47.マリアの告白
審問会③
「マリア・バルカン。なぜガーランドに?」
「人の…… 役に立ちたくて……」
「疫病が恐ろしくはなかったのか?」
「怖かった、ですけど、それでも…… 民を救いたかった……のです」
マリアは悪い夢でも見ているような気分だった。
細く掠れて途切れ途切れの自身の声が変に反響している。魔導具で声を拾うとか何とか聞かされた気がするが、難しいことは良く分からない。
分かる事といえば、この場にいる全員に責め立てられ、自分が「悪い子」になってしまったということだけ。
……こんなつもりじゃなかったのに。みんなの役に立ちたくて、褒めてもらいたかっただけなのに。それがそんなにいけない事なのかしら。
そう考えるたび、脳裏にはボロボロになった恩師の姿が浮かぶ。ガーランドに見送ったときはずいぶん人らしい姿に戻っていたが、高熱にうなされ苦しそうだった。
高齢だから死んでしまうかもしれない。
それが恐ろしくて申し訳なくて、「わたし、いけないことをしてしまったんだわ」と胸を痛める。
何がいけなかったのか。
何か悪いことをしてしまった。
何がいけなかったのか。
何か間違ってしまった。
何がいけなかったのか。
何が行けなかったのか……
学院に戻って来て、牢に入れられてからもずっとそれを繰り返していた。
「純粋に善意でやったことだと言いたいんだね?」
男性にしては少し高くて甘い声は良く通る。
コクリと頷けば、前方から「悪意が無ければ許されると思っているのか!」「声を張れ! 不誠実だ!」と怒ったような声が重なってギュッと身体に力が入った。
こんなふうに人に非難されるのは初めてで、アルフォンスに対して抱いた罪悪感とはまた違う重たい感情が腹の底に溜まっていく。
「彼女は喋りづらいようだから事前に聞き取りした事実を僕が説明しよう。間違いがあったら訂正して」
「……はい」
「君は週の始め、アルバラ研究室がガーランドに病人の治療をしに行くことを噂で聞いた。学内でも噂になっていたから友人の多い君なら早い段階で知ったんだろう。それから君は自分もその慈善活動に参加したいと思った。そこで…… 授業の評価に繋がらなくても個人的な善行としてガーランドに向かおうと思った」
ディディエの説明に過不足はない。彼の口から聞いてもそれが正しいことだったのか、間違っていたのか分からないが、なんとなく講堂には呆れた空気が漂っていて…… 悲しくなった。
「けれどツインズに籍を置く君にはガーランドへの入領資格はない。馬車だと何週もかかる距離だ。転移門を使うために君の後援者を頼った。そうだね?」
コクリと頷くとどよめきが起きた。でも、後援者というのは少し違う。アルフォンスと関係が終わってからも以前と同じように良くしてくれていただけ。
お茶をすることは無くなったけれど、たまに手紙のやり取りをしていて、この時も世間話程度に「困っている」と書き添えただけだった。
そしたら、次の日の朝には小包で通行証が送られてきた。『心優しい貴女を応援するわ』と励ましの言葉が添えられていて、背中を押して貰った気がして嬉しかった。それで……
「その日の授業後にその通行証をつかってガーランドに向かった」
「はい」
そこからの行動もディディエは端的に説明した。
天幕が並ぶ庭を歩いて回ったこと。病人の手を取り懸命に励ましたこと。白衣の女性に会って子どもたちの世話を頼まれたこと。その時、自分も学院から来たと言ったこと。それが相手を誤解させてしまったこと。子どもたちを親に会わせようと勝手に隔離病棟を訪れたこと。
みんな、困惑しているようだった。
呆れと、怒りと、少しの同情。
これだけ多くの人間が一斉に感情を向け、野次を飛ばす者までいれば、さすがのマリアも何を思われているかくらい分かる。
