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視認の記録

私はフィールドワークのために、その集落を訪れた。

目的は明確だ。民俗学的調査ではなく、認知心理学の観点からの記録である。「幽霊が見える」と主張する人々がなぜそのような体験をするのか。その神経学的・心理学的メカニズムを解明すること。それが私の仕事だった。

場所は伏せる。ただ、中国山地の奥、県道からさらに細い道を二十分ほど入ったところに、その集落はある。十数軒の家屋が山腹にへばりつくように並び、一番古い家は江戸末期まで遡るという。住人の多くは六十代以上で、若者は都市に出ていった。そういう場所だ。

集落に伝わる話は三つある。

ひとつ目は「コトリバコ」の類縁物。正確には「骨送り箱」と呼ばれ、死産した子の骨を小さな桐箱に収め、呪いたい相手の土地に埋めるという風習の痕跡が残っているという。民俗学者がすでに記録しており、私の関心はそこではない。

ふたつ目は、集落の南端にある廃屋で「影が歩く」という証言が複数あること。

みっつ目は、十年前に行方不明になった老女の話。彼女は生前、「裏山に子どもたちがいる」と繰り返していたという。

私が調査したのは、主にふたつ目と三つ目についてだ。


同行者が三名いた。

ひとりは自称「ゴーストハンター」の男性、三十代。仮にKと呼ぶ。彼は大きなバッグから様々な機器を取り出した。デジタルオーディオレコーダー(周波数応答20Hz〜20kHz、残留ノイズレベルが低いモデルだと彼は自慢した)、EMF検出器(電磁場の変動を測定する)、スピリットボックス(ラジオ周波数を高速スキャンして「霊の声」を拾うとされる機器)、そして動き検出器を三台。

私はこれらを否定しない。ただ、それぞれに合理的な説明がある。

EMF検出器が反応するのは、多くの場合、古い建物の劣化した配線、地磁気の局所的な乱れ、あるいは調査者自身が持つスマートフォンの電磁波である。スピリットボックスは、断片的なラジオ音声を人間の脳が「意味ある言葉」として補完する現象——パレイドリアの聴覚版だ。視覚的パレイドリアは有名だろう。雲の中に顔を見る。木目に人影を見る。ノイズの中に秩序を見出そうとする、脳の根本的な傾向である。一億年以上の進化が、私たちの視覚野を「パターン検出装置」として最適化してきた。誤検知のコストより、見逃しのコストの方が生存上は致命的だったからだ。

残りの二名は地元の証言者。七十二歳の男性(仮にT翁)と、五十代の女性(仮にFさん)。どちらも廃屋で「影」を見たと主張していた。


初日の昼間、私はT翁に話を聞いた。

彼は穏やかで、話が論理的な人物だった。「あそこに影がおるんです、確かに」と言うとき、彼の目は揺れていない。確信している。だから余計に、丁寧に聞く必要があった。

「最初に見たのはいつですか」

「七年前の秋です。夕方、五時過ぎ」

興味深い。薄暮の時間帯。人間の視覚系が最も誤認を起こしやすい光量帯のひとつだ。明所視と暗所視が切り替わる移行期、錐体細胞と桿体細胞が混在して機能する時間。輪郭の識別精度が落ち、脳は不足した情報を過去の記憶から補完しようとする。これを脳の補完作用と呼ぶ。

「その日、よく眠れていましたか」

T翁は少し考えてから笑った。「そういえば、ちょうど農繁期で……三日ほどろくに寝ていなかったかもしれん」

睡眠不足による幻覚は、医学的に十分に記録されている。七十二時間の睡眠剥奪で、健常者の約六割が軽度の幻視を経験する。T翁の体験は、疲労と薄暮という二重の条件が重なったものだ。

Fさんの証言も、構造は似ていた。彼女が廃屋の影を見たのは、T翁から「あそこには何かいる」という話を聞いた翌日のことだった。これは集団心理の典型的な作用である。先行する情報が知覚のフィルターを変える。「見えるかもしれない」という期待が、曖昧な刺激を「見えた」という体験に変換する。心理学ではこれをトップダウン処理の過剰適用と呼ぶ。


夜、廃屋に入った。

Kがデジタルオーディオレコーダーを起動し、EMF検出器を構える。動き検出器を三か所に設置した。スピリットボックスのスキャン音が、静寂の中でひどく場違いに響いた。

EMF検出器は断続的に反応した。Kが興奮したが、私はすぐに原因を特定した。廃屋の壁の中を走る古い電線だ。絶縁が劣化して漏電に近い状態になっている。建物自体が危険なのだが、それはKには関係ないようだった。

動き検出器は、一台だけ二度反応した。

一度目は、私たちが室内を移動した際の気流による影響だろう。古い建物は密閉性が低く、気流が生じやすい。二度目は、暗所での誤認が絡んでいる可能性が高い。我々は懐中電灯のみで行動していたが、光量不足の環境では、視覚野が輪郭を積極的に「作り出す」。廃屋の柱の影、剥落した壁紙の模様——それらがヒトの形に見えても、何の不思議もない。

スピリットボックスは、ノイズと断片的な言葉の羅列を出力し続けた。Kは「聞こえましたか」と何度か言ったが、私には有意な音声パターンは確認できなかった。

午前二時頃、解散した。

記録は十分に取れた。


翌朝、T翁からひとつの話を聞いた。

行方不明になった老女のことだ。彼女が晩年、「裏山に子どもたちがいる」と繰り返していたという話の、続きがあった。

老女は、こう言っていたという。「あの子らは、わしのことを見ておる。でもわしには何もできん。もう慣れた」

T翁はそれを「老人の妄想」だと思っていた。当然の判断だ。私もそう思う。記憶の改変という観点からも説明できる。晩年の孤独が、過去の記憶(実在した子どもたち、失われた共同体)を現在の幻視として再構成したのだろう。脳の海馬と扁桃体が連携して、感情的に強い記憶を「今ここにある現実」として投影する。これは老年期の認知変容として珍しくない。

私は丁寧にメモを取りながら、T翁の話を聞いていた。

窓の外に、裏山が見えた。

落葉した木々の間に、薄い午前の光が差している。

特に何もない、冬枯れの山だ。


報告書をまとめながら、私は改めて思う。

人は幽霊を見ない。人は幽霊を「作る」。パレイドリアが輪郭を意味に変え、睡眠不足が閾値を下げ、集団心理が確信を共有させ、暗所が識別を誤らせ、脳の補完作用が空白を埋め、記憶の改変が過去を現在に貼り付ける。この六つのメカニズムを理解すれば、「幽霊体験」のほぼすべてに説明がつく。

T翁もFさんも、Kも、老女も——彼らは嘘をついていない。ただ、脳が誠実に働いた結果を、誠実に報告しているだけだ。

「骨送り箱」の風習も、集落の都市伝説も、廃屋の影も、裏山の子どもたちも——すべて、解釈の問題だ。

科学は優しい。どんな恐怖にも、名前をつけてくれる。


報告書の最後のページを閉じる。

外はもう暗くなっていた。

部屋の隅に、今日もいる。

私がここに来てから、ずっといる。

昨日も、今朝も、報告書を書いている間も——ただ静かに、こちらを見ている。何も言わない。怖くはない。もう慣れた。

まあ、昔から見える質なので、これは私の主観的体験にすぎない。

科学的に言えば、ただのパレイドリアだ。

——たぶん。

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