45.曖昧な潔白
審問会①
まだ陽が昇る気配もない夜と朝の間くらい。
貴族学院の大講堂に響く鐘の音は幾千人の意識をひとつに集める。
いつもなら寝ている時間だが、この日は学院に在籍するすべての者がその音を聴いていた。
事態を把握しようと情報収集に勤しんでいた者や、ただ非日常な真夜中に緊張していた者、騒ぎ疲れてうつらうつらと横になっていた者、戦場の如く走り回っていた者。
仮設病棟に隔離された生徒以外はみんなこの大講堂に集められている。
知った顔を見つけてはお互いの情報を交換し、そこら中で「この学院で疫病が出た」とか、「二年次のマリア・バルカンがやらかした」だとか、「アルバラ研究室が実験に失敗した」などと囁かれていた。
そうやって自分たちがどんな状況に晒されているのかを知ると同時に、それが個人の“失敗”によるものだと認識すれば、囁き声にも力が入ってくるというもので。
怒りを孕んだ噂話はあっという間に大講堂全体に広がったが、その喧騒をピタと止めたのがこの鐘であった。
甲高い金属音が終わると同時に、男がひとり、コツコツ靴音を響かせて壇上に現れる。
「皆さんおはようございます。これより昨夜の騒動について説明及び審問を始めたいと思います。進行は私、ディアモン寮寮監プロキオンが仰せつかりました」
プロキオンは壇上の中央で舞台俳優のような優雅な礼をしてみせた。
これから演劇でも始まりそうな雰囲気さえあるのに、口上にはやや物騒な言葉が含まれる。
生徒たちは噂話の答え合わせがしたくて堪らないし、戦犯を吊し上げて怒りや不安を発散したいと思っていて、早く、早く、と彼の言葉を待つ。
プロキオンはこのいまにも爆発しそうな感情の集合体をゆっくり見回し、続く言葉は一段声音を下げる。
先の検査が疫病の有無を確認するものであったこと、現在ここに集まる者たちは安全であること、それから疫病の仕組みなど。下級生にも分かるように噛み砕いてプロキオンは話し続ける。
淡々とした言葉は事務的でありながら、物語を始めるプロローグのようでもあった。
生徒たちは瞬きも忘れてプロキオンの話に聴き入っている。
プロキオンは相手が心地良い空気を作るのが上手い男であるが、この場でそれを全生徒にやってのけたのである。
「……いますべてを理解する必要はありません。今後授業に取り入れることも視野に入れていますので、それぞれの理解でこれから始まる審問に臨んで欲しいと思っています」
束の間の静寂に“審問”の言葉だけが浮き上がる。
誰も口には出さないが、これが公然の吊し上げなのだと理解した。
◆
「元老院カルロス・クラーマー閣下」
審問官としてやってきたカルロスは自身の名が呼ばれると袖から舞台に出た。
上手に並べられた椅子には祭司マティアと賢者アウグストが座っている。
事前に決められた席に着くと、プロキオンは学長であるゴルハルトの名を挙げ、さらには宰相チャールズと続く。
挨拶をするでもなく席を埋める面々に、大講堂は大きく騒めいている。
「ユリウス・オラステリア王子殿下」
ユリウスが現れると講堂全体の緊張が緩む様が見て取れた。
異様な黒髪に数々の恐ろしい噂があっても、彼がこの学院で受け入れられていることにカルロスは驚きを隠せない。
先のゲルルト、ジルヴェスター両名の公開裁判の折には大衆に絶望と希望を与えて見せた王子だが、それは一種のパフォーマンスであり、その瞬間だけの熱狂と捉えることもできた。
が、これを見るに、その場限りの求心力ではないということだろう。
最後に名が挙がったアルフォンスが登壇すると、生徒たちは分かりやすく安堵する。
見知った顔。自分たちの主。各々思いはあるだろうが、ここが“自分たちの場所”だと再確認させてくれる存在だと信頼を置いているのだ。
「本日は元老院主導の審問会であり、当事者となった学生諸君らにも見届ける権利があるとして、特別に当学院で行う運びとなりました」
プロキオンが舞台奥の壁を指すようにスッと右半身を引く。
