死んでも殺す
不敵な言葉と同時に、俺は地を蹴った。
右手のナイフに纏わせた高密度の綴力が、猛烈な鋭さを持つ。
「あの男を殺せッ!」
ニルヒの冷酷な号令と共に、数十人の衛兵たちが一斉に突きかかってくる。
だが、俺の目にはその動きが、まるで止まっているかのように緩慢に見えた。
「見える…!」
この数日間のゼクフィスとの特訓で、俺の実力はうなぎ登りであった。高密度の綴力の纏わせ方。敵と相対した時の足運び。
それら全てを思い出すように俺は敵を見据える。
踏み込みの一歩。
俺は最短距離で衛兵に近付き、一閃。
綴力を帯びた刃は、鋼の鎧など存在しないかのように易々と切り裂き、衛兵の胸元で赤色の液体を炸裂させた。
「がはっ……!?」
着地と同時に身を翻し、背後から迫る長槍をナイフの腹で受け流す。そのまま滑らせるようにして槍の柄を断ち切り、無防備になった喉元へ、ナイフを叩き込んだ。
踊るような足さばき。
ホールに響くのは、衛兵たちが上げる歓声ではなく、空気を引き裂く音と、重厚な鎧が次々と大理石に叩きつけられる轟音だけだ。
ある者は骨を砕かれ、ある者は意識を刈り取られ、ある者は命を刈り取られる。
無数の殺意の中を、俺はただ一筋の閃光となって突き抜けていく。
わずか数分に満たない戦闘。
立ちふさがっていた有象無象たちは、今やピクリとも動かぬ骸の山へと成り果てていた。
立ち上る死の残り香。
俺はナイフを軽く振り、血を払う動作でニルヒを見据えた。
「次はお前の番か? ニルヒ」
骸の山を築いた俺を前に、ニルヒの口元から笑みが消えた。
ピクリ、と包帯に隠された眉が動く。
「まさかこれだけの衛兵たちを一人で倒しきるとは…」
低く、苛立ちを孕んだ声。
ニルヒはゆっくりと腰の剣の柄に手をかけた。先ほどまでの朗々とした態度は影を潜め、剥き出しの殺意がホールを浸食していく。
「あなたが何者であれ、ここで僕に敗れることに変わりはありません。…僕は、まだ終わるわけにはいかないんですよ」
ギチ、と鞘から剣が引き抜かれる。
白銀の刃が、ホールの陽光を反射して冷たく輝いた。
「クーガを――あの男を!僕は必ず殺す!!」
吐き捨てられた言葉には、深い怨念のような執着が混じっていた。
ニルヒは剣を構え、鋭い踏み込みと共に一気に距離を詰めてくる。
「僕の邪魔をするなら、誰であろうと切り裂くだけです!!」
ニルヒの踏み込みは、これまでの衛兵たちとは比べものにならないほど速く、鋭い。
放たれた刺突を、俺はナイフで辛うじて弾く。火花が散り、鋼が擦れる嫌な音が大ホールに響いた。
一撃一撃が重い。
ニルヒは剣筋を淀ませることなく、流れるような連撃で俺を翻弄する。
「どうしたんですか? 先ほどまでの勢いは!」
鋭い横薙ぎ。俺は上体を反らしてかわすが、包帯の奥にある糸目が不気味に細められた次の瞬間、回避を読んだかのように鋭い蹴りが腹部を襲う。
「ぐッ…!」
床を滑るように後退し、なんとか体勢を立て直す。
だが、休む暇は与えられない。ニルヒの剣は、まるで生き物のように俺の急所を的確に突き、斬り刻もうと迫りくる。
一度二度とニルヒの剣が頬を掠める。
綴力を纏わせたナイフで応戦するが、ニルヒの剣さばきはその軌跡を完璧に見切り、最小限の動きで受け流している。
受けに回れば回るほど、逃げ場がなくなっていく。
大理石の床に俺の血液が、そしてニルヒの剣が掠めた傷跡が次々と刻まれていく。
徐々に背後の壁が近づく。ナイフを握る手に冷や汗が滲む。
ニルヒの猛攻を前に、俺は確実な押し負けを感じ始めていた。
一合、五合、十合、後ろに後退していく。
そして――
――キィィィィィィィィィンッ!
