけど、今はジャージに黒ぶち眼鏡の完全オフスタイルだ。

「すみません、夜も遅いのに、あんなメール送って……」

「いや、それはいいけど、むしろ嬉しかったよ」

 志賀さんは明るく言ってから、僕の顔を覗き込む。

「雪くんから連絡くるなんて初めてだったからさ。ほらほら、どうしたの?」 

「実は……相談したかったんです」

 促されて口にすると、志賀さんは神妙な顔で頷き、思いついたように言った。

「相談、か。それじゃあ……家来る?」


「志賀さん、ここ、一人で暮らしてるんですか?」

 連れてこられた志賀さんの家は、ファミリー向けだろうと思われる広々としたマンションだった。ダイニングにはアイランドキッチン、その奥のリビングにはソファとテーブルと、家具は一式揃っているけれど、まるでモデルルームのように綺麗で、生活感がまるでない。

「うん、ここに越してきてすぐに買ったんだよ。疎遠だった母親を呼び寄せるつもりで広めにしたんだけど、引っ越し前に死んじゃってさ。仕方ないから一人で住んでる」

「……すみません」

「いやいや、別にいいよ。だってさ、俺たちの間にタブーな話題ないでしょ? 一番センシティブな話題、話し尽くしてるんだし」

 志賀さんは声を出して笑い、不謹慎だとわかりつつ、僕も笑う。

「座って。飲み物は……緑茶で良い? ペットボトルのしかないけど」

 ちらりと見えた冷蔵庫の中には、見事にペットボトルと缶しか入っていなかった。

 志賀さん、普段何食べてるんだろう。外食ばかりなのかな? ああ、だからあんなに店に詳しいんだ。

「ああ、お菓子があった! 抹茶チョコ、今度会う時渡そうと思ってたんだけど、今食べちゃおっか」

「ありがとうございます」

 正直、お腹には何も入る気がしなかったけど、お礼を言って受け取り、テーブルに並べる。

 すぐに缶ビールを持った志賀さんがやってきて、並んでソファに座った。

 乾杯した後、すぐに志賀さんはプルタブを開ける。

「それで、相談って?」

「……椿とケンカしたんです。物心ついてからは初めてで、どうしていいかわからなくて……」

 そこまで話して、一瞬、言葉に詰まる。

 何から話していいのかも、どこまで話していいのかもわからなかった。

 だけど……すぐに先程の志賀さんの言葉――僕たちにタブーなんてない、と言い切ったあの言葉を思い出す。志賀さんは僕が本音を話すことができる唯一の他人だ。椿には話せないことも、きっと話せる。だったら、初めから全部を話せばいい。

「僕たちは小さい頃、お互いだけを大好きでいようって約束したんです。それからずっと、二人だけの世界にいました。他の人と関わることはあっても、真っ直ぐに向き合うことも、本音を話すことも、心から好きだと思うこともなかったんです。でも先日、椿に好きな人ができました」

「うん、聞いたよ。君は応援してるって、そう言ったよね?」

「はい、応援してます。心から。前にも言いましたけど、僕にとって一番大事なのは、椿の幸せなので。椿にはせっかく見つけた恋を大事にしてほしい、それは僕の本音で、だから自分が寂しくても、辛くても、それで良かったんです。……でも、椿はそれを良しとしなかった。僕にも『好きな人』を作ってほしいと言いました」

 恋愛的な好き以外の、どんな好きでもいいこと。好きを知れば、双子の絆も確認できるということ。

 僕が人を好きだと思うという主張や、椿の行動によりサークルに入ることになった経緯まで、詳細を語っていく。

「椿は僕に幸せになってほしいと言いました。気持ちはわかるし、嬉しいんです。だけど、僕はそれを断りました。――僕は、人を好きになりたくない。椿以外とは深く関わりたくないんです。その理由を聞かれて、話せないって言ったら、椿が怒って……今のこの状況です」

 小さく息を吐き、ペットボトルを開ける。

 中の緑茶をごくごく飲むと、渋みが口いっぱいに広がった。

 何かを考えるように顎に手を当てていた志賀さんは、僕が飲み終わるのを待ってから、ゆっくりと口を開く。

「で、その『理由』ってやつ、俺には話せるの?」

「はい。それなんですが……」

 何から話そうか、少しだけ考えて、ゆっくりと口を開く。

「僕は今、志賀さんと、割と深く関わっていますよね」

「そうだね。喜ばしいことだけど、今の君の話を聞くと、俺たちの交流は不自然だ」

「僕は椿と約束したあの時からずっと、人を好きになりたくなかった。でもその理由を自覚せずにいたんです。椿といれば満たされてたから、理由なんて考えることもなかった。……だから、理由をはっきり意識したのは本当につい最近――志賀さんと交流するようになってからでした」

