三話
あれから、昼食を鷹崎某と共にすることが増えた。まあ、他愛もない話をするだけだが。なんなら俺が無視して話にすらならないこともある。だって会話ってめんどいんだもん。そんなふうに雑に扱われて来なくなるかと思いきや、ドアを開けると大概居た。案外長続きするもんだ。
たまに彼女は姿を見せないが、まあ用事があるのだろう。
そして初めて会ってから十数日経った昼休み。俺はいつものように空き部屋に向かっていた。決して某李紅に会えるのを期待しているとかではない。これはただの日課で、紛れもない日常だ。
きっとまたドアを開いたら、やあ、なんて言いながら、人を疑うことを知らないようなあの真っ直ぐな目で、俺のことを射抜くのだろう。
なんて思いながら階段を上がったところで、俺の耳朶をそれが貫いた。それは、日常が崩壊する音だった。
「やめてください! ……やだ!」
事件性のある声音に、俺は思わず身を隠す。階段の上がりしな、非常口が設置されたスペースで、俺はそれを聞く。
それは、確かにここ数日で聞き馴染んだ鷹崎の声だった。
「ねえ〜ミスって私の切らないでよ?」
「大丈夫だって! ねえ、あんた最近どこに行ってんの?」
「それ、は……」
「あーしらの昼飯買ってくるのも放棄して、こんなとこで何してるわけ?」
「……ごめんなさい、またご飯は買ってくるので……」
「そんなこと言ってんじゃねえんだよ!」
どん、とロッカーを蹴る鈍い暴力的な音が聞こえ、俺は思わずそこを盗み見る。
空き部屋の前付近には、羽交締めにされる鷹崎と、はではでしい恰好をした女子三名が取り囲むようにして存在していた。鷹崎の制服は何かに切られたのか、所々破れている。あからさまないじめの現場だ。
「何してるかきいてんの。ほら、答えないと……」
鷹崎の正面に立つその女子は彼女に対して右手を向け、そして。
「っ!」
制服が更に切り刻まれる。最早、服という体をなしていないくらいに、ただの布切れへと化していく。髪留めのゴムが切れて、ぱさりと茶髪が揺れた。俺はそこから視線を逸らして、考える。
鷹崎が空き部屋に訪れない日。パンに含まれていた針。いつだか彼女が言い放った『落ち着く』の意味合い。かなり質素な食事。汚れた制服……その裏にあった悲劇。
思えば鷹崎は、部屋に姿を現すとき、大抵いつも俺より先に部屋に来ていた。そして、俺を見るなり笑顔になって……。
俺がいつか案じた『鷹崎が嫌な思いをしていないだろうか』という懸念は、最悪なことに大当たりしていた。普通に考えれば、そんな思いをしていない子がわざわざ空き部屋になんか来ないのだ。俺みたいな変人を除いて。なんでもっと早く気づけなかったんだ。
「はあ、まだ答えないわけ? ほーら、答えないと次はスカートだよ!」
「っ! やだ!!!」
尚も悲劇は続く。耳に入るのも痛ましい悲鳴が廊下に反響する。そこで俺は、そんな目に遭っても鷹崎が口を噤んでいる理由に思い至った。
『ただし、面倒事とかはごめんだからな! 友達なんていう関係性にかこつけて、お前の問題を俺がどうにかする、みたいなのはやんないからな』
以前俺が言い放った無情なあんな言葉を、彼女は守り続けているのだ。俺の名前を出したら、俺に迷惑がかかるとでも思っているのだろう。
馬鹿が。それを守るために自分が傷付いては意味がないだろうが。
心の中で毒づいたのも束の間。
「……あ? お前誰?」
「……」
気づいたら俺は飛び出していた。客観的に聞くと『あ?』って態度悪いな。改めよう。
なんて、考えてる場合ではない。
「……ひ……なんで……だめ、来ちゃだめ」
鷹崎は俺の名前を呼びかけて、思いとどまった。そのあられもない姿に、俺は歯噛みする。
