土に塗れた饅頭
村の村祭りは初夏に入ってから一番初めの新月の夜に行われる。隔年で日向と月見里の代表がが村の神に真剣をもって踊る舞を奉納するが、五十年に一度。それは共同で行われる。
大舞の儀。
どちらかが倒れるで舞を踊り続ける。
その倒れた方を生贄として神に捧げるのだ。
生贄は山の社に運ばれ、勝者は一晩かけて舞の続きを神に奉納する。その際、敗者と勝者以外は社から離れなければならない。
「フリだけどね……。今年も木刀だし」
舞の練習ですっかり汗だくになった額を拭いて、私は折原の横に腰掛ける。
「札神村の神様ってどんなんだ」
「さぁ……?なんか死を司る神様だとかなんとか。だから「殺生」を奉納するの」
「なんだかよくわからない」
「私もよ。でも神様ってそんなもんじゃない?」
「でも木刀なんて怪我してしまいそうだ」
「するわよ?殴り合いよ。本当は御神刀使って切り合いなんだけど。……まぁ今回はいろいろあってね」
「御神刀って……まさか真剣じゃないだろう」
「そうよ。本物の刃よ」
「そんなの使ったら痛いじゃないか」
「痛いどころじゃないでしょ……」
「痛いだろ?」
「そりゃそうだけど」
この男とはたまに会話が成り立たない。どこかちぐはぐするのだ。
なんだか疲れてきた。シミーズが汗しみついて気持ち悪い。当日の衣装によく似ているからという理由で祖母に用意された胴着に袴。生地が厚く、とにかく暑いのだ。
大きく伸びをして私は縁側にごろりと寝転がる。先ほどまでは祖母も練習を見張っていたが、村民会に呼び出されて祖父と一緒に出かけて行った。きっと翌日に控えた祭り。大舞の儀の話し合いだ。おそらく遅くまで帰らない。少し休憩したとしてもバチは当たらないだろう。
「うまくいくだろうか」
「いかなきゃ困るわ」
大舞の夜。山の社には私と明がなんの拘束もなしに二人きりになる。つまりそれが逃げる最高の機会というわけだ。
「やっぱりもうちょっと練習しようかな」
「すまない。君ばかりに負担をかけて」
「だって私が勝った方が良いでしょう。その方がやりやすい」
折原を社に手引きするのは私の役目。
夜の山を歩いて村を出るなら地理を知っている私の案内が不可欠だ。
気合を入れて立ち上がる私を折原が引き止める。
「まぁ、それにしてももう少し休憩したらどうだ。ちょっと一息入れて」
元来サボり癖が根付いている。そんなこと言われればやる気も削がれるというものだ。
つまりは一理はある。そういえば今日は菓子の一つも摘んでない。
「おばあさんも心配していたぞ。急にやる気を出して人が変わったようだと」
「まぁ……やりたくなくて逃げ回ってたからね」
「そうだ。そういえばばあさんから言伝を預かっていた。台所の納戸に饅頭があるんだと。おやつにどうぞと言っていた」
「それ早く言ってよ」
この狭い村。餡子の入った甘味なんて滅多に食べられない。
「練習がひと段落したら伝えるように言われてたんだ」
なんだかお目付役にでも気取っているようで、腹立たしい。
「……とってくる」
草履を脱ぎ捨て、私は台所へと長い廊下をかけていった。
台所へ着くと、ほんのりとまだ味噌の香りがしていた。鍋の蓋を開けると確かにそこには味噌汁が。お釜のご飯も炊けているようだった。
戸棚を開けると饅頭が二つあった。ここで食べてしまえば二つ食べられるかと思ったが、一つは折原の分だろう。少し悩んでから饅頭を持って縁側に帰ろうとすると、台所の入り口に奴が立っていた。
音もなく帰ってきたのだ。従兄が。
珍しい。従兄は滅多に家に帰ってこないのに。
「朝子。なんだその格好…袴?」
「れっ……練習。舞の……」
「ああ、そういや明日は村祭りか」
ひょいっと従兄の手が伸びて、饅頭を一つさらっていく。「あっ」と言った時にはすでに遅く。一口で饅頭は従兄の口に収められていた。
従兄はぺろりと饅頭を平らげると、一歩私の前に歩み寄る。従兄弟の視線が上から下に下から上へと動く。
「しかしなんだな。お前。少し胸が大きなったんじゃないか?」
空間が凍るような。体中の産毛が逆立つ。ここから逃げろと訴えかけるように。
