四『神様なんて、いないだろ』
「ピクニック、ピクニック!」
「ヘイッ」
「ピクニックー、ピクニックー」
「イエアッ」
歌とも言えないような千佳のでたらめなリズムに、僕が合いの手を入れる。
「うれしいなーうれしいなー」
助手席に座ると千佳は、本当にうれしそうに笑いながら頭を左右に揺らしていた。
千佳の顔は……かろうじて面影を残してはいるものの、もう別人と言っていいほどに変わってしまっていた。
「あっ!」
突然あがった素っ頓狂な声に、思わずハンドルを取られる。
「どうした?」
「今キツネがいた!」
「キツネか。いいな、気付かなかった」
「可愛かったぁ……」
窓の外に流れる景色をうっとりと見つめる。
このいきばくかの千佳の影も……明日には消えてしまうんだろうか。
「キツネもいいけどさ。ちゃんとナビしてくれよ」
「だいじょうぶ。ずっとまっすぐだから」
父さんが遺してくれた時代遅れの車には、カーナビなんてものはついていない。
地図を広げながら千佳がここまでナビをしてくれているんだけど……
「あ、そろそろ左……右?」
「どっちだよ」
ずっとこんな調子だった。
予定ではもうとっくについているはずなのに。
「どっちかわかんないけどそろそろわき道が……あっ! あれだ! お兄ちゃんあそこ左!」
「よしきた」
「ここまっすぐ行ったらもうつくよ」
「わかった」
言われたとおり、ハンドルを左に切る。
すると唐突にアスファルトの路面が途切れ、想像以上の悪路に変わった。
ガタガタと車体が上下に揺れる。
オンボロカーには不安な道だった。
「うう、気持ち悪い。ゆれすぎだよ……」
「喋るな。舌噛むぞ」
その上クネクネと曲がりくねる。
運転している僕でさえ酔ってしまいそうだった。
胃のあたりからわきあがってくる気持ち悪さと戦いながら車を走らせていると、ようやく視界がひらけた。
車が何台か停められそうな広場があった。
たぶんここが駐車場でいいんだろう。
他に車の姿はない。
観光シーズンからは外れているし、こんな場所にはよっぽど気合いの入った観光客しかこないだろうから、当然と言えば当然かもしれない。
ラインすら引かれていないその場所に無造作に車を停めエンジンをきると、千佳が待っていましたと言わんばかりに勢いよく扉をあけて、外に飛び出した。
「ついた!」
僕も外に出て、天に向かってうんと背伸びをする。
「三時間のナビ、ごくろうさん」
「お兄ちゃんも運転ごくろうさん! いこうっ! はやく! この奥でしょ?」
「ああ、ちょっと待て」
僕の制止も聞かず、千佳は池の方へ走っていってしまった。
内心呆れ半分、でもうれしさも半分。
あんなに喜んでいる千佳をみるのは、久しぶりだった。
今日は、きてよかった。
車の後部座席から弁当と水筒の入ったリュックサックとピクニックシートを取り出して、千佳を追った。
千佳は池の手前で、茫然と立ち尽くしていた。
「キレイ……」
目の前には、言葉では表現できないような幻想的な空間が広がっていた。
「ほんとだ」
吸い込まれてしまいそうな、深い青と緑の水面。
凡庸な感想だけれども、これほど美しいものを僕は見たことがなかった。
決して大きな池ではない。
だけど見る人すべての魂をつかむような、そんな力があると思った。
「すごーい……すごーい!」
今にも飛んでしまいそうな足取りで、千佳は池の周りを走り回った。
ゆっくりと、僕もその後ろ姿を追う。
たまに立ち止まって、千佳は僕が追いつくのを待った。
「お兄ちゃん! 写真! 写真撮って!」
「お、おう」
嫌いな写真をせがむほど、千佳は感動してるみたいだった。
「よし、撮るぞ」
「あ、待って。どうせなら一緒に写ろうよ」
「ん、そうだな」
カメラを段差の上において、角度を調整する。
よし、これならしっかりと写りそうだ。
タイマーをセットして、段差を飛び降りた。
「はやくはやく!」
急かす千佳の隣に立って、同じようにブイサインを作る。
それと同時に、カメラから電子音が響いた。
「どう? ちゃんと撮れた?」
「ほら、うまく撮れてる」
千佳にカメラを渡す。
「ほんとだ。お兄ちゃんがこういうポーズとるのレアじゃない?」
「そうか?」
「そうだよ」
楽しそうに笑う。
その笑顔は、例え顔が違っても千佳の笑顔そのものだった。