「あーしたち、いま取り込み中でさぁ。どっかいってくんね?」
「ほーら、お前の恥ずかしい姿、男の子に見てもらおっか」
「……やだ、やめて……」
そんなクズの言葉が届かないほど、俺は緊張していた。
心臓が高鳴り、緊張で呼吸が乱れそうになる。ただ、これを悟られてはいけない。あくまで堂々と。堂々と。俺のもう一つの能力の行使のためには、そうするほかない。ずっと隠し続けてきた、その能力を使うためには。
相手が持つのは対象を切り刻む能力。ミスれば大怪我する可能性もある。ともすれば命に関わる。でも、やるしかない。何だってこの能力を使ってまで、この女共を追い払わなくちゃいけないんだ。特異な存在だということがバレてまで。
そんなの、分かりきっている。
「……あのさあ。お前らがそこでうだうだやってると、俺が飯食えないんだけど」
食事を邪魔する奴はボコボコにするのが俺のモットーだ。そんな台詞と共に、俺は四人と対峙する。鷹崎に、匂いを嗅がないでほしいと思いながら。
「はあ? 飯くらい別のとこで食えばいいだろ? 頭悪いの?」
俺の場違いな言い分に、女三人衆は笑い始めた。どうしてこう柄が悪い奴らってのは人が不快になる笑い方をするのだろう。
「俺が飯を食う場所は俺が決める。それを邪魔する奴はボコボコにする。それが俺のモットーだ。お前らの方こそどっか行けやクソボケども」
長いセリフを言い終えると、気色悪い笑みを浮かべていたボス格みたいな女は、無表情になって俺の方に体を向けた。
「……あんた、誰に口聞いてるかわかってんの?」
「知らねえな。俺の能力じゃ、小粒の情報は読み取れなくてね」
そう言うと、下っ端のような奴が声を上げる。
「あ! 姉御! あいつ見たことあるっすよ! 羊野……? とかいって、確か能力は『食べ物の情報が分かる』とか」
「ぶっ、何その無能! そんな雑魚の分際で、私にたてつこうっての? なんでも切り刻むことができる、この私に?」
「……だめ、羊野くん……死んじゃう……」
鷹崎はそんな姿になっても、俺のことを案じて静止してくれる。鬱陶しいけど、どこまでもお人好しな奴だ。
確かに、対象を切り刻む能力があれば最悪の場合人を殺せるだろう。現に能力者高校では、過去に死亡事故が起きた、なんていう噂もある。揉み消されたらしいから噂止まりだが。
でも、俺ならやれる。この能力……というか、能力を用いた作戦が通れば、勝てる、勝てるんだ。そして、鷹崎はこんな地獄とおさらばして、俺とあの穏やかな四十分間を過ごすんだよボケ。
「俺が無能だろうがなんだろうが、飯を邪魔する奴は許さん。不満があるならかかってこいや。能力者の風上にも置けないクソどもが」
「てめえ……殺す!!!」
俺の挑発に怒り狂ったその女はそう言って、俺に手のひらを向ける。鷹崎は俺から視線を逸らす。愉快そうに笑う後ろの二人。そして、刃が俺を襲い、制服は切り刻まれ、四肢を切断される……ことはなかった。
「……えっ?」
そのボス格の女が言葉を漏らした。
そう、何も起きなかったのだ。人が数名いるとは思えない不気味な静寂が場を支配する。無音という音がうるさいくらいに耳を劈いた。
「ちょ、姉御〜。早くやっちゃってよ!」
「いや、あーしは確かに……もう一回!!!」
再度右手を向けられ、その女は能力を行使するが、何も起きない。静かすぎる廊下に、互いの呼吸音が虚しく響くのみだ。
「……どうした? 早くやれよ」
飄々と言ってのける俺に、そいつの顔は引き攣る。そして、一つの考えに至ったようだった。
「……お前……まさか、アマデウスか?」