「それから…… 君は個人指導を受けている王都のマダムと会っていた」
「はい」
「ああ、一応補足しておきます。彼女は高齢かつ上位の貴族であったため発症が早かったのですが、幸い人付き合いは無くそれ以上の感染は見られていません」
皆が安堵した。
ヘレン先生はいまも苦しんでいるのに。彼女の孤独は決して良いものではないのに。自分が悪いと分かっていても、言い表せない感情が込み上げてくる。
マリアにとっては数字で表される知らない大勢より、ヘレンひとりの方が現実だった。今夜も学院は大変なことになっていたようだが、牢にいたからかどこか現実味がない。
「それと、マリア・バルカンが後援者から受け取った通行証は正規の物でした。授業後にどう過ごすかは個人の自由。ここまでで彼女の行動に法的な問題はない」
「……しかし」
「ええ、法は犯してないけれど、過失はあった。それを罪に問うか、ですね」
本来は未成年の罪は親が被ることになる。投獄、私財の没収、爵位の剥奪、当主交代、さまざまな罰を受け、親が子を処罰する。
その処罰も世間に評価されるため、罪によっては幽閉だったり謹慎だったりと様々だが、親の居ないマリアの場合は祖父母が決めることになるだろう。
これはヘレンから何度も教えられてやっと理解したところだった。
……でも、これほど大ごとになってしまって、お爺様に一任されるかしら。
マリアもそれくらいのことは考えられるくらいになっていた。そして、自身の罪がそのまま祖父母に回ることを思い出して、またズンと胸が重くなる。
「いくら善意であったとしてもこれは看過できない」
「ツインズか…… 彼女はヴァルプルギスでの振る舞いもある。貴族として問題があるようだな」
左からも後ろからも冷たい声がマリアに投げつけられる。
チラ、と視界の端でアルフォンスを見ると、悔しそうに唇を噛んでいた。
せっかく一生懸命勉強したのに。ヘレン先生だってあんなに親身になって教えてくれたのに。何もかもダメになってしまった。自分は取り返しの付かないことをしてしまって、それはどんなに後悔したってどうにもならない。
ああ、これが……
マリアは初めて人生で挫折というものを味わった。
自分なら何でも乗り越えられると信じて生きて来たけれど、こればかりはどうにもならない。
冷えた大人の声はどれも感情が無く、逆に前方で飛び交う生徒の声は怒りを含んでいる。
「消えろ!」
「処刑よ、処刑するべきだわ!」
「偽善者め!」
「可愛いければ何でも許されると思わないことね!」
「前から気味が悪いと思っていたのよ!」
「馬鹿が余計なことをするから!」
「死ねばいいのに!」
「男に媚を売るしか能がないくせに!」
「俺の友を返せ!」
これまで表立ってマリアを非難出来なかった者たちはここぞとばかりに怒りをぶつけるのである。
善意だからと許されていたし、善意だから庇われて来た。彼女を非難すると自分が悪者になるからと正面から彼女の行いを正すこともできず、裏で陰口を言うだけの者は相当に不満を溜めていたらしい。
ついでに、これまで彼女を庇って来た男たちも正義心に燃えて手のひらを返す。
この場でマリアを案じるのは普段からマリアの優しさに惚れ込んでいた信徒だけである。マリアの前向きでひたむきな善性に惹きつけられた者だから。マリアが孤独で寂しい学院生活から救ってくれたから。家格や容姿関係なく、暖かい友人の輪に入れてくれたのはマリアだけだったから。
だから、こんなことになっても、マリアに背を向けることなんてできなかった。
大切な友人に向かう悪意で心をズタズタにされながら、「誰か彼女を助けて……」と祈ることしかできない。
と、そこに。
「少しお黙りになって」
アリシアであった。