それから、色々な角度で写真を撮った。
千佳の想いを受け止めるように、何枚も何枚も、何枚も。
「あー疲れた。写真はもういいや」
「そうだな。もうメモリーもほとんどないし」
「そんなことよりお兄ちゃん、お腹空きました」
「お、メシにするか?」
「うん、メシにします!」
「よし!」
池が一番綺麗に見える場所にシートを敷いて、弁当を並べた。
それをはさんで、二人向かい合って座る。
「でも、こんなところで食べちゃっていいのかな」
「誰もいないし、汚さなきゃいいさ」
「うん、うーん。そうだね。うん。」
「よし、手を合わせてください」
「はい!」
「いただきます!」
「いただきまーす!」
元気よく、食事開始の挨拶をした。
千佳はオニギリをつかんで、口いっぱいにそれを頬張った。
「ん、塩加減が絶品ですね!」
「おおげさだな。昨日の残りだけどからあげもあるぞ。あとお前の大好きなハンバーグも。食え」
「いただきますっ!」
おいしそうに次々と口の中に納めていく。
早起きをしたかいがあったってものだ。
僕もオニギリを掴み、一口かじった。
その時、千佳が大きな溜息をついた。
「どうした?」
「……溜息がでちゃうくらいほんとに綺麗だなって」
左手にオニギリを持ちながら、木漏れ日をきらきらと反射する水面を見つめる。
「ほんとに、神様でも住んでそうだよね」
「……神様ね」
その言葉で思い出す。
母さんはクリスチャンだった。
毎週日曜日には、熱心に教会へ通っていた。
僕も何回か連れて行かされたけど、あまりに退屈ですぐに行かなくなってしまった。
行きたくないと言った僕の頭を優しく撫でながら、母さんは困った顔をしていたっけ。
本当に熱心に……母さんは神様ってやつを信じていた。
「神様なんて、いないだろ」
だからこそ僕は、神様なんて信じる気にはなれなかった。
自分を信じてる人間を短命で終わらせるなんて、どんな神様なんだって。
吐き捨てるように呟いた僕の言葉が気に入らなかったのか、千佳が怖い目で僕を睨んでいた。
「駄目だよ! そんなこと言ったら!」
「ええ?」
「神様って絶対いるんだよ。うん」
矢継ぎ早に捲くし立てる。
「なんだそりゃあ」
「そんな気がする。神様はいっつも私達のこと見てるんだよ」
「いっつもね」
「それに私、毎朝お祈りしてるんだ。神様がいなかったら、そのお祈りどこにいっちゃうのさ!」
「知らないよ。何? お祈りって」
「今日も私とお兄ちゃんが笑顔ですごせますようにって」
「ははっ。そりゃ大事だ」
「笑うなよー!」
少なからず、驚いた。
千佳が神様を信じているなんて知らなかった。
それが母さんとは違って漠然とした神であっても、母さんと同じ考えを持っていることが僕には衝撃だった。
千佳の綺麗な字や、ちょっとした仕草や、考え方。
一緒にすごした想い出はなくても、千佳の中に母さんはしっかり息づいているように思えて、それがすごくうれしかった。
でもそれがもうすぐ失われてしまうと思うと、どうしようもなくやりきれなくなる。
気を抜くと暗くなってしまう気分をごまかすために、ひとしきり騒ぎながら弁当を平らげた。
その後は何か喋るわけでもなく、ずっと二人で池の水面を眺めていた。
時間の感覚がわからなかったけど、かなり長い時間そうしていた気がする。
でも、決して退屈ではなかった。
幻想的な空間が、帰りたくないと、そんな気分にさせた。
そしてこの空間なら、千佳とずっと一緒にいられるんじゃないか、そんな錯覚さえ抱かせた。
ここならずっと……それが可能であると、心の底からそう思えた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「そろそろ帰ろうか」
「ん、そうだな」
気付けば、あたりは暮れかけていた。
弁当を片付けて、シートを畳んで、車の後部座席に放り込んだ。
もう、ここを千佳と二人で来ることは二度とないんだろう。
車に乗り込んでエンジンをかけ、あの悪路をまた進む。
千佳ははしゃぎすぎて疲れたのか、車の振動が緩やかになるとすぐ、寝息をたて始めた。
残された時間は、少ない。
神を信じない僕が、今初めて、祈る。
どうか、どうか千佳が、父さんと母さんと同じところへ逝けますように。
妹が消えるまで、
後、一日。