「えっ、ア、アマデウス? あんなやつが!?」
「おお、勘が鋭いね〜。馬鹿のくせに」
「ひ、ひつじの、くん……?」
全員が困惑に陥ってる。俺の、この忌々しい特性について。
アマデウス。二つ能力を持っている奴を指す単語だ。昔はそういった存在は、神に愛された者だと信じられていたことから、名残で今もそう呼ばれている。
そう。俺の持つもう一つの能力。それは、
「……相手の能力を封じられる?」
その三人グループの誰かがぽそりと呟いた。ご名答だ。正解だ。おっと、クソ強いやんと思ったそこの君。強かったらとっくに能力開示してリア充グループに入ってんだよクソが。
この能力には大いなる弱点が二つある。一つは、三回使うと睡眠を長時間取らない限り使用できなくなるという点だ。薬の用法みたいな回数しか使えないせいで、故にあと二回ほど相手が攻撃を仕掛けてきたらゲームオーバー。俺の人生は終わる。
そして、もう一つのデメリット。それは、行使すると、頭がかち割れるような、酷い頭痛に襲われるのだ。経験上、一回あたり二時間はこれに苦しまなければならない。二回使ったから四時間か。クソ痛え。つらすぎる。
ただ、そんなものを悟られてはいけないから、おくびにも出さずに俺は堂々たる面持ちで、それに相対する。
ま、要は、ハッタリにしか使えねえカス能力ってところだ。故に、アマデウスであることも、そんな能力を有していることも、おいそれと口外できなかったのだ。
この事件が起きるまでは。
この……昼食邪魔され事件が起きるまではな。ふん、やった場所が悪かったな、愚物どもよ。結果的に俺の昼食を邪魔したのが運の尽きだったな。
……能力のことバレたし、尽きたのは俺の運じゃねえかクソが。
「ま、そういうことだ。隠してたけどな。能力が使えないなら、男と女。殴り合ったらどっちが勝つかは明々白々だよな?」
内心で毒づきつつ、俺は暴力的な理論で、そいつらに襲いかかる。そいつらは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、こちらを睨むばかりだ。
「……」
「俺も飯前に人を殴りたくはないんだ。退いてくれると助かるが」
退いてくれ頼む。もう心臓はち切れそうなんだよ。頭クソ痛い上に冷や汗止まんないし、おしっこちびりそうだし。膝ガクガクなりそうだし。これが通んなかったらまじで怖い。しかもあと一回使ったら頭痛二時間延長だろ? 絶対やだそんなん。
祈るような心持ちで、しかし表向きは毅然と立ちはだかる。
そして、そいつらが舌打ちしたのも束の間だった。
「ちっ……よかったね、正義のヒーロー気取りのやつが助けてくれて、さ!」
そいつはロッカーをひと殴りしてから逃亡していった。それに追従するように、残りの二人も足早に逃げていった。俺は何とかなったなと胸を撫で下ろし、乱れる呼吸と鼓動とを落ち着かせる。
残された二人。俺は服がボロボロな鷹崎のことを、あまり見ないようにしつつ近づく。
「……あ、えっ、と……えへへ」
なんとか苦笑いで取り繕おうとする鷹崎。底抜けにお人好しな彼女はこんな状況でも、俺を気遣おうとしている。
俺はそんな彼女に対し、自分のブレザーを脱いで着せた。
「もう無理して笑わなくていい。多分、俺が目を光らせてるうちは大丈夫だろうから」
「……羊くん……」
「あ、勘違いすんなよ。お前を助けたわけじゃない。昼飯のためだからな、これは」
「……嘘、つき……うう……ひぐ……」
俺が隠した心の内を見透かした彼女は、そのまま泣き始めた。人間関係に乏しい俺はどうしていいか分からず、見ないふりをしたまま、その小さな背中をさすり続けた。