鼓膜を震わせるほど高い金属音が響き、俺の手からナイフが弾き飛ばされた。
「しまっ……!」
回転しながら大理石の床に転がるナイフ。武器を失った俺に、ニルヒの冷酷な追撃が迫る。
「残念、あなたじゃ僕を倒せない」
勝利を確信したニルヒの剣が、俺の首筋を狙って突き出される。
だが、咄嗟の俺の視線はその刃ではなく、足元に落ちていた武器に向けられていた。先ほどの衛兵たちとの戦いで叩き折った、無惨な槍の柄だ。
俺は大理石を転がり、その折れた槍を掴み取り、渾身の力でニルヒへと振り抜く。
「そんな木端で何がっ!」
ニルヒは余裕を持って一歩下がり、届くはずのない間合いでその一撃を躱した。
――だが、俺の狙いはそこからだ。
「――『再構築』!!」
俺の手の中で、折れた槍が爆発的な輝きを放つ。
足りなかった先端が、失われていた鋼の刃が、異能の力によって一瞬で復元された。
「なっ…!?」
躱したはずの距離が、リビルドによって一気に埋まる。
完全に虚を突かれたニルヒの回避は間に合わない。復元された槍の鋭い刃が、ニルヒの右足を貫いた。
「くそッ!!」
ニルヒが自分を刺した槍から逃げるように後ろへと跳ねる。
俺はニルヒが槍を避けるために跳ねのいた瞬間に、床を滑るようにして飛ばされたナイフへと手を伸ばす。指先に触れる冷たい柄の感触。
それを力強く握りしめると同時に、俺は再びニルヒへと肉薄した。
だが、右足を貫かれたはずのニルヒは、苦悶の表情を浮かべながらも、その瞳に底冷えするような静かな怒りを宿していた。
「あなたは僕が思っていた以上に厄介ですね」
ニルヒは息を整えることなく、剣を構える。
その周囲の空気が、急激に密度を増していくのを肌で感じた。
「前の戦いでは、コレを出す前に不覚を取りました。ですが……今回は出し惜しみなどしません」
ニルヒが左手を掲げると、そこから魔呪綴が綴られる。
「独自魔呪綴――『凍冬固』!!」
瞬間、鋭利な氷の礫が数十発、散弾のように俺に向かって放たれた。
「くっ……!」
俺はナイフを構え、正面から迫りくる死の飛礫を見据える。
ただの衛兵たちが使う魔法とは、速度も、そして殺意の重さも桁違いだった。
「なまくらじゃ凌げませんよ!」
氷の礫が空気を切り裂く鋭い音と共に、俺の視界を白く染め上げていく。
「やってみたら!案外できるかもよッ!」
俺は強がりを言いながら、飛んでくる礫を片っ端から叩き潰す。
七個ほど切った後、俺は異変に気付く。
「霧が、でてる?」
先ほどまでははっきりと見えたニルヒの顔、それが今は霧の影響で見えにくくなっている。
「まずいな…」
このまま霧に紛れられでもしたら、俺の動きは音で分かるのに、ニルヒの動きは分からない、という詰み展開に繋がりかねない。
霧の原因。どうやらあの氷が爆散した周りに、霧を生成しているようである。
その証拠に、先ほどから俺の周りにも氷が着弾し、床を抉りながら俺を囲むように霧を発生させている。
ついにニルヒの姿が霧に溶け、完全に消失した。
カツン、カツンと大理石を叩く音が四方から反響する。
足音で距離はある程度測れるが、この濃霧では正確な位置までは特定できない。
「死が近付く気分はどうですか?」
どこからともなく響くニルヒの声。
焦燥が背中を伝うが、俺は足元の惨状を捉えていた。
激しい戦闘でズタズタになった床。至る所が抉れ、剥がれ落ちた大理石の破片が散らばっている。
――これだ。
俺は静かに膝をつき、掌を冷たい大理石に押し当てた。
「降参ですか? それとも神に祈りでも?」
嘲笑うような声が近づいてくる。
俺は応えず、ただ感覚を研ぎ澄ませた。
カツン。
背後の方、ニルヒの足音が、俺がわざと背にしていた深く抉れた床のすぐそばまで到達した。
ここだッ!
「『再構築』!!」
俺の手から生じる異能により、抉れていた大理石の床が一瞬で元の形へと復元される。
抉れた床を踏み抜くつもりで体重を乗せていたニルヒにとって、それは致命的な誤算となった。
「何だッ…!?」
急激にせり上がった床がニルヒの足を跳ね上げ、霧の中にガランッという無様な金属音が響き渡る。
予測していた高さが狂い、完璧だったはずの足運びが完全に崩れた。
霧の向こうで、泳ぐようにのけぞったニルヒの気配。
「――仕留める」
体勢を崩し、霧の中で無様に泳ぐニルヒの懐へ、俺は弾丸のような速度で振り返り、飛び込んだ。
右手のナイフに、これまでの戦いで最高密度の綴力を纏わせた。
溢れ出す綴力は、かつてないほどナイフの刃を尖らせる。
「何ですか!その、密度は!」
驚愕に見開かれたニルヒの瞳。
だが、もう遅い。
俺は逆手に構えたナイフを、渾身の力でニルヒの腹部へと叩きつけた。
――ギィィィィィィンッ!
硬質な鋼鉄の鎧が悲鳴を上げる。しかし、最高密度を纏った俺のナイフは、その防具ごとニルヒの肉体を断ち切った。
火花と共に、銀の破片がホールの天井高くへと舞い上がる。
「ッ!!」
衝撃が背中まで突き抜け、ニルヒの身体がくの字に折れ曲がった。
俺はさらに力を込め、そのまま一気に真横へと振り抜く。
高速で吹っ飛ぶニルヒは、床の破片を吹き飛ばしながら視界を塞いでいた霧を消し去った。
ニルヒの身体が遠くの扉にぶつかって轟音と共に止まる。
静寂が戻ったホールに響くのは、俺の激しい呼吸と、砕けた鎧が床に転がる乾いた音だけだった。