 そう口にしながら、僕は志賀さんと初めて会った日を思い出す。


   *


 大学に入学することが決まって、都心のアパートに越してきてすぐのこと。 

 その日、椿には高校時代の友人との予定があった。暇を持て余していた僕は新しい街を散策しようと、一人でぶらぶらと駅まで続く商店街を歩いていた。

 電気屋、本屋、雑貨店と何軒か店をひやかした後、少し休みたくなって、チェーンのコーヒーショップに入ったのだ。

「抹茶ティーラテ一つ。カスタマイズでブラべミルクに変更して、抹茶パウダーを追加してください。……あと、チョコソースも追加で」

 カウンター越しにドリンクを頼んでいると、背後から視線を感じた。

 何の気なしに振り向くと、そこには見知らぬ男性が立っている。

 年齢はおそらく四十代くらい。長身でスタイルがいいからか、顔立ちが甘いからか、おじさんという言葉が似合わない、やけに洗練された印象の人だ。

「君……有佐潤の血縁者?」

 まるでUMAでも見つけたような顔をして、彼は僕にそう聞いた。

 ジュンに似ている、それだけの理由で声を掛けられたことなら何度もあったし、無視する術も身に着けていた。だけど、有佐潤――母の本名を知る者に話しかけられたのは初めてだった。

「……彼女の知り合いですか?」

 母の、とは言わずにそう返すと、彼は大きく頷いて、懐かしそうに目を細めた。

「ああ、学生時代のね。あのさ、君……良かったら少し話さない? いや、あの、今の自分が変なおっさんでしかないことはわかってるんだ。だけど、どうしても、このまま去りがたくて」

「……少しなら、いいですよ。よく知ってる間柄じゃないので、大したことは話せませんけど」

 椿以外に無関心だった僕が彼の申し出を受け入れたのには、いくつか理由がある。

 一つ、今日は休日で、椿は友達と遊びに出かけていて、帰っても家にいないから。

 二つ、彼の様子があまりに必死だったから。

 そして三つ、何より大きな理由は、男性の瞳に少しの嫌悪感も滲んでいなかったから。いくら有名人だったとはいえ、母は人殺しだ。なのに彼の瞳には、潤に対する親しみしか存在しなかった。

「ありがとう! じゃあ……そこに座ってて。俺も飲み物を買ってくるから」

 男性は空いている席を指さすと、店の行列に並びーー数分後、ブラックコーヒーとたくさんの菓子を手に戻ってきた。

「はい。粒あんどら焼きと和栗たっぷり羊羹、小豆入りきなこクッキー……好きなものをどうぞ」

 狭いテーブルの上にずらりと並んだ皿を見て圧倒される僕を見ると、彼はしまったと言わんばかりに眉根を寄せる。

「甘味は和菓子派かと思ったんだけど、違った?」

「違わない、です……でもどうして、知ってるんですか?」

 椿は洋菓子の方が好きだけど、僕は和菓子の方が好きだ。

 でもそれを見知らぬ男性に知られているのは、なんだか気持ち悪い。

「潤もそうだったから。さっきのオーダー……抹茶の飲み物にさらに抹茶を追加するとことか、濃厚なミルクが好きなとことか、あと、チョコを追加する時、変なのはわかってるけど仕方がないって開き直った顔する注文の仕方までそっくりだった。それならやっぱり君も、和菓子派かなあって」

 僕は、母が抹茶好きなことも、濃厚なミルクを好むことも知らないし、カフェで飲み物を注文するところを見たこともない。だから無意識にやってることがそこまで似てしまうなんて、血の繋がりってすごいなあ、って感想しか浮かばない。

 だけどそんな俺を見て、にこにこと朗らかに微笑むこの人が本当に母と親しかったのだろうということはわかる。

「なるほど」

 呟くと、彼は椅子に座って思い出したように言う。

「ああ、ちなみに言うと、その『なるほど』って言い方もそっくりだ。君と潤は……ああ、いや、会ったばかりの他人に話したくはないよね。それじゃあ、こちらから自己紹介だ」

 心にするりと入り込んでくるような優しげな顔を作ると、彼は何でもないように続ける。

「僕の名前は志賀良治。潤とは大学時代に親しくしていてね」

「志賀……良治……」

 呆然と呟くと、彼ーー志賀さんは困ったように眉尻を下げる。

「そうだよなあ、名字が名字だし、わかるよなあ。隠さずに言うよ、俺は志賀誠一郎の息子だ」


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