かつて、婚約者をマリアに奪われ、家門の存続まで危ぶまれたアリシアが、上品ながらもしっかりとした声で理性を失った生徒たちを黙らせた。
「皆様、感情に呑まれてはなりません」
彼女の言葉はそれだけだった。
それだけで充分だった。
アリシアはすでに王太子の婚約者の座を降り、嫡男ではないアリシアより身分の高い生徒は居る。
それでも彼らの頭を冷やすほどの発言力を持つのは、彼女がこれまで培ってきた社交力と実績からだろう。
マリアはまたじわりと目元を熱くした。きっと、これまで無神経なことを言って傷付けたのに、それでも彼女はたったひとりこの怒声の盾になってくれた。
これこそが勇気で、善意なのではないか。
いつか、大階段でアリシアを守ろうと体を張ったことがあったけれど、今になって思えば……
誰かに褒めて欲しかった、誰かに感謝されたかった、誰かに振り向いてほしかった。
そう、あれは自分のための行為だった。それは卑しいことだった。でも彼女からはそういった浅ましさが感じられない。
……あ、これも。ガーランドに行ったのも、自分のためだったのね。
急に自分が恥ずかしくなって、顔を覆いたくなる。
……今まで何をしていたんだろう、わたし。なんにも、分かってなかった。これから、どうすれば……
「ごめんなさい…… ごめん、なさい……」
口の中で何度もそう呟いた。届かなくても、言葉にすることで自分が悪いのだと戒めるように。
少しの騒めきだけになった空間で、ディディエとシェリエルがボソボソとなにか喋っている。
「あはは…… 濁ってきた。まさかアリシアが引き出すなんてね。シェリエル、穢れは?」
「まったく…… 綺麗なものです」
「え、本当に? どういうこと? 真性の馬鹿なの?」
「でも罪悪感や後悔はありますよね? なんでしょうね」
わたし、穢れを溜めてない?
それだけ分かって、それすら申し訳なくなった。人の心が無いみたいで、自分が薄情に思えたのだ。
「あー、なるほど。お前、本当に前向きだね」
「え……? あ、」
「罪悪感や後悔は過去にある。でも、お前は過去を見ながらも未来のことしか考えてない。稀有な才だよ、ここまで来ると」
「へ?」
急に褒められて混乱した。嫌味だったのかもしれない。でもニコ、と笑ったディディエに悪意は感じなくて、なぜか味方してくれているように思えて、心にポッと小さな火を灯した。細い蝋燭くらいの小さなものだが、ここには自分の味方になってくれる人が、二人…… いや、三人もいる。
「わたくしからひとつよろしいでしょうか」
シェリエルは何事も無かったかのように拡声を使って全員の意識を集める。
横の方で座っている大人たちも、頷きでそれに応えていた。
「たしかに彼女は取り返しの付かない事をしました。現在療養中の生徒も無事では済まないかもしれない。けれど、それもすべてわたくしの責任です」
まさかシェリエル様が庇ってくれるなんて……
マリアの視界は涙で滲んで、鼻の奥がキュウと詰まる。
「なぜその娘を庇うのだ! 其方が責を負えば沙汰を下せないと思っているのではあるまいな!」
領主や元老院からは猛烈な反論が飛んだ。生徒たちも「有耶無耶にするな!」とか「さすがにそれはおかしい!」とか騒ぎだす。
「もちろん、マリア・バルカンに過失はあります。では彼女の罪は何でしょう。善良な心で善悪の判断が付かないこと。いわゆる無能であるということです。そして無駄に行動力があり、人一倍承認欲求が強い」
「……だから何だと言うのだ」
「その無能に侵入を許したわたくしの責任は重いと申しているのです」
さすがにこうも「無能」と連呼されると悲しくなってくる。自分にそんなことを思う資格がないことは分かっているが、「わたしってそんなにバカだったのかしら」と涙に拍車をかけた。
