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ロスト・リビルダー ―忘却の罪―  作者: げこきち
一章 要塞都市の怪物
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怪物との邂逅

 轟音が止み、ホールに立ち込めていた濃霧が、一陣の風に払われるように消え去った。

 派手にぶっ飛んだニルヒは、もはや指一本動かす気配もない。砕け散った銀色の鎧が、日光を反射して虚しく輝いている。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 俺は肩で息をしながら、最高密度の綴力グラフィーを纏わせていたナイフを下ろした。

 全身にじりじりと熱い疲労が蓄積しているが、幸い、致命的な傷はない。ニルヒの剣を辛うじて凌ぎきった数箇所の掠り傷から、わずかに血が滲む程度だ。


 特訓の成果か、あるいは死線の最中での覚醒か。

 今の俺の身体は、不思議なほど軽く、そして研ぎ澄まされていた。


「休んでいる暇は、ないな」


 俺は腰についている鞘にナイフを収める。

 ニルヒは倒したが、この出来事の元凶――俺を捕まえようとしている黒幕たちの行方は依然として不明なままだ。


「待ってろよ…すぐに見つけ出してやる」


 俺は強く地を蹴った。

 背後に広がる骸の山と、かつての強敵を一顧だにせず、俺は巨大な階段へと走り出す。

 磨き抜かれた大理石を蹴る音が、誰もいなくなったホールに力強く響く。


 巨大な階段を駆け上がり、俺は会議室へと続く長い廊下に足を踏み入れた。

 静まり返った廊下に、俺の足音だけが鋭く響く。だが、その静寂はすぐに無骨な金属音によって破られた。


「いたぞ! 侵入者だッ!」


 前方から現れたのは、三人の衛兵たちだった。

 ニルヒに指揮されていた精鋭ではない。ただの、命令に従うだけの末端。今の俺の敵ですらなかった。

 止まる必要はない。俺は速度を落とさず、腰の鞘から再びナイフを引き抜いた。


「どけッ!」


 綴力グラフィーを纏わせるまでもない。最短の踏み込み。

 迎撃のために槍を構えようとした一人目の懐へ一気に潜り込み、柄を蹴り上げて体勢を崩させる。そのままナイフの腹で顎を叩き上げ、意識を闇へと突き落とした。


「な、こいつ……速いッ!?」


 驚愕に目を見開く二人目の横を、風となって通り抜ける。

 すれ違いざま、膝裏へ正確に一撃。崩れ落ちる身体を置き去りにし、三人目の突きを最小限の動きで回避して、その背中を廊下の壁へと突き飛ばした。

 背後で重厚な鎧が大理石に激突し、乾いた音が反響する。

 振り返ることもせず、俺は再び地を蹴った。

 肺が焼けるように熱い。だが、頭は異様なまでに冴え渡っている。


 再び廊下の角を曲がり、目の前に広がる光景を見て、俺は思わず足を止めた。

 複雑に入り組んだ市庁舎の内部。


 だが、迷うことはなかった。

 ミルトリアが教えてくれた建物の構造は、驚くほど正確だった。どこに階段や角があり、どの通路が会議室に繋がっているのか。その全てが、まるで自身が設計したかのように寸分違わず俺の脳内マップと重なる。


「あいつ、何者なんだ?」


 ただの協力者にしては、詳しすぎる。

 この建物の構造は、機密事項も含まれているはずだ。それを事細かに、しかも俺のような部外者が最短距離で動けるように提示してみせた。


 一瞬、彼女の底知れない微笑みが脳裏を掠める。だが、今はその答えを求めている時間はない。

 俺は再び加速し、最後の階段を上る。

 正面に見えるのは、他の場所とは一線を画す重厚な装飾が施された二枚開きの扉。


「ここが、会議室……」


 ミルトリアの情報通り、周囲に人影はない。衛兵たちは階下の騒ぎに気を取られているのか、あるいは「あえて」ここを空けているのか。


 不気味なほどの静寂が扉の向こうから漂ってくる。

 俺はナイフの柄を握り直し、意を決してその重い扉に手をかけた。


 いや待て。こういう場合何て言うのが正解なんだ?誰かいるか?この都市を渡してもらう?

 どれも違う……


 数秒考えた後、俺は意を決して扉を押す。

 不意打ちを警戒したがその心配はなさそうだ。


「決着の時だ」



 開かれた視界の先――

 そこには、要塞都市を統べる絶対者がいた。

 部屋は広く、そして静かだった。

 豪華な装飾品も、壁に掛けられた名画も、すべてはこの中央に座る男を引き立てるための舞台装置に過ぎない。


「ようやく来ましたか」


 市長は執務机に深く腰掛けたまま、ゆっくりとフードを被った顔を上げた。その見た目は以前会った時と全く同じものであった。


 驚きも、焦りもない。俺を殺し損ねた衛兵たちを叱責する様子すらない。

 ただ、獲物が罠にかかるのを待っていた猟師のような、不気味な静止。


 俺はナイフを逆手に構え、一歩、絨毯を踏みしめる。

 周囲に気配はない。護衛も、潜伏している衛兵も、誰もいない。

 この男は、本気で俺を一人で処理できると確信しているのだろうか。


「少し話をしましょう」


 市長がゆっくりと椅子から立ち上がる。


「話?まぁ分かった」


 市長の戦う意思を感じなかったので、俺は警戒しながらもナイフを鞘へ収める。


「じゃあ先に聞かせてもらう。あんたが…この前の警報を鳴らしたのか?」


 俺の問いに、市長はこちらを一瞥した。

 市長は円形の巨大な机の横を通り、大きな窓の方へとゆっくり歩き出す。その背中には、一切の無防備さと、圧倒的な強者の余裕が同居していた。


「そうです。私が君を捉えるために警報を鳴らしました」


 平坦な声がすんなりと回答した。


「いつから俺が指名手配の男だと思ってたんだ?」


「数日前、路地裏で二人の男性に出会いました。彼らが何か探している様子でしたので話しかけてみたんです。するとどうでしょう、彼らは「指名手配中の賞金首を見つけた」と述べたのですよ。それで探ってみたら…というわけです」


 異様なまでにすんなりと話してくれる。


 市長がこちらへと振り返る。その青い瞳の奥に何が見えているのか、今の俺には分からない。


「探る?この広い都市を?仮に俺を見つけたとして、俺が指名手配中の男だと断定する証拠はないはずだが」


「………」


 とは言いつつ、目覚めてから数日間、俺は目覚めた時の服と借り物の服を洗濯して着回していた。

 目覚めた場所からかなり離れたとは言え、その時にあのチンピラ野郎共に会っていたら正体がバレていても不思議はない。

 あれは本当に意識が低いなと自分でも思う。


 だが、バレた理由がそこにあるとは今は思わなかった。

 なぜなら――


「何であの時、俺を捕まえなかった?」


 ミレッタと服を買いに行った時。

 あの時、俺と市長は出会ってた。これは俺の予想だが、市長は既にあの時― 

 いや、あの会話の中で、俺が指名手配中の男だと確信を得たのだと思っている。


 市長は、表情を大きく変えることはなかった。

 ただ、こちらを見つめたまま、静かに口を開く。


「…気づいていましたか」


 その声には、冷やかしも嘲笑もない。

 ただ事実を認めるだけの、淡々とした響き。


「それともう一つ。これはあくまで俺の予想だが――あんた、異能の力を持ってるだろ?」


 その言葉を聞き、初めて市長の瞳が驚愕で揺らいだ。

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