灰髪の兄弟
「ははは。―――は凄…な!こ……こ………き……ん…!」
「待って!!!!」
伸ばした手は届かなかった。
「うぅ…」
呻き声を上げて、俺の思考の檻が、ゆっくりと形を成し始めた。
瞼が重い...まるで鉛でも流し込まれたみたいだ。俺は何処にいる?何があった?
焦燥感の募る心に待ったをかけて、落ち着きを取り戻そうと努力をする。
……不意に、微かな衣擦れの音が鼓膜を叩いた。
「あ、目が動いた。お兄ちゃん、この人もうすぐ起きるよ」
重い瞼を無理やり押し上げると、逆光の中で一段と輝く、肩より少し長いくらいの銀灰色の髪が揺れた。
「…ようやくお目覚めか。随分と長く眠っていたな」
眼の前の高級そうな椅子に座る少女の左奥、腕を組み、偉そうに佇む白灰色の髪を持つ青年の鋭い眼光が男を射貫く。
ゆっくりと現実を繋げ合わせていく。
そうだ。確か、俺は路地裏で目覚め、すぐにチンピラ野郎共に追いかけ回されてた。最後は俺の再構築で逃げきって…
その後だ。その後、確か。空から。釘のようなものが。そして、光が。
「おーい。聞こえてるー?」
眼の前、状況を整理するために、無意識に思考の外に置いていた少女が椅子を立ち、こちらを覗き込んでくる。
さすがの脳も、先程よりも近づき、こちらを覗き込む美少女は無視できないようで、ドクリと心臓が跳ねたのが聞こえたような気がした。
鼻先をかすめる甘い匂いや、透き通るような肌の白さに、あやうく毒気を抜かれそうになる。
実際、それが、平和な物語の幕開けでさえあれば、ヒロインとの奇跡の邂逅とでも言うだろう。
だが、あいにく、俺の立たされている状況はそんなに甘くない。いきなり攻撃された挙げ句、身体を椅子に縛りつけられているのだ。
俺は湧き上がる動揺を無理やり、警戒という名の冷水で薄め、震える声で言葉を絞り出した。
「…お前らも、俺の首にかかった賞金が目当てか…?」
当然の疑問であった。むしろ、賞金以外の理由で、いきなり知らない男を攻撃するやからがいるのだとしたら、それは、とんでもない戦闘狂、もしくは、その人物に何か恨みを抱いてる者だけであろう。
「恨み…?」
記憶喪失前の俺に恨みのある人物。その可能性もある。
だが、だとしたらなぜ俺を生かしている?
恨みを晴らすのが目的なら、意識を失っている間に首をはねるのが一番確実で、手っ取り早いはずだ。
わざわざこうして椅子にくくりつけ、目が覚めるのを待っていた理由。
まさか、拷問でもするためか?
死ぬよりも凄惨な苦痛を与えて、心ゆくまで俺を嬲るつもりなのかもしれない。
背筋を嫌な汗が伝い、心臓が特段に激しく警鐘を鳴らす。
…いや、それはないか。
目の前の少女を、もう一度冷静に観察する。
拷問を企んでいるような冷酷さは微塵も感じられない。むしろ、俺の体調を純粋に心配しているような、輝くほど無垢な視線を向けてきている。
そもそも、そんな血生臭い目的があるなら、こんなに無防備に顔を近づけてきたりはしないだろう。
「…おい、リィ、お前が説明するんだろ?」
「…っ!分かってるって!ちょっとタイミング伺ってただけ!」
そんな、男の警戒心とは裏腹に、リィ、と呼ばれた美少女が、バツが悪そうに下唇を薄く噛み締め、そのまま、おずおずと再び椅子に腰を下ろした。
その表情からは、拷問を企んでいるような冷酷さは微塵も感じられない。
すると突然、彼女は俺の顔の前で、小さな両手をぴたりと合わせた。
そして、一言。
「ごめんなさい!」
「……ごめんな、さい?」
腑抜けた声が漏れた。当然である。そんな言葉が彼女の口から出るだなんて誰が予想しただろうか。
「えっと…その…ミスだったのよ、ミス」
いったい何のことだろうか?説明が足り―
「説明が足りない…」