どよめく会場にまたマデリンの声が通り抜けた。彼女は上位の最上級生だけあって、甲高い声がよく響くらしい。
「そうですわ! これまで散々ご自身の才をひけらかして来たのですから、マリアひとりどうにか出来た筈ではありませんか!」
「いえ、そこは否定させていただきます。わたくしは神でも何でも無いのです。個々の行動すべてを把握し対策するなど無理な事とご承知願えますでしょうか」
「な、なにを! じゃあ貴女の責任って何なのよ!」
マデリンはシェリエルに個人的な恨みを抱いているのか、最後の方は感情のままに叫んでいた。
対するシェリエルは意にも介さず、視線を講堂の奥へと伸ばす。
「わたくしに過失があるとすれば、それは…… マリア・バルカンを生かしておいたことでしょう」
「——?」
「……え、今なんて言った?」
「なに? どういうこと?」
マデリンの声は多くの動揺に混ざって聞き取れなかったが、「は?」という口の形で固まっている。
ひとりだけ苦悶の表情で俯いているのはアルフォンスだ。
マリアも「え?」と思ってまじまじとシェリエルを見つめた。
シェリエル様は味方じゃ……
するとシェリエルはマリアを見つめ返して、申し訳なさそうに眉を下げる。
「何度か貴女を殺すべきだと思いました。特に恨みはないけれど、邪魔になるかと思って。でも貴女に悪意はなかった。無能なだけで人を殺していては毎日誰かの命を奪わなくてはいけません。それにわたくしは、いえ、ベリアルドは殺人で快楽を得るわけではないのです。正直、後処理が面倒なのでどうしても邪魔になる者、もしくは自身に危害を加える者以外は殺しません」
「……なんの、話?」
「邪魔になりそうだというだけで殺すのはよろしくないと思って放置していたのですけれど、早々に処分しておけばこんなことにはならなかったでしょう。ごめんなさいね、貴女にも辛い思いをさせたわ」
それは優しい声音で紡がれる死刑宣告だった。
シェリエルは聖女のような微笑みでマリアの処刑をここに宣言したのだ。
「……まって、ころ、殺すの? わたしを」
「はい。わたくしも反省しました。次に貴女が何かする前に処刑すべきで、それを誰かに決断させるわけにはいきません。わたくしの責任だから。わたくしの判断で、わたくしが処刑します」
彼女は慈悲を感じさせるほど柔らかな微笑で、何もない空間に手の先を突っ込み、剣を握ってするりと刀身を引き出した。
あ、わたし死ぬんだわ……
そう思ったとき、講堂内から悲鳴が上がる。
ついさっきまで「殺せ」「処刑しろ」と叫んでいたのに、実際に目の前で人が死ぬとは思っていなかったのだろう。
鏡からも、壇上の元老院からも「待て!」「一度冷静に!」とシェリエルに懇願するような叫びが飛んだ。
「なぜです? 皆、これを望んでいたのでしょう?」
「いや、独断で処刑すれば其方にも罪が」
「ですが、わたくしの過失を償うにはこれしか……」
「おい、ディディエや、どうにかしろ! シェリエルが投獄されれば何もかも終わりぞ!」
「ならこの処刑を無罪放免にしてください。僕は賛成だ、少し惜しいけど」
「いやいや、待て待て! どうしてそうなる!」
「だから、シェリエルが言った通りですよ。結局、この事態の責任を取るというのも、国民の感情を宥める為でしかない。処刑ってそういうものでしょう? シェリエルを能力不足を理由に排除することも出来ないし、だからと言ってこの少女に死刑判決を下せる人がいますか? 国民は彼女が処刑されれば気が済むでしょうから、執行人も過失のあるシェリエルが適任です。妹は機を逃したことを悔いているのです、気持ちを汲んでやってください」
ディディエは優しくシェリエルに微笑み、シェリエルもそれに愛らしい笑みで返す。