これまでぼんやり舞台とその先にいる無数の学生たちを映していた大鏡は、鮮烈な髪色を並べた王宮の会議室を映し出し、その周りには各地の領主たちが顔を並べた。
錚々たる顔ぶれである。
将来この面々と顔を合わせる人間はほんの一握り。まっすぐに見つめることが憚られて視線を僅かに下げる者が多い。
すでにこの場は学生の集会ではなく、政治の中枢となっていた。
そこに、下手の袖からぞろぞろとアルバラを始めシェリエル、アリシアが現れる。
まるで裁判を受ける被告人のような構図であった。これは事実を詳らかにし、責任の所在と処罰を決めるための舞台なのだ。
「アルバラ、貴殿は統治学の研究者として大きな栄誉を手にした。通信の魔導具をはじめ、様々なベリアルドの発明を政策に落とし込み、統治学に革命を起こしたのだ。その功績は賞賛されて然るべきであろう。……けれど欲をかいた。神々の為す疫病という災厄にまで干渉しようとしたことは、人の身に余るのではないか。私はそう思えて仕方ないのだ」
「……」
舞台の中央で悠々と語りかけるカルロスは、黙って自身の話を受け入れるアルバラに気分を良くした。
カルロスとてアルバラのすべてを否定することは出来ない。現に、この審判ですら彼らの技術を使っていて、急激に文明は進歩している。
けれどもカルロス個人としては仄暗い感情も持ち合わせていた。
疫病に対抗する術があると言われればそれに縋るほかない。彼らの提案は暗闇に指す一筋の光であり、興奮もあったが、期待を寄せる相手が一介の研究者と未成年の子どもたちというのはどこか引っかかるものがあったのだ。
有能な者を上手く引き立て使うことも為政者として必要な能力である。頭では分かっているが、感情はそう簡単に割り切れるものではない。
急激に世界を変えていく彼らの眩さに目を細めて、付いていくのがやっとな現状が悔しくて、心のどこかで“失敗”を望んでいたのかもしれない。
そんな気持ちからか、報告を受けた直後、反射的にベリアルドの謀反を疑った。知恵の回る悪魔ゆえに、英雄に擬態して国を滅ぼそうとしているのではないか、と。
その疑心はアルバラにも及び、彼らの企みを明かすことこそ元老院である自分の使命と言わんばかりに、ポツポツ返る彼の言葉を否定していく。
「——研究者としての栄誉を望むあまり、教師としてベリアルドの才を見誤ったのではないか? シェリエル嬢の真意を正しく理解出来ていたと言えるか、アルバラよ」
アルバラは青白い顔に不釣り合いな力強い眼差しを持っていた。
「いいえ。理解する必要など無いと思っております」
「なに?」
「彼女の発明、発案にどのような意図があったとしても、有用であれば国益に変えるのが我々の仕事ですので」
「今回は損害を出しているが? その責任をどう考える」
「損害となるかは今後の対応次第でしょう」
「……」
今度はカルロスが黙る番だった。
シェリエルは会議室にやって来た時から殊勝に反省の意を示し、いまだって三人は罪人のように顔を暗くしている。
にもかかわらず、アルバラの答弁は内容だけ見れば不遜そのもの。反省した顔のまま吠え散らかす獣のようではないか。
彼らの意図を読むことが非常に困難で、どう攻めれば良いのか分からなくなってくる。
「では、これから疫病を完全に滅することが出来ると言うのか? いや、仮にそうであってもだ! このような事態を招いた以上、国の方針を委ねるに値しないと判断するのが当然であろう」
「完全に滅することは…… 難しいでしょう。しかし……」
「これまで病は平民に留めていられたのだ。ただでさえ記録に残る疫病の発現よりも時期が早すぎるというのに、このままでは国が滅んでもおかしくないのだぞ」
「……」
アルバラはまたも歯切れ悪く黙り込む。
カルロスはこれが好機とばかりに声に力を込めるが、舞台袖にチラ、と藤色が見えてキュッと口を閉じた。
「お話し中に失礼します。どうやらアルバラ先生は口頭での問答が苦手なようなので、僕が代わりに答弁してもよろしいでしょうか。論文ばかり書いているから舌が鈍ってしまったのでしょう。これも研究者の宿命というやつです、致し方ありません」