そう、その通り。
俺が思うと、同時、リィと呼ばれた美少女の背後にいる男が言う。
「そうだよね…ちゃんと、説明しなきゃ…」
そう言うやいなや、リィと呼ばれた美少女は軽く挨拶を始めた。
美少女の本名はリシェラと言うらしい。
そして彼女の兄― クーガによると、二人は実の兄妹ではないとか。
十年前、クーガがここに来た時に拾った少女、それがリシェラだそうだ。
彼女は、自分を捨てた母親を探すことを目標に、日々生きているらしい。
っと、少し前置きが長くなってしまった。
本題に入ろう。「あの時」の話だ。
「……それで、結局俺に何をしたんだ?」
俺の問いに、椅子に座ったリシェラは再びバツが悪そうに下唇を薄く噛み締めた。
そして、ゆっくりと「あの時」の話を始めた。
「あのね、本当は……お兄ちゃんと買い物に行って、その帰り道だったの。そしたら急に、近くで大きな音が響いて」
彼女は身振り手振りを交え、当時の驚きを着々と説明し始めた。
「慌てて見に行ったら、そこには見たこともない立派な橋ができてて…そして、直ぐにそれが壊れたの。で、その原因と思わしきあなたを見つけた」
「俺を?」
「そう! 状況がよくわからなくて、とにかく話を聞こうと思って……でも、あなた、止まってくれそうに無かったから…」
そこでリシェラの言葉が詰まった。彼女の頬が少しばかし赤く染まっていく。
「……止めようとして焦ったら、魔呪綴の加減を、その、ちょっとだけ……いえ、かなり間違えちゃって。……気がついたら、あなたが白目を剥いて倒れてたの」
「ちょっとだけ」ではない。確実に仕留めにかかっていた威力だった。
どうやら彼女は、不審者を確保しようとして、ダンプカーで突っ込むような真似をしてしまったらしい。
だが、悪意は微塵も感じられない。あるのは、純粋な謝意だけだ。
「本当に、ごめんなさい……! 」
必死に頭を下げる彼女の姿に、俺は細胞の隅々から力が抜けていく。
「…まぁなんとなく理由は分かった。じゃあ、取り敢えずこの縄をほどいてくれないか?」
そう言い、俺が視線を送るのは、俺を椅子にくくりつける縄だ。
「あぁ!ごめんなさい!」
三度目の謝罪と共にリシェラが俺の元に小走りに寄ってくる。いい匂いだな、と思っていると、クーガに睨まれた。
「んっ…!」
身体を縛る縄から解放された俺は、自由を感じるため、身体を伸ばす。
肺に大量の空気をいれ、吐き出す、それと同時に俺の脇腹に強烈な一撃が― 一撃?へ?
「うっ…!」
俺は強烈な靴裏での一撃を浴びて吹っ飛んでいた。
「おっ、お兄ちゃん!?何してるの!?」
反応する暇もなくぶち込まれた靴裏の一撃。
俺はそれをした男を困惑を含んだ眼で見る。
「…っ、何……すんだよ……!」
脇腹を抑え、荒い息を吐きながら俺は声を絞り出す。
だが、クーガは表情一つ変えず、ゆっくりと俺との距離を詰めてきた。その歩みには、ほとんど無駄がなく、熟練の戦士特有の威圧感を放っている。
「…リィは甘い。だが、俺は違う。……お前、いったい何者だ?その右眼の魔眼、そして手配書、どう見ても曰く付きだ…」
今さらだがこの家、なかなか広い。
俺が蹴り飛ばされて背中を打ちつけるまでの距離も、普通の民家とは思えないほどにあった。
縄から解放されて自由を噛み締めた瞬間に、靴裏でぶっ飛ばされる。
なんとも皮肉な話だが、おかげで眼がパッチリと覚めた。ここはリシェラのようなお人好しばかりが住む天国じゃない。クーガのような「牙」を持つ者が、平然と隣に立っている世界なんだ。
「…黙っているということは、やはり後ろ暗い自覚があるようだな」
「待って!お兄―」
「…問答無用!」
その瞬間、クーガの姿が消え、殺人的な一撃が俺に叩き込まれた。