まだ夜は明けておらず、この場で処刑すれば責任がどうとか、賠償がどうとか、処罰をどうするだとか、生徒をどう納得させるかとか、すべて解決して最速で次の行動に移れる。
そう言いたいらしい。
◆
「待てッ! これは王太子命令だ! シェリエル剣を下ろせ!」
「殿下?」
「いいか、落ち着いて、ゆっくり剣を下ろすんだ」
アルフォンスはシェリエルを刺激しないようにじわじわ近寄りながら説得を試みる。腰が引けていて、完全に気が狂った人間への対応だ。
「でも…… わたくしの失態と言えば彼女を殺さなかった事くらいですし」
「本気でそう思っているのか!?」
「ええ」
「え、や。ならば、俺にも責任があるだろう!」
「そうですね、無法者の集団を殲滅させたり、それを秘密裏に処理してマリアには伝えなかったり……」
「いいいま言うのか、それを!」
「な、なんの話…… ですか?」
「貴女が誘拐犯に付いて行ったことがあるでしょう? あの者たちは全員わたしが殺したわ。それを隠滅したのが殿下よ」
シェリエルはマリアにギリギリ聞こえるくらいの小声で言った。聴覚を強化しているカルロスやチャールズ、他の要人たちには聞こえているが、生徒たちは口元を読むことすらできていない。
マリアはハッとしてアルフォンスを見た。アルフォンスは片手で目を覆って「あー」と上を向いていて、それが事実なのだと分かる。
「……そんな。わたしのせいで、人が死んでいた……?」
「まあ、彼らはわたしに剣を向けたのだし、正当な処分だったけれど。知っていたら貴女も少しは慎重になっていたかもしれないわね。どうせ穢れないならば気遣う必要なんてなかったのよ」
「……悪かった。俺が判断を誤った。だから……」
「まだ彼女に個人的な感情が?」
「いや、そうではなくて…… 普通は引くだろう。前を見てみろ!」
シェリエルがホールに目を向けると、全員引き攣った顔で固まっていた。剣を握る手にグッと力を込めて軽く振りかぶると、「キャー!」と悲鳴が上がる。
「な? 普通はここまで望んでいない。処刑するにしても、知らないところですべて終わって、結果だけ知れればそれで良いんだ」
「なるほど、処刑自体には賛成なのですね」
「どうしてそうなるんだ!」
アルフォンスはぐしゃぐしゃ頭を掻いて、助けを求めるようにユリウスを見る。それから人選を間違えたみたいにすぐに目を逸らしたが、ユリウスは呼ばれたと思ったらしく舞台の中央へとゆっくり歩いてきた。
「呼んだかい?」
「呼んでない! これ以上異常者を増やしてたまるか!」
「ハハ、酷いな。傷付いた」
「分かった! 分かったよ! 俺が、その、正式に沙汰を…… 下すから!」
「殿下が?」
「そうだ」
「それで皆が納得しますか? 被害に遭ったのは学院の皆です。そして、これから王都で病に侵される無数の民全員を納得させる沙汰を下せるのです?」
「う……」
しかし、大講堂に漂う空気は確実に変わっていた。
マリアに対する怒りとか病に対する不安よりも、よく分からない理由で剣を抜いたシェリエルが怖くて仕方ないのだ。
彼女からは一切の殺意が感じられないのに、瞬きをするくらいに自然に首を落としそうな真実味があった。
理解できない彼女の心理と迫る残酷な光景にすべての感情を持って行かれている。
「どうやら誰も処刑を望んでいないようですね…… おかしなものです」
「シェリエル、私が処刑の許可を与えようか?」
「ユリウス様にその権限はありませんよね?」
「陛下から頂戴してこよう。伝言役くらいはできるさ」
「ではそのように。皆様、それでよろしいでしょうか」
元老院も領主たちも「え……」と目を丸めてなぜそのような結論に至ったのか一瞬考えた。散々喚いていた生徒たちも気を鎮めて、シェリエルもそれを理解したふうだったのに。