「……ディディエ・ベリアルド」
カルロスの呟きは幾千の騒めきのなかに埋もれて消える。
舞台上の人間は全員が拡声を使って話してはいる。それでもディディエが現れたことによる騒めきはそれを掻き消すほどに凄まじかった。
もちろん、口笛を吹いたり野次を飛ばしたりなどはないが、厳粛な審問の場には一瞬にしてワクワクとした好奇の波が押し寄せている。
姿を見ないと思っていたが、やはり舞台に上がったか……
劣勢を予期して嫌な顔を隠し切れずにいたカルロスだったが、視界の端ではシェリエルが嫌そうな顔で視線を逸らしていた。情のないベリアルドに同情の色が見えた気がして、カルロスのうなじにゾクリと鳥肌が走る。
「ええと、何の話でしたか。まずアルバラ先生にシェリエルの悪意を判断できたか…… まあ、これは不可能でしょう。そしてアルバラ先生の仰る通り、そんなことは重要ではない。ベリアルドを使うときは害になると判明した時点で処刑すれば良いのです。もちろん、僕らは処刑されないよう、世間様に迷惑をかけず己の楽しみを見出すことに精を出しますが。元老院の御方であればそのくらいご存じですよね。くだらないことで時間を使うのは止めにしましょう」
「……く、くだら、処刑……」
「それから、本件をどの程度の損害と見做すかですが、やはり今後の働きによると言う他ないでしょう。僕はこれをアルバラ先生の失敗とは思っていません。教師であり引率者であるアルバラ先生に責任を求めるのが自然に思われるかもしれません。でもそれは形式的なものだ。彼に悪意があった? 考慮が足りなかった? 能力が及ばなかった? いいえ。アルバラ先生は彼の領分のなかで十二分な働きをしました。だから彼の能力不足を理由に処罰し、今後の対策から外すというのは賢明ではありません」
「なにを…… 言っている?」
ディディエがよく回る舌で一気に捲し立てれば、講堂内は「アルバラ先生は悪くないのか〜」という空気になってしまった。
この学院にはバカしか居ないのかと思うほど、簡単にディディエに煽られて隅々まで伝播していく。
けれど、元老院である自分がそんな詭弁で沙汰を下すわけにはいかないだろう。
「それでもだ! 誰かが責任を取らねばならない! その為の教師ではないのか!」
「形式的に彼の首を切って、元老院だけで今後の対策が打てるのですか?」
それを言っては元も子もない。カルロスだってアルバラに責任を被せて事態を丸く収めようというわけではないし、彼らの知見が必要なことくらい分かっている。
ただ、本当に国に害が無いのか確かめ、潔白を証明してから此度の失態を功績と相殺するのが妥当くらいに思っていた。
——それなのにだ。
カルロスはこれまでの流れを振り返りハッとする。
いま自分はなぜか一方的にアルバラを責め立てていた。揚げ足を取るように悪いところを探して彼の頭を押さえつけようとしていた。
壇上の立ち位置、場の空気、ちょっとした負の感情、そしてアルバラの返答により、悪を断罪する英雄の気持ち良さに浸ってしまっていたのだ。
それに気付けて良かった。
けれど“時すでに遅し”である。
「では、どう……」
「事の詳細を詳らかにする、でしたね。疫病の研究を始めたのは誰か。魔導具によって治療を試みたのは誰か。ガーランドを実験場にし、一箇所に患者を集めたのは誰か。シェリエル、すべてお前だね」
「はい、すべてわたくしが言い出したことです」
一歩前に出たシェリエルと不敵に笑うディディエが向かい合う。
彼はシェリエルをあれほど溺愛していたのに。
唯一家族には無条件で強い愛情を持つと言われるベリアルドなのに。
審問により彼らの真意を暴くのは自分だったはずなのに。
「シェリエル、どうしてこんなことをしたんだ」
「興味と慢心、でしょうか。あとは、学院戦がしたくて……」
カルロスはもう蚊帳の外みたいにすっかり脇役へと追いやられてしまった。
最悪の兄妹が最悪な問答を始めてしまったのである。
長らくお休みして申し訳ありません。
審問会編3話くらいになります。