従兄の手が私に向かって伸びる。瞬時に私は後ずさった。空をきった手を見てから従兄は薄ら笑いを浮かべる。
「そんなことないよ」
素早く従兄の横を通り過ぎてそこから離れようとすると、従兄ががばりと私に覆いかぶさるようにして抱きついてきた。
「何だよ?逃げるなよ。ちょっと触らせてみろ」
手は私の胸元へと伸びる。私は咄嗟に胸の前で手を組んでそれを阻止するが、それがますます気に食わなかったらしい。
私はそのまま地面に押し倒される。固い床に頭を打ち付け、くらくらとした。世界がぐわんぐわんと歪む。耳鳴りのせいで周りの音が不鮮明に聞こえる。手足は先からジンと痺れていた。
従兄は私に馬乗りになると。そのまま私の胴着を引っぺがした。シミーズをまくりあげるとその視線は私の体を舐め回すようにぎょろぎょろと動く。
「は……まだまだなぁ。でも安心しろよ。揉むとでかくなるだよ。吸えば乳首も浮き出てくる」
従兄の手が伸びる。ああくらくらする。気持ちが悪い。
その手が徐に私の乳房を掴み、その顔が近づいてくる。
やめて。助けて、顔の動きさえ自由にならない。それでも瞳からは涙が落ちる。
もう終わりだ。
そう思った瞬間。従兄の頭が目の前から消えた。
何事かと思うと、体が軽くなったこと気がついた。体の感覚が戻っていくのを感じる。
やっとの思いで体を起こすと従兄が少し離れた場所で頭を押さえてうずくまっているのが見えた。その従兄の体を折原が力いっぱい蹴っている。
「お前は!一体何をしてるんだ!」
折原の顔はひどく怒っているようだった。
「折原さん……」
呟いたその声に折原はこちらを向き、さっと駆け寄ってきた。
「大丈夫。朝子ちゃん」
そう問いかけられ、私は何を聞かれているかわからなかった。大丈夫?一体何が……。そうだ。今私は従兄に……。遅れてきた自覚に吐き気が込み上げる。産毛が全て凍るような不快さ。
げほげほと咳き込む声が響く。従兄が口元の血を拭きながら立ち上がった。
前歯は折れ、右目は青く腫れている。
「てめぇ……よくもやってくれたな」
折原はさっと私を後ろに隠した。私はその背から震えながら従兄を見つめる。
「お前はまだ幼い女の子に無体を働いたんだ。まだぬるいくらいだぞ」
「朝子は俺の許嫁だ。俺が自由にしていいんだよ」
「そんなこと関係ないだろう!」
私がずっと欲しかった言葉だった。
「いやあるね!人殺しの娘をもらってやるんだ!それぐらいの楽しみがあったってバチは当たらないだろ!」
「人殺し……?」
「やめて!」
眉を顰める折原の背から私は叫ぶ。従兄はそれを見てニヤニヤと嫌味な笑いを浮かべた。
「コイツは九つの時に人を殺してるんだよ。月見里のガキをな」
血の混じった唾をたか散らしながら、従兄は勝ち誇ったように私を指差す。
嗚呼、知られてしまった。
「おかげで今年の祭りはつまらねぇ。折角目の前で人殺しを見れると思ったのに……こいつらが祭りの前に殺しちまったからよォ。見れないんだよ。生の殺しが」
軽蔑される。置いてかれる。東京に連れて行ってもらえなくなる。がたがたと震える。もうおしまいだ。なにもかも。
「お前何言ってるんだ?」
響いた声に顔をあげる。その顔は心底従兄の言うことが理解できないといった。困惑の表情だった。
「はっ……だから。朝子は穢れた人殺しだって」
「関係ないだろう」
凛と。折原の言葉が空間に響いた。
「これ以上薄汚いその口を開いてみろ。もう何本か歯が折れることになるぞ」
従兄は何かいいたげに口をぱくぱくさせていたが、折原に「去ね」と念押しされると勝手口からそそくさと出て行った。
折原はため息をつくと私が落としたお盆を拾い上げた。盆をどけるとそこには土間の土にまみれた饅頭が転がっていた。
「あ……ほらまんじゅう。少し土ついてるけど払えば食べれるよ。大丈夫」
折原は土を払って私に饅頭を差し出す。饅頭は白かったんだ。そんな茶色じゃなかった。大丈夫なわけがない。私はまた泣いた。折原は困ったようにあたふたとしていたが、私が泣き止むまでそばにいてくれた。