彼らの意に沿う気はないらしい。
「その娘の命で、すべて片を付ける気か?」
「はい。見せしめにもなりますし」
「、?」
「それは私から説明しよう。先ほどはディディエに無視されたからね」
ユリウスは横目でディディエを見てさっきのリベンジをすると言う。
「そもそもの話、遅かれ早かれこういった事態になったのではないかな。シェリエルの過失を議論する以前に、なぜこれまで貴族に病が広がっていないのか考える必要がある。すでに地方では貴族にも病が見られるのは知っているね? 王都の貴族が無事で居るのは何故か」
「……」
「人の出入りを制限しているからだ。行き来する人間を最小限にし、病の検査、消毒、症状の有無を確認し、貴族たちは平民である商人との交流を控え、さらに仕入れにも気を使っている。それが誰の提案によるものかは皆も知っているだろう」
多くを知らない生徒たちは「……シェリエル様?」「そんなことまでしていたの?」と互いに認識を確認し合う。
「だからこそ貴族のみが集まるクラブや新しくできたサロン・シャティエルに人が集まることになったが、平民との隔絶にも限度がある。いつかは他領から王都に病が持ち込まれ、貴族にも広がったことだろう。それを抑えるため、アルバラ研究室は多くの病を検査できるようガーランドに赴き、さらには新たな治療法を研究した」
漠然と「何かすごいことをしていた」とだけ理解していた者たちは、ここで改めてアルバラ研究室が何を目指していたかを知る。
「……じゃあやっぱりシェリエル様は悪くなかったってこと?」
「マリアが余計なことをしなければ……」
「いや、彼女がやらかさなくてもこうなったって事ではないかな」
ユリウスは雑多に飛び交う囁き声を拾いながら、仮定の話をした。
「マリア・バルカンが学院に病を広げず、シェリエルらの対策が先に行き渡れば大きな感染拡大は無く収束したかもしれないが、いつ誰が病を運んでもおかしくなかったということだ。誰でも起こし得る過失であるからこそ、その事実を広く知らしめる必要がある。もし王都に病を持ち込んだのが平民であったなら、その一人を処刑したところで誰の心にも響かなかっただろう。貴族の娘が事を起こし、罰されることで多くの民の戒めとなる、ということだ」
「それで、見せしめ……」
皆が黙り込んだ。
誰がやってもおかしくなかったということは、この先も起こり得るということ。それを防ぐために、マリアを前例として処刑する。
納得はしたものの、そうなると“贄”の意味合いが強くなる。個人を贄とすることに潜在的な忌避感を持つからこそ、合理的な判断だとは思っても心が拒絶した。
人身御供を認めるわけにはいかない。
処刑を望んでいたときは「悪は裁かれるべき」という正義に基づいたものだったから。
「……ユリウス殿下、それを公にしては——」
「ああ。本当なら王宮内で決断し、民にはその意図を知られないよう振る舞う必要がある。けれどね、もうはじめてしまったから。ふふ、仕方ないよね」
ユリウスは至極楽しそうに笑う。
ちょっとした悪戯心で現実を突き付けて動揺するのを嘲笑うかのように。
悪趣味極まりない暴露であったが、シェリエルが窘めるような素振りはない。彼女はこの贄を覆い隠す慣習を理解はしていても共感はしていなかったからだ。
「そういうわけだ、諸君。君たちの怒りを鎮めるためにも、多くの民に知らしめる為にも、この少女には贄になってもらおう。手を下すのはベリアルドだ、気に病むことはない」
マリアは真っ青になって身体をガタガタ震わせていた。
生徒たちも熱を鎮めて葬式みたいな顔で俯いている。
大人たちはある程度納得しつつもこれが後にどのように影響するか気を揉んでいるようだった。
「穢れが出始めましたね。やはり集団になると多少の罪悪感でも集まり易いようです」
「ふむ、後処理はディディエに任せようか」
「え、祓ってよ。今日はそこまで魔力使ってないだろ」
「まあ、どうしてもと言うなら……」
「お待ちください!」
少女の声が小さく壇上に届いた。
「どうか、ご慈悲を…… どうか! マリアにご慈悲を賜りたくッ」
震える涙声はマリアの友人のものだ。
それに続くようにあちこちから「慈悲を!」と声があがる。
彼らは感情的に発したマリアへの怒りの言葉を悔いているのか、はたまた三人が無慈悲に事を進める様が恐ろしくなったのか、マリアの減刑を叫ぶ。
「いやあ、僕ら慈悲って良く分からないしなぁ…… ユリウスは?」
「私も少し勉強不足かもしれない」
ふたりは懇願する群衆を見てケタケタと愉しそうに笑うだけだった。
生徒たちは自分たちを煽ったのがディディエだということにも気付かずに、安易に刑罰を願った自分を呪って、後悔する。
処刑されようとしているマリアと同じ。取り返しの付かない事をしてしまった、と。
「では、こうしましょう」
凛と明るいシェリエルの声は彼らに希望を与えた。
「ただ処刑するのも勿体無いので、彼女には検体になって貰うというのは如何でしょうか」
「検体……?」
「彼女はいま貴族の身体で複数の病を持っています。魔力持ちの病人はまだ治験の例が少なく、人に試す時には多くの検証が必要なので薬を調合するにも時間がかかるのです。けれど、処刑するならばその工程をいくつか省略しても問題ないでしょう。死に至ればそれまで。生き残れば医療の発展に貢献したとして、罰と相殺する。ま、すべての病を検証したいのでわたくしどもも最善は尽くしますよ」
軽く言ったシェリエルの提案に生徒たちは心底安堵した。ただで済ませるのは癪だけれど、目の前で処刑されるのは見たく無い。処刑の一端を担ったとも思いたくないし、彼女の功績にもなるなら良いのでは無いか。
生きた人間で実験するなど贄と同義であったが、最初に出た案が酷いものだったので感覚が麻痺している。
「な、なるほど。それで、良いのではないかな」
「貴族を検体にするとは恐ろしいことを考えるものだ……」
「いやしかし、未成年であることを鑑みても処刑は重過ぎる」
元老院たちもやっと胸のあたりを軽くしたようだった。
マリアは「わ、わたしどうなっちゃうの……」と更に顔色を悪くして、縋るようにシェリエルを見る。
「ごめんなさいね」
「……ァ、え……」
「きっと死ぬより辛いことになると思うけれど…… みんなの為だもの。がんばって生きて」
「ふぇ……」
こうしてシェリエルは合法的に何でも試せる検体を手に入れ、自身の責任はとんでも理論で処刑を提案することで有耶無耶にし、ついでにこれまでの功績をアピールして、今夜の働き分の利を回収した。
元老院だけではこの空気は作れなかった。大人の冷静さは邪魔になる。集団の意志を煽り、混乱させ、よく分からない話で過度の情報を詰め込んで、それらしい流れを作ることで完全に場を掌握したのである。
ふぅ、と息を吐いて凝った首元をコキコキ鳴らすと、「まだ終わってないぞ」とディディエに肘で突つかれた。
チャールズが進行係のプロキオンに合図を送ると、プロキオンがパンパンとふたつ手を叩く。
「それでは、マリア・バルカンの審問と処遇の決定はここまでと——」
「マリア・バルカン、ひとつ問いたい」
鏡の向こうから改革派の領主が言った。
「は、い……」
「其方に通行証を渡したのは誰であったのだ」
「……それは……」
マリアが言っても良いのか、とシェリエルに視線を向ければ、シェリエルは促すように首を縦に振る。
「ライア様です……」
またもざわりと講堂が揺れた。
アルフォンスの母、王の妾、ライアに対する疑念が渦巻いた瞬間であった。





